長編 #4611の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
* * 休憩を短く感じさせる合図が、また掛かった。 「三本目、スタート!」 相羽にとって乱取り稽古は、今日でまだ四回目だ。 決して大所帯ではない――言い換えれば入門希望者が殺到するわけではない 道場だけに、相手は先輩ばかり。皆、相羽よりもキャリアがあるし、年齢も同 い年が一人のみで、あとは全員が上。必然的に、体格でも苦しくなる。 相手を順繰りに替えて、ちょうど十人目。相羽にとって本日最後の「敵」は、 望月邦仁(もちづきくにひと)。中二だが武道歴四年目に入る強者である。 望月は相羽と体格はほぼ同じ、腕力は少しだけ上だろう。二人の身体能力に 大差はない。が、相羽は一度も望月に勝てないでいる。今日のこれまでの二本 も、完全にコントロールされて敗れた。 「あっ」 今もまた押さえ込まれてしまった。側面から首と股とを抱え込むような、横 四方の形。これで相羽はマイナス1ポイント。 柔斗の寝技乱取りは、制限時間五分の内に五点を失ったらそこで負け。時間 切れの場合は、互いのマイナスポイントを比べて、少ない方が勝ちとなる。締 め技と投げ技、それに打撃技は禁止。逆関節を取ることは認められているが、 必要以上に絞り上げてはいけない。 横四方の体勢から、望月はいつも機敏な動作で、相手の腹に跨る。これをや られるとマイナス3。一挙に優位になる。 事実、相羽はこのパターンに何度も泣かされてきた。時間切れ判定に持ち込 むことさえできずに負け続けている。 望月の余裕ありげな表情が、左目で確認できた。いつ跨ろうか、タイミング を計っている。 かわす方法は主に三つ。跨ろうとする瞬間、隙を衝いて相手の下から逃げる か、跨ってくる相手の胴体を両足でかに鋏に捉える、もしくは跨られてからそ の体勢を崩し、切り返す。特に三番目の方法はリスクが大きい代わりに、成功 すれば相手にマイナス2ポイントを食らわせられる。 相羽は、他の相手にならこれらを成功させることは割にあるが、望月には不 発であった。基本とも言える方法では、うまく行きそうにない。 「くっ」 相羽はのしかかられているのとは逆の、右側へ逃げようと身体をねじる。 望月は逃すまいと力を込め、相羽の身体を引き戻す。そして戻った刹那、跨 ろうと狙ってくるのだ。 相羽はそれを待っていた。乱取りで幾度となく組み合う内に覚えた、相手の 癖。これを利用して、一矢報いてやろうと思う。 果たして望月は、相羽の身体が元の位置に来るや、すぐさま動いた。太股辺 りを抱えていた左腕を素早く抜き、跨ろうとする動作に合わせて、相羽の右上 半身を押さえつけてくる。 そこを相羽は巴投げの要領で、迎え撃つ。打撃は認められていないため、蹴 ってはならない。無論、完全に投げ捨ててもだめ。あくまでソフトに、足の裏 で相手の両太股ないしは腹を受け止めると、全身のバネを使って気合いもろと も跳ね上げた。 「せいあっ!」 期待していた以上に、うまく行った。相羽自身が気抜けするぐらい軽く、望 月の身体は浮いて、頭の先の畳に転がる。 相羽は急いで身体を合わせた。できれば跨りたかったが、すでに望月も防御 の反応を起こしている。頭に右腕を巻き、柔道で言うけさ固めの体勢に持ち込 むのが精一杯だった。とにかく、これで相手から1ポイント奪ったことになる。 望月からポイントを奪ったのは久しぶりだ。 が、ここで体重を掛けようとした瞬間、望月の手が腰に巻き付いてくるのを 感じた相羽。そのときにはもう遅かった。 体重移動による重心の空白を利用して、望月は相羽の下半身を浮かし、逆に 頭を畳に付ける。ちょうど、岩石落としで投げ終わったばかりのような格好に なる。 相羽にとって、ある意味で命綱である右腕。これをどんなタイミングで放す か、あるいはずっと放さないでいるかが重要。 結果的に、相羽は判断をミスした。