長編 #4951の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
「僕はあなたのサインがいただきたいんですっ」 「……前田さーん。秀康君に私のこと、変な風に吹き込んでない?」 「そんなことしてないわよ。すっかり熱を上げてしまって、勉強も手に着かな いみたいだし、サインしてやって」 「それはいいけれど」 承諾の意を表すと、純子の目の前にはペンと色紙一枚が差し出された。サイ ンがもらえると分かるまで、隠していたらしい。 一旦受け取り、練習しておいた風谷美羽のサインを素早く書く。 「あの、できれば本名も……それと宛名を入れてくれるとうれしいんですが」 「はいはい」 本名まで書く羽目になろうとは、何だかおかしな気分になる。 書き上げた色紙を渡そうとすると、前田秀康は一度出した手を引っ込め、手 の平を入念に拭ってから改めて受け取った。 「どうもありがとうございます!」 「随分感激してるようだけど、他にも望みがあったんじゃない?」 息つく暇のない前田の攻撃ならぬ口撃に、弟はまたも顔を赤くして、唾を飛 ばして姉に抗議する。 「うるっさいな。今日はこれでいいんだよ!」 言い捨てると、今度は無言で純子にお辞儀を深々とし、風を起こすほどの勢 いで背を向け、猛烈なダッシュで走り去った。 「……一年生のときって、私もああいう感じだったのかしら」 呆気に取られていた純子へ、前田が耳打ちする。笑いながらなので、聞く側 としては耳がくすぐったい。 「我が弟君はね、サインの他に、握手してもらって、写真を一緒に撮りたいと 思ってたのよ」 「え。それぐらい、言ってくれたら、すぐしたのに」 「なかなかどうして、サイン頼むだけでも、あの子にとっちゃ大変な勇気が必 要だっったみたい。ま、文化祭のときクラスにやって来るだろうから、そのと きにでもしてやって」 ウィンクした前田に、純子はきょとんとし、三秒遅れでうなずいた。 「大したことじゃないのに」 「いえいえ。秀康ってば、気が弱いから。血を見て倒れそうになるぐらいだか らね」 「涼原さん、教えてほしい問題があるんだけど、今いいかい?」 アルバム委員の仕事を終えて、廊下を歩いていたところを話し掛けられ、純 子は肩越しに後ろを向きつつ速度を緩めた。 唐沢が鞄を小脇に抱え、軽く息を弾ませていた。 「え。科目は何?」 「数学なんだ。かなり面倒臭そうなやつで……」 「数学は自信ないんだけれど。一応やってみる。問題を見せて」 並んで進みながら応える純子。唐沢は鞄を持ち替え、手早く開けると、中か ら問題集を取り出した。緑の表紙のそれは授業用の問題集ではなく、学校側が 新しく用意した、有名難関校の過去の入試問題を集めた物だった。教科は数学。 心覚えのための色とりどりの*が数本、揺れている。その中の一つを摘み、 ページを開く唐沢。 「この問題……」 開かれた問題集を覗き込む。が、歩きながらのせいか、どれを指差している のか判然としない。 「どれ?」 「これ」 指先がぶれないよう立ち止まり、唐沢はそのページの真ん中辺りを示した。 問二十三と知れる。 番号言ってくれればよかったのにと思いながらも、問題文を熟読する。途中、 唐沢から問題集そのものを受け取った。 幾何の問題で、サーカスのテントを横から見たような図形が描いてあり、各 点にアルファベットが振ってある。 (む、難しそう) 問題文を二度読み、取り掛かったが、少なくとも即座に解けるような類では なさそうだ。純子は唐沢の顔を見上げ、ある一方へ腕を向けた。 「図書室に行く? ゆっくり考えないとだめみたい」 「涼原さんがいいのなら、それでかまわないさ。むしろ、ありがたいな。感謝 感謝」 最初、拝み合わせていた手を組み換え、揉み手する唐沢。