長編 #4405の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
「それで池へ、どぼんと言う訳か。ふん、いつも偉そうことを言ってる割にはだ らしない」 暖炉の前の椅子に座り、冷え切った身体を暖めていたフィリオり頭が、後ろに 立っていた老人に叩かれた。酒が入った老人の力に、加減はない。危うくフィリ オは、炎の中へ飛び込みそうになる。 「あ、危ないなあ、じいちゃん。ぼくを殺す気かよ」 寸前のところで足を踏ん張り、難を逃れたフィリオが抗議をする。ようやく乾 き掛けた前髪が、嫌な匂いを上げて焦げる。 「こんなことで死ぬようなら、お前の運もその程度だ。そんなことで空を飛ぶな どと言う、馬鹿げた夢を語る資格などないわ」 無茶なことを言う。 普段仕事も手伝わず、飛空機造りに熱中するフィリオを快く思っていないのだ ろうが、酔った祖父は少々乱暴過ぎる。 「さあさあ、ランディスさんもフィリオも、食事にしましょう」 そんな二人のやり取りにか、フィリオの失敗談にか、微かに笑いを漏らしなが ら女の人が言った。手には暖かそうな湯気の立った、鍋を持っている。 「そうそう、ランディスさん。飯にしましょうや………が、その前にもう一杯、 如何です」 既にテーブルに着いている、恰幅のいい男の人が祖父を誘った。その手に握ら れた葡萄酒の瓶は、もう三本目になる。男の人も、フィリオの祖父に負けず劣ら ず、もうすっかりと出来上がっている。 「ほほう、結構ですな。ご相伴に与ります」 酒の誘いを受けた途端、祖父の顔に笑顔が浮かぶ。本来酔った時は陽気になる タイプなのだ。上機嫌で、テーブルの一端に宛われた席に着いた。 「もう、お父さんもランディスさんも、食事の前から飲み過ぎよ」 母親を手伝って食事の用意をしていたアリスが、祖父のグラスに注がれようと していた葡萄酒の瓶を取り上げてしまった。 「おいおい、アリス。お客さまの前で、父さんに恥をかかすつもりか?」 「そうじゃないわ」 アリスはフィリオの祖父の前に立つと、にっこりと微笑んだ。 「ランディスさん、今日のお料理は母と私とで、丹精込めて作りましたの。これ 以上お酒が入りますと舌が鈍り、せっかくの味が分からなくなってしまいますわ」 「ははは、そうか、そうか。いやいや、アリスの言うとおりだ。うむ、ここは一 つ、アリスに従うとしようじゃないか」 何がそんなにおかしいのか、祖父は笑いながらぽんと自分の膝を叩いた。 「まったく、だんだんと母親に似て………いや、それ以上に気が強くなりおって、 私の手には負えません」 と、声を潜め、しかし部屋中の人間に聞こえるように、アリスの父親が言う。 「結構結構、若い娘さんは気が強いくらいが、可愛いと言うもの。この納屋でこ そこそと、訳の分からん物を作るのに熱中しているフィリオに、爪の垢でも飲ま せてやりたいくらいです」 祖父の嫌味を訊きながら、フィリオはその隣の席へと腰を下ろした。ずぶ濡れ になった自分の服の代わりに着ていた、恰幅の良すぎるアリスの父親の服が気に なる。 「なんでぼくが、アリスなんかの爪の垢を」 フィリオは隣の祖父に、聞こえないように呟いた。 アリスとその母親が忙しなく動き、テーブルの上に出来たての料理が、次々と 並べられていく。 幼い頃から食べ続け、いまではもう、すっかりとフィリオの舌に馴染んだ料理 の数々。それがここ数年、一段とフィリオ好みの味になっている。 アリスの母親が、料理の腕を上げたのだろうか。いや、違う。むしろ技術は下 がっているような気がする。以前に比べると、全体的にぎこちない感じがする。 アリスが手伝うようになったから? そうだ、母親に比べてアリスの料理の腕は、まだ拙い。パイ一つ取ってみても、 アリスの焼いた物は形が悪い。味だって、大味だ。 