長編 #4911の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
カゲヤマ・アキオの演奏。 かつて、そう、私が高校生のころ何度も聞いた演奏。私の心に過去の思いでが甦 ってくる。 私たちは同じ高校の生徒で、同じ演劇部に所属していた。彼はいつも舞台の上で 電子ピアノを弾いていた。 私たちは、色々なところでゲリラ的に活動を行った。屋外の時もあるし街の小さ なホールや、学校の中庭を使うこともある。 私たちは予告無く出現し日常を麻痺させてしまう、演劇で武装したテロリストと いってもよかった。そこに立ち会わせた者は否応なく私たちの『演劇』に巻き込ま れてしまう。 私たちは、稲妻旅団と名乗っていた。高校に所属する演劇部としてはあまりに破 格の存在だったかもしれない。学校の主催する行事に参加したことは一度も無く、 いつも私たちは独自にスポンサーを見つけて公演を行っていた。 私たちのリーダーだったミツオは、父親が広告代理店の重役だったため色々なと ころに顔がきいたし、金は必要であれば必要なだけ調達してきた。ミツオは単にス ポンサーとのパイプ役だけでは無く、私たちの理論的な主導者でもある。 スタニラフスキーの演劇理論は当然のこととして、彼の理論のバックボーンとな っていたのは19世紀末から20世紀初頭にかけてのシュールレアリストたちだっ た。アンドレ・ブルトンや、トリスタン・ツアラ、アルフレッド・ジャリにジャン ・コクトーあるいは、バタイユのような思想家も彼の理論を構成する一部である。 そうした過去の思想を、デリダやドゥルーズ、ボードリヤールといった現代フラン スの哲学理論を経由して再構築したのがミツオの演劇理論だった。 ミツオが議論して負けるところを見たことが無い。凄まじいまでの頭の回転の早 さと、圧倒的な知識量で相手を封じ込めてしまう。ミツオにとって高校教師を相手 にすることは、幼稚園児を言いくるめるのと同じことだった。 私たちの稲妻旅団が学校に所属しなければならない理由はあまりなかったように 思う。ミツオにとって、それはひとつの遊びのルールだったようだ。稲妻旅団自体 が彼のおもちゃといってもよかったし、学校は彼にとって嘲弄し破壊するための遊 び場だったのだろう。そして、私たちも楽しんでいた。彼の遊びを。 私たちは、日常が破壊されのっぺりとした無限の荒野、無秩序の平原が出現する 感覚を楽しんでいた。それは、神の放逐された祝祭であり、破壊を聖性へと祭り上 げる儀式なのだ。 アキオはミツオの親友であり、ミツオに稲妻旅団専属ピアニストとして引き込ま れたようだ。アキオの祖父は芸術大学の音楽科教授であり、アキオ自身バッハから ベートーベン、プロコティエフやシューマン、シェーンベルクにスクリャービン、 サティやガシューインに至るまで多彩に引きこなす技術がある。また、即興で演奏 させても実に巧みに私たちの望むイメージの演奏をすることができた。 稲妻旅団は、パーマネントなメンバーがいる訳ではなく、ミツオとアキオ以外の メンバはよく入れ替わるし、私自身が参加していた公演にしても半分位だったと思 う。ただ、ミツオとアキオの二人だけがいつも行動を共にし、稲妻旅団の公演では 必ずアキオのピアノ曲が演奏された。 稲妻旅団の公演は、厳密にいえば演劇の範疇から逸脱したものだ。例えば、私た ちのよくやったことは観客と演者の関係を逆転させることだ。観客の一人をいきな り舞台にあげてしまい、私たちは全員客席に腰をおろす。舞台にあげられた観客が 動いたり何か言うたびに、無茶苦茶に喝采を浴びせたりブーイングを行ったりする。 あるいは、舞台に客席と対面する形で椅子を並べ、私たちが舞台の上から観客を 観察し、囁きあったり拍手を送ったり歓声をあげたりした。舞台の上にもう一つ舞 台を作り、演劇を行う人を見る観客を舞台の上で演じたこともある。 私たちは色々なことを行ったが、同じ事を二度行うことはなかった。 私たちは観客に『主催者側は劇場内で起こる全てのことに責任を持たない』と書 いた文書を渡し、それに同意するサインをとった上で観客をいれたこともある。私 たちの公演は物理的に安全なものばかりではなかった。建築機材やドラム缶、コン クリートブロックを持ち込んで、やたらと破壊して回ったこともあるし、ガスバー ナーやチェーンソーを使ったこともある。 酷い時は、灯油をぶちまけてその上で松明を振り回すといったことまでやった。 