芝居っ気が過ぎて、 学生鞄を落としそうになる。 図書室に足を向けた二人だったが、そこへ邪魔者――唐沢にとって――が現 れた。 「あれ? どこ行くの?」 唐沢が階段に第一歩を掛けたところへ、相羽が聞いた。純子と同じくアルバ ム委員の仕事を終え、職員室へ教室の鍵を返したあとである。 「図書室に」 仏頂面になった唐沢に替わり、純子が答えた。 「唐沢君に問題教えてほしいと頼まれちゃって」 「そうなんだ? 残念、一緒に帰ろうと思ってたのに」 唐沢は押し黙り、相羽は相羽で力のない笑いを返す。 約束したわけではなかったが、自分も一緒に下校するつもりだった純子は、 右頬を人差し指でかきながら、しばし考える。 「――相羽君、数学得意でしょ? すぐに解けるんじゃない?」 「え?」 持っていた問題集を相羽に向け、問二十三を指差した。 「あ、ちょうどよかった」 問題を一瞥した相羽の表情が緩む。 「その辺りなら一昨日、解いたから」 「やった! 教えてもらおうっと。ね、唐沢君も。この方が早いわよ」 「うーむ」 唸った唐沢は、やむを得ないとばかりに大きな動作で、鞄からノートを取り 出した。 「三つの方法を思い付いたんだけれど、一番効率よく解け――」 「三つ?」 純子の一段高くなったトーンに、相羽は台詞を中断して苦笑した。 「探せば多分まだある。こればっかりやってるわけにもいかないから、三つで やめたんだ。その中でなら、CEを中線に見立てて……」 相羽の言う通りに補助線を引き、解法に耳を傾ける。確かに、分かってみれ ば呆気ないほど簡単に解ける。 純子も唐沢も黙ってペンを走らせた。 「――っ」 相羽が息を飲んだような気配があった。純子がノートから顔を上げると、目 の前の相羽は真左を鋭い眼差しで凝視しているのが見て取れる。表情が一転し て険しい。 「相羽君?」 小声で呼んでみたが、反応がない。 この頃には唐沢も相羽のちょっとした異変に気が付いていた。純子と二人、 顔を見合わせて怪訝がる。 「おーい、相羽。これでいいのか?」 唐沢の呼び掛けにも応じず、変わらぬ姿勢で左を見ている相羽。純子は爪先 立ちする要領で、相羽の見ている方向――純子にとって右――を見た。 しかしそれと全く同時に、相羽が顔を戻した。 「何か言った? 悪い、よく聞いてなかった。教え方がまずかったかな、はは」 「あなたが上の空だから……どうしたのかなと思って」 「あ、いや、何でもないよ。ぼーっとしてただけ」 片手を振って、目を細める相羽。そしておもむろに純子や唐沢のノートを覗 き込むと、「解き方は分かった? もういい?」と尋ねる。 「う、うん。私はいいけど」 「俺も」 その返事に相羽は小さく安堵すると、床に置いていた学生鞄を持った。 「じゃあ……また明日」 どことなくぎこちない物腰で言うと、左へと駆け足で行く。すぐそこの角を 左に折れて、相羽の姿は見えなくなった。 (変なの) ため息をしてから、ノートを鞄に入れる純子。誤って、問題集まで仕舞いそ うになった。唐沢に指摘され、慌てて返す。 「ごめんなさい、うっかりしちゃって」 「いえいえ、全然かまわない……」 純子の仕種の真似でもないだろうが、唐沢は頬をかいた。 「涼原さん、やっぱ、あいつのことが気になる?」 「あいつって、相羽君のこと? 今みたいな行動されたら、誰だって気になる でしょう?」 「そりゃま、そうかもしれないけど」 唐沢は納得行かない様子で、問題集をようやく仕舞おうとした。 * * 壁に、「廊下は静かに歩くように!」と二段書きされた貼り紙がある。 相羽はいつもと違っていた。嫌な予感に後押しされて、全速力でこそないも のの、走っていた。 (あいつ、何をしに現れた?) 純子と唐沢に数学の問題の解き方を教えていたとき、ふと視界の片隅に捉え てしまったのは、紅畑先生――元先生の横顔だった。 