長編 #4907の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
「“妄”を調伏する方法はふたつある」 ふむふむ、と男は身を乗り出す。 「ひとつは、“妄”の怨念を晴らしてやることじゃ」 「うむ、どうやって?」 「簡単じゃよ。おまえさんがやつに喉くびさし出して、虐げられているというヤツ の妄念を受け入れてやればよい。うまくすれば“妄”も満足して成仏するじゃろう」 「ばっばかぬかせ」男は口角泡をとばしてわめき散らした。「なんでおれが見ず知 らずの野たれ死に野郎の怨念晴らすために死ななきゃならんのだ。今度はおれが化 けてでるぞ糞」 「ふむ。これがいちばんよい方法なのじゃがのう」 「ばかぬかせ。断じていやだ。冗談じゃねえ。悪いことしたわけですらねえのに、 なぜおれがそこまでしなきゃならんのだ」 「そこまですれば、それが功徳となって来世への蓄えとなるのじゃがのう」 「蓄えなんざいるか。ほかに方法はねえのか? ふたつあるっつってたろうが」 「うん。あるにはあるが」 「じゃあ教えてくれよ。もったいぶってねえでさ。おれァもうあとがねえんだ。必 死なんだ。頼むよ」 「ふむ。では耳を貸せ」 と、耳打ちを受けたのち男は――世にも情けなげな顔をして老人を見返した。 「ほかに方法はねえのか」 「ない」 無情に老人は断定する。 首は狂乱していた。おのれに危害を加えようとする人非人が、手のとどかぬとこ ろでのうのうと体を休めながらどうやって自分を料理してやろうかと思案している からだった。このままでは自分は、あの男に残虐かつ異常な方法でなぶり殺しにさ れたあげく、地獄につき落とされてしまうだろう。自分のいまいる境遇こそが地獄 なのだとは、ついぞ思いうかびもしなかった。ただただ、おのれの保身のため男を 返り討ちにすることしか考えていなかった。にもかかわらず、男に手をだすどころ か近づくことすらできないのだ。歯がゆさに、気が狂いそうだった。 と、堂のなかで何やらしていた男が、ふいに立ちあがった。へっぴり腰でおそる おそる近づいてくるのだが、“妄”にはいよいよ男が恐ろしい危害を自分に加えに くるのだとしか考えられなかった。 おめき叫び、首はばくばくと口を開閉した。汚物がじゅぶじゅぶと音をならす。 やられる前に、すかさずやってしまわなければ、どんなひどい目にあわされるか知 れたものではない。 首は狂乱して上下左右にとびまわりながら、男にとびかかれる瞬間を待ち受けた。 男が、扉をくぐった。 待ち切れず、“妄”は男に襲いかかった。 男の顔に浮かんだおびえと嫌悪を、もちろん首は認識できなかった。無我夢中で 喉くび目がけて一直線。 と、不意に男が大口あけた。 何のまねだ、と思いうかびもせぬうちに、風が男の口腔内部からわき起こった。 吸引する風だった。 激烈な勢いだ。身がまえるひますらなく、“妄”はおのれが吸いこまれるのを感 じた。 喰われる、と首は恐怖した。あらがい、必死になって逃れようともがきまわった。 風はごうごうと容赦なく吸引しつづける。 のみこまれたら終わりだ、という恐怖から“妄”は縦横無尽に暴れまくり、どう にかして逃れようとした。 が、吸引する風の力のほうが圧倒的に強かった。 力つき、“妄”は男の口腔内へと一気に吸いこまれた。 強烈すぎる刺激臭とともに、巨大な瘤のかたまりがぐわりと喉奥へ飛びこんだ。 ごばぐと首が膨張し、どっと吐き気がこみあげる。だが、吐き散らすことさえ許さ れなかった。巨大なかたまりは情け容赦なく咽喉部をぐいぐいと下降した。糞のか たまりをむりやり飲まされたような異臭と味覚に、男は地に倒れて七転八倒する。 