長編 #4566の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
相羽に手を取られ、純子は自然と立ち止まり、座り直した。悔しさや情けな さなんかで歯噛みしたくなるのと同時に、内心、どこかほっとする。 「今、無理をしたって、悪化して、あとあとよくない」 「それは分かるけど……じゃ、じゃあ、どうしろって言うの? ずっとここに いるわけにいかないでしょう?」 「担いででも行く」 「な……」 まさしく開いた口が塞がらない純子に、相羽はしかし真剣な眼差しを送る。 純子は自分を指差した。 「それって私を」 答えるまでもないとばかり、相羽はかすかにうなずき、空模様を見やる。 「いいわよ、そんな……。あなた一人で行って、誰か呼んできてくれればいい。 私、待ってるから」 「雨になりそうなんだぜ」 天を指差す相羽。先程来、雨雲が黒の絵の具を付け足したみたいに濃度を増 し、重々しく広がっている。 「最低でも雨宿りできる場所に連れて行く」 「でも」 「こんなこと言って恐がらせる気はないけど、雷が鳴り出すかもしれない。一 人で大丈夫なの?」 「雷? そっ……れは嫌だけど」 声を小さくした純子へ追い打ちを掛けるかのごとく、遠くの空で雲がごろご ろと鳴る。前触れか。 「決まりだね。差し当たって大問題なのが、この崖をどうやって登るか」 「……やっぱり、無理よ」 一人でならいざ知らず、角度も高さもそこそこある崖を、二人で行くなんて。 「やってみないと分からない」 相羽は低くかがんで、背中を純子へと向けた。体操服の布地に汗がうっすら と浮いている。 「どういう格好をすれば乗りやすいか、言って」 「え……おんぶするの?」 「他に何かある? 前で抱えたら絶対に登れない」 純子は右の靴をしっかり履き、左足で身体を浮かすと、倒れ込むようにして 相羽の背中にたどり着いた。そのままずり落ちてしまわないよう、両手を肩に 引っかける。 「爪が痛いんだけど」 痛いと言う割には、相羽は極普通の口調。 純子は手の位置を修正し、相羽の首に両腕を回してクロスさせた。 「いい? 立ち上がるから。放さないで」 「うん」 顔を左に向けて、相羽の体温を頬に感じていると、ゆっくりとした動作で身 体が浮くのが分かった。 「足を持っても大丈夫かな。捻挫……」 「分かんない。持ってみて」 相羽の左右の腕が、純子の太股の辺りをそれぞれ抱え込む。新たな痛みは起 こらないし、体勢が安定した。 「平気」 「よし。じゃ、まずは崖の下まで」 足元を確かめるように、一歩一歩踏みしめながら前進を始めた相羽。砂利や 草の固い根があって、油断しているとつまずきかねない。 それでも無事、崖下までは到着。問題はここからあとだ。 「……足だけじゃ登れないよな」 斜面を前につぶやくと、相羽は深呼吸をした。 「涼原さん」 「何?」 「左右どちらかの手を使いたいから、放すけど、どっちがいい?」 「ど、どっちでも」 「捻挫してる方を動かさないのがいいのかな」 「任せるわ。それより、早くして」 背負ってもらっている自分の姿はもちろん見られないけれど、想像をすると 恥ずかしくて全身が熱くなる。 相羽は純子の左足を放した。左手で崖の手近な突起物を探す。安定していそ うな石に手がかりを得、力を掛ける。 うまく行った。右手が使えない分、不自由だが、相羽は右のつま先と膝とを 斜面に当て、巧みにバランスを取る。 そして左足を動かそうとした途端−−。 「あっ」 左手で掴んでいた石が、斜面の土からぼこっと取れてしまった。 純子も言葉にならない叫びを短く上げる。手に力がこもった。 しかし、声はロープの代わりにはならない。 二人はなすすべなく、ずるずると落ちる。石や土くれも、並行して転がって いくのが見えた。 相羽は、身体の前面を崖に押し付けるようにしたが、ほとんど効果なし。あ っという間に元通りである。高さが大してなかったからいいようなものの……。 「相羽君、大丈夫? ねえ、相羽君!」 「はは。どじった」 相羽は振り返ることなしに、左手の甲で口元を拭う。戻すと、土が少しばか り付着していた。 「悪い。両手を使わないとだめみたいだ」 「か、かまわない、それで」 相羽は両手が自由になった状態で、再チャレンジ。 同じ失敗はするまいと、子細に崖の状態を観察している。 「岩登りをする人は」 突然、相羽が話し始めた。幼子に物語りしてみせるような、やけに冷静な口 調だ。それでいて抑揚を漂わせている。 「え?」 「岸壁を前にして、じっくり見ていると、ルートが見えるんだってさ。どこを どう登って行けばいいのかってのが」 「う、うん」 「実際にやるとなると、なかなか見えないよ。素人だからかな。だけど」 純子を一度背負い直し、相羽は進み出た。 「何とか見つけた」 今度は右手から出す。掴んだのは石ではなく、斜面のいたるところに生えて いる草の根元。何度か強く引いたあと、確信したように言った。 「行ける」 それから相羽は、草や木の根、あるいは大きめの石を手がかり足がかりにし て、ゆったりとしたペースながら高さを稼いでいく。