長編 #4531の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
お母さんに感謝する日の朝、純子はお手伝いを何でもすると宣言した。 「お料理、お洗濯、掃除に草むしり、何だってやるから、どんどん言い付けて」 「ありがたいわね。でも」 張り切って両手に握り拳を作る娘の前で、朝刊を折り畳みながら母親は苦笑 した。新聞や折り込み広告をラックに仕舞ってから、続きを話す。 「中間考査が近いんじゃないの? せっせと勉強してくれた方がよっぽど安心 できるわね。お手伝いは普段からよくしてもらっているし」 「そんなぁ。普段は暇なときだけよ。きょうは丸一日、何でもやる。私のこの 気持ちを無にするつもりー?」 「いいえ、とっても嬉しいわ」 少しの間、純子をじっと見つめてきた母。 きょとんとする純子に、母はやがて微笑みかける。 「うん、分かった。やっぱり手伝ってもらおうかしら」 「そ、それはいいけれど、どうして急に言うこと変えたの、お母さん?」 「純子の気持ちを受けるためよ」 あっさり答えて、母親は洗面所に向かう。 「そうね、手始めに洗い物をお願いするわ。そのあと、洗濯機が停まったら干 すのを手伝ってちょうだい」 「はい」 小首を傾げてから返事をした。 それから昼食を挟んで、純子はいつも以上にお手伝いをした。しかも、時間 が空けば単語帳をめくり、試験勉強に費やすという徹底ぶり。 「少しは休まなくていいのか?」 一人で将棋盤とにらめっこしていた父が、さすがに気になったらしく、心配 げな調子で聞いてきた。それ以上に、あまり娘に母の日のサービスをされると、 自分の立場がないというのもあるかもしれないが。 「いいの。これぐらい、レッスンのあるときと比べたら、楽勝よ」 試験が近付いてきたので、レッスンは休みにしてもらっていた。ただし、折 角身に着けたものを忘れてしまわないようにと、一日に十分×2の簡単な復習 をやるように言われてもいる。カレンダーに書いているものの、たまに忘れる。 「しかし、心配になってくるな」 父の声に続き、母の呼びかけがあった。 「純子。お使い行ってきて」 「はい。どこへ何しに?」 手元の単語帳を閉じ、着替えようと二階に向かいかける純子。 「紙に書いておいたから、それを見て。ゆっくり、気を付けていくのよ」 「分かってる!」 メモを受け取ると、純子は自分の部屋へ直行した。 白いブラウスにてきぱきと着替え、準備が整ったところで机の上に置いたメ モに改めて目を通す。町内会の回覧板を近所に届け、簡単な買い物をしてくる というものだった。 「今日は帽子、いらないか」 窓からの眺めは、青空がほの見えるものの、雲のかかっている面積の方が明 らかに勝っている。風の強さは分からないけれど、雨が降り出しそうなわけで はないので、出かけるにはちょうどいい天気と言える。 純子は玄関に行き、下駄箱に立てかけてあった緑色した回覧板を手に取ると、 見たというサインを忘れてないかチェック。OK。 「行ってきます」 先に回覧板を回してから一旦戻り、自転車で出発した。 「あった」 パックになっている花鰹を手に取り、賞味期限を念のために確かめる。 (あとはヨーグルトと料理酒) 近いのは調味料のコーナー。目指す料理酒はお酢などとともに置いてあり、 その隣はアルコール飲料のコーナーにつながっていた。 「−−あれ?」 場に似つかわしくない小さな人影に目を留め、純子は無意識の内に声を発し ていた。 (子供だわ……って私も子供だけれど。四つか五つぐらい? お酒を買いにや らせるなんて) 鍔の大きな野球帽を被り、藍色のジーパンをサスペンダーで吊っている。