長編 #4299の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
「ふう、いい気持ち」 湯船に浸かると、思わず声が出てしまう。暖かいお湯が、身体を包み込むこの 感触は何度経験しても飽きることがない。 入浴という習慣は、駿たちと暮らすようになって体験してきたことのなかでも、 マリアにとって最もお気に入りの一つだった。 マリアが美璃佳に背中を流してもらっている間に、他の客たちはみな上がって しまった。いま広い浴場の中は、マリアと美璃佳の二人きり。泳いでも怒る人は いない。 『泳いじゃおうかな』 マリアはそう思ったが、やはり止めた。 また美璃佳に、お行儀が悪いと笑われそうだから。 陽が落ちるまでは、まだ少し時間がある。けれど浴場の高い位置の窓から射し 込む光は、これから訪れる陽の入りを予感させる、弱々しいものになりつつあっ た。 「よいしょ」 小さなかけ声を発し、美璃佳も湯船の中に入ってきた。 「ちゃんと肩まで、浸かるんだよ」 マリアは前に美璃佳に言われたことを、そのまま言い返す。 「はあい」 返事をする美璃佳の声は、嬉しそうだった。 「みりかね、マリアおねえちゃんがくるまで、おんなゆにも、はいったこと、な いんだよ」 そう言いながら、美璃佳は湯船の縁の浅くなっているところから、マリアのい る深いところへ歩いてくる。 なぜ男の人と、女の人が別々の風呂に入るのか、これもマリアには良く分から ない。どうやら、良太や美璃佳のように小さな子どもだけが、どちらにでも入る ことを許されているらしい。 美璃佳はマリアと一緒に、女湯に入れることが嬉しいようだが、逆にマリアは 美璃佳たちが羨ましかった。 男も女も関係なく、みんな一緒に入れれば、もっと楽しいのにと思う。 どうもこの星では、無闇に人前で裸になるのはいけないことらしい。マリア自 身は裸でいることに抵抗はないし、寒さにも強い。むしろ、ずっと窮屈な服や下 着を着けていなければならないのが、鬱陶しかった。 いまは冬という寒い季節だそうで、さすがにマリアでも裸のまま外に出るのは 辛そうだ。けれど暖かくした部屋にいるときくらい、裸でもいいのにと感じてい る。 そんなことを考えていると、いつの間にか美璃佳がマリアの正面まで来ていた。 そしてマリアに抱っこされるような形で、腰を下ろしてくる。 背の低い美璃佳では、マリアのいる深い場所でお尻を下につけると、顔までお 湯に浸かってしまう。マリアの膝に座らなければ、中腰の恰好をとるしかない。 少し驚いたが、マリアはそのまま美璃佳を抱いてやる。そうしてやることで、 なぜかマリアの気持ちも落ち着くのだ。 「美璃佳ちゃんって、甘えんぼさんなんだね」 マリアが耳元で囁くように言うと、美璃佳も、 「だって、マリアおねえちゃんのこと、すきなんだもん」 と、恥ずかしそうに応えた。 なんとなく嬉しくなったマリアの唇から、無意識に歌がこぼれる。 「マリアおねえちゃん、それ、なんのうた?」 美璃佳に訊ねられて、初めてマリアは自分が歌っていることに気がつく。はっ きりした歌詞などはない。ただメロディだけが、ハミングとして口をついて出て いる。 『あれ? これ、なんの歌だろう………』 マリアにも分からない。 分からないのに覚えている。 分からないのに懐かしい。 「ねえ、マリアおねえちゃん。どこかいたいの?」 「えっ、どうして?」 美璃佳の質問の意図が分からず、マリアは首を傾げる。そのマリアを心配そう に見つめる二つの瞳。 抱っこをされた美璃佳からは、マリアの顔はちょうど真後ろに位置する。その マリアの顔を見ようとして、美璃佳は大きく身体を捻ることになった。膝の上か ら落ちて、お湯に沈みそうになる美璃佳を、寸前で支えてやる。 「だってマリアおねえちゃん、ないてる」 作り物のように小さな指が、マリアの目の下をそっと撫でていく。