長編 #4084の修正
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7 それが始まったのは、三月のはじめ、三年生の卒業式が終わり、校内の生徒の 人数宇が三分の一に減少した直後だった。一年生だっためぐみは、最後のテスト に向けて勉強に忙しかった。 陸上部に所属していためぐみは、同時に、春からはじまるインターハイ地区予 選の練習もこなさなければならなかった。女子の短距離選手は十人。二年生が六 人、めぐみを含む一年生が四人だった。 顧問の吉住教師は、三年生のクラスの担任だったから、卒業式が終わると、と りあえず一息つくことができた。もちろん、まだ大学入試の日程を残している生 徒は大勢いたのだが、ここまできては担任のできることなど、声を限りに応援す ることぐらいしかないのだ。 その日、吉住教師はいつもの通り、陸上部の練習の監督をしていた。春から始 まる様々な試合に備えて、そろそろメンバーを正式決定しなければならなかった。 ただ、吉住教師はどちらかといえば、長距離部門の方に比重を多くかける傾向が あった。自分が学生時代に長距離をやっていたためである。 短距離部門については、さっさと出場選手だけ決めてしまって、勝手に練習を させておきたかった。だが、選手一人ひとりの過去の練習タイムを引っぱり出し てきて、比較検討しながら選手を振り分けるのには時間がかかる。 そこで吉住教師は手間を省くことに決めた。 「そういうわけだ」吉住教師は短距離部門の選手たちを前にして、有無を言わせ ぬ口調で自分の決定を告げた。「これから、全員、100、200、400のそ れぞれのタイムを取る。そのタイムによって、四月からの試合の出場選手を決め る。いいな」 生徒たちは唖然としていた。久しぶりに短距離部門の練習に顔を出したかと思 ったら、とんでもないことを言い出したのだから。 男子生徒たちは顔を見合わせていたものの、キャプテンが仕方がない、という ように肩をすくめて頷いたので、他の生徒たちも同意した。なかにはおもしろそ うな顔をしている生徒もいたし、不安を顔に表している生徒もいる。 女子生徒たちは簡単に納得しなかった。 「よし始めるぞ」 吉住教師が怒鳴り、ストップウォッチを手にしてゴールラインに歩き出したと き、一人の女生徒が走ってきて呼び止めた。 「先生」 「なんだ、朝倉」 女子キャプテンの、二年生の朝倉祐子だった。 吉住教師は、内心、祐子を苦手としていた。大抵の教師がそうだっただろう。 校内一の美人と噂されていること、成績は常にトップで東大、早稲田クラスを楽 々狙える学力を持っていること、国際的に幅広い顧客を持つ貿易会社の社長令嬢 であること、幼い頃海外で生活していたため英語を自在に操ることなど、どれか 一つだけでも苦手とする理由には充分であるのに、祐子は全てを備えているのだ。 天は人に二物を与えず、という言葉は、少なくとも祐子には適用できないだろう し、才色兼備という言葉があてはまる数少ない人間の一人でもある。 もっとも、祐子にも弱点はあった。運動神経も優秀な祐子だったが、どういう わけか、球技に関しては才能を発揮することができなかった。もちろん人並み程 度にはテニスもできたし、バレーボールを楽しむこともできたが、他人に比べて 秀でているというほどではなかった。これは、祐子のプライドを傷つけたらしく、 陸上部に入部したのはそのためだった。特に努力しなくても何でもできるので、 努力するよりも簡単な道を選ぶくせがついているらしい。 「突然、一回だけのタイムトライアルで選手を決定するなんて無茶です」祐子は 小声で抗議した。「せめて、今までの練習のタイムを参考にして下さい」 「もう決めたことだ」吉住はぶっきらぼうに答えた。 「でも、それでは、たまたま今日、身体の調子が悪い人はどうなるんですか?」 「運が悪かったと思って諦めるしかないな」 「そんなばかな」 「ばかとは何だ」吉住はむっとしたものの、やや後ろめたいところもあったので、 抑えた口調を保っていた。「いいか、試合には全員が出られるんだ。