長編 #4029の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
黒い森を抜けて 叙 朱 4 体中がむず痒く、気分はイライラしていた。考えの重心が定まらないような居 心地の悪い違和感がある。意識ははっきりしていたが、それがどういうことなの か、自分がなんなのかといった肝心のことが全く分からなかった。 目を開くと、目の前に不思議そうな顔つきの娘がいた。 「ジチ、どうしたの?」 娘は小さな口をもごもごさせて聞いた。ジチは目をぱちぱちして、娘をまじま じと見た。リナは長細い身体を持っていた。すべすべした体を弓なりにして小さ な頭はジチをのぞき込んでいる。くるりと反り返ったヒゲがかわいいし、大きな 丸い複眼もきらきら光りとても魅力的だ。リナは素敵な娘だった。 「ねえ、ジチ、変な顔してどうしたの?」 ジチの内心の葛藤が顔に出ていたらしい。リナは同じ質問を繰り返した。ジチ はイライラしながら、喋るべき言葉を探した。 「なんでもないよ」 言葉はすんなり出てきた。しかし喋りながらも、ジチは苛立ちを抑えられなか った。切迫感のようなものがジチを追い立てていた。苛立ちの対象はリナではな い。何かをしなければならなかった。何かがなんだか分からなかったけれど、と にかく、何かを見つけて、何かをしなければ、そのイライラは解消できそうにな かった。 「どこへ出かけてきたの」 リナは黒い目をまっすぐジチに向けている。ジチは少し考えてから、オキナた ちの丘に行って来た、と正直に言った。あれ以来気になっているのだ。オキナた ちはいつも丘の辺りで集まっていた。なぜか、黙っていてもジチの体はそちらに 吸い寄せられる。そして丘のふもとで諦めてこの森へ帰ってくると、ひどく疲れ ているのだ。 「オキナたちがまた集まって、話し合いをしていた」 それは相変わらずのオキナたちの光景だった。いつ行っても、集まっている。 「いつもの事ね。でも、それはね、木の実の話かもしれないわ。このごろ木の実 が採れなくなってきているらしいから」 リナはいろんなことを知っていた。ジチは何も知らなかった。 「でも木の実をどうするんだ」 「食べるのよ。ジチもすぐに好きになるわ。でもね、このところ、オキナたちの 分まで行き渡っていないようね」 「どこに木の実があるんだい。この森にはないようだけれど」 「ここにはないわ。私もよく知らないけれど、たぶん、黒い森じゃないかしら」 「また黒い森か。それで、僕らを飛ばしたいんだ」 「そうね、私とジチが飛べれば、木の実を採って帰れるかもしれないしね。でも ね、あの黒い森はそれだけじゃないような気がする」 「どういうこと?」 「オキナたちは黒い森へは行かない。なぜだと思う?」 「分からない。オキナはちゃんと飛べるのだから、行けるはずだけど」 「これから行ってみる? オキナに止められているから私も行ったことはないけ れどね」 リナはもう立ち上がり、足をくねくね曲げて準備運動している。ジチもリナの 後ろで、足をくねくね動かしはじめた。 5 「瞳孔の散大、意識の消失、それに加えて、頭部の損傷が相当にひどい。CTで も脳内の出血が確認されました。本来ならば、すぐに頭を開けて内出血の処置を すべきなんですが、踏み切れないでおります」 「それはどうしてなのですか」 「はい、実は患者、いえ、ご主人の体温が非常に高くて、たぶん脳内の血腫のせ いだと思うのですが、脳の中の温度が上がってきているのです。脳細胞や脳神経 は大変繊細で熱に大変弱いのです。このままでは、手術をして脳内の出血を止め ても、その後遺症の発熱で肝心の脳細胞や神経が死んでしまう怖れが高いと判断 しました。そうなると、たとえ回復しても後遺症の心配が大きくなります」 「どういうことでしょうか?」 