長編 #4947の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
手を差し伸べると、異国から来た女の子は一拍置いて、飛び付いてきた。早 くも相羽に懐いたようだ。 それから相羽はラビニアを道路の右端に寄せた。その際に何か話し掛けたの は、日本での交通ルールを聞かせてやったのだろうか。 相羽と唐沢はラビニアの前後に立ち、ゆっくりと歩き始めた。遠くの景色を 指差して、ラビニアの注意を引きながら。 探し始めて三十分ほど経過していた。 ラビニアに、段々とではあるが思い出す傾向が見られた。見覚えのある景色 が眼前に現れると、軽く飛び跳ねて反応する。そこへ相羽が話し掛け、詳しい 情報を引き出そうという試みが繰り返され、進んでいく。 途中、集団下校する遠足帰りの幼稚園児や大学生らしきカップル、井戸端会 議中の主婦グループらとすれ違った。意識過敏なのかもしれないが、変な目で 見られたような気がする。特に、幼稚園児達からはあからさまに「外人の子を 連れて歩いてるぅ!」という意味のよく分からない非難(?)を浴びせられた。 「しかし……」 唐沢は両腕を頭の後ろに組み、ぶらぶらと歩きながらつぶやいた。 「こうまで苦労して探してんのに、これで当たっている保証はないんだよな」 「今は信じるしかない」 「そりゃそうだ。それにしても、俺もおまえもお人好しというか」 唐沢の台詞が途切れ、その背筋が伸びる。突然、鋭い声が前方から飛んで来 たのだ。それも二通り。 「ラビニア!」 「Rabinia!」 無理に書き分けると、こんな感じ。ともに大人の男の声だった。 口髭の見事な背の高いカナダ人と、その肩口までしかない、鼻の大きな日本 人。その傍らには、隠れるようにして小さな男の子もいる。男の子はラビニア へ近付きたいけれど、相羽達を警戒するあまり動けないといった風情があった。 「よかったな」 唐沢が囁くのへ、相羽は軽くうなずき、ラビニアの手を引いて三人の方へ急 いだ。唐沢ももちろん続く。 ところが数十センチも進まない内に、ラビニアは相羽の手を振りほどき、父 親――多分――の腕の中へ飛び込んだ。言葉にならない歓声を上げている。一 連の様子を男の子がじっと見ているのが、何だか微笑ましい。 「君達は」 日本人男性が口を開いた。が、言葉が続かない。どう聞けばいいのか戸惑っ ていると見受けられる。 「あの子――ラビニアちゃんが道端で泣いているのを、彼が見つけたんです」 唐沢を手で示しながら、相羽が事情を説明する。唐沢の方は、とりあえず日 本語が聞けたのでほっとしていた。 「尋ねても、住所がはっきりしなかったので、一緒に探してたら」 「うまく出くわしたという訳か。ああ、助かったよ。ありがとう」 と言って、お辞儀をする男性。続いて父親も唐沢達へ向き直った。目を赤く して、鼻をぐずぐずさせているのが分かる。お国柄と言うよりは、この人の性 格なのかもしれない。 唐沢と相羽の手を取ると、早口で何ごとかを一気に喋った。 「えーと……何だって?」 右手を勢いよく上下されながら、隣の相羽に聞く唐沢。 同じような格好の相羽は口元だけで笑うと、唐沢ではなく、正面の外国人へ 答えた。当然、英語だ。 「お、おいおい……うわ!」 唐沢の不安感が高まったところへ、ラビニアの父親はいきなり抱き付いてき た。唐沢の背で力いっぱいクロスされた両腕が、感激の深さを表す。 「相羽、何言ったんだよ?」 肩越しに苦しげな表情で振り返った唐沢へ、相羽は真顔で答える。 「事実を伝えたまでさ。『お嬢さんを最初に見つけたのは、こちらの唐沢君で す。彼がいなければ、ずっと大変なことになっていたかもしれません。感謝は 彼にしてください』とね」 そうして、にやりと笑う。 