長編 #4096の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
19 夏休みに入ってからは、めぐみは朝早くから夜遅くまで、人気のない学校に通 って絵を仕上げていた。これまで学校に来ることが苦痛以外の何者でもなかった めぐみにしてみれば驚くべき変化である。 絵を仕上げることは、単に絵画コンクールへの作品提出というだけではなくな っていた。たとえ入選しなくても、めぐみ自身が納得できる絵が描け、由希と野 上教師が認めてくれるようならば、人生にも、少しは希望というものが存在して いることを、もう一度信じることができそうだった。 8月初日から由希は、私用で県外に旅行に出ていて、めぐみの様子を見に来る ことはなかった。少し淋しかったが、逆に由希が帰ってきたとに、完成した絵を 見てもらえるようにと、筆を握る手にも力がこもった。 そして8月4日の夜。 めぐみはいつもの通り美術室にいた。野上教師は隣の準備室で、何か仕事をし ていた。 突然、準備室の方から電話のコール音が響いた。めぐみはちょっと筆を休めて 準備室のドアを見たが、それほど気にも止めずにまた筆を進めた。 ドアが開き、野上教師が出てきた。 「立川くん、ちょっと用事ができたんで出てくるよ」 「どうかなさったんですか?」 「いや、私の家に誰かが石と猫の死体を投げ込んだらしい。家の者に怪我はなか ったんだが、一応警察に来てもらったらしいから」 「まあ」 野上教師の家には、めぐみも由希と一緒に招かれたことがある。学校から車で 30分ぐらいの住宅地にある一戸建てだった。妻と息子夫婦が同居しているが、 みな穏やかで感じのいい人ばかりで、誰かに恨みを買うようなことはないはずだ った。 「1時間かそこらで戻るから。宿直の方には寄って行くが、誰か来たらそう言っ ておいてもらえるかね」 「わかりました。お気をつけて」 「ありがとう。それじゃあ」 野上教師はカバンをつかむと、そそくさと美術室を出ていった。 めぐみは野上教師を見送ると時計を見た。7時20分過ぎだった。 静寂の中でめぐみは繊細なタッチの水彩画に、最後の仕上げを加えた。 美術室のドアが乱暴に開かれたのは、10分後だった。 野上教師が戻ってきたのかと顔をあげためぐみは、そこに朝倉祐子が立ってい るのを見て表情を固くした。 「朝倉先輩……」 祐子は美術室に入ってきた。その後に数人の男子生徒と、小沢律子が続いた。 「あ、あの……」 「あんた、そんなに私を怒らせたいわけ?」ぶっきらぼうに祐子は言った。「な にが絵画コンクールよ。野上や橋本にちくったんでしょう?でなきゃ、あんたな んかがコンクールに作品を出せるわけないものね」 「クラスでも、すっかりいい子になっちゃってさ」小沢律子が憎々しげに言った。 「ちょっとイラスト描いてクラスのみんなに取り入ったりしやがって。みえみえ なんだよ。このクズ」 以前のめぐみならば、何も言えずに怯えるだけだったかもしれない。だが、め ぐみ自身が驚いたことに、いつのまにか反抗的な言葉を返していた。 「あんたこそ何よ。朝倉先輩の腰巾着のくせに」 小沢律子は呆然とめぐみを見た。 「て、てめえ……」 「ずいぶん強気な口をきくようになったじゃない。よっぽど自信がついたのね。 見せてごらんなさいよ、その提出作品とやらを」 祐子がキャンバスに手をのばした。 ピシッ! 信じられない光景の前に、時が一瞬停止したかのようだった。 おそらく一番驚いたのは祐子だっただろう。誰かに手を払いのけられるなどと いう経験は、物心ついてから数えるほどしか味わったことがなかったにちがいな いから。 「帰ってください!」めぐみは叫んだ。「もうすぐ野上先生が帰ってきますよ!」 その声で、祐子は我に返ったように、にやりと笑った。 「まだ来ないわよ。さっき家に戻っていったばっかりでしょう?どんなに急いだ としても往復1時間はかかるわ」 祐子の顔と、にやにや笑っている男子生徒たちの顔を見て、めぐみは野上教師 の家に石と猫の死体を投げ込んだのが、誰の仕業なのか見当をつけた。 問題はその目的だ。 