長編 #4193の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
「ばかをぬかせ」しかたない、とでもいいたげにもういちどトエダにむき直り、村 長は力なくくりかえした。「あれがひとの魂魄だと? あんただって見たはずだ。 どう見たってあれはおそろしげな鬼神邪魅のたぐいにほかなるまい。あれがひとの なれの果てだと、どう見ればそんなふうに見えるのだ。あのみにくい、おそろしい 吠え声の、あの化物が」 吐き捨てるような口調だった。 対してこたえたのは―― 「ちがうよ」 アリユスだった。 ぎくりとしたように、ひとびとの視線がいっせいに幼女の上に集中する。 「化物じゃないよ」 少女はくりかえした。 ひたむきな目で、つどう幾対もの視線を見つめかえす。 見つめかえされた村人たちは、気圧されたように視線をそらし、くろい地面にそ の目をおとした。 「そういうことさね」口にされたトエダの言葉からも、もはやからかい口調は陰を ひそめていた。「安心するがいいさ。おそらくは、今宵でおわるよ。このかなしい さわぎも、の」 どういうことだ、と問いかえそうとして――村長は言葉をのみこんだ。 恐怖のために。 くろぐろとふりそそいだ濃密な闇のかなたからひびいてきたのは、この半年いや というほどきかされてきた、異様な獣の咆哮であった。 ことり、ことりと規則的になりわたる水車小屋のわきを、ひたひたとその黒い巨 大な影はかすめすぎていった。せせらぎをわきにして小道をよぎり、明々と燃える かがり火の灯された遠い広場に視線をむける。 憎悪の炎が、その両の目のなかで燃え盛っていた。 地にとどきそうな異形の前腕をぐい、とひきしぼり、影はのどをそらして天にむ かって咆哮した。 びりびりと、四囲の闇が狂おしくふるえる。 ぞろりと牙のたちならんだ口もとから、だらだらと赤ぐろい粘液質のよだれを盛 大にたらしながら、影はふたたび鉤爪のついた奇怪なかたちにゆがんだその足をふ みだした。 がさりがさりと、雑草のしげったふみわけ道が音をたてる。 恐慌にかられた村人たちが、一団となって咆哮のとどろく方角からあとずさった。 ざざざ、とむきだしの地面をするぞうりの音が、四囲にいっせいにひびきわたる。 幾人もの村人たちが足をとられて転倒し、悲鳴があちこちで交錯した。 そして広場のいっぽうの入口に、無人の口がひらかれる。 「きたの」 無数のかがり火に囲まれて、しわにうもれたその顔に深い陰影をきざみこんだト エダが、つぶやくようにしていった。 「かわいそう」 そのかたわらでアリユスが、かなしげに口にした。 老トエダのしわがれた顔貌から、瞬時、緊張がとけていとおしむような表情がう かぶ。 たたずみ、ひたむきな視線で広場の入口を――咆哮が近づいてくる闇奥を見つめ る少女の頭にふわりとその手をかける。 ゆらめく炎の列に囲まれてひときわ盛大に燃えさかる祭壇の業火が、ふいに強風 にあおられたようにその熱い身を左右にふった。 ぼ、ぼ、と強い圧力をともなった音が、広場に鳴りわたる。 そしてそれを圧するように――闇をふるわせる獣の咆哮。 影が、のしりと広場の入口に立った。 こぶのように、その巨体のあちこちに盛りあがった無数の筋肉の束。 ゆらめく炎のかがやきを受けてぎらぎらと赤光はなつ異様な双の目。 ふりあげられた両腕のさきで、鎌のように鉤爪がひらかれる。死の門のように。 巨大なあぎとのなかに立ちならぶ、剣山のごとき牙の列。 広場のすみずみにまでただよう、悪臭ふりまく無数のよだれ。 幻術使がどれだけいおうと、それをひとの変形した姿だとはとうてい信ずること などできはすまい。 