長編 #4113の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
騒ぎの起こった場所までは、湖岸沿いに歩くと随分時間がかかった。湖の沿 岸は、予想以上に深いカーブを描いている。 「浜本?」 先に行っていた、比較的若い刑事を呼ぶ吉田。やがてその背広姿が見えた。 身体ごと向き直った浜本刑事の顔色は、決してよくなかった。 「どうしたんだ?」 「吉田さん、逃げられました」 「それは分かっとる。致し方ない。誰が襲われたんだ?」 「枝川さんです。幸い、息はありますが、出血しています」 浜本の示す先に、枝川が、細いががっちりとした体躯を横たわらせている。 左の腕を薄く赤色に染め、かすかにうめき声を漏らすのが分かった。湖に落ち でもしたのか、全身ずぶ濡れだ。その水のおかげで、出血量がどの程度なのか、 遠目には判断できない。 菊池のイメージとは違い、枝川は縞のTシャツにソフトジーンズ、それにス ニーカーという軽装だ。釣りに来ていたのだから、このような格好なのだろう。 横には、閉じられたクーラーボックスと釣竿、餌箱等が置かれてあったが、 そののどかさと釣り人本人の状況は、実に対照的である。 「……よし。この程度の出血なら、皮膚を切っただけと思って大丈夫ですよ」 手をこまねいている刑事二人を置いて、傷口を見た菊池は、笑顔を作って見 上げた。 「おい、勝手なことを」 「念のため、縛っておきますが、大騒ぎしなくてもいい」 と、地面に落ちていた枝川の物らしき白タオルを拾い、はたいてから左腕の 肘付近を縛ってやった。 「枝川さん、大丈夫ですか? 傷は深くありません、しっかりしてください」 呼び掛けると、枝川が目をぱちりと開けた。何かに怯えているように、おど おどしている。 「あ、あんたは」 「宿泊客の一人です。刑事さん達もいます。安心してください」 枝川が上半身を起こしたところで、菊池は刑事達によって押しのけられた。 「枝川さん、何があったんだ? 力石に襲われたんですか?」 吉田の大声に、枝川は黙って二度、強くうなずいた。 「腕は痛みますか? 歩けないようなら、人を呼びますが」 「いえ……大丈夫のようだ。……うん、傷の血も止まったらしい」 本当に浅い傷だったらしく、早くも止血している。 「枝川さん、あなたがよければ、今すぐ、証言がほしい。力石はどっちに行き ましたか?」 「……分かりません」 顔を伏せると、悔しげに首を横に振った枝川。 「ナイフみたいな物で襲われて、腕を切られたと感じた瞬間、恐ろしさで周り を注意する余裕なんて、なくなった」 刑事は舌打ちしてから、気を取り直した風に問う。 「一体、何が起こったんです? あなたの叫び声を聞いて、駆けつけたんです がね」 「そうですね……ちょっと待ってください」 まだ心の恐慌が去らないのだろうか、枝川は四つん這いのまま地面を這うと、 クーラーボックスにもたれかかった。 「失礼。こうすると、楽なもので」 「いえ、かまいません。それより、お話を」 「突然でした。私が釣り糸を垂らして、湖面を見つめていますと、いつの間に 来たのか、人が−−力石さんが」 お人好しなのか、それとも宿泊客だという意識があるせいか、さん付けする 枝川。 「力石さんが現れたのです。湖を、静かに泳いで、こっちに向かってきた」 「−−浜本刑事。濡れた跡を探すんだ。それを追跡すれば、力石に辿り着くか もしれん」 命じられた浜本は、無言のまま首肯すると、早速、周辺の落ち葉が積もった 地面に顔を近付け、目を凝らし始めた。 「奴は、何か言ってきましたか? 何をしてきました?」 再び枝川への質問に戻る吉田。 「黙ったまま、静かに泳ぎ着きますと、こちらへ歩み寄りながら、『金をよこ せ』と凄みのある声で……。