長編 #4682の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
「ゆうべ、おじいちゃんたちが話していたの。昨日の夜までに着くはずだった軽 業の人たちが、まだ来ていないって」 不安そうに話す女の子。彼女の祖父は村の役員で、今年の収穫祭の開催のため に働いていた。女の子の言うことは、信用していい。 「そう言えば、静かだよね………収穫祭の日だって言うのに、花火が上がってい ないし。なんか、いつもより静かだわ」 正体のはっきりしない不安が、三人を包み込む。 「おい、お前ら、そんなところで何をしているんだ!」 突然男の人の声に叱咤され、マリィたちは身を竦めながら振り返った。見れば そこには、病気で兵役を逃れた男の人が血相を変えてこちらを睨んでいる。 「もたもたするな、早く逃げるんだ!」 「に、逃げるって?………何があったんですか」 あまりにも唐突な男の人の言葉に、事態を理解できずに聞き返す。 「お前たち、西の方の家の子だな。連絡が遅れたのか………敵が村に来る!」 「てきが来る?」 マリィがオウム返ししたのは、自分の日常に於いてあまりにもリアリティに欠 落した言葉であった。 マリィの国は、マリィの生まれる以前から隣国と戦争をしていた。それは知っ ている。 村の男の人の多くも、その戦争に参加し、命を落としている。他ならぬマリィ 自身も、父を戦争で失っている。 けれどその戦争がマリィの身近な場所、目の前に姿を見せたことはない。村の 大人たちの会話、数日遅れで村に届く新聞の記事に垣間みるだけの戦争。父が戦 死したときでさえ、マリィたち母娘の元へ届けられたのは、父の死を知らせる一 枚の紙切れと、わずかな日用品だけだった。 戦時下にあっても、村での食糧事情は良好だったせいもあろう。知識として戦 争が行われていることを知ってはいても、それはどこか遠くでの出来事のように 思われていた。 「敵」という単語から、とうとうこの村にも戦火が及んだのだと理解するまで には、マリィも他の二人も、瞬き十数回分の時間を必要とした。 収穫祭へ浮かれた気持ちも、気になる男の子に対する淡い憧れも、全てが消え る。代わってマリィを支配するのは焦心。 喉が渇き、それを潤すため唾を飲もうとする。けれど口腔に唾は全く分泌され ない。激しさを増すばかりの鼓動に目眩が起き、意識が消え掛かってしまう。 ここまで走って来たから。と、初めはマリィも思った。しかし違う。流れる汗 は、運動の後のものと異なり、冷たく、ただ不快なばかりだった。 「じゃあ、収穫祭は………」 消え掛かった意識を、どうにか留めることに成功した。そのマリィの口をつい て出た言葉は、緊迫した事態にはまるでそぐわないものだった。 男の人は、眉宇にわずかなしわを寄せただけで、マリィの質問には答えなかっ た。答えずとも、それどころではないことは分かっているだろう、と言いたげに。 「とにかく村のみんなは、東の方、集会所へ避難している。お前らも早く」 そう言って男の人はマリィたちに先行し、歩き出す。そして手を大きく振って、 自分について来るようにと、三人を促した。 「でも、ママたちは………」 マリィの横の、女の子が言った。彼女の家でも、父親は戦場に赴いており、男 手はない。ただマリィの家とは違い、父親が戦死したという知らせは、まだ届か ずに済んでいた。 「他の者が知らせに行ったはずだ。心配ない、じきに避難してくる」 自分も早く避難したいのだろう。男の人はもどかしげにそう言ったが、それは マリィたち三人を安心させるものではない。 「ぼく、母さんと一緒に避難するから」 真っ先に動いたのは男の子だった。西の方角、自分の家へと走り出した。 「私も………」 それに倣うようにして、女の子も走り出す。 