まして、村人たちみずからが、そのことを認めまいとしているのならば。 だが――アリユスの言葉が、ひた隠しに隠していた傷口を白日のもとにさらけだ していた。 もはやそらしていた視線をふたたび閉ざすわけにはいかないことは、村人のだれ もが感じていたのかもしれない。 ともあれ―― 吠えたける異形の姿が広場に踏みこんできた瞬間―― 幻術使トエダのとなえるくぐもった呪文の韻律もまた、朗々と村内にひびきはじ めたのだった。 かかげられたいくつもの炎がゆらめき、つどうた人々の影をまぼろしのように右 に左にふれさせる。 吠えたける怪物の影もまた、ながくながく、投げかけられていた。 小川の方向。水車小屋の方向。そしてほこらの方向。 ただよう呪句にあらがうように、化物は血を吐きそうなほどのどをふりしぼって 吠えつづけた。 この半年のあいだ、夜がくるたびに、村内を経めぐってはひとびとの安寧を根こ そぎ奪いとってきた咆哮だった。 だが、その咆哮にいささかもたじろぐことなく、ただ淡々と、流れるようにトエ ダのとなえる呪文は虚空にただよいつづける。 やがて、獣の吠え声に変化がおとずれていることにひとびとは、おぼろげに気づ きはじめた。 威圧する、力にあふれたおそるべき怒りの声から――なにか、もっと、べつのも のへと。 ふりそそぐ闇の重圧に、その苦しみをうったえる罠にかかった獣のように。 おう、おう、おう、とその声は、強く、激しく、そしてとぎれがちにひびきわた った。 それは、そう、まるで―― 「泣いているのかい?」 身をよせあい、手をとりあって恐怖から身をさけていた姿勢の女たちのあいだか ら、そんなつぶやきがあがった。 昼間、ほこらの前でアリユスに声をかけてきた中年女の声であった。 その言葉のとおりだった。 「そうじゃ」と、老いた男がかすれた声音で同意した。「慟哭じゃ」 言葉のごとく―― 闇にひしりあげる獣の声は、いつのまにか哀切に魂をひきさく果てしなき絶望の 慟哭へと、かわっていたのだった。 否――。 あるいはそれは、最初から泣いていたのかもしれない。 伝わらぬ想いを、ただ胸かきむしるようにもどかしく、そのおそろしげな声音に のせながら。 それは幾晩も、幾晩も、ただ、すすり泣きつづけていただけなのかもしれない。 どうであれ――その声に触発されてか、恐怖に圧されてうかびあがることのなか った感情が、その場につどう者たちの胸の奥底にうかびはじめていたのはまちがい なかった。 それは、その獣の咆哮を最初に耳にしたときから、だれの心の奥底にも、水泡の ようにうかんでいた感情だった。 恐怖と――そして罪悪感のために、ひとびとはそれを感じることをみずから封印 していたのだのだろう。 その封印が、獣のあげる哀切な咆哮によっていま、とかされはじめたのだ。 闇へとあとずさったひとびとのかたすみで、すすり泣きがひとつ、ふいにあがっ た。 今年、村の若い者との長年の恋が実って、ようやくのことで祝言をあげることが 決まったばかりの、村娘のすすり泣きであった。 誘発されるように、べつの一角からしゃくりあげる声があがる。 やがて、いくつもの顔がかなしみと後悔にゆがみながら涙を流しはじめた。 あわれみ――それが、その感情の名前だった。 「ミエイ……」 というささやきがふいに、すすり泣きのあいまにあがった。 それもまた、またたくまに広がった。 ミエイ、ミエイ、と広場のあちこちで、女たちの声が涙まじりにささやいた。 そしてもうひとつ。 「トーイス……」 という言葉もまた。 その言葉にはっと気づいて、いままでぼうぜんとことのなりゆきを見やっていた だけの村長が目をむいた。 「ばかものどもが!」 叫んだ。 