見間違いかと向き直った相羽だったが、そこには確かに紅畑がいた。隣の校 舎にある会議用か何かの部屋の中で、他の先生と話し込んでいるのが窓ガラス 越しに見えた。 相羽は何度か角を折れ、最短距離で校舎を移動する。同じ棟にたどり着いた 途端、足音を忍ばせた。 (――何であんな人を気にしなければいけないんだ) 忌々しさが湧き起こったが、ここまで来たら引き返すこともない。紅畑がい るであろう方角を目指し、足早に歩く。 そして、校舎を貫く長い廊下に出た刹那、ばったり出くわす。 紺色をした横長のビニールバッグを手に持ち、口を丸くして暫時驚きを露に していた紅畑だったが、肩を一ついからせ、背広の乱れを直すと、気取った口 調で始めた。 「これはこれは……何というグッドタイミング。君にぜひ会いたいと思ってい たところだよ」 周囲には他に誰もいない。物音さえほとんど聞こえなかった。黙っていると、 空調の音が単純な繰り返しをしていることに気付く。 「何か用ですか。僕はあなたに会いたくないんですが」 「そんなことを言って、今日は君から近付いて来たんじゃないのかな」 「偶然です」 冷静な口調で告げる相羽。以前、偽の手紙の一件を看破したことで完全に終 わったものと信じていた。それなのに、また姿を現すとは……。理解ができず、 その得体の知れぬ不気味さに警戒を強める。 紅畑は右の人差し指を口に持って行き、爪を噛む仕種を見せた。 「今日は様子見で、本番は後日にするつもりだったんだがね。相羽君。君から やって来たのは都合がいい。幸いにも、道具立ては揃っている。神の啓示かも しれない」 薄く笑う紅畑。 もしや、運命論めいてきたか?とますます警戒する相羽。 しばらくの間、台詞が消えた。 冷気漂うかのような沈黙が辺りを支配する。 それを破ったのは、乾いた雑音だった。紅畑のビニールバッグとズボンの裾 がすれ合う音。 「この中には、君の好きな物が入っている」 嫌らしい笑みを浮かべた紅畑。手がバッグへと伸びた。すぐには取り出そう とせず、その格好のまま、顔を相羽へ向ける。 「何だと思うね」 「考える気はありません」 「ふっ、面白味のない人間だな。とりあえず、どこかへ腰を落ち着けようじゃ ないか。――ちょうどいい。そこの教室が空いている」 紅畑が指差したのは、理科室だった。前の戸が細く開いている。 もうすでにここの教師ではないにも関わらず、紅畑は遠慮を微塵も示さず、 その戸を音を立てて開けた。相羽は思い足を引きずり、あとに続く。 室内に入り、戸を閉めると、紅畑は当然のように教壇に立った。相羽はと言 うと、しばし考え、隅の机に手を突いた。 「少しぐらい、何が入っているのか考えてくれないのかい?」 「考えたくありません」 「ふん。絵だよ。君のために絵を描いてあげた。喜びなさい」 「……ふざけてるんだったら、帰ります」 机から手を浮かす相羽。最初から、頭の片隅では茶番のように感じていたが、 ここに来て完全に付き合っていられない気分になった。 が、紅畑は絶妙のタイミングでバッグから絵を出す。 「つれないことを言わず、見るんだ。君の目を引き付けて離さないこの絵を」 「――」 目を凝らすまでもなく、絵はよく見えた。相羽は瞬時に顔を赤くした。五パ ーセントの気恥ずかしさと、九十五パーセントの怒りとで。 「何を……描いた」 裏声になってしまった。これは疑問文ではない。非難声明だ。 「見れば分かるだろう。君のよく知る人物の、生まれたままの姿だ。君の頭の 中に、幾度となく想像図として登場したはずのね」 「……仕舞ってください」 ――つづく
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