右手には何かの刃物があった」 最前の恐怖を思い出してか、枝川は身震いをした。髪に着いた水滴が、辺り に飛び散る。 「私が、今、金はないと答えると、相手は『ならば、匿え』と怒鳴ってきまし た。だが、それも拒否したため、怒らせてしまった。いきなり、刃物を振り上 げてきた。必死で逃げました、もう。慌てていたので、湖に転落しちまいまし たが……どうにか、腕の傷だけで済んだようで……命拾いしました」 改めて全身を見渡す枝川。ところどころ、石ころで着けたようなすり傷があ ったが、いずれも深くはない。 「どんな格好をしていましたか?」 「ええっと……上は、黒っぽいトレーナーだったと思います。下は……よく覚 えていないが、ひょっとしたらトランクス一枚だったかもしれない」 「トランクス? 下着だけだったと?」 「はあ。湖から姿を現すつもりだったのなら、おかしくはないでしょう」 怪訝な顔をした吉田に、枝川も困ったような表情で応じる。 「ふむ、それもそうですな。これは、いよいよ、力石の奴が殺人犯か」 どうすべきかを思案げだった吉田は、意を決したかのように立ち上がった。 「よし、ともかく、ペンションに戻ろう。浜本刑事は続けて調べていてくれ。 あとで応援をよこす」 「はい」 「それと−−菊池さん、あんたも戻るんですよ、いいですな」 「分かってますよ」 首をすくめた菊池は、吉田と共に、枝川が立ち上がるのに手を貸した。 「一人で歩けますか」 「ええ。ただ、あの、申し訳ありませんが、荷物を運んでいただけるとありが たい」 「ああ、もちろん、かまいませんよ。気が利かなくて、こちらこそ申し訳ない」 吉田がクーラーボックスを、菊池はその他の釣り道具を持った。 調理場の大きな冷蔵庫の横にクーラーボックスを置き、物置のような小部屋 に釣り具等を仕舞ってから、枝川の正式な治療を始めた。 「さっきの悲鳴、枝川さんだったんですか」 掃除中だった若部は、急に呼び戻されたせいもあるのか、随分と汗をかいて いる。 「私、恐くて、外で身を縮こまらせていたんですけど、男の人が恐がるんだか ら、当然ですよね。−−はい、できました。大した傷でなくてよかった」 「あ、ありがとう」 枝川は不器用に礼を述べると、感触を確かめるかのごとく、左手の指を一本 ずつ動かす。 「ん、これなら、調理はできそうだ」 「ええっ? 料理、なさるつもりなんですか」 一階に降りてきていた奈美恵が、大声を上げる。その後ろには、父親ではな く、六津井雄が着いていた。根木卓実の方は、まだ戻っていないらしい。そう 言えば菅原の姿も見えないから、二人揃って外に出ているのかもしれない。 「仕事ですので」 短くぶっきらぼうに答えると、枝川は立ち上がりながら、吉田に声をかけた。 「刑事さん、ちょっと席を外していいですか。釣った魚、仕舞わないといかん ので」 「ああ、そうですな。詳しい話は、そのあとで伺うとしましょう」 のそのそと調理場の方へ向かう枝川。 彼の姿がロビーより見えなくなってから、吉田は不満を漏らした。 「もう少し、しっかり目撃してくれてりゃあな。力石をふん捕まえろとは言わ んが……」 「まだ力石は見つからないんですか」 六津井が車椅子の後ろに手を掛けたまま、非難めいた口調で言う。 対して、刑事も不機嫌そうに応じた。 「散っていた捜査員を呼び戻したところだ。じきに捕まる」 「我々の安全はどうなるんです? 安心しろとか何とか言ってたと思いますが、 枝川さんが襲われた」 「……今後は、絶対に防いでみせます」 一転、言葉遣いは丁寧になる吉田。が、その表情は、苦虫を噛み潰したかの ようだ。 「私への疑いは、晴れた訳?」 今度の文句は、五藤由里からのもの。吉田らが湖岸に向かっている間も、轟 がつきっきりだったようだ。 