長編 #4248の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
6 8月20日。 祐子は朝からほとんど何も食べていなかった。緊張でそれどころではなかった のだ。いつもなら茶道の先生の家に向かう午後4時が近づくにつれて、緊張感は ますます高まっていった。 榊と大野川は、進路相談室での話をきくと飛び上がるほど驚いた。が、同時に、 由希の宣戦布告のおかげで、対応しなければならない日が限定されたことを喜び もした。もちろん、由希が真実を語っているという保証はない。悪く取れば、わ ざと狙いと異なる日を告げて、祐子たちを混乱させる作戦かもしれなかったが、 榊はその可能性は低いと見ていた。 午後3時まで、榊は絶え間なく電話をかけ続け、通信装置まで用意して、朝倉 家から8キロ離れた茶道の先生の家までの監視態勢を作り上げた。多くは、組織 から抜けたが定職にはついていない元暴力団員だが、様々な理由で退職した元警 官もいたし、元自衛隊員だった人間も数人いた。暴力的な解決手段を、顧客に提 供するために榊が雇っている要員だった。 「10月になれば、ロシアの傭兵を6人用意できたんですがね」榊は祐子にそう 言って微笑した。「もっとも、今回はこれで十分でしょう」 「お前、どこまで商売を広げるつもりだ」大野川が呆れた顔をした。 「リサーチだけじゃ食っていけませんのでね。これからは多角経営でいかねば」 祐子を送迎する車のドライバーは、榊が特に信頼している、兵藤という40代 の男があてられた。元々警視庁で要人専門のSP(身辺警護員)の一人として活 躍した男だが、人妻との不倫に溺れ、依頼退職の形で免職になった。しばらく、 大手の警備会社に勤務していたが、榊に高給で引き抜かれた。柔道三段、剣道四 段、空手三段と武道の達人であり、拳銃射撃はFBIでたっぷり研修を受けてき たこともあってトップクラスである。爆発物に対する基礎的な知識と、緊急医療 の技術も心得ている。榊にしてみれば、こんな優秀な人材を埋もれさせておくの は損失としか思えず、たかが不倫ぐらいで放り出す警視庁が理解できなかった。 どうせ、橋本由希が朝倉家を監視しているのは間違いない。こちらが由希を内 偵していることがばれている以上、何の対応も取らなければ逆に警戒されてしま うだろう。由希には何としても、祐子を襲撃してもらわなければならない。榊は 祐子の身辺警護の状況をことさらに隠そうとはしなかったが、ただ実働人数だけ は少なく見せかけるように気を配った。 大野川の役目は簡単ではあったが、重要なことでもあった。匿名の情報源をで っちあげて、同じ時刻に隣の市で麻薬取引が行われるという情報を、県警の麻薬 取締課に流したのである。情報はかなり具体的で信憑性を高くするように整えら れていた。これで県警から、かなりの人員が隣の市に配置されることになる。同 時に、周辺の派出所のパトカーは、全て午後4時少し前にパンクさせられるはず だった。たとえ、おせっかいな市民が通報したとしても、パトカーが現場に到着 する時点では、誰も残っていないはずだ。大野川自身は、いってみればアリバイ 作りのため、午後3時から5時までの間は、署内にいることになっていた。 19日のうちに、榊と大野川は問題のルートを何度も往復し、車を襲撃できる ような場所をピックアップした。可能性の高い場所は8カ所もあり、榊はその周 辺に5人一組のチームを張り付けることにした。各チームは互いに無線で連絡を 取り合い、即座に応援に駆けつけるように車も用意された。もちろん、祐子の車 からも各チームに連絡が取れる。 その他、6台の護衛車が用意され、祐子の車の前後を固める。護衛車はどれも ありふれた大衆車で、それぞれ数人の武器を持った男たちを載せている。祐子の 車との間隔は少なくとも100メートルは開けることに決められた。また、数台 は適当な場所で別の方向へ折れる。あまり同じ車が近くにいると、気付かれるか もしれないからである。 各地に配置される全員には、スタンガンの他、特殊警棒やナイフが支給された。 拳銃やショットガンも用意できなくはなかったが、万が一警官に不審尋問でもさ れれば、一発で逮捕されてしまうし、そもそも銃器の扱いに習熟している人間が ほとんどいなかったため見送られた。 