う なじの辺りの髪はやけに細く、女の子みたいだ。いや。 (この子、見かけた覚えがある) 思い出した純子は、子供の顔をよく見ようと、その子の斜め右前に立つ。 目をぱちぱちさせている子供は今、洋酒が並んだ棚を見上げていた。自信な げな横顔が蛍光灯の光で青白っぽくなっている。 「すがちゃん」 メロディに乗せる感じで名前を呼んだ。 すがちゃん−−小菅裕恵は傍目にも露に全身をぶるっとさせ、固い動きで純 子へと向いた。 そこへ純子はしゃがみ込み、笑顔で出迎える。 「久しぶりだねー。覚えてる、私のこと?」 「……ああっ」 帽子の鍔を押し上げたすがちゃんは、見る間に明るくなった。 「レイのおねえちゃん!」 小さな子の叫声に、純子は微苦笑を浮かべた。覚えていてくれたことが素直 に嬉しい。立てた人差し指を唇に当てた。 「しーっ。そのことは秘密よ。今の私は涼原純子。分かった?」 「うん」 帽子がずれるほど大きくうなずいたすがちゃん。分かって返事したのかどう か、定かではない。 「すがちゃんは買い物? 何を買いに来たの?」 「んとね、あのね、すがちゃんはワインだよ」 舌足らずな言い方だが、意味は伝わった。 「へえ。それで、すがちゃんのお姉さんはどこかなあ」 「おうち。すがちゃんね、一人で来たんだよ。偉いでしょー」 「え? じゃあ……お姉さんに頼まれたとか」 そう言えば小菅先生の家はこの近くだったわと思いながら、純子は聞いた。 「そうそう! お母さんに食べさせてあげるんだよ」 「お母さんに。ふうん。ワインもお母さん達が飲むんだ?」 「ううん。みんなで」 その返事に純子はしゃっくりするみたいな声を出してしまった。 「みんなって、すがちゃんの家の人全員ってことだよね? すがちゃんも飲む のかな?」 「もっちろんろん!」 飛び跳ねるすがちゃんを前に、首を傾げる純子。買い物かごに手を掛けてい るから、腕組みまではしなかったけれども。 (小さな子にお酒を飲ませるなんて……小菅先生がこういうことする? 想像 できないわ。それにいくら近所だからって、小さな子を一人で、しかもお酒を 買いに行かせるなんて。母の日だからお手伝いしたいって、すがちゃん自身が 言ったのかもしれないけど、でも、もう少し考えていいんじゃあ……) 何か変と感じつつ、考え込んでいた純子は、目の前の子に髪を引っ張られて 我に返った。 「ねえねえ、ねえってば、おねえちゃん」 「はい、何?」 「あそこにあるのがワインなのー?」 爪先立ちをし、精一杯背伸びをしたすがちゃんは、左手で棚の上の方を指差 した。立ち上がって確認すると間違いなかったので、純子はうなずく。 「届くように肩車しよっか。それとも私が取っていい?」 「えっとぉ、おねえちゃんが取るのがいい」 「ようし。どんなワインを買ってくるようにって言われたのかな。教えて」 「び、び……びんがワイン」 どもりながらの返答に、純子はまた首を傾げざるを得なくなる。 「びんがワインなんて聞いたことないわ。瓶に入ったワイン、じゃないの?」 自分で言っておきながらおかしくなった。この場にあるワインはどれも瓶入 りなのだ。そんなお使いを頼む人はいないだろう。 「わ、分かんない」 すがちゃんも困った風に首を振った。 「色は言ってなかった? 赤とか白とか」 「赤だって言ってた」 じゃあワインなのは間違いないのねと解釈した。 「びん、ねえ……」 つぶやいてから、黙考に入る純子。 (『びん』が付く言葉でワインに関係ありそうなものと言うと……。まさか、 ビンテージ物?) 叫びそうになるところを我慢して、冷静に考えを続ける。 (そんなわけないわ。小さな子一人に買いに行かせるはずないと思う、うん。 えっと、どんな風に聞き違えることがあるかしら。