長編 #4330の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
美璃佳は少し寂しそうに見えたが、すぐに良太に抱きついてこう言った。 「いいの。みりか、おにいちゃんがいれば、いいの」 駿はその兄妹を微笑ましく、そして少し後ろめたく思いながら見つめた。一度 は駿の手にあったはずの人形だが、いまはどこにも見当たらない。あの落下のど さくさでなくしてしまったのだろう。ひょっとして、あの人形が身代わりになっ て、自分たちは助かったのかも知れない。超常現象など信じない駿だったが、不 思議とそう思えた。 ただどうにも納得行かないのは、駿の、そして二人の子どもたちの服が乾いて いたことだった。周囲に積もっている雪の案配から、駿が気を失ってから何時間 もが経過したとは思えない。にも関わらず、限界まで水を吸い込んでいたはずの 服が、まるで卸したてのような状態になっていたのだ。わずかな湿り気は、いま 降っている雪の水分を吸ってのものだ。 まさかそんな短時間で、水分が全て蒸発したとは考えられない。マリアが着替 えさせてくれたのだろうか。それにしては、駿も子どもたちも意識を失うその前 と、同じ服を着ている。第一、着替えはおろか、駿もマリアも、何一つ荷物など 持ってはいなかった。 「そうだ、マリアは?」 子どもたちの無事に安堵して、忘れていた。まさか人形ではなくて、マリアが 何らかの形で駿たちに代わり、犠牲になったのではないか。そんな気がした駿は、 急いでマリアの姿を探し求めた。 「マリアおねえちゃん、いるよ」 そう言ったのは美璃佳だった。駿は美璃佳の指し示す方向へと、頭を向けた。 動揺しているが故に、気がつかなかったのだろう。慌てて探したのがばかばか しく思えるほど、マリアは駿の近くにいた。 駿の身長分ほどの距離を置いて、こちらに背中を見せ、マリアは立っていた。 「マリ………」 声を掛けようとして、駿は思いとどまる。背中しか見えていないマリアの表情 を窺い知ることは出来ないが、ひどく寂しげな後ろ姿が、声を掛けることを躊躇 わせた。 マリアは空を見上げている。 雪の舞い降るその先を。 駿は自分たちのいる場所が、あの山の入り口付近であることに気がついた。駿 たちの背には、ほとんど黒一色に染まり、大きな影となった山がある。 また一つ疑問が増えたが、もうそんなことはどうでもいいように思えた。 良太も美璃佳も、マリアも駿も無事だった。それで充分だ。その理由がなんで あれ、その経過がどうであれ、知るべきものであれば、いつか知ることになるだ ろう。 それよりもいま、悲しげに佇むマリアがいる。駿にとって、それが何よりも重 要なことだった。 マリアは後ろに駿たちがいることを、知っているのだろうか。一心不乱に神託 に耳を傾ける巫(かんなぎ)のように、佇んでいる。神聖なイコンを見ているよ うで、何人(なんぴと)さえ声を掛けることが許されるとは思えなかった。 しかしそんなふうに感じたのは、駿だけだったのか。とと、といかにも子ども らしい走りをしながら、美璃佳が駿の横をすり抜けて行った。 「マリアおねえちゃん、どうしたの?」 マリアのコートの裾を引っ張りながら、美璃佳は訊ねた。 振り返るマリア。 畏れを知らぬ無垢なる者に、祈りを妨げられた聖マリアは、笑みを以てしてそ れに応える。 「なんでもないの」 美璃佳の視線の高さに合わせ、身を屈めるマリア。そっと美璃佳へと差し出さ れた双手には、あの人形の姿があった。 「あーっ、じゅんちゃんだ」 美璃佳が嬉しそうに声を上げる。生き別れとなっていた肉親と、再会を果たし たかのように。ドレスも顔も、泥で汚れた人形。それは無言のうちに、子どもた ちと共に経験した冒険譚を語っていた。 「よかったね、美璃佳ちゃん」 「うん、ありがと。マリアおねえちゃん」 人形の無事を、美璃佳と一緒になって喜んでいるマリア。けれど駿は見逃さな かった。その目が赤く、泣き腫れていたのを。 「マリア………」 駿はゆっくりと、マリアへ歩み寄る。 マリアが立ち上がる。 何かを察知した美璃佳が、そっと横に退く。 良太が美璃佳の横に並ぶ。 「泣いていたの? マリア」 「ううん。