が、ふいにその苦痛が、ぽかりと消滅した。 はたから見ていれば、めいっぱい開いた男の口からしゅうと霧のようなものが飛 びでて前方の地上におさまり、見るまに小汚い身なりの老人の姿に変じるさまを目 撃することになっただろう。 それからしばらくのあいだ、がほげほと男は胃液を吐きながら苦痛にのたうって いたが、ようやくのことで人心地ついたか、あいかわらず涙を流してえずきながら も目をあげた。 「うまくいったのか?」 「うむ」 老人はいって、手をさしだした。 その上には、渇いた糞のような異様な一握のかたまりが、ぽつりと乗っていた。 「それが“妄”?」 「うむ。“妄魂”の、いわば核じゃな。憎悪や怨念などの、“妄”を構成していた 念を圧縮したものがこれじゃよ。ひとまずはこれで、封印することができる」 「もうちっとほかにやりかた、なかったのかねえ」 なおも苦痛にあえぎながら男はいった。 「そうもいかんのさ」老人は淡々と答える。「どういう形にしろ、あの化物の怨念 をおまえさんが受け入れる必要があったのさ。あわれみの心がもうすこし強ければ、 おまえさんもこれほど苦しまずにすんだんじゃが、なかなかそうもいかんからなあ。 まあ、あの“妄”自体もそうじゃが、まことに弱者はおのれを守るために人様を傷 つけるものだわい」 だから何なんだ、とひそかに男は思ったが、口にはしなかった。 “妄”の妄念を受け入れ、癒し、解消してやれるだけの聖人であったなら、この世 からすくなくとも小さな苦悩のひとつを消し去ることはできたかもしれない。 だが、男は聖人でもなんでもない、ただの憶病な鋳掛け屋にすぎなかった。いわ れのない妄念をすべて受け入れ包みこんでしまうだけの度量の広さとは、まったく 無縁だった。 「そのかたまり、どうするんだ?」 男の問いに、老人は無表情に答える。 「念仏でもとなえて、土にうめてやるさ。だがな。時間がたつにつれて、圧縮した “念”もほぐれて、溶けて流れて出てくる。風に混じってあたりに散らばり――」 「どうなるんだ?」 ごくりと、男は喉をならした。 老人は、手のひらの上のかたまりをじっと見つめたまましばし黙りこんでいたが、 ようやくいった。 「ひとに、憑くのさ」 ぞく、と男は背をふるわせる。 老人はつづけた。 「ひとに憑いて、その者の心の奥底にひそむ妄念を餌に、育ちはじめる。いわれの ない不安やひがみなど、だれにでもあることじゃろう? ふつうはそれを、あり得 ぬこと、あるいは表にしてはいけないこととして忘れ去ってしまうものじゃが、こ の“妄”の卵に憑かれると、気づかぬうちにそれが大きく大きく育ってしまうのじ ゃよ。そして――」 それ以上は口にせず、老人はかたまりを袂にしまって男に背を向けた。 「さて。それではこれを葬るにふさわしい場所でもさがしてこようかの。おまえさ ん、ずいぶん疲れ果てておるようじゃ。眠りもせずに逃げつづけてきたのじゃろ? その堂を貸してやるゆえ、しばらく休んでゆくがよいさ。“妄”に立ち向かうに、 生きるに疲れた病んだ魂ではあまりに心もとないからのう。ひとはそれでも生きね ばならん。ふむ、これではまるで禅僧のようだわい。どうだ。ちっとは霊験あらた かに見えるかな?」 問いかけとともにひょうきんな笑みをその場に残して、老人はゆっくりと遠ざか っていった。 疲れ果てて熱く火照った頭は眠りを運ばず、男はながいあいだ遠ざかる老人の後 ろ姿を脳内で反芻しつづけるばかりだった。 ――了
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