長編 #4677の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
Silent Angel 〜声なき天使の歌う歌〜 昼間は記憶の中の夏を呼び起こさせるような陽射しよって暖かかった。しかし それも、夕暮れまでのこと。陽の入りとともに、気温は急激に下がり始め、冬が 間近に迫っていることを感じさせる。 「ひい、ふう、みい、よ………か」 暗い路地の中、わずかに届く街灯の明かりを頼りに、赤い髪の少年は幾度とな く掌の上のコインを数えていた。だが何度数えてみたところで、コインの枚数は 四より増えることも減ることもない。 路地を冷たい風が吹き抜けた。 「うわっ、さむ」 少年は数えていたコインを握りしめ、コートの襟を立てる。擦り切れ、穴の空 いたコートは防寒具の役目など、殆ど果たしはしなかった。 「ったく、懐まで寒いと来ちゃ、どうにもならねぇや」 コインをズボンの右後ろ、唯一穴の空いていないポケットにしまい込み、少年 はそう言った。 そして数えても増えることのないお金は諦め、歩き始める。こんな時にはさっ さと帰って、寝るしかない。あれこれ考えても、空腹が満たされることはないの だから。けれど今日は簡単に寝つけそうにはない。三日続けて稼ぎが全くなかっ た少年の口は、やはり三日間水以外のものを通していない。暴れまくる空腹の虫 を宥めるのに、苦労しそうだ。 「やっぱ、こんなご時世で、似顔絵描きなんて駄目だよなあ」 脇に挟んだ、手垢まみれの画帳へ目を落とす。少年の幾つかある商売のうちの 一つの、大事な道具であるが、これがまだお金になったことはない。お金になら ないまま、趣味の部分だけで手垢にまみれたのだった。 ごと。 ふいに音がして少年は、はっ、と顔を上げる。そして鋭い視線を、路地の闇の 中へと送る。 このご時世、物騒でない場所など滅多にあるものではないが、この辺りは殊更 危険が多い。通り魔強盗などそれこそ日常茶飯事に発生する、別段珍しくもない ものとなっている。少年は先ほど数えていたコインの他に、金目の物を持っては いない。わずか四枚ばかりのコインでは、襲う労力が無駄になる程度の金額でし かない。だが、そればかりのお金、いやコイン一枚のために命を奪われる人間も また、珍しくはない時代なのだ。 「だれか………いるのか?」 先の見えない闇に向かい、少年は誰何する。けれど応えは返らない。 「野良犬………かな?」 幾分落ち着いたような声で、少年は言った。しかし決して気を緩めた訳ではな い。万一に備えて、武器になりそうな物を求め周囲に視線を走らせていた。だが 何もないと知ると、手にした画帳を握る力を強めた。心許ない武器ではあるが、 何もないよりはマシだろう。これとて、上手く角をあてればそれなりに、相手に ダメージを与えられる。 「犬なら、今夜の飯にしてやろうか」 冗談混じりの口調を装ってはいたが、半分は本気である。物音の主が強盗では なくても、空腹が少年に死をもたらしかねないほどに、切迫した状態を生み出し ていた。 こらした少年の目が、闇の中に蠢くものを捉える。少年とて、この時代を今日 まで一人生き抜いてきたのだ。生きるための術というものを、一応は身につけて いる。人並み外れた夜目も、その一つ。 たん、と昼間であればひびの目立つ石畳を蹴り、跳んだ。その気配を察したら しい影は、少年と反対方向へ逃げようとする。が、少年の素早さの方が遥かに上 回った。相手の襟元をつかみ、石畳の上に引き倒す。 「犬じゃねぇのか………それじゃあ食えないな。貴様、何者だ? 強盗か」 こうした状況では、ただ相手が敵かも知れないという理由だけで殺してしまっ ても、誰からも文句を言われることはない。己が生きるため、手段を選ぶ余裕な どない時代なのだ。 しかし少年は、そうしなかった。たくさんの死を目の当たりにし、自分も幾度 となく死の危険に晒されて来たからこそ、無闇に人の命を奪う真似が出来ないの だ。 それともう一つ。引き倒した相手の力が、あまりにも弱く、そして軽かったこ とがそれ以上乱暴な行為に出ることを、少年に躊躇わせたのだ。 「こども………か?」 何も答えない相手に代わり、少年がその正体を言葉にした。