それが、1 00だろうが、400だろうが大して変わりはしないだろう」 「100と400じゃ全然違います」 「とにかく過去のタイムなんか見て、まとめている時間はないんだ」 「それなら大丈夫です、先生」 「どういうことだ?」 「私が全員のタイムをパソコンでまとめておきましたから」祐子は得意げに説明 した。「一年分です。グラフも表示できますから、一目で誰がどの競技に向いて いるかがわかると思います」 吉住の怒りはさらに上昇した。 「誰がお前にそんなことを頼んだ?余計なことをするな」 「余計なこと?」 祐子はショックを受けた顔で、吉住を見返した。それを見て、吉住はかすかな 喜びをおぼえた。 「そうだ。つまりお前はおれのことを全く信用していないということだろう」 「いえ、そんなつもりはありませんでした。ただ……」祐子は言い淀んだ。 「ただ、何だ?」 「先生はいつも長距離の練習の監督でお忙しいようですので、参考になればと思 いまして」 「ほう。おれよりも、お前の方が短距離の練習について詳しいというわけだな?」 「そんなことは言っていません」 短距離の女子生徒たちが、二人に注目していた。タイムトライアルのため、ス ターティングブロックを部室から運んできた男子生徒たちも、足を止めて注目し ている。 吉住は、それらの視線を痛いほど感じていた。大抵の教師がそうであるように、 吉住も生徒になめられるのが大嫌いだった。 「うるさい」吉住は声を大きくした。「自分がちょっと勉強ができると思って、 いい気になるんじゃない。おれの言われた通りにすればいいんだ。顧問の命令に 従えないやつは、どの種目にもエントリーさせない」 祐子の顔が青ざめた。吉住は快感をおぼえながら念を押した。 「いいな。わかったらさっさと準備しろ」 固い表情で祐子はうなずいた。 めぐみは200メートルを得意としていた。というよりも、100と400は、 最初から諦めていたから、そちらに回されてはたまったものではない。 スパイクのひもを結んでいると、朝倉祐子が近づいてきた。親しげに笑みを浮 かべている。 「めぐちゃん」 「はい?」 「めぐちゃん、200が得意だったわよね?」 「得意というか……他が駄目ですから」 「このやり方どう思う?」 「めちゃくちゃですよね。大きな声じゃ言えませんけど」 「構わないわよ。みんなそう言ってるし、私もそう思うから」 「先輩は当然200ですよね」 それは今までの練習のタイムから見ても明らかだった。祐子は200が得意だ ったし、事実、女子短距離部門の中では常に一番のタイムを保持している。 「うん、そうなんだけどね」祐子は言いにくそうに目を伏せた。「実は、今日、 二日目なのよ。熱とかはないんだけど、お腹が痛くて」 「大丈夫ですか?」 「何とか走るぐらいはできると思うんだけど」 「ああ」 「それでね。ちょっと頼みがあるのよ。きいてくれる?」 「何ですか?」 「私がもし遅れてしまって、三人の中に入れそうになかったら、私より後にゴー ルしてほしいの」 めぐみは驚いて祐子の顔をまじまじと見つめた。 「だって当然でしょ?」祐子は開き直ったように早口になった。「誰が見たって、 私の方が速いのよ?それなのに、たまたま今日、不調だからって200に出られ なくなるなんておかしいと思わない?」 「そ、それはそうですけど……」 「他の一年生にも話してあるわ。いいわね?私より先にゴールしちゃだめよ」 「でも、そんな」めぐみは弱々しく抗議した。「わざと遅く走るなんて……」 「何とでもなるでしょ?わざとつまずいて転ぶとか」 冷たい口調で言い放つと、祐子は立ち上がった。少し優しい口調で続ける。 「大丈夫よ。めぐちゃんだって、200に出れるから。みんな少しずつ遅く走る から、全体的に順位は変わらないわ。もともと、あるべき種目に全員が出るだけ のことよ」 理屈は正しいかもしれないが、納得できたとはとてもいえなかった。めぐみは 他の部員と同様に祐子のことを尊敬していたし、顧問のやり方は明らかに間違っ ているから全員で抗議しようと誘われたのならば、喜んで同意したにちがいない。 