長編 #4305の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
あの時、混乱していた愛美はそこまで考えを巡らすことが出来なかったが、父 は突然容態が悪くなって倒れたのではない。手の施しようがなくなるまで我慢し て、倒れたのだ。それ以前から身体の不調、苦痛は続いていたはずなのだ。 なのに愛美は気がつかなかった。父は愛美に、そんな素振りを見せたことはな い。 「あっ………」 よく考えてみると、あることに気がつく。 倒れる前の父は、頻繁に家を空けていた。徹夜で飲んでいるのか、麻雀をして いるのか。それとも女の人のところだろうかと、愛美は思っていた。しかし外泊 が増えても、その後父が喧嘩をして、人に迷惑を掛けてしまったと言う話を聞く ことは少なくなっている。 まさか父は、苦痛にのたうつ姿を愛美に見せまいとして、家に帰らなかったの だろうか。 「でも、でもどうして? 苦しいのを我慢して、私に嫌われる必要があるの。病 気に気がついていたのなら、早く病院に行けばいいじゃない! そうしたら、助 かっていたかも知れないのに!」 興奮した愛美は、いつしか立ち上がっていた。 「お、落ち着いて、西崎さん。これはぼくの想像で、本当にそうだとは限らない よ」 「ご、ごめんなさい。私ったら、興奮して………」 再びその場へと腰を下ろす。 「お願い、続けて、相羽くん。もう興奮したりしないから」 こくんと頷いて、相羽は話を続ける。 「分からないけど、たぶんお父さん自身が病気に気づいたとき、それが治るもの じゃないと思ったんじゃないかな。お父さんの最期の言葉は、本心だよ。本当に 西崎さんには幸せになって欲しいと、願っていたんだ。 だから………だからわざと西崎さんに辛くあたって、嫌われようとしたんだと 思う。自分が死んだとき、西崎さんの悲しみを軽くしようとして。嫌われていれ ば、西崎さんもそんなに悲しまないだろうと思ったんだよ」 それは飽くまでも相羽の想像に過ぎない。父が死んでしまったいまとなっては、 確認する術もない。けれど愛美には、相羽の想像が真実のように思えてならなか った。 愛美は折り曲げた膝に顔を埋め、それを両腕で包んで隠す。 「そうだとしても………最期にあんなこと言ったら、なんにもならないのにね。 ううん、たとえ言わなかったとして、やっぱり悲しいものよ」 これ以上相羽に心配をさせてはいけない。そう思って顔を隠した愛美だったが、 肩の震えまでは隠せなかった。 「西崎さん………」 やはり心配そうな、相羽の声が掛かってしまった。 「だいじょうぶ………だいじょうぶだよ。私、そんなに弱くないから」 せめてそのぐらいは強がって見せなくては、相羽に申し訳ないと思った。 「そろそろ、帰ったほうがいい」 愛美が一つ、鼻を啜ると相羽は言った。 「西崎さん、鼻声になってる。家に帰って、早く身体を暖めて寝ないと、風邪を ひくよ」 「平気………これがあるもの」 愛美は相羽からもらった、使い捨てカイロを見せる。 「だめだよ」 声は穏やかだったが、少し強い口調の相羽。 だだをこねる子どもを、叱りつける父親のようだった。ふと相羽は将来、いい 父親になるだろうと愛美は思った。 「………わかったわ。あっ、でもだめ。私、病院を飛び出して来ちゃったから。 一度、お父さんのところに戻らないと」 「それなら今日はもう遅いから、明日の朝改めて来るといいよ」 相羽の見せた時計は、午後十時を過ぎていた。 「病院の人には、連絡しておいたから」 「えっ、いつの間に?」 「さっき、コンビニに行ったとき。お節介が過ぎるかも知れないとは思ったけど ………西崎さん、見た目にも参っているようだったから。電話帳で調べて、電話 しておいたんだ」 「そう………ありがとう。相羽くんの言うとおりにする」 「送って行くよ」 「うん、お願い………」 「でもその前に、叔母さんのところへ電話、しておきなよ」 「うん、そうする」 冷たい風が吹き、公園の周りの木々を揺らした。