自らが暴いた正体 に驚いた少年は、なるべくそっと、しかし抵抗されないように充分注意を払いな がら相手を立ち上がらせ、街の明かりの届く場所まで連れ出した。 「見掛けない、顔だな」 少年が捕らえたのは、まだ幼い少女だった。四歳か五歳くらい、六歳にはなら ないだろう。 わずかな明かりを受けて輝く、プラチナ色の長い髪。アンティーク・ドールの ようにウェーブが掛かっている。この時代、この国では限られた人間にしか入手 出来ないであろう、上質な絹を紺色に染めた服。どこかの金持ちの子どもとも思 えるが、冬場と言うのに上着を着ていないのは、どうしたことだろう。光沢のあ る、赤茶色の革の靴も片方、右側だけしか履いていない。 髪から靴まで、そのどれもが上品さを感じさせる物だったが、そのどれもが酷 く痛んだり破けたりしている。 「おまえ、名前は? どうしてこんな所にいる」 少年の質問に、少女は何も答えようとしない。ただ怯えたような、いや睨み付 けるような視線で少年を見据え、ぶるぶると生まれたての仔犬のように震えてい た。 「なあ、もしかして、食うって言ったのを恐がっているのか?」 この質問に対しては、恐る恐るといった感じて、小さく少女は頷いた。 「まいったなあ………あれは冗談なんだよ。食べたりなんかしないから、な。恐 がらなくていいよ」 少し前までは相手が通り魔かも知れないと思っていた少年は、その正体が少女 であると分かってからも、しばらく緊張し続けていた。幼い少女を相手に、凄ん でいた自分に気づいて口調を優しく改める。 「ごめんな、俺、てっきり強盗かなんかかと、思ったから。転ばせて悪かったな」 身を屈めて、少女の頭をぽんぽんと叩く。 「おまえ、迷子か。お家が分からなくなっちゃったのか?」 まだ怯えた状態から立ち直っていない少女は、微かに首を横に振る。 「まさか、お家がないのか?」 今度はこくんと頷いた。 『なるほどな』 少年は、一人合点する。 この少女は捨てられたのだ。この界隈ではよくあることだ。 身なりからすると、いいところの子どものようだが。親が死んだか何かして、 少年と同じ、ストリート・チルドレンの仲間入りとなってしまったのだろう。そ れも服の傷み方から察して、ずいぶん前のことのようだ。たぶん、しばらくさま よった果てにここへたどり着いたのだろう。 「そうか。よし、じゃあ俺が住むところに案内してやるよ。おいで」 少年が手を差し伸べると、まだ不安そうな表情の少女は、二・三歩後ずさりし てしまう。 「心配しなくて大丈夫だって。仲間んとこに行くんだ………口は悪いけど、いい ヤツだから」 警戒心を解いてやろうと、少年は笑い掛ける。だが少女は身を硬くして、動こ うとはしなかった。 「仕方ないなあ………よし!」 少年は少女の身体を抱き上げた。思ったよりもずっと軽い。抱き上げたことで、 少女はさらに身体を硬直させたが、別に暴れたりはしなかった。 そもそも、その原因が何であったのか覚えている者はいなかった。 少年たちはその父を、父たちはその祖父を見て、銃を手に戦場に出ることをあ たりまえとして育ち、少女たちはその母を、母たちはその祖母を見て、夫を戦場 に送り出すのを当然として育った。 諍いを起こした当人たちは、この世の人ではなくなっていると言うのに。 ただ互いが敵であるという理由だけで続いた戦争は、百七十年にも及んだ。そ して人々は、ようやくその無意味さに気づいた。幾万もの犠牲者の屍をその背に、 両国の首脳の手が固く握られた。やっと訪れた戦争の終結、平和。 いや、まだ訪れてはいない。 戦争が人々に残して行ったものは、あまりにも大きかった。 心に刻まれた目に見えぬ、大きな傷。 しかし彼らは生きる。生きようとする。 明日の糧(かて)を求め、今日を懸命に。 まだ硝煙の匂いの消えぬ街角で。 風が吹く度、立て付けの悪くなった窓が、がたがたと騒ぎだす。ただでさえ、 鉄筋がむき出しになり冷え冷えとした室内。火を落とし完全な闇に包まれると、 実際の気温以上に寒く感じられる。 少女はまるで防寒の役に立たぬと知ってはいたが、薄い毛布を食品にラッピン グをするかのように自分の身体に巻きつける。 明日の朝、また目を覚ますことが出来るのだろうか。もしかすると二度と眠り から覚めることがなくなってしまうのではないだろうか。