長編 #4093の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
16 覚醒と認識は急激に訪れた。 失われた世界が、次の瞬間、志穂の眼前に開けていた。鉄格子とコンクリート の小さな世界が。 混濁していた意識が戻っているばかりか、驚くほど鮮明になっている。冷たい シャワーを浴びた後のように、身体もしゃっきりしている。 「すっきりしただろ、え?」 はっと横を向くと、田辺が立っていた。 「禁断症状の味はどうだった?」田辺はにやにやしながら、何かを志穂に見える ように突き出した。「完全に飛んじまってたぜ」 田辺が持っているのは、小さな注射器だった。 「ちょっと多めに注射してやったぞ。末端価格にして5万相当だ。もうお前の中 毒は錠剤じゃあ効かねえからな」 「ひとでなし!」 志穂は急激にわき起こった怒りの衝動のまま、田辺につかみかかった。田辺は 難なくその手首を掴むと、乱暴に引き寄せた。 「そんなこと言うなよ、志穂ちゃん」甘ったるい声で言う。「あんなに熱く愛し あった仲じゃねえかよ。もっとも、お前がめちゃくちゃ感じてたのは、クスリの せいだけどな」 「やめてよ、ばか!」 「おーお、元気のいいこった。ま、そうこなくっちゃな。これから、お前の身体 で、あっちの兄さんたちに楽しんでもらうんだ。まぐろじゃあ、張り合いがねえ」 「ふざけないで!」もはや憎しみに凝り固まった表情で、志穂は軽蔑を露にして みせた。「誰が、あんな奴らと!」 「まだ自分の立場がよくわかってないようだな」 「レイプするつもり?」志穂は半ば虚勢だったが、せせら笑ってみせた。「やる ならやれば?泣き寝入りすると思ったら大間違いだからね。顔覚えて、訴えてや るわ」 「レイプ?いやいや、そんなことする必要はないんだよ」田辺が邪悪な笑みを返 した。「お前は自分から抱いて抱いてって、おねだりするからな」 「ばかじゃないの?誰がそんなこと言うもんですか」 「そうかねえ。まあ、シャブが切れれば、考えも変わるぜ。時間はたっぷりある んだ。じっくり待たせてもらうよ」 そう言うと、田辺は志穂を床に軽く突き倒した。 「じゃあな」田辺は悠々と鉄格子の出口を開けて外に出た。「クスリが欲しくな ったらいつでも呼べよ。聞こえるところにいるからな」 牢に施錠した田辺は、じっと眺めていた由希に頷いた。由希は進み出て、感情 を喪失した表情で志穂を見た。 「しばらく一人にしてあげるわ。私の妹にしたことをよく考えるのね」 「あんたも訴えてやる!」志穂は怒鳴った。「学校中に言いふらしてやるから! クビになっちまえ!」 「3、4時間したらまた来るわ」由希は志穂の言葉を歯牙にもかけなかった。「 それぐらいで、禁断症状が出始めるそうだから。充分に反省してれば、ひょっと して帰してあげるかもしれないわよ」 「うるせえ、くそばばあ!」 「女の子がそんな言葉を使っちゃいけないわね。お嫁にいけないわよ」 「変態!あほ!死んじまえ!」 「また後でね」 由希は振り向いて、部屋の隅にある階段を昇っていった。他の男たちが、その 後に続いた。最後に田辺が志穂に手を振ると、照明のスイッチを弾くように叩い た。 たちまち志穂の周囲は闇に包まれた。 志穂はしばらく様子を窺って、誰も戻ってきそうもないと見極めると、這うよ うに鉄格子まで進んだ。太い鉄棒を掴んで、出口を軽く揺さぶってみるが、ガチ ャガチャと金属音が響くだけだった。 腹立ち紛れに鉄格子を蹴飛ばしてから、志穂は床の布団の上に座り込んだ。 「冗談じゃないわ」声に出してつぶやく。「妊娠してる?まさか……」 だが言われてみれば、納得できることが多い。田辺にピルだと言われた薬を飲 み始めた頃から、夜もなかなか寝付けなくなった。あれはピルにカフェイン成分 が含まれているからではなく、覚醒剤だったからだったのだ。