こうした手配に時間がかかったため、総合的な実地訓練をする時間は全くなか った。それだけが気がかりであったが、軍隊を相手にするわけではないので、数 でカバーすることも十分可能だと思われた。 午後4時きっかりに、祐子の姿が朝倉家の玄関から現れた。 「今、お嬢さんが出た」榊は無線機に向かって指令した。「兵藤。車を回せ。A 班、B班、警戒を怠るな」 榊はすぐ近くのマンションの屋上にいた。ここから朝倉家の玄関が見渡せる。 『お嬢さんを確認』兵藤の緊張した声が答えた。『乗せます』 榊の視界の中で、兵藤の運転するベンツに祐子が乗り込んだ。ベンツには朝倉 家のベンツのナンバーを偽造したプレートがついている。ベンツはゆっくりと走 り出した。すぐに角を曲がり、民家の陰に入ったため、榊の視界からは見えなく なる。 「D班、そちらのポジションに入るぞ」 『了解。こちらで確認しました』 「1号車。出ろ。あまり近づくな」 『了解』 「A班、B班、交替で休憩しろ。目立たないようにするんだぞ」 携帯電話が鳴った。 「榊です」 『大野川だ。そっちの状況はどうだ?』 「さっき出ましたよ。県警の方はどうですか?」 『例のにせ情報はうまくいっているようだ。春川市に緊急配備が行われてる。こ っちの市内の派出所は大丈夫か?』 「とりあえず停まっているパトカーとバイクのタイヤはパンクさせときました。 出ている分についてはどうしようもなかったですがね」 『後は橋本由希がのこのこ出てくるのを待つだけか』 「出てこないかもしれませんよ。本人はね」 『手がかりにはなるさ』 「だといいんですがね」 『橋本由希の居場所は?』 「見張りをつけることも考えましたが、そういう気配を悟られると、出てきてく れないかもしれないのでやめにしました」 『危険だが仕方がないな。何かあったら連絡してくれ』 「ええ、また」 電話が切れると同時に、無線が入った。 『E班です。今、目の前を通過しました。異常ありません』 「了解。休憩してよし。帰途についたら連絡する。1号車、現在位置は?」 『ポイント6の交差点で信号待ちです』 「次の信号あたりで左折しろ。C班の待機位置まで行ってから指示を待て。4号 車、出ろ。ベンツを追い越して3、4台先の位置をキープしろ。F班、応答しろ」 『こちらF班です。異常ありません』 「よし、警戒を続けろ。S班、そちらに異常はないか?」 S班は、お茶の先生の家周辺を警戒しているチームである。ここは周囲に人目 が少ないから、襲撃の可能性がかなり高い。 『異常ありません。静かなモンです』 「よし。警戒を怠るな」 榊はまぶしそうに空を見た。雲一つない。日差しは強く、すでに榊のワイシャ ツは汗でぐっしょり濡れていた。 「いつでも来てもらいましょうか。橋本由希さん」 午後4時30分。 多くの人間が半ば安堵し、半ば失望したことに、祐子の車は何事もなく目的地 に到達した。これからしばらくは、何事もおきないだろう。祐子は6時にここを 出ることになっている。 榊がペットボトルのウーロン茶で乾きをいやしていると、大野川からの連絡が 入った。 『そろそろ、2、3の派出所からパトカーのパンクについての報告が入ってき出 したぞ。今のところ別々の人間が受けているからいいが、誰かが関連性に気付い たら、全派出所に警告が行くだろう』 「往路では何も起きませんでしたよ」榊はタバコに火を点けた。「お嬢さんには 警報機を持たせてあるので、万が一家の中で何かがあれば、外にいる兵藤が飛び 込むことになっています。もっとも、何もないでしょうがね。やはり復路でしょ う。彼女が仕掛けてくるとしたらね」 『何であれ、起こるものならさっさと起こってほしいもんだ。待つのは疲れた』 「そっちは、エアコンのきいた建物の中に座っているんでしょうが」榊は苦笑し た。「こっちは炎天下の中、くそ暑い屋上にいるんですよ」 『そいつは大変だなあ。じゃあ、なおさらそう思うだろう』 「まあね。ただね、刑事さん」榊はウーロン茶で口を湿した。「漠然とした不安 があるんですよ。我々のやっていることは本当に正しいのかどうか」 大野川の小さな笑い声が響いた。 『今頃になって倫理観が目覚めてきたのか?』 「いやいや、そうじゃないですよ。私は金さえ払ってもらえば、クライアントが 悪魔だってかまいませんとも。私が言っているのは、お嬢さんの行動の是非では なくて、こうして待ち受けている罠に、本当に橋本由希が飛び込んでくるのか、 ということです」 大野川は沈黙を返した。 「仮に橋本由希が、我々よりも一枚上手だったとしたらどうします?今日、お嬢 さんを襲撃するのではなく、別の日だったとしたら?考えてみれば、橋本由希は 今日そうする、と言ったわけではありません」 『だが、いずれ何らかの行動に出なければならんのは確かだろう。それも直接的 な行動にだ。あのお嬢さんには、電話や手紙での心理的な攻撃など通用しない。 彼女が復讐を果たそうと思うなら、お嬢さんに物理的な攻撃をかけるだろう』 「そうなんですがね。それでも何かを見落としているような気がするんです」 午後6時30分。 何かがおかしい、という正体不明の感覚が、次第に大きくなっていた。すでに 祐子の乗ったベンツは、朝倉家まで残り1キロの地点を通過している。榊は次々 に指示を出しながら、ふくれあがってくる不安を抑えることができなかった。 一体、橋本由希は何を考えているのだろう。 「D班、ポイント2まで下がってC班と合流しろ。B班、異常は?」 『ありません』 「A班、何かあるとすれば、お嬢さんが車を降りた瞬間だ。警戒を怠るな。少し でも異常があれば、全員で突入しろ」 『了解』 今日ではなかったのか?榊は何度も繰り返した問いを自問した。今日でなかっ たとすれば、これからお嬢さんが外出するたびに、同じ警戒態勢を取らなければ ならない。回数が重なれば、あちこちで気を抜く奴が出てくるだろうし、お嬢さ んの資金も無尽蔵ではない。それが狙いなのか? 『ベンツを確認しました。今、最後の角を曲がります』 「……了解。こちらで確認した。A班、B班、警戒しろ」 それとも考えを変えたのか?苦しめて殺すという、これまでのスタイルから、 一撃必殺に変更したのか? ベンツは時速30キロでゆっくり進んできた。そして、多くの目が見守る中、 朝倉家の玄関前に停車した。 『兵藤です。お嬢さんを出しても大丈夫ですか?』 「ああ……」珍しく榊は躊躇した。「待て。1分だけ待て」 『了解です』 榊は必死で周囲を見回した。何らかの異常な兆候がないかと、双眼鏡で通りの 端から端まで見渡す。何もなかった。 諦めてOKの指示を出そうとした途端、何かが視界の隅をかすめた。 双眼鏡を向ける。派手な色に塗られたライトバン。宅急便の配達車だ。 「全員、宅急便のバンに注意しろ。クロネコのやつだ」 配達車は朝倉家の前でスピードを落として、ベンツから少し離れた場所に停止 した。運転席からドライバーが降りる。運送会社の制服を着ているが、帽子のせ いで榊の位置からは顔が見えない。 ドライバーはライトバンの後部へ回ると扉を開けた。 「抑えろ!」榊は怒号した。「何もさせるな!」 たちまち10人を越える男たちが、一斉に隠れ場所から飛び出して、ライトバ ンに突進した。ドライバーが驚愕して凍りついた。最初の一人が、その襟首をつ かんで地面に引きずり倒す。別の一人がドライバーをうつぶせに転がし、何かを 握っていた手首を踏みつける。無線を通じて、苦痛の悲鳴が聞こえてきた。 数秒で、ドライバーは完全に自由を封じられた状態になった。男の一人が帽子 を取った。榊は双眼鏡でその顔を見た。まだ10代の若い男だ。 『ボス』一人が言ってきた。『こいつはただの運送屋みたいです。身分証の顔と 一致します。ここに荷物を届けに来たと言っていますよ』 「その身分証の名前と、会社の電話番号を言え」 2つの情報はすぐに読み上げられた。榊はそれをメモすると、大野川に電話を かけて照会を頼んだ。結果は数分で判明した。 『そいつの顔が一致するなら、確かに本人だ。朝倉祐子様宛の伝票が、会社の方 にも残っている。どういうことなんだ?』 「わかりません」榊は混乱した頭で答えた。「また電話します」 電話を切ると、下にいる部下に命じた。 「届けに来たという荷物を受け取って、そいつを帰せ。ただし、2台で後をつけ て、間違いなく運送会社に戻るのを確認しろ。お嬢さんは家の中に入ってもらえ。 今からそっちへ行く」 どうなっているんだ。急いでマンションの屋上から降りながら、榊は何度もそ う繰り返した。
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