長編 #4257の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
15 「担任の先生ですか?」 何も気付いていない笹谷刑事が訊いた。 「いいえ、朝倉さんの担任の先生は、ちょうど旅行中だそうです。それで学年主 任の方と相談しまして、たまたま学校にいた私が代理で参上しました。橋本と申 します」 「そうですか。大野川君、どうかしたか?」 大野川も驚愕の表情を張り付けたまま、口を半分開いて由希の姿を凝視してい た。おそらく衝撃の度合いは、祐子と似たり寄ったりだったに違いない。 「あ、いえ、その……」 「あら、こちらの刑事さんは……」由希が大野川に目を向けた。 「大野川君です。お知り合いですか?」 「いえ、以前、学校にいらしたことがありますね。自殺した藤沢美奈代の件で」 「そ、そうなんです」大野川はエアコンが充分効いているにもかかわらず、大汗 をかいていた。「それで、ちょっと驚いてしまって」 「ああ、なるほど。いろいろ大変ですな」 「それで、朝倉さんが麻薬取引に関わった容疑で取調中だと聞きましたが、本当 なんでしょうか?」 「そうです。シャブ……覚醒剤やマリファナなどを使った子供を補導することは よくあります。県警では、そのような子供は被害者である、という観点から対処 する方針なんです。つまり罰することはせず、立ち直るのに力を貸す。もちろん 県警が直接行うのではなく、専門の民間機関に依頼するのですがね。 その反対に、麻薬のいわゆる中間業者には、厳罰をもって望む姿勢です。大抵 暴力団が背後にいることが多く、あいつらはドラッグユーザーの身体がぼろぼろ になっていくことなど全く気にかけていません。そんな奴らに情けなど無用です からな」 「それはわかります。ですが、朝倉さんの容疑が確定しているわけではないので しょう?」 「そうです。ですが、この子は300万円と引き替えに、700グラムの覚醒剤 を受け取ったのです。これは、最終的な末端価格にすると二千万円を軽く越える 量です。これは事実として、彼女も認めておりますよ、先生」 「あんたがやらせたのよ!」突然、祐子は叫んだ。「あんたが妹を誘拐して、あ たしに金を用意させて、おかしな詩を読ませて、あんなことさせたんじゃない。 あんたのせいよ!」 「何を言っているんでしょう?」由希は当惑したように訊いた。 「惑乱しているのでしょう」笹谷刑事は、こんなことには慣れっこだという態度 で平塚巡査の方を向いた。「山口先生を呼んでくれ」 平塚巡査は急いで出ていった。 「刑事さん、聞いて下さい!」祐子はわめき続けていた。「この女なんです。こ の女が全部、私にやらせたんです。この女が私に恨みを持っていて、私を罠には めたんです!私は悪くなんかない!私は何にもやってないの!」 「落ち着きなさい、朝倉さん」 「あんたのせいよ!」 叫ぶと同時に、祐子は由希に飛びかかった。両手を伸ばして、由希の首につか みかかろうとしたが、笹谷刑事が敏捷に動いた。易々と両手首をつかんで、テー ブルの上に押さえつける。 「大野川君、手を貸せ!」 唖然としてつかみ合いを眺めていた大野川も、渋々手を貸さざるを得なかった。 ばたばた暴れる祐子の脚を抱え込むようにつかんで、動きを封じる。祐子の言っ たことが全て真実だと知っていたが、ここでそれを話すわけにはいかない。 ちらりと由希を見た大野川は、自分を見つめ返している視線にぶつかり、心の 底からぞっとした。その顔のどこを探しても、生徒を心配している教師の表情以 外のそれは見あたらない。冷静沈着で生徒を愛する評判の高い美人教師と、優等 生だが少し調査すればいかがわしい点が多数見いだせるであろう生徒。裁判所が どちらを信じるかは明らかだ。 とんでもない人間を敵に回して勝てると思っていた。その思いは冷たい敗北感 となって大野川を支配した。 ドアが叩きつけられるように開き、平塚巡査と、白衣を着た年輩の女性が飛び 込んできた。平塚巡査はテーブルの上でもがく祐子と、それを押さえつけようと している二人の刑事を見て立ちすくんだが、白衣の女性の方はたちまち状況を察 したようだった。 「山口先生、早く!」笹谷刑事が怒鳴った。 山口医師は手早くカバンを開くと、アンプルと注射器を取り出した。熟練した 淀みない動作で、素早く注射器に薬液を満たす。祐子の腕をつかみ、アルコール 綿で消毒すると、正確に静脈に針を突き立てた。祐子は悲鳴を上げたが、すでに 手遅れだった。 静脈注射の効果はすぐに現れた。祐子は暴れるのをやめ、テーブルの上で丸く なった。笹谷刑事と大野川が椅子に座らせても、ほとんど抵抗をしようとしなか った。 「ふう、世話をやかせやがって」笹谷刑事が吐き捨てた。 「二時間ぐらいは、おとなしくしていると思います」山口医師は注射器を片づけ ながら、冷静な口調で言った。「私なら今のうちに家に連れて帰るなり、拘留す るなりしますね」 「拘留したものかな。君はどう思う?」笹谷刑事は大野川に訊いた。 大野川としては、できれば祐子を拘留してしまいたいぐらいだった。そうすれ ば自分の目の届くところに置けるし、こっそり話し合いをすることもできるだろ う。だが、それだけの法的根拠はなかった。 「それはまずいのではないでしょうか。まだ容疑もはっきりしていないことです し、拘留するのなら家裁に拘留申請を出してからの方が」 「だが、両親がいないのでは、帰すわけにはいかんぞ」 「あの、よろしいですか?」由希が口をはさんだ。 「ああ、先生。お見苦しいところをお見せしましたな。なんでしょう」 「朝倉さんのお父さんが帰国するまで、私が責任を持って彼女の面倒を見てもよ ろしいですよ」 大野川は青くなった。だが、笹谷刑事はその提案を心から歓迎している様子だ った。 「そうして下さると非常に助かります。先生のご自宅ですか?」 「そのつもりです」 「よろしい。助かります。では、早速手続きをお願いします。平塚君、先生をご 案内して」 大野川は声を大にして反対したかった。だが、もちろんできなかった。 手続きは簡単に済み、祐子は由希のシビックに乗せられて、県警本部から由希 のマンションに向かった。 大野川はそれより先に県警本部を出ると、じりじりしながら待っていた榊の車 に飛び乗った。一部始終を聞いた榊は、由希を口汚く罵った後、すぐ冷静になっ て何本か電話をかけ、それから対策を考え始めた。 「こうなったら、こっちの手勢を使って、橋本由希を拉致してお嬢さんを救い出 すしかないですね。お嬢さんがいなくなったことがわかっても、警察が追うのは 橋本由希でしょうから。そして、拷問でも何でもして、亜紀ちゃんの居所を吐か せた後始末しましょう。頃合いを見て、お嬢さんには帰ってもらえばいいでしょ う」 「だが、お嬢さんには麻薬取締法違反の容疑がかかっているんだ」 「お父さんが戻れば、そんなもの一発でもみ消せますよ」 「連絡したのか?」 「いいえ、まだです。どのみち、来月初めには帰国される予定ですからね」 「出てきたぞ」大野川が前方を指した。「あのシビックだ」 榊はワゴンをスタートさせ、数台の車を挟んで、由希のシビックを尾行し始め た。慎重な榊は、昼間使ったのとは別の乗用車に乗り換えていた。 大野川は万が一にも顔を見られないように、新聞を目の前に広げた。 「あの女、お嬢さんをどうするつもりだろう」 「妹の復讐をするんじゃないですか?」 「これを全て計画していたのかな」 「だとすれば天才的ですな。ですが、むしろ、ここに至る伏線をいくつも張って おいて、巧妙に誘導したのだと思いますな」 電話が鳴った。榊は携帯電話に接続したヘッドセットのスイッチを入れた。 「榊だ」 榊はしばらく耳を傾けていたが、やがて言った。 「わかった。C班に合流して指示を待て」 「何だ?」榊が通話を終えると同時に、大野川は訊いた。 「お嬢さんの担任のことです。本当に旅行中かどうか調査させたんです」 「それで?」 「本当でした」 「そうか。偶然だな」 「偶然ではありませんよ。近所の人の話だと、その先生の家の電話が何日か使え なくなったそうなんです。近くの線が断線したせいらしいですが、先日突然NT Tの職員が訪ねてきて、おわびに旅行クーポンを置いていったとのことです。伊 豆の温泉に二泊三日。先生と奥さんは大喜びで出かけたらしいです」 「それも橋本由希か?」 「NTTの方に密かに問い合わせてみたところ、そんなものを贈ったおぼえはな いということでした」 「それも伏線の一つか」 「橋本由希がお嬢さんの保護者代理として、堂々と名乗り出るためのね。昼に学 校に行ったのもそのためでしょう」 「なんて女だ」大野川は、してやられた悔しさよりも、むしろ感嘆する気持ちの 方を強く感じていた。「なんて女だ」 「全くです」榊も同じ思いでいるようだった。「全く惜しいことですな。橋本由 希がまともな道を歩いていれば、どんな職でも就けたでしょうし、どんな分野で も成功したでしょうに。そうすれば、少しはマシな世の中になったかもしれませ んよね」 「マシな世の中ときたか。まるで今の世の中がマシなものじゃないって言ってる みたいだぜ」 「私のような商売が成り立つようじゃ、マシとは言えませんな。お嬢さんのよう な人間の歪んだプライドのために、かけがえのない才能が潰されていくことが許 されているようじゃね。法と正義を守るための刑事さんが、こんなことをしてい るようじゃね」 「自嘲的じゃないか。そう思っているのなら、どうして職を変えようとしない?」 「私は老後をゆっくり過ごしたいと思っているんです。それだけですよ。だけど 今の日本は、老人が好きなことをしてのんびり暮らせるシステムを形成するに至 っていません。となれば、働けるうちにできるだけ金を蓄えるしかない。そして この仕事は金が入ってくる。こういうわけです」 「老後ね」 「うん?」榊は突然、奇妙な声を出した。 「どうした?」 「彼女のマンションに行くには方向が違います」 大野川は外を見て、現在位置の手がかりになるようなランドマークを探した。 確かに橋本由希のマンションは反対側になる。 「ひょっとすると、亜紀ちゃんの監禁場所に行くつもりかもしれないな」 「ええ」榊は頷いた。「私が今、何を一番恐れているかわかりますか?橋本由希 の行動で、です」 「さあね。お嬢さんを殺すことか?」 「橋本由希は妹を自殺によって失っています。その原因はお嬢さんです。ひょっ として、橋本由希はお嬢さんに妹を失う苦しみを体験させようとしているのでは ないでしょうか?」 「あり得るな。今すぐ、車を停めて橋本由希を捕まえた方がいいのじゃないか?」 「いえ、そうすると、亜紀ちゃんの居所を突き止めるのに時間がかかります。こ のまま案内してもらった方がいいでしょう」 「そうだな」 「人数を集めます」榊は携帯電話のスイッチを入れた。「今度こそ、逃がすわけ にはいきません」
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