だが、祐子のやり方は、陸上部全体のことを考えているようで、その実、自分が 出るべき種目に出られないことだけを問題としている。 そう思ったものの、口に出すことは思いとどまった。祐子は優等生で性格も悪 くないのだが、自分と意見が合わなかったり、反発したりする相手には容赦がな い、という噂だったからである。 めぐみの沈黙を同意と解釈したらしく、祐子はにっこり笑った。 「じゃ、いいわね。頼んだわよ」 タイムトライアルは、400、100、200の順番で、男女交互に行われる ことになった。吉住が決めた順番だった。 400と100に出場したくないめぐみは、適当に手を抜いて走った。さすが にあからさまに遅く走るわけにはいかなかったが、もともと得意な種目ではない し、出場したい部員は真剣に走ったので、手抜きには見えなかっただろう。 走り終えて汗を拭きながら、それとなく祐子を探した。祐子は演技ではなく苦 しそうだった。顔は蒼白で、肩で大きく息をしている。一度身体を横にすると、 回復が遅くなることを知っているので、膝から上はまっすぐ伸ばしてはいるが、 それが苦痛になっているようだった。 「女子200、用意しろお」吉住が容赦なく怒鳴った。「はじめるぞ」 一斉にぶつぶつと不満の声をあげながら、女子部員はスタート地点に向かって 歩いていった。200は、トラック半周なので第三コーナーからスタートとなる。 二組に分かれ、五人が同時に計測する。 めぐみは後の組に回された。祐子も後の組だった。組分けをしたのは二年生の 男子部員の一人だったが、祐子の疲労が激しいのを見て、少しでも回復の時間を 与えようとしたのだろう。もっとも、せいぜい二分程度の時間にしかならなかっ たが。 「次行くぞ」ピストル係の男子部員が言った。「位置について」 心に迷いを抱えたまま、めぐみはスパイクをスターティングブロックにかけ、 両手をトラックについた。ちらりと祐子を見ると、一人だけ肩で息をしているの が分かった。 「用意」ピストルが天に向けられた。 めぐみは顔を前に戻し、腰を高く上げた。地面に開いた六本の指に体重をかけ て静止する。 発射音が静寂を破った。 スターティングブロックが蹴られる音が同時に響き、部員達は一斉に飛び出し た。 傍目からでは分からないかもしれないが、めぐみは全体的にペースが遅くなっ ていることに気付いた。祐子の言葉は嘘ではなかったようだ。めぐみはすぐに心 を決めると、ペースを落とした。 祐子はめぐみのすぐ前を走っていた。かろうじてトップを維持しているが、い つもの安定したフォームは見る影もない。ストライドは狭いし、腕も意識して振 っているというよりは、惰性で揺れているだけのように見える。 他の三人は、めぐみたちの後方を走っていた。いずれも、200メートルへの 出場希望は持っていなかったし、祐子に言い含められていたこともあって、意図 的な手抜きだと思われない程度に離れているのだろう。 第四コーナーにさしかかったとき。 突然、祐子の身体が外側に向かってぐらりとよろめいた。斜め後方を走ってい ためぐみは、とっさに内側に入ろうと身をかわした。 それがいけなかった。祐子はすぐに体勢を立て直したが、めぐみの方はそうは いかず、結果的に祐子がめぐみに激しくぶつかる形となってしまった。二人はも つれあって、トラックの中に転がり込んだ。 後ろを走っていた三人が驚いて走るのをやめかけたが、吉住の怒鳴り声がそれ を制した。 「止まるな!走り続けんかあ!」 三人はやむを得ず第四コーナーを駆け抜けていく。 祐子はめぐみを乱暴に押しのけると、すぐにトラックに戻って走り出した。め ぐみも後を追う。しかし、200メートルで数秒の差は大きい。抜いていった三 人は、すでに最後のスパートにかかっている。この状態で祐子が追いつくぐらい までスピードを落とせば、いかに鈍感な吉住教師でも気付くだろう。 祐子は四位でゴールした。めぐみは遅れること一秒だった。すでに結果は明ら かだった。祐子もめぐみも200メートルへの出場は果たせない。
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