まるで愛美に、早く帰れと促 すように。最初で最後であろう、相羽と二人だけの時間はもう間もなく終わる。 相羽を呼びだしたボックスから、今度は雪乃叔母さんへと電話する。 上着の中に残っていたのは、十円玉が一枚。これ以上相羽に頼りたくない愛美 は、一枚のコインで要領を伝えなければならない。 そのためには、最初に受話器を取るのが叔母さんでなければいけないのだが、 その望みは叶えられた。 「あ、叔母さん。愛美です」 『まあ、愛美ちゃん! 珍しいわね、あなたが電話をしてくれるなんて』 何も知らない叔母さんは、嬉しそうに言った。 「十円玉がないんで、要領だけ伝えます。お父さんが亡くなりました………19 時34分です」 『えっ………』 想像もしていなかっただろう愛美の言葉に、叔母さんは一瞬絶句してしまった。 けれど愛美が十円玉がないと言ったのを、思い出したのだろう。すぐに早口で話 し始める。 『そう、大変だったのね……愛美ちゃん、気をしっかり持つのよ』 「ええ、私はだいじょうぶです。お友だちのおかげで」 愛美は電話ボックスの外で待つ、相羽をちらりと見やりながら応えた。 その時、十円分の通話時間の終了を予告するブザーが鳴る。 『叔母さん、すぐ行くからね。今夜は電車がないけれど、朝一番に。それまで愛 美ちゃん………』 早口だったのにも係わらず、叔母さんが全てを言い終える前に電話は切れてし まった。 「もう、いいの?」 電話ボックスを出た愛美に、相羽の声が掛けられる。 「うん……叔母さん、明日の朝、来るって」 「そう。じゃあ、帰ろう」 「うん」 二人は愛美の家に向かい、歩き出した。 相羽は、来る時に乗っていた自転車を、手で押している。後ろに乗せていくと いう、相羽の申し出を愛美が断ったためだ。 愛美にしてみれば、もう二度とはないであろう相羽との時間を少しでも延ばし たい気持ちがあった。そして何より一人きりになってしまう瞬間を、わずかにで も先にしたいと思っていた。一人になってしまえば、また心細さに支配されてし まうような気がしていた。 「叔母さんね、桂木って名字なの」 「えっ」 愛美の言葉に、相羽は不思議そうな顔を見せる。何のことだか分からない、と 言ったふうに。 「私、他に親戚がいないから。きっと叔母さんのところに行くことになると思う」 「叔母さん家、遠いの?」 「うん。だから学校も変わることになるわ」 「そうか、せっかく友だちになれたのに。残念だね」 「うん………」 会話が途切れると、静寂が二人を包む。夏か秋であれば、虫たちの音色に耳を 傾け、風流に浸りながら歩くことが出来ただろう。だがいまは十二月。二人の足 音と自転車の車輪が回る音、そして時折走りすぎていく車の音だけが、耳に届い ている。 愛美は空を見上げる。澄み切った空に瞬く星々。星の観測には、冬場が一番適 している。そんなことを理科の時間に聞いた気がする。 じっと見つめていると、星の瞬きが網膜に刻み込まれていくようだ。ちょうど 見つめていた電灯を、消した直後のように。 愛美は試しに目を閉じてみる。さすがに電灯のようなはっきりとした残像は見 えなかったが、瞼の奥に何かちらついているような気がする。そのちらつきに意 識を集中させるあまり、足元が疎かになっていた。 「あっ!」 「危ない、西崎さん!」 交差する車道のために、歩道が途切れて段になっていた場所で、愛美はバラン スを崩した。体勢を立て直すことも出来ず、アスファルトの上に倒れそうになる。 ガシャン。 静まり返っていた夜の街に、一際大きく響き渡る音。 続いてからからと、車輪の空回りする音。 「だいじょうぶ?」 白い息の湿気を感じるほどの距離で、相羽の声が聞こえる。 相羽は愛美が転倒しそうになったとき、咄嗟に自転車を投げ出し手を差し伸べ てくれたのだった。 「ご、ごめんなさい。