びん、びんが、びんがワ イン、ワインがびん、ワインびんが……。あ! もしかしたら) 純子は再度、視線の高さを合わせた。 「ねえ、すがちゃん。よく思い出してほしいんだけれど、『びんがワイン』じ ゃなくて、『ワインビネガー』じゃなかったかなあ?」 「あ、それそれ!」 純子の真ん前で、両手を振り上げてアピールするすがちゃん。指先が純子の 鼻のすぐそばをかすめた。 「よかったね、思い出せて。念のために電話して、もう一度聞いてみようか?」 「ううん、違ってないもん。早く取ってよー」 「いいわ。でもね、ここじゃなくて……あっちにあるの」 調味料がずらりと並ぶ棚を指差した。当たり前だが、酢に近接する形でワイ ンビネガーが置いてある。 「えー? ワインはあっちにもあるんだね?」 「うふふ。そう、酸っぱいワインだけどね。そのまま飲むんじゃないのよ。ワ インから作ったお酢だから」 「おねえちゃん、変。ワインとお酢は全然違うわよぉ」 「帰ったら、すがちゃんのお姉さんに聞いてみるといいよ」 ガラス製の赤い一本を手に取る。 「これでよしと」 ついでに料理酒も取り、ともに自分の買い物かごへ。 「すがちゃん。他にお買い物はないのかなあ」 「ないよ。これだけ」 買い物かごの隙間から指を差し込もうとするすがちゃんを、純子は内心慌て ながらも、穏やかな口調で止めた。 「だめよ。指を怪我するかもしれないよ。それに、かごが壊れたら、お店の人 が悲しむでしょう?」 すがちゃんはさっと指を引っ込め、代わりに純子へ聞いてきた。 「私が持つう」 「重たいし、ガラスは危ないからね。運んであげる。でも、その前にちょっと 待ってね」 小さな子の手を引いて、純子は乳製品売り場に足を向けた。目に見える冷気 に手をくぐらせ、ヨーグルトの三個パックを二つ取った。 と、急に静かになったわと訝しく思いつつ、純子はすがちゃんを見下ろした。 「……」 右手の親指を口に持って行き、物欲しげにする姿があった。この子の目線の 先には、プリンがずらっと並んでいる。フラッシュ・レディのイラストが入っ た物もあった。ひょっとするとこれに引かれたのかも。 (うわ。まずかったかしら) 欲しがられたら困る。 買い物に必要な金額しか持っていない。多少のお釣りが出るだろうが、プリ ンにはまず届かない。 (だいたい、甘やかすのってよくないと思うし) すがちゃんが何も言い出さない内から、あれこれ考える純子。 実際に手を伸ばしかけたすがちゃんを誘導し、レジに向かおうとする。 「さあ、行こ。遅くなったら叱られるかもよ」 「うん」 言葉の効果があったのかどうか、すがちゃんはその場を離れ、純子に着いて くる。 別々に会計してもらっている間を利用して、さらに尋ねる純子。 「歩いてきたの?」 「そう。疲れちゃった」 「大変だね、帰りも。危なくなかった?」 「手を挙げたから平気だった」 「あの、お姉さんは今、家で何をしてるんだろ?」 「多分ねえ、お料理の準備よ」 会計を済ませ、品物を買い物袋に詰めて行く。 「持ってあげようか、その瓶」 「だめー。今日は自分一人でするのっ」 強い調子で拒否され、純子は苦笑いを浮かべた。 (母の日の手伝いなのは間違いなさそう) 店の外に出た純子は当然、自転車置場に向かおうとする。が、徒歩で来たす がちゃんはとことこと反対方向へ進む。 「あ。おうちまで着いて行くわ」 その声は届かなかったのか、先へ先へと歩き続けるすがちゃん。元々子供の 足だし、ワインビネガーの瓶を持っているため、距離はそんなに開かないもの の、やはり焦る。 −−つづく
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