なのにそれは、なぜかフィリオの舌にあう。 「ランディスさん。さっさと飯を片づけて、酒の続きにしましょうや」 「おお、そうですな」 まだ一通りの皿が揃わないうちに、祖父とアリスの父親は料理に手を付け始め てしまう。 「さっさとなんて、だめよ。じっくり味わって頂かないと、作った甲斐がないわ」 「分かっているともさ、アリスよ。うむ、旨い」 香草にくるんだ鳥肉を頬張り、祖父はアリスへと笑いかけた。 「いやいや、こんな旨いものを口にしたのは、生まれてこの方初めてのことだ。 一飯の恩、このランディス=ハート、生涯忘れはしませんぞ」 『はーあ、何言ってんだか』 フィリオは祖父に気づかれぬよう、秘かにため息をつく。たぶん、アリスも同 じことを思っているのだろう。ただフィリオとは違い、微笑みを浮かべてはいる けれど。 この祖父の台詞、いったいどれほど訊いてきただろう。 大体、一飯なんてものではない。週のうち少なくても二回、多ければ毎日のよ うにアリスの家で夕飯を食べている。 幼い頃に両親を亡くしたフィリオは、今日まで祖父の手によって育てられてき た。しかし元来無骨者の祖父が、男手一つでフィリオを育てるのは、並大抵のこ とではなかったのだろう。それを見かねたアリスの両親は、度々フィリオたちを 夕食に招いてくれるようになった。 「ねえ、フィリオ、話があるの。私の部屋まで来てくれる?」 アリスに誘われたのは、フィリオが食事を終え、ひと心地ついている時だった。 「なんだよ、話って。ここじゃ出来ない話なのか」 「いいから来てよ」 手を引かれ、仕方なくフィリオは席を立った。 「これ、アリス。女性の方から男性を誘うとは、はしたない」 「フィリオ、人様のお嬢さんに、滅多なことをするんじゃないぞ」 背中に酔っぱらいたちの冗談を浴びながら、フィリオはアリスに引かれ、食堂 を後にした。 「で、話ってなんだよ」 平静を装ったつもりだったが、フィリオの声は僅かにうわずっていた。 この家には二、三日に一度のペースで来ているが、アリスの部屋に入るのはず いぶん久しぶりだった。 以前部屋を訪ねたとき、フィリオはまだ声変わりをしていなかった。アリスは まだそばかすの目立つ少女だった。 いまフィリオは十七歳、アリスは十六歳。互いに互いを異性として、意識して しまう年齢になっている。 「ねえ、立ってないで、その辺に座ったら?」 ベッドに腰掛けたアリスが、フィリオの顔を見上げながら言った。 「いや、別にいいよ」 出来るだけ素気なく応えたつもりだが、実際には緊張が声に現れていたかも知 れない。ほとんど毎日ように見ているアリスの顔が、いまはとても大人びて見え、 まともに目が合わせられない。フィリオはそれとなく、視線を逸らす。 本当は、だいぶ前から気がついていた。アリスが大人の女性に変わりつつある ことに。 悪友が言っていた。女の方が、男より先に大人になるのだと。 昔のアリスはフィリオにとって、何でも話せる姉のような存在だった。フィリ オの方が一つ年上だったが、身長はアリスの方が高かった。だからアリスはいつ も、お姉さんぶってフィリオの世話を焼いていた。フィリオもそれを、当たり前 のことと思っていた。 いつしか身長差は逆転した。いまではフィリオの方が、頭一つ高い。自分より 小さくなったアリスを、フィリオは姉ではなく女性として見るようになっていた。 「もう、今日のことで懲りたでしょう」 「何を?」 「空を飛ぶってことよ」 「いいや、ちっとも」 「けど、半年も掛けて作った乗り物は、池の中でしょう」 「飛空機だよ。引き揚げればいいさ。模型で今回の失敗について検討して、この 次こそは飛んでみせるさ」 「前にも同じことを言ったわ。ねえ、村のみんながフィリオのことを、なんて言 ってるか知ってる?」 