「まあ、そうなります。金をよこせと枝川さんを襲ったのは、力石が殺人犯で あり、逃亡を企てているからに相違ない」 刑事の見解を聞いて、菊池は六津井を振り返った。 (力石が逃げようとする理由なら、殺人以外にもある。脅迫のことを話すべき かもしれない) そう考えた結果だが、アイコンタクトの末、六津井からの返事は否であった。 (菅原さんのこともあるしな……言えないか) そこまで考え、妙な点に思い当たった菊池。 (脅迫のネタが、菅原さんの部屋の金庫に眠っているのなら、どうして逃げる 必要があるんだ? 決定的な証拠がないのだから、空とぼけていればいい。と なると、やはり力石が殺人犯なのか……) 「それなら、早く帰してよ」 「しばらく待ってください。まだ確定した訳ではない……。せめて、当初の滞 在予定まではいてくれませんかね。あと一日や二日ぐらい、どうってことない でしょう?」 「そんなこと言われたって、レジャーを楽しむどころか、おちおち寝てもいら れないこんな……」 五藤の不平を遮る形で、不意に奈美恵が割って入った。 「あの、刑事さん。父が心配です。探していただけませんか」 まだ戻らぬ父を気遣ってか、両手を握り合わせる奈美恵。 「そうだ、それがありましたな」 渡りに船という訳でもないのだろうが、吉田刑事の行動は早かった。椅子か ら跳ねるように立ち上がると、轟とペンション近くにいたもう一人の警官に、 根木卓実と菅原登喜を見つけて、連れ戻すようにと命じた。 と、今度はそこへ、枝川が戻って来たので、刑事は証言を取ろうと言って、 シェフを促す。 結果的に、後藤の要望は無視された形に終わった。 父親が戻って来て心底安心した様子の奈美恵と別れ、六津井と菊池は再び自 室にこもった。 「誰が犯人かという点では、落着したと見ていいのかな」 六津井の問いかけに、すぐには答えない菊池。 頭を抱えるポーズを作り、口の中でぶつぶつとつぶやく。 「どうもおかしいんだよ」 「何が? ちょうどいい、さっき君が湖岸に駆けつけ、見たことを、詳しく教 えてもらいたいね」 「いや、それについては吉田刑事の言葉通りと言っていい……。一番分からな いのは、力石は何故、湖の方から姿を現したのか、だな」 「なるほど。まさか、昨夜からずっと湖の底に潜んでいたんじゃあるまい」 自分で冗談を言って、声を立てずに笑う六津井。 「湖から現れようと思ったら、枝川さんに気付かれない程度に離れた岸部から そっと泳ぎ出し、一旦潜水をして、枝川さんの前まで来て一気に顔を出す。こ んなところか」 「そうなるけど……。ユウ、たとえその方法で正しいにしても、力石が何のた めにそんなことをしたのかまでは、説明できない」 「……金を奪うためじゃいけないのか?」 口を尖らせる六津井に、菊池は首を振った。 「いや、そういう意味ではなくてだね。金を奪うつもりなら、陸地からの方が 楽と思うんだ。釣りに打ち込む枝川さんの後ろに、気付かれないよう回るのは、 簡単だろう。それから刃物を突き付け、『金を渡せ!』とやればいい。親切に も、正面から姿を現すなんて、馬鹿げている。服も濡れるしね」 「ふん、そういうことか。何が疑問なのかは分かった。だけど、私も君も、そ して奈美恵さんも見たんだ。あれは間違いなく、力石譲二だった」 「うん……そうなんだよな。だから頭を痛めてるんだが」 「どうせ犯罪者のすることだ、まともな意味なんてないんじゃないか? 相手 を恐怖させるには、真正面から姿を現すのが効果的だと考えたとか……」 「……ホラー作家に聞くが、人を恐がらせるのなら、後ろからの方がいいと思 っていたんだけど?」 −−続く
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