「あっ、お前ら。知らんぞ、俺は!」 男の人の声を背中に聞きながらマリィもまた、母と妹のいるはずの家へ、走ろ うとする。が……… 残されていた音が消える。 男の人の声。土を蹴る足音。そして自分の鼓動さえ、マリィの耳に届かなくな った。 正しくは音がなくなったのではない、とマリィが気がつくには数秒を要した。 一瞬、周囲が白一色に染まったかと思うと、少し遅れて地を揺るがす爆音が轟く。 爆音はそれ以外の、一切の音を吸収してしまう。そしてマリィの聴覚を麻痺させ てしまった。 マリィの目に映るのは、立ち昇る煙の柱。そして一旦は煙と共に天に舞い、や がて重力に従い降り注ぐ、土と瓦礫。 その遥か後方に、初めて見る敵国の兵隊たち。 その後しばらく、マリィの記憶は途切れている。どこをどう走ったのか、あの 男の人や友だちがどうなったのかは、いまだ分からない。ただ二度と会うことは なかった。 さんざん迷って決めたはずのドレスも、もう見る影はない。あちこちが裂け、 泥や煤に汚れ、ぼろ布と化していた。 目が痛い。煙がしみたのだろうか。村のいたるところから昇る煙で、蒼かった 空は灰色の重いものへと変わっていた。 けれどマリィの涙は、目に入った煙を洗い流そうとしてのものばかりではない。 その瞳が映した光景が、流させている。 マリィは、かつて………ほんの数十分前まで自分の家があった場所に立ってい た。いまは黒い煙がくすぶりながら上がる、瓦礫と化した家の前に。 「……ママ、………ルウ」 家を出たときには、確かにそこにいたはずの家族の名を、震える唇で呼ぶ。し かし瓦礫の中から、応えが返ることはない。声が聞こえなかったのだろうか、い や、ちゃんと声が出ていなかったのかも知れない。 自分で自分の身体を、声を、目を、耳を明確に認識出来ないマリィはそう考え た。まるで悪い夢を見てい時きのように、全ての感覚が厚い布に覆われているよ うで頼りない。 「……ママ、………ルウ」 今度はちゃんと声が出たことを、しっかりと自分の耳で確かめる。ここまで走 り通しだったことと、煙で喉をやられたのだろう。酷い声だ。 やはり返事はない。 「そうだわ、私より先に誰かが知らせてくれたのよ。きっとママとルウは、もう とっくに避難したんだわ」 自分に言い聞かせようと、呟く。鈍った感覚が捉えた事実を、無視するために、 強く。 マリィはゆっくりと東へ向きを変えた。そこにあるはずの、まだ刈り残された 麦畑の黄金色の海は、巨大な虫に喰われてしまったかのよう、ところどころに黒 い染みが浮いている。 そしてマリィの視線の先、東の集会所がある辺りにも火の手が上がっていた。 「あっ………」 悪性の熱病にでも冒されたかのように、マリィの身体は震えだす。だがそれは、 東の火の手を見て、母と妹の身を案じたためではない。火の手を捉えながらも、 マリィの瞳は別のものを見ていた。東を振り返る直前、本当は映し出していた光 景を。 くすぶる瓦礫の山の隙間に見えた、母と妹の姿。 見ていながら、マリィはそれを無視した。無視しようと務めていた。 その存在を認め、駆け寄ってしまったら、希望が失われてしまう。そう思って。 大きな、大きな瓦礫の下敷きになった母。庇うようにその腕に妹を抱いている。 周りには赤い色をした水たまり。 あんな瓦礫の下敷きになって、人間が無事でいられるはずがない。 あの水たまりが血であったのなら、それを流した人間が生きている訳がない。 だからマリィは無視をした。 駆け寄ろうとしなかった。 母と妹は避難して、いまもどこかで元気にしていると信じたいがために。きっ と避難先にマリィの姿がないことで、酷く心配をしているに違いないと思い込む ために。 けれど駄目だった。 いくら無視をしても、見ていないことにしようと思っても。その目が捉えた事 実は消えたりしない。