「な、何つーことを……」 普段の仕返しをされたかなとあきらめる一方、唐沢は相羽の英語力に改めて 関心もした。 (いつの間にこんな上手になったんだよ? 授業だけじゃ絶対に無理だろ。ま るで、元々から喋れたみたいじゃないか) なお、このあと唐沢と相羽は結構いい思いをした。ハッター氏の心からのお 礼を受けたのだ。 * * 純子は前々から天体望遠鏡がほしいと思っていた。ほしい物なら他にもある けれど、一番ほしくて、一番手が届きそうになかったのが望遠鏡。 学校から帰ってきて、母親から急に問われた。「今一番ほしい物って何?」 と。それに素直に答えたまで。 「相変わらず望遠鏡なのね」 母が深く長い息をつく。 「何なに? 買ってくれるの? あ、もうすぐ誕生日だし!」 鞄を持ったまま、飛び付かんばかりの勢いで近付く。 母親は困ったような笑みを浮かべ、それから頬の辺りに片手を当て、今度は 明らかにため息と分かる息をついた。 「買ってあげるというのとはまるで違うのよね」 「え? 分かんない」 「これ、見てみなさい」 眼前に差し出されたのは、文庫本より一回り小さいサイズの物。厚さもずっ と薄い。通帳だ。キャラクターのイラストが鮮やかな、純子名義の預金通帳。 純子は髪を揺らして小首を傾げる。面を起こし、母を見た。 「私の通帳だというのは分かるけれど……どうしたの、お母さん?」 「とにかく中を見る」 いささかきつめに言われ、純子はすぐさま通帳を受け取ると真新しいページ を繰った。新しい記入があることにすぐ気が付く。都合四行、すべて入金だ。 その一つ一つのゼロの数が凄い。 「わっ、何これ!」 「今日、ついでがあって銀行で記入だけしてきたのよ。そうしたら」 「機械、壊れてたんだ? お母さんも運が悪い。――どうして笑うのよっ」 純子は大真面目のつもりなのに、母は声を殺して笑い始めていた。なかなか やまないものだから、純子は最初母親の肩を掴んで揺さぶり、それが無駄だと 分かると次にほっぺを膨らませてそっぽを向いた。 「本気で言ってるの、純子?」 ようやく収まった母親が、目尻を指先で拭いながら尋ねた。 「だって……どう見たって機械のミス」 学生鞄とともにいつの間にか放り出していた通帳を拾い上げ、問題の箇所を 指差す。と、母親は通帳を上から覗き込むと、入金者の欄を爪の先で示した。 「ルークってなってるでしょうが」 「……ほんと。だけど、何で?」 「歌でしょ」 心底呆れ、一回りして感心したような物腰の母親。 純子は丸く握った両手を胸の前で合わせた。 「ああー、歌。でも、おかしい。こんなにならないって」 「私も初めはそう思ったのだけれどね、事務所へ電話確認する前に、念のため に調べてみたのよ。ルークからの入金通知が来ていたのを思い出して」 「そんなの来てたの?」 「純子。あなたにも見せようとしたのに、預かっといてって言うから」 半分怒り、残りの半分は再び呆れた口調。母は腰に手を当てながら、通知を 探す素振りを見せた。 「お母さんもお父さんも封を切らずに置いたままだったのよ。それで中身を見 たら、金額に間違いはなかったわ」 「……税金」 たまたま今日の四限目、社会科の授業で習った内容が、脳裏を行ったり来た りしている。 「ええ?」 母親が怪訝そうに聞き返す。純子は音がしそうなくらい瞬きを繰り返し、ぽ つりと言った。 「税金を払わないといけない額よね、これ」 また笑いが起こった。しばらく続きそう。 「お母さん! もう!」 「ああ、おかしぃ。ともかく、それだけあればいい望遠鏡を買えるでしょうに」 「……うん。最高級セットは無理かもしれないけれど。自動追尾装置が付いて、 レンズは直径が――」 「この子ったら。天文学者を目指す気?」 母の新たなため息に、純子は間を置かずに応じる。 「それもいいなあ」 すると母は、親としてお決まりの台詞を口にした。 