長編 #4565の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
後ろを振り返ったり、また前をじっと見据えたり、彼方を見通したりと、相 羽はあちこちに首を巡らせる。意地悪くも、林の中はどちらを向いても似てい た。 ついに相羽は足を止めた。 「相羽君!」 「慌てないで、涼原さん。木に登ったら遠くが見えるかもしれない」 「そ、そんな危ないこと、やめてよ」 まだ相羽が動かない内から、腕をぎゅっと掴んで引き止める。 「万が一、落ちて怪我でもされたら……どうしたらいいのか困るじゃない」 「心配性だね」 「心配よ、もちろんっ」 純子の口調があまりに強かったためか、相羽は肩をすくめて、「分かったよ」 と答えた。 「木登りしなくても、どうにかなる。少しの間だけ、考えさせて」 相羽は両手で口元を覆い、やや前傾の姿勢になって沈思黙考を始める。 純子もどうにか平静さを取り戻し、来た道を思い出そうと試みた。ひとまず 落ち着きたくて、座れる場所を探す。手近なところに切り株を見つけた。 「あなたもどこかに座れば……」 勧めつつ、腰を下ろしかけた純子。 が、その瞬間、黒と黄色の入り混じった丸っこい物を目撃した。すぐ真ん前 を、何かが飛んでいる。 「−−きゃあっ!」 蜂!と瞬時に認識できたが、とても冷静でいられない。種類は正確には分か らないが、とにかく大型の部類に入ると言える。 五匹までは数えられた。大きな動作で空間を支配するかのように宙を飛び回 る蜂は、威圧するかのごとく激しい羽音を立てる。 助けを求めて、相羽の方に逃げるのが通常だが、あいにく蜂が旋回している のは相羽と純子との間。 仕方なく、いや、そういった判断も抜きにして、純子は相羽がいる側とは反 対方向へ逃げ出した。この間、実質的には三秒と経っていない。 「涼原さん?」 相羽は何が起きたのか把握できてないらしく、純子の方へ手を伸ばしかけた まま、次の行動に移せない。 闇雲に走った純子だが、羽音が聞こえなくなり、もういいわよねと恐る恐る 後方を振り向こうとした。 その瞬間、立ち止まるための最後の一歩だったはずの右足が、宙をかく。 「え」 前がよく見えていなかった。蜂の存在に加え、髪が顔にまとわりついたのも、 少しは影響したかもしれない。 (う、わ) 原因は何であれ、純子は地面を踏み外した。 そう。 平坦な地面が続くと信じ込んでいた目の前は、実際は落ち窪んでいた。その 先は急な坂道があった。 「純子ちゃん!」 転げ落ちながら、純子は名前を呼ばれるのを聞いたような。 目を開けると、相羽の顔があった。隠しきれない不安に強張っていた彼の表 情が、徐々にではあるが安堵の色を帯びていく。緊張は残っているものの、ほ んの少し頬を緩ませて微笑むのが見て取れた。 「涼原さん……よかった」 「……相羽君? 一体、何がどうし−−」 身体を起こそうとした刹那、激しい痛みが純子の全身を襲った。同時に、自 分の身に何が起こったかを、嫌でも思い出す。 「起きちゃだめだ」 力が抜けた純子の上半身を、相羽の腕が横から抱き留める。そして静かに地 面に降ろした。 「あそこから落ちたんだよ」 相羽が指差した先には、高さ約三メートルの土手のようになった場所があっ た。土手は両横にどこまでも続いており、純子達のいる地点からは二メートル ほどの距離があった。あの上から足を滑らせて、今いる位置まで転がったとな ると、かなりの距離だ。全身が痛くもなるはず。 「どこが痛い? 頭痛はしてないか?」 「頭痛は……ちょっとだけ。他は、足……右の足首と……右の脇腹の辺りが特 に痛い……みたい」 他にも痛い部位はあるのだが、いずれもひりひりした感覚。切り傷と思って いいに違いない。 それらに対して右足首及び脇腹は、ずきん、ずきんと脈打つのがしっかり分 かるのだ。案外、重い怪我なのかも……と暗雲にも似た不安が心を占める。 「まさか折れてない?」 「多分、折れてないわよ。腫れてる感じ。−−つっ」 足を動かしてみようとしたが、激痛が駆け抜け、中断を余儀なくされる。 「くじいた、わ。これ、恐らく」 自分でも言葉の順番がおかしくなったのに気付く。純子は唇を湿らせ、呼吸 を整えにかかった。 「捻挫だね? 骨折に比べりゃまだましか。脇の方は? 息は普通にできる?」 「……ええ、できる」 試してみてから答えた。多少のやりにくさはあるが、言い立てるほどではな い。これも打ち身に過ぎないと自らに言い聞かせ、笑顔を作った。 「そんな顔しないでよ。やだな。私は大丈夫よ」 「でも」 そのとき、相羽の握りしめるハンカチが一部、赤くなっているのが見えた。 「あーあ、私ったら、怪我で血を出してるのね。どことどこ?」 自分の身体前面をざっと見渡しつつ、尋ねた純子。 「右のほっぺたを少しと右の肘、左の手の甲。それから」 流暢に答えていた相羽が、不意に言い淀む。 「何?」 「その……さっき君が言った脇腹も、多分」 純子は首を動かし、言われた場所に視線を向けてみた。 右の脇腹、胸元に近い位置に赤い染みができている。体操着の白い布に鮮明 に浮かぶそれは、今もわずかずつだが広がっているようにさえ見えた。 「ふ、服は破けてないわよね?」 現在の状況下で、こんなことが気になるなんてと不思議に感じながらも、問 わずにいられない。 「うん。それはない。石にこすられたんじゃないかな……」 「……」 純子は傷口の具合が気になったので、指先でそっと触れてみた。