長編 #4659の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
「それで弓絵ちゃんは無事だったのね」 美川文香が電話の向こうから怒鳴ってきた。国重は大阪に戻って、勤務先の 法律事務所から電話をかけていた。目の前にはホットコーヒーの入ったカップ がひとつ。その向こうには未処理の書類が山のように積んである。 「大丈夫だった。だいぶ精神的に弱っていたけれどね。でもあいかわらずの美 少女だった」 「ふん、二六歳にもなって美少女とはね、どうせそうだろうさ、ふん」 「まあまあ。そう怒るなよ」 国重はコーヒーを啜って、にやりとした。砂糖もクリームも入ったまろやか なボストンコーヒー。 焦げ茶色のマンションに駆けつけドアを叩いたとき、中から出てきた見知ら ぬ女Aはすでに観念していた。柳村の姿はなかった。 国重が弓枝の名前を出すと、黙って国重を奥に案内した。鍵のかかった洋間 がひとつ。ドアの前に車椅子が折り畳んで置いてあった。 ドアを開けると、平静な顔をして沢口弓絵はひとり椅子に座っていた。手に は文庫本をひろげて。がらんとした部屋だった。シングルベッドのわきの水色 の大きな旅行鞄が目立っていた。 弓絵は飛び込んできた国重の顔を見て微笑した。 「手紙を読んでくれたのね。それで来てくれたのでしょう。嬉しいわ」 笑顔は国重の覚えていたものと同じだった。 「私はきみが大阪に帰る前に、結末を連絡しろって言ったはずだよ」 文香の憤然とした声が国重の鼓膜を叩く。 「しょうがないじゃないか。警察の事情聴取で昨日は夜遅くまで向こうにいた んだ。仕事が山ほどあるもんで、今朝は朝一番の午前六時の新幹線に飛び乗っ て帰ってきたんだぜ。それでも事務所について、真っ先に美川にかけてるんだ。 感謝しろ」 「ふん、十年ぶりの弓絵ちゃんと旧交を温めていたんじゃないの。相思相愛だ ったものね。ま、それはいいや。それで事件はどうだったのさ」 「ああ、今回のことはぜんぶ柳村が考えついたことだったようだ。ロンドンか ら東京への飛行機の中で柳村と沢口は出会った。事故の後遺症で身体の自由が 利かない沢口の面倒を見てあげながら、柳村は彼女を取り巻く事情を知ったん だな」 「弓絵ちゃんがご両親を亡くしたことやその保険金が入ることなんかを」 「そう。沢口には日本に知り合いがいないことや住むところすら決まっていな いことなどもね。ところが沢口は柳村を全面的に信用していた訳じゃない。そ れで成田空港に着いてから美川に電話した」 「そうか、そうか。それで法律関係の人を紹介してくれって私に言ったのか。 あの謎の転居案内はどういうことだった? やっぱり弓絵ちゃんが書いたもの だっだの?」 「日本に着くと、沢口は柳村に言われるままに神奈川県Y市に転入した。とこ ろが柳村は、沢口を中央林間のマンションに住まわせると外との連絡を許さな くなった。彼女は事故の後遺症で車椅子がないと動けない。柳村の意図にはす ぐに気づいたらしい。カネ目当てだってね。だけど監視されていて、どうする こともできなかった。だから柳村たちの目を盗んであの転居案内を書いた。見 つかっても疑われないように一般的な挨拶状の形にした。あの手紙を読んで、 僕が訪ねてくれることを期待したんだ」 「期待通りだったわけだ。なつかしい美少女から手紙をもらったきみは、奥さ んに逃げられた寂しさもあって、飛び上がって喜んだ。勇んで弓絵ちゃんに会 いに行ったというわけだ」 「おい、それは言い過ぎだろう」 「そうかしら。事実と違っているところ、ある?」 国重はもうひとくちコーヒーを飲む。文香の口の悪さを、今さらとがめても しょうがない。時間の無駄というものだ。 「ま、いい。沢口は切手を貼り、手紙を窓の隙間から外へ放り投げた。雨戸は 閉まっていたらしいけど、通風用の小さな窓の外はちょうどマンションの管理 人用の狭い通路なんだな」 「ふーん、管理人が拾って投函してくれたんだ」 「そういうことらしい。警察が管理人に確認した」 「柳村はきみが突然訪ねてきて慌てたでしょうね」 「最初は銀行の調査員だと本気で思いこんだらしい。ところが、そのうちに沢 口弓絵の高校の同級生だったと分かって、なんとか沢口に会わせないための口 実を考えた」 国重は柳村のでっち上げた話を、文香にかいつまんで説明した。 「かつての美少女が末期ガンで見るに忍びない姿になっている、か。柳村も考 えたわね。それじゃ気の毒で、私だって会いに行くのを遠慮するわ」 「そうだろ。危うくそれで僕も納得するところだったよ。あのまま帰っていれ ば、この件は柳村の思うつぼだった。例の転居案内の暗号が解けてよかった よ」 「横浜の突き落とし事件はどうなの?」 「あれは、沢口の偽者女の仕業だった。僕の素性を調べようと横浜駅まで尾行 してきたらしいんだ。僕がホームの一番前に立っていたんで、思わず押してし まったと警察の調べで白状した」 「女にちょっと押されただけであっけなく落ちてしまうとは、情けないね」 「ホントだよ。思い出してもぞっとする」 「ところで弓絵ちゃんはどうしたの。いっしょに連れて帰ってきた?」 「いや、彼女はイギリスに帰るそうだ。今度のことでやっぱり懲りたらしい」 「あらあら、また悲しい別れなの。残念ね。無理矢理にでもひっぱてきたらよ かったのに」 「そうだな。でも美川がいないもんで、何も言えずに十年前みたいに黙って別 れてきたよ」 「手紙くれよな、かい」 十年前を思い出したのか、文香が電話口で大笑いした。 「なんだ、そんなセリフまで聞いてやがったのか、バカヤロー」 文香の愉快そうな笑い声が続いていた。 沢口弓絵はしばらく東京の病院に入院してから、イギリスへ発つという。そ れを思うとまた、国重の胸に甘酸っぱい思いがこみ上げてくる。 国重はもう一杯、今度はもっと苦いコーヒーを飲みたいと思った。 (見知らぬ知人、了)
メールアドレス
パスワード
※書き込みにはメールアドレスの登録が必要です。
まだアドレスを登録してない方はこちらへ
メールアドレス登録
アドレスとパスワードをブラウザに記憶させる
メッセージを削除する
「長編」一覧
オプション検索
利用者登録
アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE