長編 #4302の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
何もかも知っているようなマリアの物言い。駿よりも愛美たち親子との面識が 浅いマリアが、そこまで知っているはずはない。けれど不思議と、マリアの言葉 には納得させられてしまう。 相変わらず良太は、無言のまま何かを考えているようだった。 感情と共に感覚まで失ってしまったのだろうか。 外の風に触れても、まるで寒いと感じない。 どこへ行くでもない。ただ、一度動き出した足を止めることが出来ず、愛美は 歩き続けていた。 病院の前から続く、長い直線のバス通り。まだそれほど遅い時間ではないのに、 通り過ぎる車も、歩いている人の姿も少ない。 道路に面した家の庭先に、イルミネーションを施された木があった。クリスマ ス用の飾りつけだろう。色とりどりに鮮やかな光を放つ。それがとても、空々し いものに思えた。 クリスマス・ソングを口ずさむサラリーマンとすれ違った。男の手には、リボ ンの掛けられた赤い包み。子どもへのクリスマス・プレゼントだろう。あれは、 今日渡されるのだろうか。それともイヴの晩まで隠され、当日枕元にそっと置か れるのだろうか。 強い風が吹き、アルミ缶が音を立てて愛美の前を転がっていく。 そんな一切の出来事に、愛美はまるで現実感が持てなかった。 「もうすぐクリスマス・イヴなんだ」 特に何の感慨もなく、愛美は呟いた。 三日後に迫ったイヴも、いまの愛美には関係ない。 笑い声が聞こえ、そちらに視線を向ける。道路の反対側のファミリーレストラ ンから、楽しげな親子連れが出てくるところだった。三つか、四つくらいのおか っぱ頭の女の子が両親の手にぶら下がったり、屈み込んでかと思うと大きく飛び 跳ねたりして、はしゃいでいる。 『あの子、小さい頃の私に、似てる………』 愛美の足が止まった。 「クリスマス、カナちゃんにも、サンタさんくるかな?」 女の子は顔を上げ、父親に言った。 「さあ、カナちゃんはちゃんといい子にしてたのかなあ」 「してたもん! ママのおてつだい、いっぱい、いっぱいしたもん。ミィちゃん のごはんも、ちゃんとあげたもん!」 「そうよね。カナちゃん、とってもいい子だったものね」 母親が笑顔で応える。 「それなら大丈夫だ。きっとサンタさんは、カナちゃんのところにも来てくれる よ」 「ほんと!」 「ああ、本当だよ」 絵に描いたような幸せを残し、親子連れは車に乗り込み、走り去って行った。 クリスマス、クリスマス、クリスマス。 呪文のように、愛美は繰り返し呟く。 先ほどの少女に幼い頃の自分を重ね、過ぎ去った日を思い出す。 大きなクリスマス・ケーキを中心にしてテーブルに並ぶ、愛美の大好物のご馳 走たち。 「メリークリスマス」 父と母はシャンペン。愛美はオレンジ・ジュースのグラスを重ね合う。 何から食べようか、迷ってしまう。結局いっぺんにケーキとご馳走を口に運ん で、喉を詰まらせ咳込んでしまった。 慌てて背中をさすってくれた母。 おかしそうに笑っている父。 もう二度と見ることの出来ない、父と母の笑顔。 失ってしまった感情が、突然愛美にのしかかって来た。既に涸れ果てたものと 思われててた涙が、堰を切ったように再び溢れ出してくる。 身体中の力が抜けて行き、自分自身で支えきれなくなってしまう。そのまま冷 たいアスファルトの上に座り込んでしまった。 澄んだ夜空には、たくさんの星々が瞬いている。けれどその空の下、この広い 世界に独りきりなってしまった寂しさと恐怖が、愛美の胸を締めつける。形も重 量も存在しない感情に、押し潰されそうになる。 「いや、いや、いやっ!」 叫んだところで、何が変わる訳でもない。 母を亡くしたとき、確かに辛かった。けれど酷く落ち込んだ父を見て、自分が その支えにならなければ。その思いのせいで悲しみに暮れる暇はなかった。 母の代わりに家の仕事をこなし、さらには働かなくなってしまった父に代わり アルバイトをするようになった。同い歳の子どもと比べれば、何一つ楽しいこと があるようには見えないかも知れない。それでも愛美は、父と暮らせるだけで嬉 しかった。父がいたからこそ、生きてこれた。母の死後、一言とて父から優しい 言葉を掛けられたことはない。それでも愛美は満足だった。 でももう、その父もいない。 愛美は自分の生きる目的、全てを失ってしまった気がした。 いまの愛美を支えるものは何もない。 ただこうして、自分が壊れて行くような苦しみに身を委せるしかなかった。そ れでもいいと思った。父も母もいなくなってしまった世界に、独りぼっちで生き ていくより、いっそ壊れてしまった方がどれほど楽だろう。 けれど愛美の望みは叶えられない。 蹲ったまま、じっと自分の壊れていくのを待っていても苦しみが増すばかりで、 その瞬間が訪れることはなかった。思った以上に、強くできているらしい自分を 怨んだ。 OL風の女性が、何か汚い物を見るような目をして、愛美を避けて行った。 胃液を吐き出してしまいそうな苦しみに耐えきれず、よろよろと立ち上がる。 目的もないままに、また歩き始める。 ファミリーレストランを通り過ぎ、どれほど歩いただろう。闇の中で、異様に 目立つ光が視界に飛び込んできた。 電話ボックス。 周囲の風景に溶け込まずに浮かび上がったそれは、まるで別の世界への入口の ように思えた。誘(いざな)われるまま、愛美はその中へと吸い込まれて行った。 明かりの灯された狭い空間に入ると、暗い周りの風景は見えなくなる。愛美に はそこが、いまの自分に相応しい場所に思えた。周囲から隔離された空間。この 世でただ一人、取り残されてしまった自分。 心を支えるものは何もない。 いや……… 愛美は目の前にある、緑色の電話を見つめた。電話ボックスと、外の世界とを 繋ぐもの。そこにまだわずかな救いがあるような気がして、愛美は受話器を取っ た。もしかしたら、そこから声が聞こえては来ないだろうか。そんな期待が叶え られる訳はない。受話器は、耳が痛くなるほどの沈黙を送り出した。 誰かに電話を掛けようと思ったのではない。 ただ何かから逃れたかった。 愛美は投入口にコインを落とす。沈黙を保っていた受話器が、待機音を放つ。 それだけのことで、全身にのしかかっていた重みが軽減したような気がする。 しかしそれも、わずかな時間だけのことだった。すぐに待機音しかしない受話 器に恐怖を感じ、番号を押そうと人差し指を伸ばす。 誰に掛けようというのでもない。だが押さずにはいられなかった。 番号を五桁押し終えた時点で、愛美は指を止めて電話を切った。返却口にコイ ンが戻る。 「だめ………いまさら、頼れない」 押そうとしていたのは、雪乃叔母さんの電話番号。 あのまま電話を掛けていれば、叔母さんは飛んできてくれるだろう。そしてい ろいろと愛美の力となってくれるに違いない。 愛美は母とよく似た叔母さんが好きだった。叔母さんの胸に飛び込んで、この 悲しみと苦しみの全てをぶつけたい。きっと叔母さんは、それを優しく受けとめ てくれる。 だからこそ愛美は叔母さんには、電話することが出来なかった。もし叔母さん に来てもらえば全てを頼ってしまう。愛美には叔母さんの他に親戚はない。だか ら叔母さんは、以前父に話していたように愛美を引き取ると言うだろう。他に選 択肢のない愛美に、それを拒むことは出来ない。誰かに頼らなければ高校へ進学 するどころか、このまま中学に通い続けることさえ難しい。 叔母さんが好きだからこそ、迷惑を掛けたくないという気持ちもある。愛美か ら見れば、叔母さんとは血の繋がりがあってもその旦那や姑とは他人同士。愛美 を引き取ることで、叔母さんが肩身の狭い想いをするのは嫌だった。 そして何より、叔母さんに引き取られることで、いままでの生活。父母と暮ら した日々が消えてしまうような気がした。もしかすると名字もいまの西崎から、 桂木に変えなければならないかも知れない。それが何より辛い。 何も残されていない愛美は、西崎の姓だけが唯一自分が父の子である証。父と 自分を繋ぐ絆に思えた。 それが消えてしまえば、本当に父が死んでしまう。それだけはどうしても受け 入れられない。 叔母さん以外に、電話を掛けられる相手はいない。