当然、避妊効果な どなく、危険日にも平気で体内に射精を許していたため、妊娠してしまった。結 果として生理が止まったため、ピルが効いているものだと思いこんだのだ。 思えば、田辺と出会ったのも偶然のようだが、志穂がF女子大に行ったのは、 由希の勧めによるものだ。あの日、由希が紹介した相手は、もともと不在の予定 だったのだろう。 さらに遡って考えれば、志穂が藤澤美奈代の死と関係がある、という噂を流し たのも由希だったに違いない。志穂が由希に相談に来ることも計算済みだったの だろう。おかげで志穂はノイローゼ気味になってしまった。精神が不安定になっ ていたからこそ、田辺は易々と志穂の信頼を勝ち得ることができたのだ。 田辺を心から信頼し、愛しているとまで思いこんだからこそ、田辺がピルだと 言って渡した麻薬を、何の疑いもなく毎日飲んでいた。そして、気付かないうち に少しずつ中毒にされていたのだ。 それから、ようやく志穂は、由希の妹だという大菅加代のことに思いを向けた。 確かに中学のとき、大菅加代をからかった記憶はある。だが、特に加代を憎ん でいたというよりは、当時の仲間たちがやっていたから、という理由だったと思 う。いじめに参加しなければ、仲間から孤立するし、最悪の場合、自分がいじめ の対象になりかねなかったのだ。どっちみち、大したことをしたおぼえはない。 いじめたのは悪かったとは思うが、こんな仕打ちをされることはないはずだった。 だが……志穂は寒くもないのにぶるっと震えた。あの女にそんな言葉が通用す るとは思えない。 「狂ってるわ、あの女」志穂はつぶやいた。「絶対、警察行ってやる」 それには何とかしてここを出なければならない。 おそらくあのヤクザたちにレイプさせるつもりだろう。志穂は吐きそうになり ながら、そう考えた。藤澤美奈代もレイプされ、それをネタに追いつめられてい ったのだ。だが、あたしはそうはならない。写真がばらまかれたぐらいで、絶望 したりはしない。耐え難いことではあるし、星南高校にはいられなくなるかもし れないが、そんな卑怯な手に屈してたまるものか。逆にそれを証拠にして、警察 に訴えてやる。 負けてたまるか、ちくしょう! 志穂はそこにはいない由希に向かって歯をむき出し、凶暴な仕草で手を振り回 した。こんな逆境に陥っても、少しも絶望せず、むしろ反撃まで考えることがで きる自分を、とても誇らしく思った。あたしって、こんなに強い人間だったんだ。 その強さが、体内に注入された麻薬によって一時的に誘発されたものであるこ とに、志穂は気付いていなかった。 どれぐらいの時間が過ぎたのだろう。この地下牢には窓がないし、物音ひとつ しないため、時を知る術がなかった。家を出るとき、腕時計はつけてきたのだが それはなくなっていた。たぶん、意識を失っていた短い間に取り去られたのだろ う。時間感覚を失わせ、不安を増大させる手にちがいない。 蒸し暑く喉が乾いていた。今はまだそれほどでもないが、空調がないので汗を 止めることができない。じっと横になっているだけでも水分を失いつつあるのだ。 やがて乾きに苦しむことだろう。 ふと恐ろしい可能性が心に浮かび、志穂は顔をしかめた。このまま、飢えと乾 きで死ぬまで放置しておくことも、由希たちには可能なのだ。そのつもりなのか もしれない。そして、水と食べ物が欲しければ、ヤクザたちに身体を差し出せと 脅すこともできる。 それならそれでいいわ。命をおびやかされた結果なら不可抗力であり、プライ ドが傷つくこともない。そんなことであたしを追いつめるつもりなら、いくらで もやってみるといいんだわ。肉体的な苦痛ぐらいで、あたしがプライドを捨てて 懇願すると、本気で思っているのならおめでたいじゃない…… 志穂はまだ理解していなかった。