長編 #4478の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
麗花にとっては圧倒的に不利な状況であった。けれど麗菜は左手を失っている。 そして腕力だけなら、半異形化した麗花にも分があるかも知れない。それに一縷 の望みを賭け、麗花は麗菜へと歩を進める。 『麗菜、代われ』 突然聞こえた男性の声に、思わず麗花は足を止めてしまった。 炎に包まれた空間の中、麗花と麗菜の他に誰も存在していない。なのに明確に、 近い場所から聞こえてきた声。 だが麗花が驚いたのは、その場に声の主らしき姿が見られないからだけではな い。 掠れて聞き取りにくい声であったが、遠い昔に聞いた覚えのある声。 麗花の記憶にあるものと比べ、声変わりもしているようだが間違いはない。 「平気よ、腕の一本くらいなくても」 姿なき声に応える麗菜。 『言ったろう………お前一人には押し付けないと。それに俺も、麗花と会いたい』 「ニイ………サマ? マサトニイサマナノ!」 麗花の問いかけに、麗菜が消したはずの笑みをもう一度見せた。 「そうね、約束だったわ。あなたにも兄さまと会わせてあげるって」 そう言って、麗菜は麗花に対して、くるりと背を向けたのだった。あのビルの 屋上での戦いと同じように。 「ぐっ………ぐあ、ぐああああっ!」 狂ってしまったかのように、麗菜が叫ぶ。その声が次第に、野太い男性のもの へと変わって行く。 麗菜の手足が大きく広げられる。左手を失っていなければ、ちょうど「大」の 字になっていただろう。 「ナ、ナニ………コレハ!」 戦いの最中、敵自らが無防備な背中をさらけ出しているのだ。麗花にとって、 これ程有利な状況はない。しかし驚きのために、麗花は仕掛けることが出来なか った。 すでに人とは呼びがたい姿となり果てた麗花だったが、その麗菜の姿は充分に 驚愕に価するものだった。 全身の筋肉が盛り上がりを始め、それに耐えきれなくなった衣服が弾けて飛ぶ。 失われた腕から胸への傷口も、盛り上がった筋肉によって塞がれて行った。その 変化は、異形と化す過程の麗花とも似ている。 が、異様だったのは関節の変化だった。麗菜の全ての関節が裏返ったのだ。つ まりは肘や膝などが、本来曲がるはずのない方向へと曲がって行く。さらには麗 花の視線に曝された肩胛骨が厚い胸板へと変わる。臀部から男性性器が出現する。 手の甲が掌と変わり、指の関節も全て逆方向へ折れる。踵から指が生え、爪先 となる。 一つ関節が裏表を入れ替える度、ぼこん、ぼこんと鉄板のたわみを裏返すよう な音が響く。 見ている麗花が痛みを感じるほどに、痛々しい変化が続く。 やがて麗菜の身体は元の倍近くまで膨れ、頭部を除いた関節全てが背中側へ裏 返ってしまった。いや、いまでは麗菜の顔の方が背中側を向いて着いている、と 言うべき状態になってしまった。 そして最後の仕上げとばかりに、本来の後頭部の髪が、まるで下からの突風に 吹き上げられるようにして二つに分かれた。むき出しになった後頭部に、麗菜と は別の男性の顔が現れた。 「久しぶり、だな。麗花」 限界を超えて筋肉増強剤を使用したかのように肥大した、異形の身体。それに 相応しい悪鬼のように険しい男性の顔。しかしその男性が誰であるのか、麗花に はすぐに分かった。最後に会ったのは十五年前、彼がまだ十一歳の時ではあった が、わずかに面影が見られる。 「マサト………ニイサマ」 「あ、兄さま、お早う」 洗面所で顔を洗い終えた麗菜が居間に向かおうとしたところで、入れ違いにや って来た雅人と出会った。たったいま起きてきて、これから顔を洗おうというの だろう。麗菜は努めて明るく、朝の挨拶を投げ掛けた。 「お、お早う………」 ところが雅人は、挨拶を返してくれたものの真っ直ぐに麗菜の方を見ようとは しない。