そんな不安を抱えつつ、 眠る以外にすることなどない。固く目を閉じ、寒さに震えながらも、少女はただ ひたすら眠りが訪れるのを待っていた。 こんこん。 誰かがドアを叩く。 しかし少女は冷たいベッドから、起きあがろうとはしない。いつ崩れ落ちても 不思議ではないほどに傷んだこのアパートでは、すきま風が頻繁に吹き抜けてい く。いや、それは「すきま」と称するにはあまりにも大胆に、室内を往来して行 くために、誰もいないのにドアを叩く音がするのも珍しいことではなかったのだ。 「マリィ、いないのか? 俺だよ、デニスだ」 ノックに反応しないでいると、やがてドアの向こうから聞き覚えのある少年の 声が呼び掛けてきた。しかし少女、マリィ・レイコードは無視を決め込む。 別に訪ねてきたデニスが嫌いな訳でもない。寒さの中で、微睡みかけていた訳 でもない。ただ、無駄な動きをしたくなかったのだ。 「おかしなあ………まだ商売から帰ってないのか? まさか、嫌な客に捕まった んじゃ………あ、もしかしてヤツに」 ドアの向こう側でデニスの声に、緊張が宿る。このまま無視を続けていたら、 デニスは危険な連中の元に、飛び出して行きそうな気配だった。 「いるよ。いま何時だと思ってんだい? レディの部屋を訪ねて来るには、ちょ いと非常識じゃないかい。それとも、お金を持って客として来たんなら、大歓迎 するけどね」 仕方なく答えるとマリィは身体を起こし、ベッドに腰掛ける形になった。 目の前に垂れてきた長い黒髪を、乱暴にかき上げる。そのついでにと、頭をが りがりと掻きながら大きくあくびをした。 「悪いと思ってる。けど、ちょっと助けて欲しいんだ………たのむよ、マリィ」 「ったく、めんどくさいヤツなんだから」 文句を言いながらもマリィは立ち上がり、裸足ままのドアに向かった。デニス が人を頼るのは、珍しいことである。何かただならぬ事態をマリィは察していた のだった。 薄い下着の上に、羽織るものはない。絨毯も敷かれていない床は、酷く冷たか ったが、マリィは気にもとめない。とうに慣れてしまっている。 マリィは小指先ほどの長さになったろうそくに火を灯し、ドアを開いた。 「まったく………いったい、何事があったって言うんだい」 ドアの外には、昼間会った時と変わらぬ格好のままデニスが立っていた。たっ たいま、仕事から戻って来たところなのだろう。 「ちょっとさ、ちっこいのを拾ったもんでさ」 曖昧な笑みを浮かべながら、デニスが応えた。 「ちっこいの? 犬か猫でも拾ったのかい。そりゃあ良かったじゃないか。いま の私たちには、肉なんて滅多に口に出来るもんじゃないからね」 「いや、それが………」 「ははあ、分かった。肉を分けてやる代わりに、殺すのを手伝えって言うんだろ? だったらご免だよ。そりゃあ肉は欲しいけど、生き物を殺したら寝覚めが悪い からね」 「だから、そうじゃなくて」 「何がそうじゃないんだよ………ん?」 マリィはデニスの視線が、ふと足下へ下がるのに気がついた。それを追って、 マリィも視線を落とす。すると。 「なんだい、こりゃあ?」 驚きの言葉が、口からこぼれる。デニスの足下にあるそれを、一瞬マリィは人 形かと思った。 汚れてはいるが、プラチナのような髪がろうそくの心許ない明かりの中でも、 きらきらと輝いていた。ろうそくの炎を見つめる蒼い瞳は、宝石のようだった。 その瞳が、炎のゆらめきを追って、微かに動く。 人形ではない。生きた女の子だ。 「にん………げんだね、これは。さすがに人間じゃ、食べる訳にはいかないねぇ ………」 もちろん、本気で言った訳ではない。 しかしデニスの足下の少女は敏感に反応を示した。 ろうそくを見つめていた目が、瞬間、大きく開かれたかと思うと素早くデニス の後ろに回り込み、その姿をマリィから完全に隠してしまった。 「あら、そんな驚かなくてもいいでろう。冗談だよ、お嬢ちゃん」 どうやら女の子を恐がらせてしまったらしいと知り、マリィは苦笑する。 「あのさ………」 やはり苦笑をしながら、デニスが口を開いた。 「俺も言ったんだよね、さっきさあ………同じことを」
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