その指の軌 道を、マリア自身の指が追う。 お湯とは違う、何かしっとりと濡れた触感が指に伝わってきた。 『涙?』 またマリアは涙を流していたのだ。 どうして? その理由が、マリア自身にも分からない。 もしかすると、自分は身体のどこかに異常をきたしてしまったのではないだろ うか。短い期間に、それまで経験したことのない涙を二度も流したマリアは、そ う考えた。 『あっ………』 いま口ずさんでいたメロディだ。と、気づく。 どこで覚えたメロディなのか、思いだすことは出来ない。けれどそれは、マリ アを不思議な気分にさせるのだ。胸が苦しい、それでいて嫌な気分ではない。そ れが『切ない』という気持ちなのか。 「なんでもないよ。お湯が顔に掛かっただけ」 窮屈そうな姿勢で自分を見つめている美璃佳に、マリアは微笑んだ。 「ほんと」 「ほんとだよ」 マリアの笑顔に納得したか、美璃佳は苦しい姿勢を解いた。そしてさほどない その体重をマリアの胸へと預けてきた。 「マリアおねえちゃんのおっぱい、やわらかいね」 そう言った美璃佳は首を九十度に曲げ、マリアの顔を見上げた。 こぽっ。 美璃佳の耳がお湯に浸かる。 「あっ」 そのことに、美璃佳自身が驚いたらしい。慌てて身体を起こそうとして、バラ ンスを失い、マリアの膝から滑り落ちてしまった。 支えようと伸ばしたマリアの手も、今度は少し遅れてしまった。マリアによっ て美璃佳が抱き上げられたのは、頭が一度完全に水面に沈んでしまった後だった。 お湯から引き揚げられた美璃佳は、ぷはっと大きく呼吸をするための一拍を置 き、大声で泣き出してしまった。 「おい、何かあったのか」 男湯の方から、美璃佳の泣き声を聞きつけた駿が呼びかけてきた。 「だいじょうぶ。お風呂の中で、転んで驚いただけ。怪我もしてないよ」 湯船から上がったマリアは、胸にすがって泣いている美璃佳の頭を撫でながら、 大きな声で応える。 「マリアたち、もうお風呂から出るね」 「ああ、こっちももう上がる」 少し落ち着いては来たが、それでもまだ美璃佳は、鼻をすんすんと鳴らして泣 いていた。美璃佳の顔は、直にマリアの胸の膨らみに触れていたため、鼻を鳴ら す度に動いてくすぐったい。それでもマリアは美璃佳をしっかりと抱いたまま、 濡れたタイルに足を取られぬよう注意して、脱衣場に向かった。 ようやく泣き止んだ美璃佳を手伝い、下着を着せてやる。マリア自身、下着に 慣れていないせいで、美璃佳一人で着るよりもかえって時間の掛かる結果になっ たが。 屈み込んだマリアの肩に顔を埋め、また美璃佳が鼻を鳴らした。 「どうしたの? 美璃佳ちゃん、まだどこか痛いの?」 「ううん」 美璃佳が、ふるふると首を振る。 「マリアおねえちゃんの、においをかいだの」 「マリアの匂い?」 「うん。マリアおねえちゃん、いいにおいがするの」 マリアは自分の腕の、匂いを嗅いでみた。 「石鹸の、匂い………かな?」 「ちがうよ」 まるで口の中に何かを含んだように笑って、美璃佳は否定する。 「せっけんじゃないの。マリアおねえちゃんの、においなの」 恥ずかしそうに言うと、美璃佳は下着姿で脱衣場を走り出した。 「こぉら、ちゃんとお洋服着ないと、駿に怒られちゃうよ」 マリアは走る美璃佳の前に片腕を差し出し、その身体を受けとめる。美璃佳は、 けらけらと笑った。 二人きりだった脱衣所に、美璃佳より小さな子どもを抱いた女の人が入ってき た。 おそらくは自分の足で立つこともままならないような子どもは、突然大きな声 で泣き出した。 「うるさくて、ごめんなさい」 女の人はマリアたちに頭を下げると、自分の胸を子ども………赤ん坊の口に含 ませた。 「あのね」 その様子をじっと見ていた美璃佳が、口を開く。 「なに?」 「マリアおねえちゃんが、ママだったらいいのにな」 「私が………ママ?」 ママ。 マリアは思う。 美璃佳にとって、ママとはどんな存在なのだろうと。 マリアにとってのママとは、絶対的な保護者だった。つい一昨日までは。 マリアの健康管理、一切の行動から記憶までを保護・管理するもの。 しかしママが行う『管理』には、マリアに対する思いやりは存在していないよ うに思われる。ママの管理はマリアには知らされていない任務に基づいている。 ママにしてみれば、マリアはその任務に必要な道具に過ぎないのではないだろう か。 マリアがこれまでの惑星で経験してきたことの大半は、いまでもママが管理し ている。そのためにマリア自身が覚えていることは少ない。だが、ほとんど全て の生命はその母体となる個体より生まれ出る、ということは知っている。 美璃佳たちは、自分を生んだものをママと呼ぶ。その定義に当てはめれば、マ リアのママはママでない。マリアは自分の出生について、何も知らない。が、機 械であるママから有機生命が生まれたとは考えにくい。 美璃佳は、マリアがママだったらいいのに、と言った。 これはどういう意味なのだろう。 既に一個の生命として存在している美璃佳を、改めてマリアが生み直すことは 不可能だ。だから美璃佳の母体としてのマリアを望むことは無意味である。 では管理者として、マリアを望んでいるのだろうか。 しかしマリアには美璃佳の記憶を管理出来るような、特殊な能力などない。 美璃佳は、何を望んでいるのだろう。ただ自分を生み落としたのが、結果とし て存在している女性ではなくマリアであれば良かったと、無意味な希望を述べた だけだろうか。 「マリアおねえちゃん、どうかしたの? こわいかおしてる」 「えっ、そんなことないよ」 マリアは洋服のボタンを掛けるのに、苦労していた美璃佳を手伝ってやった。 テレビからは、古いドラマの再放送が流れている。 そのそばでは電子音を響かせ、良太がポータブルゲームに熱中していた。 「腹が減ったなあ」 煙草が吸いたいのを我慢して、駿は時計を見た。まだ五時になったばかりだっ た。 早めの入浴を済ませた後、夕食も早めに済まそうと思っていた。ところが駿た ちより十分ほど遅れて出てきたマリアと美璃佳は、二人きりで寄りたいところが あると言い出した。駿や良太が一緒について行こうとすると、強く拒否されてし まった。女の子同士の秘密だそうだ。 美璃佳の迷子騒動のこともあったし、まだマリアも頼りない。その二人だけで どこかへ行かせるのは不安だったが、駿が何を言っても聞き入れようとしない。 仕方なく食事はマリアたちの用事が終わってから、ということになり駿と良太は 先にアパートに戻って来ていた。 どこからか漂ってくる匂いが、駿の空きっ腹を刺激する。カレーとご飯の炊け た匂いだ。 「いい匂いだなあ。どこの家だろう」 しばらくカレーライスなど食べていなかったことを思い出す。手軽な料理のよ うだが、インスタントラーメンに比べて、一人暮らしの男が食べる機会は意外に 少ない。カレーを掛けるためのご飯が面倒なのだ。駿は炊飯器を持っていない。 電子レンジかお湯で暖めるだけのタイプのレトルト物も売ってはいるけれど、当 然電子レンジなども持っていない。お湯で暖めるのは電子レンジに比べて、三倍 くらいの時間が掛かる。 従ってラーメンと並び、手軽に思えるカレーも外で食べる以外に口にすること はまずない。 良太たちの面倒を見るようになってからも、そのきっかけだった美璃佳の病気 のことが頭にあり、栄養の面でカレーはなんとなく避けていた。それに外でのカ レーは、外食をする大人向けの物がほとんどなので、美璃佳や良太のような子ど もの口に合わないことも多い。 『マリアたちが帰ってきたら、ファミリーレストランに行こうかな』
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