何か不機嫌そうに、麗菜から視線を逸らした。 「兄さま、どうかしたの? 私、なにか兄さまを怒らせること、してしまったか しら」 大好きな兄にそのような態度をとられると、麗菜はとても不安な気持ちになっ てしまう。麗菜にとって雅人の存在だけが、唯一師岡の家の中で安らげる場所な のだ。もし雅人に嫌われてしまえば、麗菜を支えるものはなにもなくなってしま う。 「いや、そんなことはないよ」 その答えが、麗菜の不安を和らげた。ただそう言ったとき、雅人はちらりと麗 菜を見ただけで、すぐにまた視線を逸らしている。だから麗菜の不安も、完全に 払拭された訳ではない。 「ほ、ほら………今日はまだ体調が悪いからさ………」 麗菜の気持ちを察したのだろうか。雅人はそうつけ加えた。 雅人は生まれつき、心臓に大きな障害を抱えていた。医者からは長く生きられ ないと宣告されていたが、今日まではこうして生きている。ただそれでも危険な 状態であることには変わりなく、今年で十七年になる人生の半分以上を病院で過 ごして来た。こうして雅人が家に戻ってきたのも、四ヶ月ぶりのことだった。 「そう、どうか無理をしないでね………朝御飯は食べられる?」 「あ、うん。また、部屋の方に持って来てくれるかな」 「うん、分かった」 雅人がこうして麗菜たち家族と、一つ屋根の下で寝起きすることは少ない。そ して、たまに帰って来ても、家族と食事を共にすることはない。遥か以前、麗菜 が物心ついたばかりの頃は、一緒に食事をしていたのに。いつから雅人は、一人 で食事をするようになったのだろう。 思えば六年前、麗花が朧月家に引き取られて行った後からだったような気がす る。 もともと父は、雅人をあまり可愛がってはいなかったようだ。雅人の病気も、 外国に行って手術を受ければ治る可能性があるらしい。そんなことを、ずっと以 前に母が父に話していたのを憶えている。でも父はうんとは言わなかった。外国 で手術を受けるには、たくさんのお金が掛かるからだ。父にとっては、雅人より お金の方が大事なのだろう。 そのことは、麗菜以上に雅人も感じていたに違いない。それ以前も父と雅人が 話をしているのを見たことはほとんどなかったが、麗花の件をきっかけに、その 溝はさらに深まってしまったようだ。 「じゃあ、あとでお部屋に持っていくわね」 「あ、ああ………頼むよ」 それから雅人は、走るようにしてトイレへと入って行った。けれどそれは、本 当に小便を急いでいたからだろうか。 麗菜は、一度として雅人が自分の顔を真っ直ぐに見ていないことが気になった。 肌寒く感じるのは、パジャマ一枚でいるには気温が低すぎるためなのか、それ とも心が冷え切ったせいなのか分からない。麗菜にとって苦痛でしかない時間が やっと終わりを告げたとき、時刻は午前二時を過ぎていた。 麗菜には朧の血を守るということに、なんの意味も見い出せない。寝物語に何 度、恐ろしい魔物の存在を聞かされたところで、信じられはしない。 みんな狂っているのだ。 父も母も、本家の老人も。 存在しない敵から世界を守るためと称し、麗花は本家へと金で売られた。麗菜 は父に汚された。 本当に敵が存在するのだとしても、同じことだ。 我が子を金で売り、犯す。こんな真似をする者に正義があるとは、麗菜にはと ても思えない。 早くこんな生活から逃れたい。 父母の元から離れたい。 身も心もぼろぼろになった麗菜が思うことは、ただそれだけだった。 もう少し麗菜が大きくなったら、兄とともにこの家を飛び出そう。そして兄妹 二人で、普通の暮らしをしよう。そうだ、その時には麗花も呼ぼう。 それは麗菜の夢であった。 夢であると分かっていた。 兄雅人に、どれだけの時間が残されているか分からない。今日まで生きてこら れたことが、奇跡であると医者が話していた。考えたくはなかったが、麗菜が自 分で働けるようになるまで、無事でいられる可能性は少ない。 