あっさりと首を抜かれてしまうと、その まま上半身を押さえられ、崩れ上四方固めの形に持ち込まれる。呼吸が上がっ ており、やがて跨られてしまうのは時間の問題かと思われた。 「やめぃ!」 しかし、ここでタイムアップ。上に乗る望月が軽くなった。 「はあ、はあ」 どんなに苦しくても、長々と倒れ込んではいられない。起き上がって正座を すると、相手と礼を交わす。 「ありがとうございました」 二人とも、ようやく表情がやわらかくなる。 判定負けを喫したものの、ポイントを奪えたことと時間内敗退を逃れたこと で、相羽は一定の満足感を得ていた。 乱取りが終わると、対戦相手との感想戦にしばらく入る。つまり、どこがど ううまかったか、どんなところがまずい攻めだったかを、互いにやり取りする わけだ。 頭の側面を刈り上げ、前髪は長めに伸ばしている望月は、タオルで汗をあら かた拭いてから口を開いた。 「おまえ、いつの間に、そんな技を覚えたんだ」 「技って……巴投げもどきのことですか?」 同い年とは言え、先輩の望月には敬語を使う。 望月は深呼吸をしてからうなずいた。 「そうだよ。ちょっと泡を食った」 「覚えたんじゃなく、とっさに出たんです」 「ははあ、さすが。うかうかできないねえ。追い付かれちまう」 「まだまだです。初めて、やっと時間切れに持ち込めただけで」 「しかし、研究の跡が窺えるからな、おまえの闘い方って。三本目の横四方の あと、俺にフェイントかけただろ」 「分かりますか、やっぱり」 「当たり前……と言いたいんだが、悔しいことに、やられたあとに気付いた。 油断もあったが、お見事だぜ」 「ありがとうございます」 相羽が大きく頭を下げると、望月は「よせやい」と子供っぽく応じる。 「そこまで下手に出られると、背中が痒くなる。他の先輩はともかくとしてだ、 俺にはため口で一向にかまわないんだぜ」 「少なくとも道場の中では、これで通すつもりです」 「なるほど。ならば、普段も会わなきゃな。意味がない」 「もちろん、いいですよ。男とデートする趣味はありませんが」 相羽の冗談に、望月はしばし唖然としたように口を開け、やがて苦笑を漏ら した。 「よし、きっとだぞ。さあ、無駄口はここまで。欠点を指摘してやるから、覚 悟しろ! 心して聞けよ」 * * 紫色のお団子を二つ並べて串刺しにしたような形のサングラスが、非常に目 立っている。小さく丸っこいレンズの向こうには、優しさと厳しさが同居して いた。目元は笑っているが、瞳は対象物を射抜くかのごとく、鋭い視線を放ち 続ける。まるで観察でもしているみたいに。 「初めまして、シンデレラ」 サングラスを外しながら、男は空いている手を差し出してきた。 「は、はい。初めまして」 相手の独特の存在感、雰囲気に圧倒されるのを意識しつつ、握り返す純子。 「私−−。市川さん、本名を言ってもいいんですよね?」 事務所ビルの一室、壁際で微笑んでたたずんでいる市川に、迷いいっぱいの 目線を向ける。 市川の方はうなずいて、笑みを一層濃くした。 「本名はご存知だから言ってもかまわないけれど、あなたには芸名があるでし ょ」 それを受けて、純子はまた相手に向き合う。 「私、久住淳(くずみじゅん)と言います。よろしくお願いします」 両手を揃え、深く頭を下げる純子。ストレートにした髪が、肩を越えて前に 掛かった。 相手の男の人は、サングラスを胸ポケットに仕舞い込み、間を取ってから答 えた。 「こちらこそ、よろしくお願いしますね。僕が鷲宇憲親です」 名乗っていただかなくても知っています−−思わず言いそうになる。 最初、この話を聞かされた際、純子は全然信じることができなかった。 何しろ、鷲宇憲親は現在進行形の伝説、という声も聞こえてくるほどのアー ティストである。歌手としてだけでなく、ヒットメーカーとしても相当な力を 持っている彼だが、数年前から曲の作成をぱったり引き受けなくなり、活動拠 点をさっさとアメリカ合衆国に移してしまった。