長編 #4806の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
2 花が咲いていた。 深紅の花だ。血のように赤い、という形容は、ラエラのものではない。遠い記憶 の底にある顔。片頬をゆがめ、余裕たっぷりに薄笑いをいつも、うかべていた。 手折った一輪を、鼻によせる。かすかな芳香。追憶を刺激する。 たんたんたんたんと、リズムよくエンジン音が眼前を移動していく。舷側にいく つもの浮き輪をつけたタグボートが、すべるように港湾を走りぬけていくのだ。 夜よりもなお暗い、果ての知れない水面がうねり、港にはいくつもの船影がくろ ぐろと闇にうかびあがる。 ラエラは目をほそめ、ピン、と手もとの花をはじいた。 赤い花弁がくるくると風に舞い、闇に溶けた。 波音にのまれる。海面を、ゆられ、ただよっているのだろう。赤く。 ラエラは目をとじ、ベンチの背もたれに深く背をあずける。 そしていった。 「わたしに、なにか用か?」 気配をおしころしていた影が、苦笑をうかべながら歩道に歩みでた。 「ひさしぶりだな、ラエラ」 男はいった。 ラエラはおなじ姿勢で、目もとじたまま。 「あんたか。そんなような気がした」 アルムルクは苦笑を重ね、ラエラのすわるベンチのかたわらに立つ。 「噂は、腐るほどきいていた。ようやく会えたな。一日たりとも、忘れたことはな かったぞ」 「うそこきやがれ」 笑いながら否定する女に、アルムルクはさびしげに微笑む。 それから、暗くゆらめく水平線に視線を移した。 「ずいぶんと、ながい時間がたっちまった」 抑揚を欠いた声音で、いった。 「あっという間さ」ラエラはこたえ、つけ加える。「いま何をしている?」 「自由貿易業」 女は鼻で笑う。きこえのいい言葉の裏を、予測できたから。 「はぶりがよさそうだね」 「金まわりはいいさ」 「あのころも、わるくはなかったけどね」 「あのころほど危険じゃない」男は目をとじ、自嘲の笑いで頬をゆがめる。「ぬる ま湯さ」 「けっこうなことじゃない」 いって、ラエラは初めて目をあけ、男の横顔を見る。 視線が、重なった。 しばしの無言。 それから男が、静かにいった。 「おまえも、ずいぶん稼いでいるようじゃないか」 ラエラは苦笑する。 「稼いでる――って感覚は希薄かな。まあ、金には不自由しちゃいない」 「そして、あのころよりも危険を楽しんでいる――か?」 「まあ、そうかな」 笑いながらラエラはいった。 アルムルクの視線が、強くなる。怒り。憎悪。嫉妬。 「危険と――そして男を」 ははは、と女は、声をたてて笑った。 「べつにジルジスの女になったってわけじゃない。行をともにしてはいるけどね」 「伝説じゃいろいろいわれてるぜ」 「勝手にいわせときな」 「ずいぶんと……」 いいかけて、男はだまりこむ。 さきをうながすでもなく、女はふたたびうねる水に視線をさまよわせた。 「ききたかったことがある」 やがて男はいった。 なに? と、静かな声音で問いかえす女には視線をやらず、遠い水平線に目をむ けたままながいあいだ、だまりこんでいた。 それから、さきのセリフにはつながらない言葉を口にする。 「タリクのブツには手をだすな」 ああ、と得心したかのようにラエラは微笑んだ。 「自由貿易業ってのは、やつと組んでのことか」 「殺し屋がやとわれているはずだ。金に糸目はつけちゃいない。最高級の手合いだ ろう。標的はシャフルードだけだが、おまえも無事にすむとは限るまい」それから、 挑むような目つきで女を見つめる。「それとも、伝説の盗賊が心配か?」 「まさか」 とラエラは苦笑する。 アルムルクの顔に一瞬、安堵がうかんだ。 が、つづく言葉に、もとの無表情がせり上がる。 「あいつを殺れる殺し屋なんざ、そうそういない」 「だろうな」 「会ったの?」 「酔いつぶれてた」 ラエラは声をたてて笑う。 「拍子抜けしたろ」 「最初はな」 笑いやみ、ラエラは男を見つめた。 アルムルクは無表情に海をながめやるだけ。 それでも、何が起こったのかは想像がついた。 「おれならどうだ?」 男がきく。 「わからない」女はこたえ――つけ加える。「たぶん、ジルジスの勝ちだ」 「たきつけているわけか?」 笑いながら、アルムルクはラエラを真正面から見つめた。 獣が、獲物を貪り喰らいながらうかべるような笑いだった。 やめときなよ、といいかけてラエラは、言葉をのみこむ。 わからないかもしれない、とその笑いを見ながらふと思った。 口にはせず、立ちあがる。 歩道わきに植えられた花を、もう一本手折って顔によせた。 芳香をすいこむ。 ぽつりとアルムルクは、花の名を口にした。 「アル・ファリラ」 「なつかしいね」 「ここへ来たってことは、すこしはおれのことを思い出してくれたってことか?」 「よく覚えてるさ」 いって――ラエラは、花を指ではじいた。 放物線を描く赤い軌跡のさきで、アルムルクの手が花弁を受けとる。 「あんたのロマンティシストぶりも、よく覚えている」 ふん、とアルムルクは鼻をならす。そして花弁から、においをすいこんだ。 「そういうのは、あとにもさきにもおまえだけだ」 「あんたはわたしたちの、敵にまわるのか?」 ラエラの問いにはこたえず、花に顔をよせたままアルムルクは無言で女を見つめ た。 やがて、いった。 「だとしたら」 「関わるな」明確に、ラエラはいった。「タリクとあんたの関係がどういうものだ か知らないけど、うまくいけばヤツはいなくなる。仲良し小良しってわけじゃない んだろう?」 「共同経営者だ」 「自由貿易業の?」 「ああ」 「やつがいなくなれば、やつの取り分もあんたのものだ」 「ヤツもそう思っているだろうな」 「なら、静観しておきなよ。タリクが殺し屋をやとったってんなら、ジルジスのや つもだまっちゃいない。ただじゃすませないだろうさ」 「おれもだよ、ラエラ」 男はいった。 女を、見つめながら。 ラエラはしばらくのあいだ、その強い視線を正面から受けとめ、見つめかえした。 が、やがて夜空に目をそらし、疲れたような声音で口にした。 「勝手にしな。百年たってもバカはバカのままだ」 くるりと背をむけ、歩きだした。 しばしアルムルクは、そのかたちのよいヒップラインをながめやる。 そして呼びかけた。 「ラエラ」 「勝手に殺しあいな、ケツの穴」 男は苦笑する。 それから口にした。 「迎えにいく」 ぴたりと、ラエラは立ちどまる。 だがふりかえらなかった。 ふたたび歩きだす。 その背にむかって、男はくりかえした。 「さらいにいく。もう、どこにもいかせない」 女は今度は、立ちどまらなかった。
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