私たちに小屋を貸した者は、大抵二度と私たちに貸そうとはしなかった。いつもア キオが豊富なコネを利用し、またうまく口先で騙して場所を確保した。 私たちは、はじめは無名だったかいつのまにか固定のファンができ、雑誌の取材 を受けたりもした。ミツオにはある種のカリスマがあった。 全てが遊びである。そして私たちは、疾走し続けた。 ある日突然、全てが終わるまで。 全てが終わって家に帰った時、私の母は病に倒れた。 「お客さん、ここを入るんでしたかね」 私はタクシーの運転手の声で回想から現実に戻る。私は、もう一度行き先の指示 を行った。運転手は頷くと、再び無言で運転に専念する。あと5分ほどで着くとこ ろまで来ていた。私は最後の封筒を手に取る。アキオの恋人が出した手紙だ。航空 便らしく、ニューヨークから送られたらしい。 『この前にお話ししたテープを送ります。 これは、私には必要の無いものです。いえ、私が持っているべきものではないの でしょう。これは私の知らない誰かの思いでに、捧げられているのですから。多分、 このミナコという女性は彼が渡米する前につきあっていた恋人なのでしょう。私と アキオは、サンフランシスコで初めて出会いました。それ以前の彼を私は知りませ んし、アキオは決して過去を語りませんでした。 このテープの演奏を聞いて、私は私たちが初めて会った時のことを思い出しまし た。会ったといっても彼はステージの上で、私はただの観客でしたが。それは、薄 暗く麻薬の香りのするライブハウスでした。演奏よりも客の怒鳴り声のほうが大き いようなところです。そこに来る者は音楽を聞くというよりも、そこで買ったドラ ッグを試してみたり、ガールフレンドと愛を交わしたり、くだらないおしゃべりを することが目的のようでした。 私はその時とてもうんざりした気持ちで、そこにいました。言い寄ってくる男を 壁のように無視し、どこかここでは無いところに視線を向けていました。あのころ 私の魂は泥沼の底に沈んでいましたから。 その時、突然ライブハウスが静まり返ったのです。 アキオの電子ピアノが鳴り始めた瞬間でした。 アキオはピアノとヴァイオリン、プレシジョンベースにドラムから編成される奇 妙なバンドにいました。東洋人はアキオだけのようでした。 それはなんとも奇妙な瞬間でした。闇の闇の果てで、突然自分の見ていたものよ り遙かに広大で無限の宇宙の闇に出くわしてしまったような。あるいは、全てのも のが形を失い原初のカオスへ還ってしまい、その無定型の渦の中で途方にくれてし まったような。 そんな演奏でした。 彼らは、予言者であるにも関わらず行くべき道を指し示さず、ただ私たちから言 葉を奪い思考を停止させたのです。彼らの音楽は何にも似ていませんでした。ただ シンプルな、どこか見知らぬ国での宗教的儀式に使われるような、そんな印象をも たらす音楽です。 私たちはそのライブハウスでクラッシックコンサートを聞く聴衆のように、沈黙 したままその演奏を聞きました。彼らが嘲るような笑みを浮かべ、無言で立ち去る までその静寂は続くのです。そして、演奏が終わった瞬間には拍手も起きず、彼ら が立ち去った後、何事もなかったように喧噪が甦りました。ただそこにいた人々の 意識の底には、彼らの演奏が暗く深い澱のように残っているのです。 そのバンドでピアノを弾いていた東洋人が私と同じアパートに住んでいることを 知ったのは、その少し後です。私はアキオを訪ね、そのまま彼と暮らすようになり ました。 アキオはバンドをやめた後、もっと無機的で現代音楽として判りやすい演奏をす るようになります。彼は次第に認められるようになりましたが、私は彼の曲から初 めて彼の演奏を聞いた時のような衝撃を受けることはありませんでした。 でも、このテープは違います。 いえ、演奏だけをとれば、最近のものです。 バンドに所属していたころとは、全く違う曲です。 けれど、私の受けた印象は、あのライブハウスでの奇妙な瞬間そのままでした。 私は、彼がなぜ拳銃で頭を打ち抜いたのかは判りません。私は結局彼の何を知っ ていたのでしょうか。ただ、私が彼を愛していたことだけは真実のつもりでした。 でも、それすら今では不確かに思えます』 アキオは変わっていなかった。稲妻旅団が終わり、私が日常にしがみついていた 時にも、アキオは変わっていなかったようだ。アキオは魔術師である。文字通りの 意味での。彼はその魔術を使っていたのだ。 