「帰ってください」めぐみの声から、さっきまでの強気が失せつつあった。「人 を呼びますよ」 「宿直が見回りに出るまで、まだ時間があるわよ」祐子は一歩前に出た。「リョ ウ、こいつを押さえといて」 「オッケー」 男子生徒たちが進み出て、めぐみの身体をつかんだ。めぐみは悲鳴をあげたが、 一人が周到に用意してきたらしいタオルで口をしばると、くぐもったうめき声に 変わってしまった。 「そんなに暴れなくてもいいのよ。絵を見たいだけなんだから」 祐子はそう言うと、キャンバスをつかんで自分の方に向けた。 見た途端に、祐子の顔色が変わった。 隠しきれない賛嘆の表情が現れた。顔を彩っていた悪意が消え、驚きと喜びに 近い感情が生まれる。数秒の間だが、祐子は、めぐみの作品を観賞する一人の観 客となっていた。恵まれた家庭環境に育った祐子は、芸術作品を見る目は大抵の 人間よりも肥えていたのだろう。 だが……めぐみにとって、そしておそらく祐子にとっても不幸なことに、二人 が運命が別の道へ進んだかもしれない決定的な時間はたちまち消えた。祐子に決 定的に欠けている、他者を認める性格は、ついにここでも発芽することはなかっ た。小沢律子たちのいる前で、めぐみの絵画に関する才能を認めるぐらいならば、 祐子は舌を噛んだ方がましだと思ったに違いない。 「な、なによ、これ」祐子は嘲笑を混ぜて論評した。「幼稚園の落書きだって、 もっとましじゃない。よくこんな絵をコンクールに出そうなんて思ったものね」 めぐみは燃えるような視線を祐子に突き刺した。 「何か言いたそうね。きいてあげるわ」 祐子が男子生徒に合図すると、タオルが口から外された。居合わせた全員の予 想とは異なり、めぐみの声は激しくもなければ怒りに満ちてもいなかった。 「朝倉先輩。先輩ってとても気の毒な人なんですね」悲しい哀れみがそこにあっ た。「家が裕福でお金がいっぱいあって、大勢の人が先輩の言うことをきいてく れて、成績もトップでスポーツもこなせて、おまけに美人でスタイルもいい…… それでも先輩は可哀想な人です」 祐子の瞳に怒りが燃え上がった。祐子はめぐみに歩み寄ると、容赦なく頬を張 り飛ばした。 「あんたなんかに同情されたくないわよ。あんたなんかが、私を同情するなんて ずうずうしいわ。偉そうな口をきくんじゃない。あんたに何がわかるっていうの よ。ふざけないで」 めぐみは悲しそうに祐子を見ただけだった。かっとなった祐子は、めぐみの反 対の頬を叩いた。 「こんな絵、コンクールに出したら学校の恥だわ」祐子は宣言した。「出すのを やめなさい。野上には自信がなくなりましたって言えばいいわ。わかったわね?」 めぐみは答えない。 「朝倉先輩に答えなよ」小沢律子が、横からめぐみの頭をこづいた。「出さない だろ?」 それでもめぐみは答えなかった。 祐子は再びかっとなって、めぐみに詰め寄ったが、何かを思いついたようにニ ヤリと笑った。 「じゃあ、いいわ。諦められるようにしてあげるから」 祐子は画材道具が並んで置かれているテーブルに歩み寄った。数種類の絵の具 チューブを掴むと、筆洗い用のバケツに中身を絞り出し、筆で乱暴にかき混ぜた。 たちまちバケツの水は、毒性の強い工場排水のような濃い色に染まった。 祐子がバケツをキャンバスに向かって構えたとき、めぐみが叫んだ。 「やめて!それだけは許して!」 「やめて下さい、だろ、ボケ」小沢律子が頭を叩いた。 「やめて下さい、先輩!」めぐみは必死に懇願した。「お願いです。それだけは 許してください」 「そんなにこの絵が大切なの?」感情を喪失したような声で、祐子はゆっくりと 訊いた。 「はい。お願いです」 「そう」 祐子は頷くと、躊躇うことなくバケツの中身をキャンバスにぶちまけた。 めぐみの悲鳴が、美術室全体にこだました。 小沢律子と男子生徒たちが歓声をあげた。 祐子は絵筆を数本まとめて掴むと、キャンバスの上に押しつけ、被害をさらに 増大させた。でたらめに筆を動かしながら、めぐみの方を振り向いて何か言おう と口を開いた。 そのとき、めぐみが爆発的な力で男子生徒たちを振り払うと、意味のなさない 言葉を叫びながら、祐子へと突進した。