痛みは当然 あった。 (どんな傷なのか、この目で見たい) どんなにひどくても、見れば多少なりとも安心できると思う。 だけど、すぐそばに相羽の目がある。 「あのね、相羽君。少しの間だけ、あっちを向いて」 「え。ど、どうかした?」 「何でもないわ。脇腹の傷を見たいだけよ」 「あ……ごめん。それだったら、このハンカチ、使ってくれ。外から見えると ころはあてがえたけれど、脇腹は無理だったから」 差し出された水色基調のハンカチを、純子はかすかに笑って受け取った。 相羽が背中を向けたのをしかと確認し、さらには「いいって言うまで、絶対 にこっちを見ないでよ」と念押ししてから、まず、襟口から覗き込んでみた。 赤っぽくなっている箇所を発見できたけれども、分かりにくい。天気が悪い せいもあるだろう。 しょうがないので、裾に手を掛けた。もう一度、相羽の目線が崖の方を向い ているのを確かめ、思い切ってめくり上げる。 純子は次いで顔をしかめた。 (うわぁ。紫色になってる) 出血の量は大したことなく、すでに止まっていた。念のため、借りたハンカ チの隅っこをちょっぴり着けてみたが、赤は写らない。 ただ、傷口の周辺が紫がかっている。 純子は素早く体操着を元に戻し、息をついた。そして精一杯の元気を込めた 声を出す。 「終わった!」 相羽はゆっくり向き直り、純子のそばに再びやって来た。 「ハンカチ、ありがとうね」 「どうだった?」 「血は止まってた。きれいに治るのは時間が掛かりそうだけど」 と、鬱血のことを簡単に知らせておく。 「ところで、今、何時?」 「えっと、十一時二十分」 素早く手の平の中の時計を見、答える相羽。 純子は心持ち、身体を起こした。 「もうそんな時間なの! 早く戻らなくちゃ」 「涼原さん、怪我はどうなの? 歩ける?」 相羽の口ぶりは緊張感を帯びていた。 「大丈夫だって。ほら、見てて」 少々の痛みは我慢して上半身を起こし、次に左膝を立てるとともに、両腕を 突っ張って立ち上がる。 「ね。立てたでしょ」 気丈に言って、第一歩を踏み出そうとした純子だが。 「−−危ないっ」 かくんと右足から崩れた純子を、相羽が必死に掴まえた。急な事態によろけ るが、相羽はどうにか純子を座らせることに成功。 「だめじゃないか」 「今のは、右足がちょっと痛かっただけよ。もう一回やれば」 再度起き上がろうとする。しかし、最前の右足の痛さを思い起こし、ためら ってしまう。 「あ、相羽君。肩を貸して。立つから」 「……嫌だ」 思いも寄らない返事に、純子は口をぽかんと開けて、相羽を見返した。 「君が自分一人で歩く気でいるなら、貸さない。歩くのは無理だよ」 「ど、どうしてそんなこと、分かるわけ? 私が平気だって言ってるんだから」 「そっちこそ、このあとどれだけ歩かないといけないか、分かってる? 我慢 して歩いたって、決してよくない」 相羽に言われて、初めて理解した。少なくとも三十分は歩く必要があるだろ う。その上、自分達は道に迷ったままなのだ。さまよい歩くことを思うと、純 子の足が保つとは考えにくい。 「手ぬぐいか何かで縛って固定すれば、歩けるかもしれない」 純子の申し出に、相羽はいい顔をしなかったけれど、握りしめたままにして いたハンカチを見つめ、細く撚る。現状ではこれぐらいしか適当な物がない。 「ちぇ、短い」 「私のも使って」 足を伸ばして横になったまま、ブルマの後ろポケットから白いハンカチを引 っ張り出すと、広げて手渡す。 相羽は二枚のハンカチの角と角とを、三秒とかけずに結び合わせた。それを 再度撚って、紐状にする。 「痛かったらすぐ言って」 相羽の指先が、純子の右足首をすくい上げる。新たな痛みが走ることは、ま だない。 相羽は短い間、考える様子を見せたかと思うと、純子の靴に手を掛けた。 「脱いだ方がやりやすい気がする」 「あ、そうね」 前屈運動のように上半身を運び、足元に手を伸ばす純子。慎重に慎重に、右 の靴を脱ぐ。晴れ上がっている様が、靴下越しでも確認できた。 「痛っ」 思わず声が出た。白地に赤のストライプが横に入ったソックスは、靴の中に 泥でも紛れ込んでいたのか、多少黒ずんでしまっていた。 「だいぶ腫れてる」 純子の顔を覗き込むようにしながら、相羽。足首に触れるのがためらわれる といった感じだ。 「いいから、早く」 強い口調に押され、相羽は紐状にしたハンカチを純子の右足、その土踏まず 辺りにあてがう。両端を甲の上で交差させ、くるぶしに沿わせて結ぼうとする。 「まだ足りないかも……」 そうつぶやきつつ、どうにか作業完了。 やってもらっている間、痛みをほとんど感じなかったので、純子は自信を深 めていた。これなら歩けるという自信。 右の靴をつま先で引っかける風にして場を確保すると、両腕と左足とで突っ 張り、純子は立ち上がった。 危なっかしくて冷や冷やしているのか、手を貸そうとする相羽。 それを腕を振って断り、一歩、踏み出してみた。 「−−っ」 痛い。 さっきよりはましだが、右足に体重が掛かると激痛が身体を貫く。 だけど我慢できないほどではないと思い−−無理にでも思い込み、二歩、三 歩と進もうとする。 「……だめだ、涼原さん。やめよう」 「え。でも、ほら」 「つらそうで見てられない」 −−つづく
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