いまや、トエダは呪文をとぎらせたまま無言で、広場につどうたひとびとのよう すに視線をはしらせている。 そしておどろくべきことに――あれほど凶暴に吠えたけっていたあの化物までも が、沈黙して、ぎらぎらと光る目でその場のようすをじっと見つめているのだった。 そんな幻術使のようすや、さらには化物の変化にすら気づかぬまま、村長はさら につづけた。 「ばかものどもが! なにをたわごとをほざいとる。いいか、この怪異は、あのこ ととはまるで無関係なんだぞ。あの化物は、山の邪気が凝ってできた妖魅邪怪のた ぐいにすぎん。ばかな妄想に踊らされて、よけいなことをぬかすでない!」 「でも村長」と叫びかえしたのは、女たちのすすり泣きに誘発されたか、これも滂 沱と涙の筋を頬に刻んだ、壮年の男であった。「あれはたしかにトーイスだ。半年 前だ、時間もあう。おちたちに恨みをはらすために、あいつはきたんだ。そうにち げえねえ」 佇立する化物を指さしながら男は、胸の奥底につかえていたどすぐろいものを吐 きだすような口調で狂おしくいった。 ばかな、となおも語気荒く否定しようとする村長の声にかぶさるように、そちこ ちから「そうだ、あれはトーイスだ」「トーイスの亡霊だ」と悲鳴まじりの叫びが あがった。 ぼうぜんと目をむいたまま、村長はしばし言葉もなくそんな村人たちをにらみつ けていた。 が、やがて火のような目つきでトエダにむきなおった。 「村のもんに、ばかな考えをうえつけたのは、おまえか」 トエダは無表情に、長を見かえすばかりだった。 「おまえなんだな!」 沈黙にたえきれなくなったようにもう一度、村長は叫んだ。 声が、ゆらめく闇にひびきわたる。 化物の凝視する闇だ。 「いいや」と、老幻術使は静かに首を、左右にふった。「わしではないさ。むろん、 アリユスでもない。おまえさんがたさ。おまえさんがたが、みずから抑えこんでい た思いが、いま堰をきってあふれだしたと、ただそれだけのことさね」 「たわごとを!」 吐き捨て、はげしいいきおいで村人たちにふりかえる村長の背中に、トエダは静 かに呼びかける。 「トーイス、といったわけか。その、よそものの若者の名は」 な、と目をむいて再度ふりかえる長にむかって、淡々とトエダはつづける。 「あんたの娘さんが、ミエイだの? ふらりとあらわれたトーイスと、恋におちた という、村いちばんの、器量よしの娘」 「ばかをぬかせ!」 長は叫ぶ。 炎を吐くような声音。 うっそうとたたずむくろい巨大な影が、その燃えるような視線をじっと長に凝し ていた。 気づかぬまま、長は吐き捨てる。 「恋だと? ミエイは、あの流れ者にかどわかされたんじゃ!」 「かけおちだろうがよ」 「ちがう!」 きくだに汚らわしい、という思いをこめて長は、トエダの言葉をさえぎった。 かみしめたくちびるの端から、血がしたたる。 慟哭の涙のように。 「ちがう! かどわかされたんじゃ!」 「だが、長よう」と、背後の村人たちの輪のなかから、ふるえる声音でひとりの若 者が口をひらいた。「それにしても、あんなことまでする必要は――」 「だまれ!」 と村長は金切り声で叫んだ。 それきり、くちびるをかみしめてだまりこんだ。 そうだよ、と短い沈黙を裂いてべつのひとりが口をひらく。 ちらりと、いまや咆哮をとぎれさせて村人たちを見つめる巨大なくろい影に、う すきみわるそうな視線を投げかけ、それでもその若者も口をひらいた。 「でなけりゃ、あんなふうになってでてきやしなかったよ」 全員の視線が、たたずむ闇色の姿にそそがれた。 畏怖にみちた沈黙がふりそそぐ。 が、ふいに――
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