以来、日本向けに歌を発表す ることはあっても、マスメディアへの露出は限りなくゼロに近づき、多くの賞 賛と一部のやっかみとを背負ったまま、沈黙を保つようになる。無論、歌は大 いなる人気を維持したまま。 そんな人間が今、目の前にいる−−。純子は相変わらず、雲の上で夢を見て いるような気分から抜けきれないでいた。心なしか、足元もふわふわする。毛 の長い絨毯が敷いてあるみたいだ。 「握手はしてもらえないのかい」 ふと気が付くと、純子の前には鷲宇の右手が差し出されていた。その手の平 が天井を向き、所在なげにしている。見れば、肩をすくめる鷲宇の姿。 慌てて純子は両手で握り返した。 「すみませんっ」 「いえいえ。今から恐縮や緊張はしないでほしいな。そんな物、丸めてごみ箱 にポイ」 鷲宇は紙くずを丸めて投げる仕種をした。 サーカスでピエロがするようなその動きに、純子は多少なりとも気が楽にな った。表情がほぐれるのが自分でもよく分かる。 「ただし、仕事にかかったときは心地よい緊張感を持ってやっていきましょう。 アユオライッ、リトぅプリンセッス?」 突如飛び出した意味不明の呪文のような言葉に、純子は瞬きを何度もした。 「分かっていただけましたか、かわいいお姫様」 市川の嘆息混じりの声が聞こえた。振り向くと、彼女は壁に背中を預ける風 にして、頭を抱えていた。 「ってな意味のことを言われたのよ。−−鷲宇さん、初対面の、それも小さな 子を相手に、煙に巻くのはやめてください」 「はい、どうもすみません」 市川に注意され、子供みたいに笑顔で頭を下げる鷲宇。 (ああ、英語だったのかあ……早すぎて全然聞き取れなかった) 純子の方は意味を教えてもらって、脳裏に英文が構築できた。 (最初がシンデレラ、次はプリンセス……変なの。と言うよりも、子供扱いさ れてるのかな) へらへらした感じで笑っている鷲宇の横顔を、じっと見つめる純子。ここに 来て、どうにか落ち着いて見られるようにはなった。 でも。 (格好いいよね、やっぱり。きれいな顔してる……目がいいってみんなが言う の、うなずける) 大ファンとまでは行かないけれど、鷲宇憲親の作る曲は唄うのが本人か否か に関わらず、純子にとっても八割以上は好みの範疇に入る。 (サインもらえるかしら。友達の分ももらえたら嬉しい。あ、でも、色紙も何 もないっ。今日を逃したら、もう会えないかも……) 笑顔になったり考え込んだり、はたまた頭を抱えたりと、忙しくしてる純子 に、鷲宇が呼び掛ける。 「今日はまず、生の歌声を拝聴したいな」 「はい」 元気よく返事して、市川に目を向ける。 「では早速スタジオに。手配はでき−−」 「いえ。一番最初は、ここで聴きたいんです」 楽しむように目を細める鷲宇は、ざっと室内を見回した。壁をこんこんとノ ックしたが、これはポーズだけで大した意味はないに違いない。 「幸い、よく防音できているようだ。お好きな歌を、アカペラでお願いします。 思いっ切りね」 鷲宇の有無を言わさぬ催促に、純子は戸惑い、市川は早くからあきらめた。 「それじゃあ、ジュン、やって」 「でも、いきなり言われても」 視線をおろおろとさまよわせる純子に、鷲宇は片手を振って言い加える。 「好きな曲でかまわないよ。僕に変に気を遣わないでほしい。くれぐれも言っ ておきますが、うまく唄える曲じゃなくてもいい。君が好きな曲」 鷲宇は腕を組んだ。表情から笑みが消える。 いや、笑みは残しているが、一本芯が通ったような、そんな真剣味が新たに 加わった。 「はい。分かりました。聴いてください」 三メートルばかり離れた位置に立ち、鷲宇と正対する。 軽く両目を閉じ、息を吸う。そして吐き出す。胸が上下した。 目を開き、再び息を吸い込んでから、始める。 これは全てのスタートでもある。 −−『そばにいるだけで 28』おわり
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