長編 #4925の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
4 しかたなく、私は散策を始めた。池に通じる森の入り口に行ってみる と、二人のたくましい若者が見張りをしていた。回れ右をして、農家の かたまりの向こう側へと歩いていく。山間の小さな村には田園が美しく 広がり、稲穂が一面に実り、弧を描くようにこうべをたれていた。太陽 が暑く照らし、ほんの数分歩いただけで汗がしずくとなって額をつたい 始めた。 田んぼのあぜ道を歩いていると、野良襦袢を着たおばさんが早稲の刈 取りをしているのを見つけた。 「すみません。祭りというのは、いつ始まるんですか」私は大声で言っ た。 「ああ、村のもんは気まぐれじゃからなあ。じき始まるだろうよ」 広大な田の中で、このおばさんだけ一人でぽつんと作業をしている。 「お一人で大変ですね」 「他のもんはみんな祭りの準備をしてるだよ」 様々な楽しみが用意されている都市と違い、村ではたいした娯楽もな い。祭り、それは労働におわれるケの日常の中で、年に数度やってくる ハレの日だ。村の人々はその日だけは仕事から解放され、おおいに楽し むことができるのだ。 「あの、笠が池を通る以外に町へ出る道はないんですか」 ひょっとすると村人達の目を盗んで帰ることができるかもしれない。 「見ての通り山に囲まれとるから、他に道はねえだよ」 私は周りを見渡した。ここは盆地になっているらしく、高い山が取り 囲んでいる。峰を越えていくのは無理そうだ。 「あんたあ、悪いことを考えん方がええよ。今日一日は村から出れねえ から。出ると龍神様が怒って雨降らせなくなったり、村に疫病が広がっ たりするだあよ」 三郎が村中に伝達して回ったのか。鶏の件はみんな知っているようだ。 おばさんに一礼して再び歩き始める。さて、どうしたものかと私は考 える。どうやらやはり今日は帰れそうにない。明日早朝にお婆さんに案 内してもらい、急いで帰って身支度をして出社しなくてはなるまい。こ りゃ朝飯は抜きだな。 田んぼの中に麦わら帽子をかぶったかかしが立っていて、のんきな顔 をして遠くを見つめている。横を通り過ぎようとする私の目の前を、細 っこい蛇がゆっくりと横切っていったのでびっくりした。 ずっと歩いていくと、あぜ道が細くなってその先が森となって消えて いた。田もそこで終わっている。木々はゆるやかな斜面をのぼっていき、 山の上の方まで続いている。 道端に地蔵がまつられている。もうだいぶ年月がたっていて、摩滅し て表情が分かりにくかったが、微笑んでいる口元と目元がわずかに判別 できた。 私はあらためて田園をながめた。風景はのどかで、空気はきれいだ。 こうしていると、都市の日常生活に疲れた心も、体も、徐々に癒されて いくようだった。 5 他にすることもなく、私は昼過ぎまでその辺をほっつき歩いていた。 何やら若者達の威勢のいい掛け声が村道の方から聞こえ、行ってみると、 道の両脇は人々で埋まり、向こうの方から神輿をかついだ行列がやって 来るところだった。 わっしょい、わっしょい。 らっせい、らっせい。 上下にゆれながら、神輿がだんだんと近づいてくる。その周りで人々 が奇妙に手足を動かして踊っている。沿道の見物人達も次々とその中に 加わり、こちらに来るに従って数が増えてくる。 笛を吹く者、小太鼓を打つ者。演奏と、おそらくは彼らが龍神と呼ぶ 神が乗った輿を運ぶ若者達の掛け声が、一定のリズムを保ち、男も、女 も、その周りで狂ったように舞い、一団が徐々に膨れ上がりながらこち らに向かってくる。踊る者達は、みな一斉にしゃがみこみ、猿のように 手を打ち鳴らし、突然飛び上がり、体を何度も回転させる。原始的で不 恰好なダンス。麻の葉模様のはんてんを着た子供が、下手くそながらも 一生懸命に大人達の真似をして手足を動かしている。 ついに集団が私の前にやってきた。群集は、口々にわめき散らしなが ら、舞踏の中へなだれこんでいく。彼らの熱狂ぶりと、見ているだけで はずかしくなってくる奇妙な動きに、私は苦笑いを浮かべた。 数人の娘が人々に酒をふるまっている。ほっぺの赤い一人が、私に升 を差し出した。軽く頭を下げ、受け取ると、一升瓶から清酒が豪快に流 し込まれ、縁からあふれた。 「おっとっと」急いで口へ持っていく。一口飲むと、酒は変に甘酸っぱ かった。 隣の男がいきなり私の腕をつかんだ。 「ほら、あんたも踊るだよ」 「いやいや、私は」慌てて首をふる。 「おや、町の人は飲みが足りねえぞ」 「何をはずかしがっとるだあ。そら、ぐっと空けるだあよ」別の男が口 を出す。 おらおら。さあさあ。周りの人達に囃したてられて、私は升の中身を ぐっと飲み干した。途端に別の升が乱暴に渡される。しずくが顔にかか る。 それも全てのどに流し込むと同時に、私は人の波にのまれるようにし て踊りの集団の中へ押しやられた。 「はずかしがっとったら祭りにならねえだよ!」 叱咤するように言われて、おずおずと手を動かし始めた。 不思議だった。村人達の真似をして体を動かしているうちに、ゆっく りと私の心に火がつき、燃え上がっていくようだった。音楽と喧騒とが 脳を麻痺させ、さらに酔いも手伝って、私の動きはだんだん大きくなっ ていった。恥も外聞もなく猿のように手をたたき、飛び跳ね、回転し、 腕をふり、足を前に出したり、引っ込めたりを繰り返しているうちに、 まるで脳内麻薬が発生したかのような一種の快感が広がり、気分が高揚 してくるのだ。阿呆のようにげらげら笑っている者、やるだよ、行くだ よとわめいている者。それはまるで、集団催眠にかかっているかのよう だった。 心は若返り、忘れかけていた十代の頃の熱い感覚がよみがえってきて、 普段の自分がひどくつまらない者のように感じられてきた。毎晩のよう に盛り場で踊り狂う若者達の気持ちが分かるような気がした。若さゆえ の情熱が、心と体をわき立たせるのだ。 他のどんな趣味に熱中したところで、スポーツに参加したところで、 これほどの喜びは得られまい。人の精神に術をかけるような祭りだ。現 代人の脳の奥底に閉じ込められた野生の本能を、理性から解放するのだ。 「らっせい! らっせい!」全く自然に、私の口から大声が飛び出した。 踊りながら村中をねり歩いていく。一周して元の場所に戻ってきたか と思いきや、また同じコースを進んでいく。 いったい何周したのか分からない。そうこうするうちに、私達は小さ な広場に着いた。その真中で白い着物を着、神楽面をつけた二人の人物 が飛び跳ねている。集団はその二人を囲んで、輪になって舞い続けた。 神輿をかついだ若者達が輪からはずれていくと、一人、また一人と舞 踏から抜けていった。馬鹿騒ぎが徐々におさまっていく。もう日が暮れ ようとしていた。ということは、まるで気づかないまま、ずいぶんと長 い時間踊りつづけていたことになる。 女達によって酒や料理が運びこまれ始めた。村人達は少しずつ輪から 抜け、焼き魚や山菜を食べながら酒をくみかわした。神楽面の二人が舞 いをやめる頃になってやっと私も正気を取り戻し、勧められるままに酒 を飲み、鮎の踊り串を食べた。陶酔はいつまでも頭の芯に残り、さめる ことはなかった。 すっかり疲れ、酔っ払った私は、老夫婦の家へと戻り、倒れこむよう にして眠った。 翌日の早朝、お婆さんに案内してもらって国道へと出た。不思議なこ とに、私が歩いていた時には見つからなかった枝道があって、そこをず っと行くと井場トンネルに着いた。 6 あれから、一年の歳月がたつ。