もし神が奇跡を起こしてくれたとしても、心臓の病が治らない限り、雅人が父 母の元から離れることは自殺行為以外のものではない。 そんなことを考えながら、麗菜は疲れ切った身体を自室の前まで運んでいた。 とにかくいまは、何もかも忘れて眠りたい。 麗菜の手がドアノブへと伸びる。 ぎっ。 虫の音一つ聞こえてこない夜。突然聞こえた廊下の床板の軋みに、麗菜は飛び 上がらんばかりに驚いた。そして慌てて音の方へと振った視線が捉えたものに、 さらに呼吸が停止してしまうのではと思うほど驚く。 「に、兄さま………」 それが雅人であると知るまでに、さして時間は要しなかったが、麗菜の鼓動は すぐには戻らない。 「こ、こんな時間に、どうされたの?」 言葉を発するのが、これほどまでに困難だったことはない。雅人には知られた くない『儀式』からの帰りに出会ったことが、麗菜を酷く動揺させていた。 「………話がしたい」 暗がりの中でもはっきり分かるほどに、雅人の顔色は悪かった。 「でも、兄さま。お身体が悪いんじゃないの………お顔の色が………」 「話がしたいんだ」 兄を気遣う麗菜に対し、雅人は同じ言葉を繰り返すだけだった。 「じゃあ、私のお部屋で」 雅人が頷くのを確認すると、麗菜は部屋のドアを開いた。 話があると言った雅人だったが、畳の上に腰を下ろしてから、もう十分以上も 沈黙を守り続けている。布団の上に座る麗菜は、雅人と向かい合ったまま息苦し い時間を過ごしていた。 俯いていたかと思えば、突然天を仰ぐ。天を仰いでいるかと思えば、また俯い て考え込む。これから切り出そうとする話は、雅人自身にも相当の決心が要るも のらしい。 「あれは………」 ようやく意が決まったようだ。それが麗菜の部屋に入ってからの、雅人の第一 声。 「あれは、麗菜の意志なのか」 雅人にとって、その質問をするのは辛いことのようである。語尾は掠れ、息苦 しそうに発せられた。 「あ、あれって?」 兄が何を問うているのか、麗菜にはすぐに分かった。だが聞き返さずにはいら れない。自分の考えが、間違っていることを望んで。あれだけは、決して雅人に 知られたくない。短い質問の言葉を返すだけで、麗菜の口腔は砂漠を彷徨う人の ように乾ききってしまった。 「昨日の夜、目が覚めてトイレに行ったとき………父さんたちの部屋から、声が したんだ」 それだけで充分だった。麗菜の望みが叶わないと知るのには。 「呻くような男の………父さんの声と、麗菜の苦しそうな声だ。だからぼくは、 心配になって………だから、だから見に行ったんだ」 目の前が白く染まる。その時、麗菜の意識は完全にこの世から消滅していた。 時間にすれば、瞬きの間より短かったのかも知れない。意識が回復した時、麗菜 は指が食い込むほどに強く、両肩を雅人につかまれているのを感じた。 なぜ私はここにいるのだろう。 どうしてあのまま、消えてしまわなかったのだろう。 悲しそうな雅人の瞳を、息が触れるほど間近に捉えた麗菜は思う。 「違うんだろう? あれは麗菜の意志じゃないんだろう?」 「………ぁ………」 わずかに頷くだけで、精一杯だった。 ふいに麗菜の視界から、雅人の姿が消える。けれど何が起きたのかを麗菜が知 るまで、さして時間は掛からない。 暖かな温もりと強い力が、麗菜の身体を包み込む。麗菜は雅人によって、抱き しめられていた。 「に、さま………」 見上げれば、そこにあるのは優しい微笑み。 大好きな兄の表情が、麗菜を迎えてくれた。 「何も言わなくていい」 まるで赤子に触れるかのような柔らかさで、雅人の掌が麗菜の髪を撫で上げて 行く。 これまで堪えていたものが、音を立てて崩れて行く。 麗菜は泣いた。兄の胸の中で。
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