忘れられはしない。 背を向けたことで、逆にマリィはその事実を強く認識してしまったのだ。 足が震える。もう一度母たちの姿を確認しなければという気持ちと、それを否 定する気持ちがぶつかり、身体が動かない。 「おい、貴様何者だ! そこで何をしている!」 厳しく叱責する声が、背中から聞こえた。 「手を挙げろ………貴様、村の者か?」 声だけで相手の姿を見た訳ではないが、それが村人でないことはマリィは分か った。村の健康な男性のほとんどは、戦場へと赴いている。いまここでこの状況 で、マリィに声を掛けている男性は敵の兵士としか考えられない。 母と妹を殺した人間が、自分の真後ろに立っている。きっと、銃を構えてマリ ィに狙いを定めているのに違いない。 怒りより、恐怖が勝った。 考えるより先に、足が動き出す。その場から、逃れるために。 後ろから何か声が飛ぶ。マリィに止まるよう言っていたらしいが、恐怖に駆ら れた足は止まらない。 渇いた音が幾つか聞こえた。それが銃の音だと気がついたのは、後でドレスに 残った焦げた穴を見てのこと。マリィはただひたすら、走った。 マリィの村で生産された豊かな作物は、国の軍をも支えていた。それを断つた めに、敵国に襲撃を受けたのだとマリィが知ったのは、その戦争が終わってしば らくしてのことだった。 目頭が熱くなる。気がつけば、マリィの目からは大粒の涙が、止めどなく溢れ 出していた。 「ルウ………」 出掛けようとするマリィの裾をつかむルウと、あの日ドレスの裾をつかんで一 緒に行きたがった妹の姿が重なる。 もしあの時、マリィが連れて行っていたなら、妹は死なずに済んだはずだ。 庇うべき妹がいなければ、一人身軽な母も、無事に逃げることが出来たのでは ないだろうか。 あの日から二年、無理に忘れようとしていたが、その想いが常にマリィを苛ん でいた。少女に妹と同じルウという名を与えたのも、マリィの心の奥にあるその 想い故かも知れない。 「一緒に行きたいの?」 マリィは膝を折り、目線の高さを少女と合うまでに下げ、優しく問う。 こくん。 物言わぬ少女は、頭を振って意思を伝える。 「一人になるのがイヤなのね?」 こくん。 出せない声に代わり、そのつぶらな瞳が雄弁に語っていた。 「そう………」 マリィはしばらく考えた。自分の仕事を、少女に見せたくはない。無垢な者に は、知って欲しくない世界がそこにはある。けれどどんなに幼くても、このスラ ムに暮らしていればいずれは知ってしまうこと。今日という日は隠せても、明日 まで隠し通せるものでもない。 「仕方ないわね。じゃあ、一緒に行こうか」 あの日、妹に言えなかった言葉。それをいま、マリィはもう一人のルウに言う。 「あん!」 衝撃にマリィの身体が揺らぐ。 言葉を持たない少女が、全身をもって喜びを表したのだ。体当たりするかのよ うにマリィへと飛びつき、両手で首を抱きしめる。 幼い子どものすること。その力はたいしたものではない。けれど加減を知らぬ 子どもは、全力で感情を表現する。 「苦しいよ、ルウ。離してちょうだい」 そう言ったマリィだったが、ルウの温もりが嬉しかった。 「その代わり、デニスが迎えに来たら、二人で帰るんだよ?」 マリィがどこの街角に立つか、デニスなら見当がつくはず。帰って来て、マリ ィもルウもいないことを知れば、きっと迎えに来るだろう。それまでの少しの時 間くらい、少女の相手をしてやろう。 言い聞かせるマリィに、ルウは笑顔で頷いた。このスラムの中では、決して見 ることが出来ないと思っていた、輝くばかりの笑顔で。 もし神が少女から声を取りあげていなかったのなら、元気で可愛らしく「うん」 と聞こえて来ただろう。
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