私は、あの時の森の小道を歩いていた。 竜宮村はちょうど龍神祭りの時期だ。土日に三日の有給休暇を足し、ア タックザックに荷物を積めこんで、はやる気持ちをおさえてやって来た。 今度はゆっくりと祭りに参加することができるだろう。 一年前と同じように蝉がせわしなく鳴き、木立の枝葉の間からわずか に日が射し込み、昼だというのに、薄暗い。井場トンネルと笠が池への 分岐点にたどり着いた時、道標がなくなっていることに気づいた。よく 見ると、草の間に木の棒が倒れており、かきわけると、そこにじめじめ した土の上ですっかり腐ってしまっているみちしるべが見つかった。 私は迷うことなく、笠が池へと向かった。木々の間から風景が開け、 清らかな水をたたえた池が姿を現した。崖の上から注ぐ水の流れは、し かし、細くなっているように感じた。杉とけやきが入り混じった林の、 崖に近い部分を見つめる。あそこに隠れた小道を進めば、その先に村が あるはずだ。私の胸に祭りの日の生き生きとした情熱がよみがえり、山 歩きの疲れが、太陽を隠す雲が風神に吹き飛ばされるかのようにぬぐい 去られた。私はザックをひと揺すりすると、崖のそばに走っていった。 ――おや? 変だな、と思う。木々の一本一本を見つめる。ない。道がない。そん な馬鹿な! だが、いくら探しても、木と木の間に道が入る間隔はなかった。不安 が胸に浮かび、だんだんと大きくなっていった。肩にくいこむ荷物を放 り出し、走る。ひょっとすると記憶違いかもしれない。池を回って崖の 反対側に行き、整然と並ぶ杉をながめる。しかし、やはり小道は見つか らない。 そんなはずはない。狐か狸に化かされたとでもいうのか。蝉の声が急 に大きくなったように感じ、汗が滝のごとくふき出してきた。私は今度 はゆっくりと池の周辺を歩きながら、取り囲む木々をたんねんに見てま わった。 ついに転がっているザックの所まで戻ってきてしまった。疲労が体中 によみがえり、それは、心地よいものから痛く、苦しい感覚へと変わっ ていった。みんみん蝉とひぐらしの合唱が両の耳をふさぎ、私はその場 にへたりこんだ。 たった一年の間に木が繁茂し、道をふさいでしまったということは考 えられない。一本の杉が成長するのに一体何年の歳月がかかるだろう。 それに、あの小道だけが、町に出るための唯一の経路だったはずだ。こ の現代社会で、外に出ずしてどうやって暮らしていけるというのか。新 しい料理道具も買わず、米も、味噌も、調味料も、全て自給自足でやっ ていくのか。 そういえば……。 あの村自体、ひどく古い、時代がかったものであった。鉄瓶も、かま ども、囲炉裏も、どこか地方ならまだ残っている地域があるのかもしれ ないが、山を降りればそこには都市が広がっているのだ。いくら山奥と はいえ、そんな村があるだろうか。 突然、笑いの衝動が胸からのど仏へと這い登ってきて、それは弱々し く私の口から漏れた。 「竜宮村か……」私はつぶやいた。 たつみや……りゅうぐう……。 都会の喧騒に疲れた中年親父にとって、あれはまさに、竜宮城だった。 鯛やひらめの舞い踊りではないが、あの熱狂的な踊り、熱にうかされた ようなにぎわい、胸にたぎる情熱の炎は、忘れかけていた“若さ”を思 い出させてくれるものであった。 あの村は、桃源郷だったのだ。もう二度と、狂おしいほどの感情も、 命の燃え上がる感覚も、爽快感も、味わうことができないのだ。 都会ではハレの日は形式的なものとなり果て、ケの日常の一部に過ぎ ない。そんな無味乾燥な日々が、今後何十年も続くのだ。 私は玉手箱を開けてしまった浦島太郎のように、一気に老けていくの を感じた。 <了>
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