私ったら………ぼうっとしてて」 慌てて愛美は、相羽から身を離した。 「怪我は、してない?」 そう訊ねる相羽の声すらかき消されてしまいそうなほど、愛美の鼓動は高鳴っ ていた。 こうして言葉を交わしているけれど、もう相羽の心には誰かがいて自分の入り 込む余地などないのに。告白をする前より、愛美の気持ちは強くなってしまった ようだ。 自分は、こんなにも諦めが悪かったのか。 愛美は頭を振った。 「目眩でもするの?」 手を伸ばせば届くほどの距離で、相羽が言った。 「ううん、なんでもないの。ごめんなさい………それより、自転車は」 愛美は力なく車輪の回っている自転車を見た。相羽は両手でそれを引き起こし、 簡単に調べた後跨って漕ぐ真似をしてみる。 「うん、だいじょうぶだ」 「でも、ここは暗いから。明るいところで調べたほうが……きゃっ!」 「うわっ!」 強い風か吹き抜けて、二人は同時に声を上げた。巻き上げられた砂や小石が、 二人の身体を叩いていく。 愛美は身を竦め、寒さと痛みに堪える。 やがて嘘のように、風は治まった。 「平気だよ。それより早く帰ろう」 「ええ」 何事もなかったかのように、二人は歩き出す。 「相羽くん、どうして私が最初に相羽くんのところに電話したのかって、訊いた よね」 「ん、ああ」 少し困ったような顔をする相羽。また愛美が相羽を好きだと言い出すのでは、 と思ったのだろうか。 「私が相羽くんのこと、好きだったせいもあるけど」 愛美は出来るだけ明るく言って、笑って見せる。愛美には気づかれないように 隠したらしいが、相羽がほっとした顔をするのが分かった。 「お父さんのこと、叔母さんに知らせたら………私、叔母さんの家に行くことに なると思ったからなの」 「叔母さんが嫌い、って訳じゃないよね? 西崎さん、さっき叔母さんのことが 好きだった言ってたから」 「ええ………でもね、違うの。お父さんと叔母さんでは。たぶん、相羽くんにな ら、理解してもらえると思う」 父親と娘、母親と息子の違いはあるけれど、共に親一人子一人。その気持ちは 伝わるだろう。相羽の応えを待たず、愛美は続ける。 「出来ることなら、私、独りになってもいまの家で、この街に住み続けたい。な んとか二年間頑張って、中学校さえ卒業すればちゃんとした仕事も探せるでしょ ?」 「西崎さんは、高校には行かないつもりなの?」 「………出来れば、誰にも迷惑は掛けたくないもの。でも中学生が、たとえ二年 間でも独りで生きていくって、難しいわよね………たぶん。 あのね、叔母さん前にも、私の高校進学を心配して来てくれたことがあるの。 それでね、私のことを引き取りたいってお父さんに言ったの。私、断った。私の ことを叔母さんが心配してくれるのは嬉しかったけど、お父さんと離れるなんて、 考えられないもの。相羽くんなら、分かってくれるよね?」 「分かるよ………」 「だからお父さんが死んで………叔母さんに電話を掛けようとしたとき、それを 思い出したの。きっと叔母さんはすぐに来てくれる。そして………きっと私のこ とを引き取ってくれるだろうって。そうしたら私、叔母さんのところには電話出 来なくなってしまって………相羽くんのところに、掛けてしまったの」 「お父さんやお母さんとの、思い出のある街から離れたくない気持ちは分かるけ ど。どうして西崎さんのことを考えてくれている叔母さんを、避けるんだい。西 崎さんにとって、唯一人の親戚なんだろう?」 「だって………叔母さんは、桂木って名字なんだもん」 初め、相羽は愛美の言っていることを理解してはいないようだった。一度愛美 の顔を見つめてから、前に向き直り考え込んでいた。そして得心したように言っ た。 「名字が変わるから………?」 「うん、やっぱり分かってくれると思った」 相羽に気持ちが通じたことが嬉しくて、愛美は微笑んだ。
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