私が稲妻旅団で与えられた役割は、歌をうたうことだった。ミツオの作った詩を ある時は朗読のように、ある時はアキオの曲に併せて歌う。 稲妻旅団では、あまり演劇の練習はしなかった。ただ、コンセプトを固めるため のディスカッションばかりを繰り返していた。しかし、私の歌とアキオのピアノは ある程度の練習が必要だった。アキオの両親は実業家で資産家らしく、アキオは音 楽室のある大きな屋敷に住んでいた。私たちはその音楽室でよく練習した。 アキオと二人の時もあったが、大抵はミツオが顔を出す。その日、アキオの祖父 から音楽的魔術の話を聞いたのは、アキオと二人きりの時だった。 アキオの祖父の父親は亡命ロシア人だったらしい。その男は、グルジェフの弟子 であり、スタニラフ・スタヴローキンという名だ。 スタニラフ・スタヴローキンは、グルジェフの理論を音楽の分野において展開す ることを目的として研究を行っていた。アキオの祖父は、戦前の満州でスタヴロー キンから彼の研究の成果を教えこまれる。戦後、日本に戻ったアキオの祖父は、ス タヴローキンの理論、感情をコントロールする音楽を大学の研究設備を利用して科 学的に立証しはじめる。 アキオの祖父は、スタヴローキンから受け継いだ自分の理論をこういった。 「この音楽はレトロ・ウィルスのように作用する」 よく晴れた、穏やかな日差しの差し込む日だった。アキオの祖父は、柔和な笑み を浮かべながら私たちに語る。 「この音楽は、ようするに脳内細胞の遺伝子を変容させてしまう。その結果、この 音楽を聞いた人間の脳内分泌に変化がおきる。鬱病や精神分裂病もある意味では、 脳内分泌の異常によって起こるものだ。ドパーミンやエンドルフィンといった快楽 物質の分泌や不安を増幅する分泌物質などの代謝異常がおこれば、人間の精神は破 壊されることになる。逆にそうした分泌の代謝異常から引き起こされた精神異常は、 分泌が正常に戻ればなおるということだ。 いいかね、脳を構成する細胞は当然、遺伝子によって作成されていく。その遺伝 子を音楽によってコントロールできれば、脳内分泌は自在に変化させることができ る」 私たちは、それを聞いた時に大笑いした。音楽が遺伝子を書き換えられる訳 が無い。アキオの祖父は穏やかな調子で説明を続ける。 「記憶がどのようなメカニズムで行われるのか知っているかね。人間の脳は、神経 細胞のシノプシスによって構成される電磁気的な機械として見なすことができる。 しかし、脳内にあるシノプシスの量から考えると、人間の記憶の全てを電磁気的に 保持するのは到底不可能であることが判るのだ。記憶は電磁気的な方法以外の、つ まりなんらかの化学的物質に変換されて保持されていなければならない。 人間の体内に存在し、多大な情報を保持しうる化学的物質、それはDNA、つま り遺伝子と考えるのが妥当だ。人間のDNAは、ジャンクDNAとよばれるなんの ために存在しているのか判らない情報が大半を占めている。もし、このジャンクD NAが記憶を保持するために使われているとすれば辻褄が合ってくるんだ。 もちろん、DNAを書き換えることはできない。ただし、レトロ・ウィルスによ る書き換えをのぞいて。レトロ・ウィルスはDNAを書き換えてしまうことができ る。 私の父、スタニラフ・スタヴローキンは奇妙な仮説をたてた。人間の脳の内 部には、人間と共存し寄生しているウィルスが存在し、そのウィルスが記憶保持の メカニズムにおいて重要な役割を担っていると。 私の父の時代には当然、レトロ・ウィルスなどという概念は存在しない。スタヴ ローキンはそれこそ魔法的直感によってそれを見抜き、理論化したのだ。私は、大 学病院の設備を借りてその仮説を裏付ける試みを行っている。しかし、まだ完全に 解明することはできていない。 私の実証されていない仮説はこうだ。人間の脳内には人間に寄生し、共存してい るレトロ・ウィルスが存在する。そのレトロ・ウィルスは脳内で電磁気的情報に置 き換えられた音楽や映像を化学的情報に変換し、ジャンクDNAへ書き込むことが できる。私はその変換のシステムをある程度つかんだ。ただ、人間の遺伝子を書き 換えてしまうような実験はできないので、実証がとても困難なのだがね」 私はその話を信じてはいなかった。終わりの日がくるまで。 その瞬間まで。
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