「『十七にもなって、空を飛ぶなんて、夢みたいなことを言い続けてる、馬鹿者』 だろ」 「口にはしないけど、お父さんも空を飛べるなんて信じていない」 「………だろうな。でも、子どもたちはぼくの味方をしてくれてる。アリスだっ て、小さい頃は信じてくれていた」 「私はもう、子どもじゃないもの」 アリスは寂しそうに目を伏せた。 そう、空を飛ぶことが出来るのは、鳥たちに許された特権。神は人に、空は与 えていない。大人であれば、誰でもがそう思う。 人だって空を飛べる。そう考えられるのは、まだ夢と現実のつかない子どもだ けだ。 一つ年下のアリスは、フィリオより先に大人になってしまった。それだけのこ と。 「もう、いいかな。酔いつぶれて寝ちまうまえに、じいちゃんを連れて帰らない と」 もうアリスは、自分の理解者ではない。それを確認したフィリオは踵を返し、 部屋を立ち去ろうとした。 「あっ、まだ………ちょっと待って!」 呼び止められ、振り返ったフィリオは、思わず息を飲む。すぐ目の前に、大き な瞳をしたアリスの顔があった。 「な、な、なんだよ」 「これ」 見つめ合った状態のまま、フィリオの手に何かが触れる。 「えっ?」 フィリオは手渡された物に、視線を落とした。 厚手の布で縫い上げられた、眼鏡のようなもの。ゴーグル。 昔、村に自動車で来た貴族が着けていたのを、アリスと一緒に見たことがある。 しかし手にしたのは、生まれて初めてだった。 「これは?」 問い掛けるフィリオに、アリスは笑顔で応える。久しぶりに見せた、アリスの 笑顔。 「前に言ってたでしょ。その飛空機に乗るのに、ゴーグルがあったらいいな、っ て」 確かにゴーグルが欲しいと思ったことはある。けれど、それをいつアリスに話 したのかは覚えていない。 フィリオさえ忘れていたことを、アリスは覚えていてくれた。 「私も、本物を見たのは一度きりだから………見よう見まねで作ってみたけれど、 嫌だったら使わなくていいから」 少し、はにかんだようなアリス。 「嫌じゃない、嫌じゃないけど。アリスは、ぼくが飛空機を作ることを、反対じ ゃなかったの?」 「誤解しないでね」 そう言って、アリスはフィリオの腕を取った。 その温もりが恥ずかしくて、フィリオは手を引っ込めそうになるのを、辛うじ て堪えた。 「こんなに、傷だらけになって」 アリスの言うとおり、フィリオの腕には幾つもの傷が残っていた。腕だけでは ない、服を脱げば身体中に傷跡を見ることが出来る。全部、飛空機の失敗でつい た傷だ。 「フィリオが飛べると信じているなら、私も信じる。フィリオの夢を信じてる。 だけどね、失敗してフィリオが怪我をする姿が恐いの。今日は無事でも、もしす ると次は、もっと大きな怪我をしてしまうかも知れない。そう思うと、恐くて恐 くてたまらないの」 胸が締めつけられる想いだった。アリスはずっと、フィリオのことを気にかけ ていてくれたのだ。 「ごめん、アリス………ぼく、いいまでアリスのこと、ただ口うるさいだけなん て、思ってた」 アリスの両肩に手を掛けて、フィリオは頭を下げた。 「ひどい」 アリスがくすりと笑う。 「ちょっと許せないわ」 「ごめん、本当に謝るよ」 「だめよ、言葉だけじゃ」 そう言って、アリスは瞼を閉じた。 (えっ、ちょっと………おい、これって………) 戸惑うフィリオを催促するように、アリスの小さな顎が、つう、と上を向く。 考えた挙げ句、フィリオはそっと、アリスの額にキスをした。
メールアドレス
パスワード
※書き込みにはメールアドレスの登録が必要です。
まだアドレスを登録してない方はこちらへ
メールアドレス登録
アドレスとパスワードをブラウザに記憶させる
メッセージを削除する
「長編」一覧
オプション検索
利用者登録
アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE