長編 #4083の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
6 ふと気がつくと、国道の横断歩道の前に立っていた。どこをどう歩いてきたの か、全く記憶にない。そばには押しボタン式の歩行者用信号機がある。右折車線 を含めて三車線の国道は、昼も夜も交通量が激しく、この日も例外ではなかった。 大型のトラックやが、何台もうなりをあげながら、通り過ぎていた。 車の流れを見ていると、吸い込まれていくようなぼおっとした気分になってき た。催眠効果にも似た奇妙な感覚が、全身を覆っている。それが乗用車やトラッ クのせいなどではなく、つい先ほどの苦痛の後遺症だということを、めぐみは気 付いていない。 どういうわけか、この横断歩道を渡らなければならないような気分になってい た。その理由はわからなかったが、どのみちめぐみは、そんなものを求めてはい なかった。手を伸ばして、信号機のボタンを押す。 いや、めぐみの指は、押しボタンボックスを外れて、支柱の一点を強く押した に過ぎなかった。しかし、めぐみはボタンを押したという、つかの間の満足感に 浸った。そして、信号の色を確認しようともせず、足を踏み出した。 突然、肩を誰かの手がつかみ、ほとんど引き倒さんばかりの勢いで、めぐみの 身体を後方に引いた。同時に、四トントラックのけたたましいクラクションが世 界中に鳴り響き、めぐみは音速で現実の世界に投げ戻された。 危うく死ぬところだった。めぐみはぞっとしたが、もっと恐ろしかったのは、 自分が心のどこかで、それを望んでいたのかもしれないという、身も凍るような 思いに気付いたことだった。 お礼を言わなくては、と振り向き、再び驚いた。まだめぐみの肩をつかみなが ら、安堵の表情を浮かべていたのは、よく知っている人物だったからだ。 「由希先生!」 「ああ、びっくりした」由希は息を切らしていた。「まだ青になってないわよ」 「あ、その、すみません」めぐみはひどく平凡な答えを返した。 「どこに行くつもりだったの?」 叱責の口調ではなかった。めぐみは少し安心した。 「ええと、ちょっとお昼を買いに」 「それで?」 「は?」 慌てて足元を見て、自分が履いているのが革靴ではなく、校内で履くモスグリ ーンのスリッパであることに気付かされた。 二の句が継げなくなってしまっためぐみを、由希はそれ以上追求しなかった。 めぐみの当惑をおもしろがるように笑みを浮かべているが、嘲笑のそれではなか った。 「まあ、こんなところに立っていてもなんだから、学校へ戻らない?」 「学校へ……」 記憶が次々にフラッシュバックされた。膝が小さく震え始める。 素早くその様子を見てとった由希は、めぐみの肩を抱くように近くのバス停の ベンチに導くと、優しく座らせた。 「ごめんなさい、名前をおぼえてなくて」 「立川めぐみです。二年一組の」 「立川さんね。戻りたくないの?」 めぐみは頷く前に数秒のためらいを見せた。 「よかったら話してくれないかな」 再びめぐみはためらった。話せるとしたら由希しかいないことは分かっていた が、話した結果が怖かったのだ。 「無理にとは言わないわ」由希は、組み合わされためぐみの手を、元気づけるよ うに軽く叩いた。「その気になったときで構わない。秘密は絶対に守るし、でき るかぎり力になるって約束する」 めぐみはうつむいて由希の言葉に耳を傾けていたが、決心したように口を開い た。 「先生」 「なに?」 「三年生の朝倉祐子さんって知ってますよね」 その瞬間、由希の顔から穏やかな笑みが拭い去られ、驚きと冷たい憎悪が浮か んだ。それらの表情はすぐに引っ込んだので、うつむいたままのめぐみは、全く それに気付かなかった。 「知ってるわよ」 「どう思いますか?」 「どうって……」めぐみの求めている答えがわからないまま、由希は慎重に考えな がら言った。「成績は常にトップ。確か貿易会社の取締役社長の長女。スポーツも 優秀。趣味も多いみたいね。おまけに美人だし、真面目で性格もいい」 「そうなんですよね」めぐみは諦めたようにうなだれた。 「朝倉さんがどうかしたの?」 「先生、もしもなんですけど……たとえば、朝倉先輩のことを悪く言う人がいて、 朝倉さんはそれを否定したとしたら、どっちを信じますか?」 「悪く言うって、たとえばどんなこと?」 「えーと、たとえば、たとえばですよ。朝倉先輩が万引きか何かをしたところを 見たって誰かが言ったとして、朝倉先輩はそんなことしてない、って言ったら?」 「まあ、少なくとも、どっちかの言い分を頭から信じたり否定したりするような ことはしないと思うわ。事実関係を慎重に調べたり、話をもっとよく聞いたりし た後でないと、どちらを信じるとは言えないわね」 「たとえば学校一の不良と、朝倉先輩とだったらどうですか?」 「同じよ」 由希は明快に答えた。めぐみはようやく顔を上げた。 「きいてもらいたい話があるんですけど」 「いいわよ。今?」 「いえ、ちょっと長い話なんで、放課後がいいんですけど」 「わかったわ。人に見られない方がいいわね?」 「できれば」 「それじゃあ、こうしましょう。駅に行く道の途中に、あさひ銀行があるわね。 そこの駐車場で待っててくれる?授業が終わって、用事を片づけたら、すぐに車 で行くから」 「はい」 「うん。じゃ、とりあえず学校に戻りましょう。大丈夫。教室には戻らなくても いいわ。三石先生に話してあげるから、保健室で横になってなさい。お弁当は持 ってきてあげるから」 めぐみは、由希に連れられて学校に戻ると、終わりかけていた三時限の残りと 四時限、昼休みを保健室のベッドで過ごした。めぐみ自身は自覚していなかった が、心が休息を必要としていたらしく、三時間近くを死んだように眠っていた。 目覚めると、ベッドサイドにめぐみの弁当箱が置かれていた。見覚えのない缶 入りのウーロン茶は、由希が買ってきてくれたものらしい。その心遣いに感謝し ながら、めぐみは一人きりの昼食をゆっくりと楽しんだ。いつもは教室の隅で、 びくびくしながら大急ぎで食べていた。質の悪い何人かの男子が、めぐみの弁当 箱にゴミを投げ入れようと、教室のあちらこちらから狙っているのが常だったか らだ。 食べ終わると、めぐみは再び眠りについた。六時限が終わり、校医に起こされ るまで、夢も見ずに熟睡していた。 部活動のない生徒達が下校し始める少し前、めぐみは校門から走り出た。 銀行の駐車場で二十分ほど待っていると、由希のシビックが滑り込んで来るの が見えた。めぐみが駆け寄ると、由希は助手席のロックを外し、めぐみに乗るよ うに合図した。 「シートベルト締めてね。ちょっと早いけど、夕食付き合ってくれる?おごるか ら」 「いいんですか?」 「もちろん。何が食べたい?」 「何でもいいんですか?」 「常識の範囲内ならね」 「あの、笑わないでくださいね。あたし、焼肉が食べたいんですけど」 思わず由希が吹きだした。 「笑わないでって言ったのに!」 「ごめんなさい」由希は口元をほころばせたまま答えた。「ちょっと意外だった から。いいわ、先生も焼肉なんて久しく食べてないし。国道沿いに焼肉屋あった わよね。あそこでいいかな。何てとこだっけ。知ってる?」 「<団十郎>です」 <団十郎>は、煙の出ない焼肉を売りにしている店だった。まだ早い時間なの で、店内は空席ばかりである。二人は窓際の席を選んだ。 注文をめぐみに任せておいて、由希はお代わり自由のサラダバーに二人分のサ ラダを取りに行った。戻るとめぐみが楽しそうに言った。 「ここは牛タンがおいしいんですよ。三人前頼んどきました。あとカルビとロー スと鳥モモとレバー。先生、きらいなものありますか?」 由希は首を横に振った。めぐみは午前中とはうって変わって明るい表情をして いる。生者とは思えないような顔でさまよい歩いていた少女と、同一人物だとは 信じられないぐらいだった。 「よかった。焼き野菜も二人前頼んどきましたから。ホルモンはやめときましょ う。ここのは、まるでガム噛んでるみたいで、顎が疲れるだけですから。あ、タ レはですねえ、辛口と甘口のを混ぜたのがいけますよ。そうだ、先生!」 「な、なに?」 めぐみは声をひそめた。 「お金、ありますか?」 とうとう由希は笑い出してしまった。 「変な心配しないで、いくらでも追加していいわ。見かけによらず、結構大食い なのね、立川さん」 「友だちはめぐみって呼ぶんですよ」めぐみはそう言うと、問いかけるように由 希を見た。 「先生は友だちじゃないわ」由希は事務的な口調で答えたが、めぐみが顔を曇ら せる前に続けた。「だから友だちにしてくれる?」 ぱっと顔を輝かせためぐみは、由希の前に手を出した。由希はその手をしっか り握り返した。 「これで二人は友だちですね。死が二人を分かつまで」 「死が二人を分かつまで」由希は大まじめに誓約した。 ウェイターが肉の皿を運んできた。由希はそれを受け取ることに気を取られて いるふりをして、めぐみの目に光る涙を見ないようにした。
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