マリア、泣いてなんかないよ」 マリアは首を振って否定する。長い髪が揺れて、周りの雪を渦巻かせる。マリ アの瞳からは、一粒の涙がこぼれて落ちた。 その瞬間、駿は胸に軽い衝撃を覚える。こぼれた涙を隠すかのように、マリア が駿の胸に飛び込んで来たのだ。 しばらく駿は、どう対処していいのか迷った挙げ句、マリアの肩に手を置いた。 「あのね、駿」 顔を隠したまま、マリアが言う。 「なんだい?」 「マリア、好きだよ。駿のこと」 「えっ」 マリアが駿の顔を見上げた。 戸惑いの一瞬。 それから駿の目に映ったマリアの顔が、大きくなる。そして頬に感じる、熱く て、柔らかい感触。マリアの唇。 ぽん、とゼンマイ仕掛けのオモチャのように、マリアは駿の身体から離れて行 った。駿はただ茫然と、マリアの後ろ姿を目で追いながら、自分の頬を指でなぞ る。 「美璃佳ちゃんも、良太くんも、だあい好きだよ」 子どもたちを抱きしめるマリアを見ながら、駿は思う。 心地よいと。 別れた恋人と、一緒に過ごしていた時でも、こんな気分になれたことはない。 初めこそ一糸纏わぬ姿で現れたマリアに、どぎまぎもした。幼子のように素肌 をさらすことに羞恥しないマリアに、幾度となく戸惑いもした。 しかし素直に笑い、素直に泣いて、自分の感情を隠そうとしないマリア。そん なマリアと過ごす時間が、とても快く感じられるようになっていた。駿に兄弟は なかったが、妹がいたらこんなふうなのだろうと思っていた。しかしそうではな かったのだ。 マリアと一緒に暮らすようになって、まだ幾日も経ってはいない。それなのに マリアと出逢う前の二十余年より、マリアと共に過ごした数日間の方が充実して いたように思える。確かに子どもたちのことや愛美のことなど、いろいろとあっ た。しかしそれは、その忙しなさだけのせいではない。 駿はいま、自分にとってマリアは、最も好ましい異性であったと知った。 マリアの前では気取る必要がない。 冴えない自分に虚勢を張り、飾り立てる必要がない。 共にこれからの人生を過ごすのなら、こんな女性がいい。いや、マリアと共に 過ごしたい。マリア以外に考えられない。 『マリア、好きだよ。駿のこと』 昨日までなら、軽く聞き流していたかも知れないマリアの言葉。 あまりにも純真過ぎるマリアは、誰にでも同じことを言うのだろうと。小さな 子どもが、自分をかまってくれる人に対して言うように。 いまの駿は、その言葉を本気で考えている。 マリアは本当に、自分を好いてくれているのだろうかと。駿を一人の男性とし て、その言葉を言ってくれたのだろうかと。 マリアの流していた涙。 何を悲しんでいたのだろう。 自分にその悲しみを、癒してやることが出来ないだろうかと。 「みんなで、いっしょに、お家に帰ろうね」 子どもたちに、優しく語りかけるマリア。もう、いつもと変わらないマリアへ と戻っていた。自分より幼いものへと語りかけるのではない。対等のもの、友だ ちのようにして話す。同じ目線で。 ずっとマリアの精神が幼いのだと、思ってきた。けれど実はその裏に、駿より も遥かに広く、深い心を持ち合わせているのではないだろうか。だから幼いもの たちにも常に真剣で、対等なのではないだろうか。 あるいはいまの駿は、マリアを美化し過ぎているのかも知れない。しかしマリ アへと傾いて行く心を、駿にはもう抑えようがなかった。 「ねえ、どうしたの? お家、帰りたくないの?」 「おにいちゃん………」 自分の想いに酔いしれていた駿は、その会話で現実へと戻された。そこには無 言で俯く良太と、その腕をつかむ美璃佳、そして子どもたちと向かい合ったマリ アがいた。 「ねえ、帰ろうよ。ここは、寒いでしょ」 「………ぼく、美璃佳と………美璃佳とわかれたくないの」 蚊の鳴くような声でそう言うと、良太はマリアの首に抱きついた。そして大き な声で泣き出した。それにつられるように、美璃佳は良太に抱きついて泣き出す。 泥で黒く汚れた人形が、駿を見ていた。 「うえっ、うえっ、うえええん」 「うあっ、うぐっ、わあああん」 「泣かないで、良太くん、美璃佳ちゃん。ねえ、泣かないで………二人が泣くと、 マリアも悲しくなっちゃうよ………うっ、うえええん」 ついにはマリアも泣き出してしまった。 