「今の世の中、何をするにしても、ちゃんと勉強しないといけないでしょう。 誕生日プレゼントは他の物を用意してあげるから、今日は――」 「はーい。部屋に直行します」 皆まで言わせず、早口で応じる純子だった。 * * 相羽家へ届いた一通の国際郵便。それはJ音楽院からの返事。 内容を簡潔にまとめると、『まだ確言はできないが、物になる可能性は充分 ある。本格的にテストを受けてみてはどうか』というもの。美辞麗句の類では 決してない。 「よかったじゃない」 「まあ、ね」 文面に目を通しながら、母の呼び掛けに返事する。母がにこにこしているの が視界に捉えられた。キッチンのテーブルを挟み、向かい合う格好だ。二人の 間には、その知らせの入っていた封筒が置いてある。 「ちょっとは認めてもらえたことになるわね。お父さんの血を引いてるせいも あるのかしら」 「うん」 饒舌な母の声からは、いつになくはしゃいだ響きが感じ取れた。子供みたい だ。表情も気持ち若返ったように見受けられる。 (そんなに嬉しいのかな。やっぱり、父さんとのことを思い出して……) 想像する信一。別に母を喜ばせたくてこの道に進もうとしているわけではな いけれど、母の笑顔を目の当たりにすると、これでいいんだという思いが一段 と強くなる。 「でも、さすがJ音楽院。テープだけで合格はさせてくれないわね」 本気なのか冗談なのか分かりにくい母の言い種に、信一はへし口を作った。 「当たり前だよ」 「それでも、本当によかった。これで行ける可能性が開けたんだから」 「簡単に言うけれど、テストに受かるかどうかの前に、受けるためには、向こ うまで行かなければならないんだよ」 「そりゃあそうでしょう。最初から分かっていたことじゃない。試験のときは 当然、私も着いて行くわ。信一は、言葉の問題はないし、寮の設備も整ってい ると言うから平気でしょう。お父さんから聞いた話だとね、才能のある人がた くさん周りにいて、とても刺激を受けるそうよ。それでまた自分も向上するっ て。きっと素晴らしい環境だと思うわ」 「うん……」 「どうしたの? ……母さんのことなら何も気にしなくていいのよ。前にもそ う言ったでしょう。幸い、今なら費用の面も都合つくんだし」 「えっと。でも、わざわざテストを受けに行って、だめだったときのことを考 えると、もったいないと言うか」 「信一、それ、本心から言ってる?」 幾分、顔をしかめた母。 「そんなことを気にしてたら、何もできないじゃない。失敗を恐れているのと 同じよ」 「そうだよね」 「――信一らしくない。何かあるわね」 今度は目を覗き込んでくる。信一は一度は逸らしかけたが、決意を固めて真 っ直ぐ見返す。 「母さんと離れ離れになることを考えると不安になるのは事実なんだ。嘘をつ いて強がるなんてできない」 「うん。それで?」 「でも、その不安は何とか我慢できる。心配事は他にあって……一つ目は酒匂 川の人達がどういう行動に出るか、気になる」 「ふうん。たとえばどんなことだと思う?」 「母さんに嫌がらせをするんじゃないかとか、外国まで追いかけてきて邪魔を するんじゃないかとか」 訴え口調の息子に、母は微苦笑で応じた。 「そんなこと心配しなくていいのよ。時間はかかるかもしれないけれど、きち んと話し合って、解決して行くつもりでいるわ。進学の件がきっかけになった、 と言えば体裁がよすぎるわね。この年齢になって、やっと踏ん切りが着いた。 会いたくない、顔も見たくないからといっていつまでも避けていてはだめだと。 解決しておかなければいけないとね」 「本当に大丈夫?」 「自分の子供から気を遣われるほど、私は弱くはないわよ。信じなさい」 ――つづく
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