なぜ覚醒剤が暴力団の最大の資金源であるの か、なぜ何万人もの中毒者がいるのか、なぜ警察が麻薬撲滅にやっきになってい るのかを。その誘惑が世間知らずの女子高生などに抗えるものではないというこ とを。 「あとどれぐらいかしら?」 克也は腕時計を見た。 「だいたい3時間ぐらいで、最初の禁断症状が出るかな」 「そう。じゃあ、夜が明けるころに様子を見に行きましょう」 二人はソファに座って、ブランデーのグラスを傾けていた。他の男たちは、隣 の部屋で寝ている。 「なあ由希さん」克也はタバコに火をつけた。「3人目はあっさり行かないか? 拉致って輪姦して川にでも放り込めばいい。こんなに時間をかけて苦しませなく ても……」 「なに、怖じ気づいたの?」由希は克也の言葉を遮った。 「そうじゃない。由希さんのことが心配なんだよ」 「どういうこと?」 「おれたちはこういう稼業だ。人を殺すことなんかはビジネスだと割り切れるし、 良心のとがめなんかも感じない。特にあいつらみたいに、あんたの妹さんを自殺 に追い込んで平然としてるような奴らなら、なおさらだよ。 だけど由希さんは違う。由希さんはこれからもちゃんとした表の道を歩いてい く人だ。つまらない瑕疵をつけたくねえ」 「何がいいたいの」 「あいつらを苦しめれば苦しめるほど、由希さんの心のどこかが重くなっていく ってことさ」克也は由希から視線をそらした。「おれにもおぼえがある。最初に 殺した奴と、その次に殺した奴の顔は忘れられない。いちいち覚えてちゃ、この 世界で生きていけねえ、と気付くまで、いろんなものを犠牲にした。今じゃ、お れは機械みたいに人を殺して、何のとがめも感じねえ。 由希さんは違う。由希さんは本質的に優しい人間だ。この前話してくれたじゃ ないか、絵を描いている女の子の話。その子は由希さんがいなけりゃ、香奈と同 じ道を歩いてたかもしれない。だけど、由希さんが救ったんだ。そうだろ?」 「……」 「由希さんは香奈や、その女の子みたいな人を救うことができる。これからも救 っていくだろう。多くの人間を。誰にでもできることじゃない。だが、これ以上、 あいつらを苦しめて殺していると、その優しい心が少しずつ冷えていくような気 がするんだ。おれみたいな人間に近づいていくんだよ。おれはそんな由希さんを 見たくない」 「気持ちはありがたいけど、やめるわけにはいかないわ」由希の口調は素っ気な かったが、グラスを見つめる瞳には動揺が現れていた。「あいつらが苦しむのを この目でしっかり見届けてやるって誓ったのよ」 「妹さんが喜ぶとは思えないな」 「わかっているわ。だけど、あいつらをただ殺すだけなんて、絶対にできない。 そんなことをしたら後悔するわ。このままでも後悔するかもしれないけど、どう せならやらなかったことじゃなく、やったことで後悔したいものだわ」 克也はグラスを呷った。 「少し寝てていいよ」とても優しい声で克也は由希に言った。「時間が来たら起 こすから。あの子の苦しみに最後まで付き合うつもりなら、今のうちに眠ってお かないとな」 「そうさせてもらうわ」由希はグラスを置くと、ソファの上に横になった。「寝 てる間に襲ってもいいわよ」 「いや、遠慮しとくよ」 「どうして?最初に私の計画を打ち明けたときも断ったわね。ゲイかと思ったけ ど、そうじゃなさそうだし。シスコンかもしれないけど、近親相姦してるように も見えないしね」 「おれはあんたに釣り合うような男じゃない。おれの手は血塗れだからな」 「私だってきれいなことばかりやってきたわけじゃないわ。星南高校に赴任する ために身体を使ったことだってあったし」 「愛のないセックスはしない主義なんだよ」克也は冗談とも本気とも取れそうな 口調で言った。「いいから寝なよ」 「おやすみ」 由希は目を閉じた。
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