男子生徒たちも小沢律子も油断していた ため、めぐみを制止することはできなかった。 祐子が小さく悲鳴をあげながら、筆を振り回した。 筆がめぐみの顔に当たり、色とりどりの飛沫が飛んだ。だが、めぐみは意に介 さず祐子の首につかみかかった。 二人の身体はもつれあって、キャンバスを押し倒し、そのまま床の上に倒れた。 「は、放して!」祐子が悲鳴をあげた。 めぐみは祐子の首から手を離し、こぶしを固めたが、それが振り下ろされるよ り早く、男子生徒の一人に手首をつかまれ、乱暴に引き起こされた。もう一人の 男子が押さえつけるまで、めぐみは狂乱した山猫のように暴れ回った。 「朝倉先輩、大丈夫ですか!?」 小沢律子が、床に倒れた祐子に駆け寄った。祐子は小沢律子に手を借りながら 立ち上がった。高価なブラウスやスカートに、絵の具が飛び散っている。 「全く、あのばかが」小沢律子は、自分のハンカチで祐子の顔についた絵の具を 拭いながら毒づいた。「信じられない。朝倉先輩にこんなことするなんて」 祐子自身は、またショックから抜け出せないように、小さく咳きこみながら、 羽交い締めにされているめぐみを見ていた。 「朝倉、どうするよ、こいつ」男子生徒の一人が訊いた。「やっちまうか?」 祐子はその言葉をきいて、改めてめぐみの顔を見た。 「やめなさい」落ち着きを取り戻した声で言う。「カメラは持ってきた?」 「持ってきたよ。ポラロイドだけどな」 「脱がしてやって」祐子は命じた。 男子生徒たちは、多少落胆したようだが、それでも嬉々としてめぐみの制服の 取り去りにかかった。 何をされるのかに気付いた途端、めぐみは激しく抵抗したが、相手は力の強い 男子生徒であり、しかも二人がかりである。あっさりと制服を取り去られた。 ブラジャーが外され、薄い胸がさらけ出されたとき、祐子が男子生徒たちを制 した。 「下はいいわ。そのままで床に押さえつけて。律子、写真を2、3枚撮って」 男子生徒たちに両手と両足を押さえつけられて、めぐみは顔をそむけた。下着 一枚だけの半裸を、男たちの目にさらしている屈辱は耐え難い。 小沢律子がカメラを向けてシャッターを切った。 フラッシュが焚かれるたびに、めぐみの目から涙がこぼれた。 「もういいわ」祐子は、5枚ほど撮ったところで小沢律子に行った。「放してい いわよ」 男子生徒たちは慎重に身構えながら、めぐみの手足を解放した。めぐみは両手 で胸を隠してすすり泣いた。 「誰かに話したら、この写真をばらまくわよ。あんたも、自殺した藤澤美奈代み たいになりたくなかったら、黙ってることね」 めぐみはすでに抵抗する気力も失っていた。それを見極めると、祐子の顔に満 足そうな表情が浮かんだ。 「行くわよ」 祐子を先頭にして、一同は美術室を出かけたが、小沢律子の声で足を止めた。 「そういえば……確か、2つ出すとか言ってませんでしたっけ?」 「そうだわ。さすが律子ね」 祐子は戻ってくると、めぐみを見おろした。 「もう一枚はどこにあるの?」 めぐみは答えない。祐子は小沢律子たちに命じた。 「探して。どこかにあるはずよ。律子、準備室の方も見て」 ほどなく小沢律子が、準備室の方から祐子を呼んだ。 「朝倉先輩、これじゃないですかね」 それはすでに完成した、猫を抱いた少女の肖像画だった。 裏を見ると、めぐみの名前と学校名が書いてある。 「これね」 祐子はその絵をつかんだ。二つに引き裂こうと持ち上げた手が止まった。 「先輩?どうかしましたか?」 祐子は答えなかった。その視線は絵の中の少女に吸い込まれるように向けられ ている。遠い記憶の中に埋もれていた何かが、ゆっくりと形となって現れようと していた。 「大菅加代……」祐子はつぶやいた。 「朝倉!」男子生徒が準備室に入ってきた。「見回りが来るぞ。もう行かないと」 祐子は我に返った。そして絵を破るかわりに、小さく折り畳むとポケットに入 れた。小沢律子が不思議そうな顔をしたが、祐子はそれを無視した。 「行くわよ」 祐子たちは立ち去り、後に取り返しのつかない傷を負っためぐみだけが残された。
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