三人の子どもの泣き声が、雪降る街に響き渡る。 その姿を見ながら、駿は口元が緩んでしまうのを感じていた。 「俺の、考え過ぎかな。マリアは、やっぱりマリアだ」 泣きじゃくる三人を微笑ましく思いながら、まだ何も解決していないことに気 がつき、駿は緩み掛けた口もとを引き締める。 良太たちを無茶な家出に駆り立てた、その原因はいまだ残されたままなのだ。 それを解消してやらない限り、駿にとっての騒動は終わっても、良太たちの心に 刻まれてしまったものは消えないのだ。 「ほら、三人とも泣くのは止めて。とにかく今夜は帰って、身体を暖めて寝よう。 あとのことはきっと俺が………なんとか考えるから」 「………うん」 力なく、良太が頷いた。 この子は見た目以上にしっかりとしている。その歳に相応しくないくらいに。 だからこそ、今度のことに心を痛め、こんな行動に出てしまったのだろう。きっ と良太は、駿の言葉にも大きな期待は持っていないはずだ。大人の事情や、その 場を取り繕うだけの言葉に何度も悲しい思いをしてきたのだから。 駿も何かあてがあって、「考える」と言った訳ではない。けれどこの子たちを 裏切ることは、決して許されない。駿は自分に強く、言い聞かせた。 「ほら、駿が約束してくれた。もうだいじょうぶだよ。ね、美璃佳ちゃん」 「うん」 我がことのように喜ぶマリア。 マリアと美璃佳は、駿の言葉にわずかな疑いも持っていないらしい。 「あっ」 美璃佳が小さな悲鳴を上げた。ゆっくりと挙がった手が、空の一点を指し示す。 驚いた顔が、見る見るうちに喜びの色に染まる。 「クリスマス・ツリーだ。おっきな、クリスマス・ツリーだよ」 「えっ?」 イヴを明後日に控えたこの時期、街中でクリスマス・ツリーを見掛けることも 珍しくはない。だが美璃佳の指は、天空へと向けられている。何を指して、クリ スマス・ツリーと言っているのだろう。 初めは天の川のことだろうと、駿は思っていた。子どもらしく輝く星々を、ク リスマス・ツリーのイルミネーションに見立てているのだろうと。 しかし、そうではなかった。 空で輝いていたのは、星よりも大きな光の玉だった。 「えっ………まさかUFO」 マリアと出逢った日に見た、流星とは明らかに違う。大きな光の玉が、幾つも 夜空に浮かんでいたのだ。特集番組で観た、ビデオ撮影に成功したというUFO によく似ている。だが点滅するそのさまは、美璃佳の言うようにクリスマス・ツ リーのイルミネーションにも見えなくない。 夜空に浮かぶ光球たちは、点滅を繰り返しながら小さくなり、やがて消えた。 駿も美璃佳も良太も、ただ唖然とそれを見送っていた。ただそれが消えた寸前、 駿はマリアが何か呟くのを聞いた。あまりにも小さな声で、はっきりと聞き取れ なかったが、「ママ」と言っていたような気がした。 午後になって、昨夜からの雪も降り止んだ。 窓の外に見える積もった雪が、陽の光を反射して眩しい。 元気であれば、子どもたちは喜んで雪遊びに興じていたところだろう。 駿は小さな寝息を立てている美璃佳と良太の額に手を充てて、熱の退いたこと を確認してほっとする。 散々歩き回って疲れたのか、雨風に打たれたせいなのか。それともあの後、身 体を暖めようと銭湯に寄ったのが悪かったのだろうか。夜半過ぎに、子どもたち は二人とも三十八度近い熱を出してしまった。幸い、以前美璃佳を診てくれた医 師に渡された薬が残っていたので飲ませた。その薬が効いたのか、それからは二 人ともぐっすりと眠っている。 駿の方も朝は微熱があったのだが、子どもたちと一緒にゆっくりと寝ている訳 には行かなかった。 昨日はすっかり迷惑を掛けてしまった愛美の父親の、今日は最後の別れの日。 通夜には線香の一本もやれなかったのだから、せめて今日は手伝いをしなければ ならない。進み掛けていた良太たちの、施設行きの話も中断してくれるように頼 まなければならない。これからどうするのか、まだ考えあぐねていたが、結論を 出すにはまだ時間が欲しかった。
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