上になるにつれ、呼吸も 段々と激しくなったようだ。 純子は黙って見守ることしかできない。せめて、心の中でお祈りする。 (相羽君、頑張って) 頂上まで残りおよそ五十センチ。 相羽が右手を進めた際に、やや大きめの石が斜面を転がった。運命のちょっ とした悪戯か、跳ねて、純子の右足首に当たる。 「痛っ」 激痛ではなかったが、思わず身をよじった。 「純子ちゃん、ごめん−−あ−−」 相羽の台詞が途切れ、身体が傾く。彼が左足を預けていた木の根っこが、め りめりと音を立てて折れたのだ。 落とし穴にはまったような、エレベータの降り始めのような、奇妙な落下感 と浮遊感が急速に湧き起こる。 「きゃああーっ」 「−−たまるか!」 純子の悲鳴と相羽の叫びが重なる。 次の瞬間、滑落は止まっていた。 無意識の内に閉じていた両目を純子が開けると、必死の形相の相羽が、両手 で崖を鷲掴みにしていた。指先は埋もれて外からは確認できない。 「……あっ。血」 相羽の腕が広く大きくすりむけて、赤い液体が滲んでいる。その傷口を覆う ように土が着いていた。 「相羽君」 「畜生……」 「相羽君、もういいよ。やめよう、ね? 登りきる前に、あなたが……ぼろぼ ろになっちゃう。私なんかのために、こんなことしなくていい」 「……」 「ねえ。一人で行っていいってば。私、降りるから。相羽君まで動けなくなる。 そんなの……黙って見てられない。お願い、無理だけはやめて」 涙声になりかける純子に、冷静な言葉が飛んだ。 「静かに。−−いや、喋るなって意味じゃなくて、動かないでほしい」 相羽の指示に、無言でうなずく。純子のその仕種が相羽から見えたかどうか は分からない。 相羽は呼吸を整えつつ、上目遣いになって状況判断を試みている。厳しい眼 差しで、最善の選択を探る。 「ここまで来て、やり直しはないよな」 自らに言い聞かせるようにつぶやくと、右手を前にやった。ほとんど斜面に 埋没しているような、岩の微妙な突起を取っ掛かりにし、じわりじわりと上を 目指す。 「純子ちゃん、もし見えるんだったら、足をどこに置けばいいのか、教えて」 「え……ええ、見えるわ」 首を後ろに向け、なるたけ相羽の動きに影響を与えないよう注意しながら、 足元を見やる。 「右足をどこに置けばいい?」 「……そこから二十センチぐらい上に、大きな草のかたまり。そう、もうちょ っとだけ内側」 「ん、分かった。これか」 協力し合うことでようやく要領を掴み、遂に相羽の左腕が崖上の太い木に巻 き付いた。続いて右腕も。 「−−せいっ」 力を振り絞り、二人分の体重を引き上げる。見事、一発で成功した。 俯せに倒れ込んだ相羽の背中から、飛び退く純子。すぐ横に足を流すように して座って、相羽の肩にそっと触れた。 「相羽君……ありがとう……じゃなくて……」 大丈夫?と尋ねるのは失礼すぎる。一見しただけでどれほど疲れたか、どれ ほど傷ついたか充分伝わってくるのだから。 (ごめんなさいっ) 純子が顔を近付け、相手の肩に触れた手を揺すっていると、相羽からやっと 声がこぼれた。 「どういたしまして。はははっ」 「……な、何よ、どういたしましたって?」 「『ありがとう』なんて言うからさ。当たり前のことをしただけ……ちょっと 疲れたけれど」 身体の向きを換え、相羽は仰向けになった。 視線が合う。 「相羽君、腕の傷」 「こんなの、放っとけばいい。純子ちゃんは、怪我が増えていない? その、 さっきの崖登りで」 「え、ええ。多分」 「よかった」 目を閉じ、気持ちよさそうに微笑む相羽。 短い間そうしたあと、相羽は両目を開き、上半身を起こした。 「さて! まだこれからだ。純子ちゃん、肩を貸せば歩ける? それともまた おんぶしようか」 「い、いいわよ、おんぶは。右から支えてくれたら、何とか歩けるはず」 純子の慌てぶりがおかしかったのか、相羽はまた笑みを浮かべた。 「それじゃあ、行こう。まずは元の場所まで戻らないと」 五分も歩かない内に、純子は足に痛みを覚えた。 右足だけではなく、左足にも。 (恐らく、皮がめくれてる……つっ) まだ相羽には言っていない。 (言えない) 肩を貸してくれている相羽も、膝や腕にすり傷を多数負っていた。崖登りの 疲労もあるはずだ。 (我慢するのよ、これぐらい。言ったら、余計な心配をさせちゃう) 弱音を吐くのは辛抱できた。 だけど、自分の意志だけでは隠しようのないシグナルが、十分保たずに鮮明 に点滅を始める。 「……純子ちゃん、どこか痛いんじゃないか?」 「え? ううん、何ともない何ともない」 どきりとしつつ、首を激しく振った。 (どうして気付くの?) 疑問をそのまま口にするわけにいかないので、少し変換。 「何でそう思うのよ」 「あんまり喋らないし、左足が地面に着く度に、顔をしかめている」 「そんなこと」 ないわと続けるつもりだった。でも、言葉が出て来ない。 代わりに泣きそうになって、鼻をすすった。 「純子ちゃん? やっぱりそうなんだろ?」 「……か、隠せないみたいね。あは」 −−つづく
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