他に記憶している番号とい えば、二つのアルバイト先くらいのものだ。これ以上、電話ボックスの中にいる 理由もない。 外に出ようとした愛美の足がすくんだ。 膝ががくがくと震え始める。 愛美を支配する悲しみと恐怖が、身体をこの場に縛りつけていた。 電話ボックスの外の闇に、身を投じることを恐れた。 「たす………けて……誰か………」 来ることはないと知りながら、助けを求めて愛美は泣いた。このままでは死ん でしまいそうだ。こんな苦しい想いを続けて行くくらいなら、いっそいますぐ心 臓が止まってくれたほうが、どれほど楽だろう。そうすれば、愛美も父母の元に 行き、一緒に暮らせる。 そんな考えが愛美を捉え出す。 『幸せにおなり』 父の最期の言葉が、頭の中に甦った。 それは愛美が父の元に行くのを、望んでの言葉ではないはず。母とて同じだろ う。 愛美が死を選ぼうとすれば、最期の父の望みを裏切ることになる。 「どうして………どうして、お父さんは………最後の最後に、あんなことを言っ たの?」 最期まで父が愛美を疎んじていけば、もっと気持ちは楽だっただろうか? 愛美を嫌ったまま父が逝ってしまったのなら、迷わず死を選べたのだろうか? それとも、こんな辛い想いはしないで済んだのだろうか? 分からない。 けれど母の死後、見せることのなくなった優しさを父はいまわの際に初めて見 せてくれた。それは愛美にとって救いでもあったが、さらに心を苦しめる枷でも あった。 ふと頭に、数字が浮かぶ。 愛美は飛びつくように、受話器を取った。 ふうと息を吐き、その電話番号を押す。一度も掛けたことのない番号だったが、 指は迷うことなく最後まで流れるように押していく。調べた日から、幾度となく 頭の中で繰り返して覚え込んでいた番号。いつか本当に電話を掛ける日が来るこ とを夢想して。もちろんそれが、こんな日になるとは想像もしていなかったが。 末尾の数字を押して、呼び出し音の鳴り出す前に、愛美は受話器を置いてしま った。 理由がない。 相手にしてみれば、愛美の事情など何の関係もないことだ。電話を掛けても、 ただ迷惑なだけだろう。愛美は相手に特別な感情を持ちかけていた。だからこそ、 こんな時愛美が救いを求める相手としてその電話番号が浮かんで来たのだろう。 だがそれは、愛美の一方的な事情。一方的な想い。 相手は愛美のことを、たまたま袖を振り合った程度にしか考えていないかも知 れないのだ。友人とさえも呼べないつき合いの愛美に、頼られる理由もない。 それにもし電話をして、相手にぞんざいにあしらわれてしまったら。 いまの愛美にとって、この電話は天界から差し伸べられた一本の蜘蛛の糸。地 獄の責め苦から逃れるための、最後の望み。電話に出た相手の言葉次第では、振 り返り後から登って来る者を蹴落とそうとした男同様、元の苦しみ、いやそれ以 上のものに戻されていまうだろう。 だが他に術は知らない。 愛美は再び受話器を取り、コインを投入する。 意を決したはずなのに、二度目の番号を辿る指は小刻みに震えていた。先程よ りも、慎重に数字を確認していく。 最後の数字を押し終え、一拍の間を置き呼び出し音が鳴り始めた。 やはり掛けるべきではなかったか。 もしかすると不在かも知れない。そうであって欲しい、いや、やはりいて欲し い。 相手が電話を取るまでの間、まだ心は揺れ動く。しかしいつまでも逡巡してい る時間は与えられなかった。 『はい、相羽ですが』 呼び出し音が途切れ、聞き覚えのある女性の声が愛美の耳に届けられる。 「……………」 電話の相手に応えようとして口を開くが、声が出なかった。愛美は自分の口腔 も喉も声が出せぬほど、渇いていることに気がついた。 口を閉じて唾液を溜め、飲み込もうとする。だが、なかなか思うようにならな い。 『もしもし、どちらさまですか?』 受話器の向こうの声が、不審そうに訊いてくる。 焦れば焦るほど、声が出ない。 『いたずらかしら』 『母さん、どうかしたの』 微かに聞こえてきた、男性の声。
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