長編 #4606の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
* * 実用第一の部屋ねというのが、鷲宇憲親の仕事場をかつて初めて訪ねた際の 市川の感想だった。 パソコンや音源ボード、コンポ等が配されたデスク。椅子に座ったまま、手 の届く範囲に必要な書類が分別配置されたラック。白と黒のモノトーンの室内 は、コンパクトにまとまっている印象だ。 ただ、整理整頓が行き届いているわけではない。一部、雑誌が積み上げられ たり、上着が脱ぎ捨てられていたりと、雑然とした感じを醸し出している。 だいぶ以前にそのことを指摘して片付けようとしたら、断られた。息苦しく ならないよう、わざとやっているんだと。 市川は部屋の造りを改めて見渡し、納得したものだった。 「お久しぶり。どういった御用ですか」 ほんの一瞬の微笑みのあと、鷲宇は市川に再び背を向けた。 用件はとっくの昔に伝わっているはずだ。鷲宇はとぼけているのか、本当に 忘れているのか。 「ああ、そこらの椅子に座ってください」 作曲中だったらしく、パソコンではその類のソフトが立ち上げられているし、 彼のほっそりした手にある五線譜紙には音符やコード、それらよりも圧倒的に 多い量の落書きがごちゃごちゃと書き込んである。 「ブラインド、上げたらどうです? もう晴れてきていますわ」 市川は最初に天井の蛍光灯、次に窓の白いブラインドを見やった。 「ああ」 うめき声で応じ、片手を紐に伸ばす。が、目は手元の紙に落としたままなの で、空を切ってばかりいる。 延々とその行為を繰り返すものだから、市川はため息をついた。しかし、す でに腰を落ち着けていた彼女に、動く気はなかった。仕事の話に入ってしまお うと思う。 「以前からお約束のことで参りました」 「約束……はい、思い出しました」 鷲宇は一旦手を引っ込め、顔を起こすと、額に掛かる前髪をかき上げた。さ らに伊達眼鏡の位置を直し、視界を良好にしてから、ブラインドの紐を引く。 室内に明かりが差し込んでくると同時に、「ライト、消してくださいますか」 と頼んできた。 市川は無言のまま、壁のスイッチをオフに。態度で承知の意を表す。 「どうも。それで……芸能プロをやり始めたとは耳にしてましたが、随分早か ったですね」 「運がよかったのかもしれません。答はまだ出ていませんが」 「断っておきますが、僕を満足させるのは大変ですよ。実力だけでなく、素材 が面白くないといけない」 紙を淡いピンク色のプラスチックケースに放り込むと、鷲宇は椅子ごと振り 返った。 「自信はおあり?」 「ええ。でなければ、遠路はるばる来たりはしません」 「……伺いましょう」 市川の表情をじっと見てから、波間に漂う小舟にでも乗っているかのように、 身体をかすかに揺らす鷲宇。どうやら、小さくうなずいたつもりらしい。再び 前髪が垂れてきた。 「声に関しては、以前に送りましたテープを」 「ああ、聴きました」 足を組むと、鷲宇は目を細める。にっこり笑ったその顔は、市川にとって珍 しいものだった。 「幅広い声でしたね。森を抜ける風みたいに透き通るよな。かと思えば、洞窟 の奥深く、人知れず湧き出る地下水みたいに、こんこんと響て届く声も」 「いかがでした?」 「うん。歌唱力、と言うか、声の力、声力と僕は呼んでいますけど、それは最 低ラインをどうにかクリアしてるかな」 悪戯っぽく笑う鷲宇。 市川はわずかに眉を寄せると、鷲宇の笑みが微笑に変化した。 「でも、声質に原石の輝きを感じる−−と言えば、その恐い表情を消してもら えますか。まるで、梅干しを口に含みながら毒々しい毛虫を目撃したときのよ うな顔をされていますね」 「私の顔のことはいいですから、鷲宇さんの判断を」 「他の要素を教えていただきましょう。声は合格」 眼鏡のフレームをいじりながら、促してきた。 市川は少し考え、資料を渡さず、言葉で説明しようと決めた。 「十三歳の中学二年生。この四月から様々なレッスンを受けていますが、それ 以前は特に何も」 「中学生ね。もはや全くセールスポイントにならないほど、小中学生タレント が溢れていますよね」 「その点は私どもの方で、種々策を講じています。部外秘扱いなので、お引き 受けいただけない内は、詳しくお話しできませんけれど」 「ふうん。外への露出度はどうなんです? すでに手垢の付いた素材なら、あ んまり興味ないなあ、なんて思ってますから」 「ファッション誌のモデルが数度、テレビCMが都合四本、それに関連するポ スターもあります」 「テレビに出ちゃってるんですか」 この若きアーティストはあからさまに落胆した様子を見せ、顔をしかめた。 不服そうに唇を尖らせてまでいる。 市川はきっぱり、首を横に振った。 「正体は知らせていません。CMでは素顔が分かりにくいようにしています。 名前も伏せたままですから、ご心配は無用だと思いますわ。いずれ、VTRを 見ていただく機会を設けます」 「なるほど。その辺が部外秘と関係ありのようですね」 右手の甲を口元に当てながら、鷲宇はかすかに笑った。 こんなに笑みを覗かせる彼を、市川は初めて見たような気がする。 (行けるかもしれない) 手応えを感じた。根拠はないが、向こうが興味を持っているのは間違いない。 「さて、市川さん。そろそろ秘蔵っ子のお姿、拝見させてもらえませんか」 鷲宇が手を広げ、求めてくる。 「その前にご返事をいただくことは……無理でしょうね」 「当然。見た目も大きな要素です。僕が曲を書くとなったら、その他諸々のプ ロデュース面でもあれこれ口を挟みますよ。これまで、つまんない−−と言っ たら叱られるかな。ありがちなアイドルに曲を作って、そこそこヒットさせて はきましたけど、そういうのはもうやめましたから。四年前だったっけ、この 手の依頼を断つとき、もし次にやるなら、あらゆる面で僕流を通せる仕事にし ようってね、決めたんです」 立て板に水。とうとうと持論を披露され、市川はしばし黙した。 鷲宇の方は満足したように顎を撫でる。 「ルークの方針になるべく合わせたいとは思います。でもね、それは契約が成 立したあとの話。やはり事前にその子のことをなるべく把握しないと、判断で きません」 「それは分かっています」 「口は堅いですよ、自分。だから安心してお見せください」 と、軽い調子で言う。 でも、数少ないながらこれまでの経験より、市川は鷲宇の言葉が嘘でないと 知っている。用意してきた写真数葉を取り出し、相手に向けてから渡した。一 番上は横顔のアップだ。 途端に、鷲宇の目つきが真剣味を帯びたようだ。左手で受け取り、右手で自 らの口元を隠すと、息を詰め、考え込む風に見つめる。 最初の一枚にたっぷり一分はかけ、軽く首を傾げて、二枚目に取りかかる。 今度は全身。続いてバストアップショット、髪を上げてボーイッシュイメージ のもの……こんな調子で全てにじっくり目を通した。 そして市川から問われる前に、大きくうなずく。 「ありがとう、市川さん。よく見つけてくれたものだ。よろしくお願いします」 「−−こちらこそ、よろしく」 慌てて立ち上がり、お辞儀をした。 そんな市川へ、自らも席を立って右手を差し出す鷲宇。 間を置かずに応じてシェイクハンド成立。 鷲宇は再び砕けた物腰になって、唄うようにこう言った。 「この子に早く会いたいですね。手始めに、名前を教えてほしいな」 * * 二学期初日、早々に驚かされた。 教室に入ってすぐ、その見慣れない後ろ姿に気づいた純子は、一緒に登校し てきた富井に「誰?」と尋ねようとしたほど。 だが、そうする前に、当の人影が微笑とともに振り返る。 「あら、あなた達だったの。お久しぶり」 別人かと思うほど印象はがらりと変わっていたが、間違いなく白沼の声。 原因は髪型にあった。 「お、おはよう、白沼さん。その頭……」 思わず指差してしまったが、相手は気に障った風もなく、耳元辺りに掛かる 髪先をなで上げた。口元には微笑みが絶えない。 「どう? 似合う?」 やけに浮き浮きした口調で問われ、純子と富井はどう答えていいのか途方に 暮れた。 純子に負けず劣らず、ストレートの長い髪をしていたのが、ショートカット されている。頬を撫でる程度に、軽くカールが掛かっていた。 「そのう……随分、思い切ったのね」 「そうそう、あれだけ伸ばしてたのを、もったいなーい」 純子に続いて富井も、どちらかと言えば否定的な意見を出した。すると、白 沼は少しだけ首を傾げ、 「変かしら? 気に入ってるんだけどな」 と、頭の形に沿って髪をさわる。 「ううん! 変じゃない。ただ……見違えちゃって、びっくり……」 「でしょうね。そうこなくちゃ」 最後は独り言のようになって、うふうふと含み笑いをする白沼。 「涼原さんはよくヘアスタイルを変えるけれど、こんな感じに短くする気はな いの?」 「え? えっと、少なくとも今のところはないわ。何でそんなことを聞くの?」 怪訝に思って問い返すが、白沼は明確には答えてくれなかった。 「いいじゃない。大した理由なんてないわよ」 それだけ言うと、スキップでも始めそうな軽やかさで廊下へ出て行く白沼。 曲がった方向からして、行き先は洗面所かもしれない。 「何だったのお!」 富井が高い声で不思議がっている。気持ちは純子も同じ。 (分かんないなぁ。短くした理由の方も聞きたかったんだけど、あの調子だと 教えてくれそうにないよね) いつまでも立ち尽くして、首を傾げていても仕方がない。とりあえずは自分 の席に収まる。 周りを見ると、白沼ほど大きく変化した者は他にいない。やっと落ち着いた。 と言っても、教室のそこかしこで宿題を写す作業が花盛り。なかなかにぎやか だ。 (唐沢君や勝馬君が見せる立場になってる) 一年前と様変わりした光景に、ついつい吹き出しそうになった。 (みんなで宿題をやったおかげだね) よくよく考えればあんまり感心できない事態であるが、何とはなしに微笑ま しい。 と、程なくしてその立役者の一人、相羽がやって来た。席に到達し、鞄を開 け始めたところへ、純子は小走りで近寄る。 「おはよう」と朝の挨拶を交換してから、用件を伝えた。 「あとで、図書室に来てね。渡す物があるから」 「うん。――今じゃだめなんだ?」 相羽の質問にうなずくと同時に、白沼の声が降るように飛んで来た。 「相羽君、久しぶりっ。会いたかったわよ」 続いて瞬く間に接近すると、あたかも純子を押し退けるような具合で、相羽 の机に両手をついて場所を確保。 相羽は先ほど純子にしたのと同様に挨拶から入った。 「おはよう、白沼さん。元気そうだけど、身体の調子は?」 「え……やだわ、林間学校のことを言ってるのね。もうすっかり」 「そりゃよかった」 息をつき、視線を外した相羽に対し、白沼は話を引っ張る。 「あのときはお見舞い、とっても嬉しかった。相羽君のおかげで早く治ったよ うなものよ」 「調子いいこと言って」 そんなやり取りを目の前にして、純子は納得していた。 (やっぱり、白沼さんのお見舞いにも行ってたんだ。当然よね) 「それでこの髪、どうかしら?」 話題はいつの間にか、白沼のヘアスタイルに移行していた。 「こちらが黙ってたら、何にも言ってくれないんだから」 焦れたように白沼が口をすぼめると、相羽は改まった体で目線を高くした。 「気づいてるよ、もちろん。気分を換えるにはちょうどいいんじゃない? 僕 らも何だか新鮮な感じを受ける」 「そういうことを聞いてるんじゃなくて……分かるでしょ」 −−つづく
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