「例えば、脳細胞が損傷を受けますと、四肢の障害が残ったり、最悪の場合は自 意識の戻らない植物人間という怖れもあります」 「ということは、主人に助かる見込みはないと、そういうことでしょうか」 「残念ながら、あまり希望が持てる状況ではありません」 「そんな・・・」 「今のところ、新しい治療法を使い、なんとか熱を下げるべく努力をしておりま すが、九十九パーセント難しいと申し上げざるをえません」 「ああ・・・」 「この二、三日が勝負だと思います」 「主人には会えないのでしょうか」 「現在、集中治療室ですが、お一人だけでしたら入っていただいても結構ですよ」 「はい、私が入ります。ぜひお願いします」 「では、こちらへどうぞ」 6 きゃっ。 リナの息を飲むような悲鳴で、ジチはあわてて目を開けた。 リナは光る体をくねらせて、丘の向こうを見下ろしていた。どうしたというん だ。ジチは、おそるおそる、リナのとなりに並んで丘の向こうをのぞき込んだ。 あっ。ジチも、思わずうめいた。 ゆるくなだらかだった丘は足下で突然途絶え、そこは切り立った崖になってい たのだ。そして、崖のところどころの突き出た岩に、奇妙に折り曲がった尻尾が いくつも重なって見えた。おびただしい数の尻尾だった。尻尾はジチとリナのそ れによく似ていた。ジチとリナはそのまましばらく口もきかずに足下を見つめて いた。ジチの前にもここから飛ぼうとしたものが沢山いるのだ。足元に転がる尻 尾がそれを物語っていた。そうして、飛んだものの行く末も・・・。 ジチの体は知らず知らずの内にすくんでしまい、ついには恐ろしさにがたがた と震え始めた。 崖のはるか下の方には黒々とした森が見えた。ジチの仲間たちが横たわる岩々 のまだずっと下の方だった。鬱蒼とした森はそこから果てしなく地平線の彼方ま で続いているように見えた。 「行かなくっちゃ。森に行かなくっちゃ。行かなくっちゃ」 リナが突然つぶやいた。見るとリナの体がぶるぶるとうなり始めていた。それ は規則正しいリズムを打っていた。ぶる、ぶる、ぶる、ぶる。リナは体をくねら せながら、丘の終点つまりは断崖へと身を進めはじめた。 「ジチ、感じないの? 黒い森が呼んでるよ。ジチ、ついておいで。ついておい で」 リナは歌いながら、丘の終点ですっと立ち上がった。「待ってくれ」ジチはと っさにリナの尻尾を踏みつけたが、一瞬早くリナの体は宙に飛び跳ねた。 「ジチーっ、ついておいでーっ」 ジチは急いで見おろした。リナの光る体はくるりくるりと回りながら落ちてい き、それでも途中の岩に引っかかることなく、あっという間もなく崖下の黒い森 へ吸い込まれていった。ジチは呆然と見送った。ジチのまわりには、リナのどき どきする匂いがまだはっきりと漂っていた。リナの遠ざかる声も耳の中に残って いた。 7 「体温は三十三度くらいに冷やして継続して観察中です」 「見通しは?」 「難しそうです。意識も戻りませんし、頭を開けないで様子を見ていますが、瞳 孔の収縮が始まりました。左右ともに2ミリです」 「脳温が下がれば瞳孔は収縮する。問題はむしろ脳内出血だな。脳に相当の衝撃 があったのだろうから、遅発性出血も調べた方がいいかもしれん」 「遅発性、ですか」 「そうだ、いったんは停まったように見える内出血が突然また再発することがあ るんだ。交通事故でその時は大丈夫でも、何日かして突然倒れる例があるだろう。 あれは大体これだ」 「はい、CTをもう一回やってみます」 「うむ、患者の家族にはどうした」 「患者の妻に、正直に難しいと伝えました。集中治療室で、変わり果てた患者を 見せましたので、覚悟はできたようです」 「そうか、それで例の件は話してくれたか」 「臓器提供の件ですか。いえ、まだです。もう少し様子を見たいと思いまして」 「そうか、まあいい。でもその時が来たら、うちが一番に貰いたいので連絡は頼 むよ」 「分かりました」 8 「リナがやっと行ったか」 放心したように立ちつくすジチのすぐ後ろに、いつの間にかオキナたちが集ま ってきていた。 「リナは死んでしまったのか・・・」 ジチは黒い森を見つめながらつぶやいた。オキナたちは互いの顔を見合わせた が、ジチの問いには答えようとはしない。それどころか、ジチがそこにいること にも全く気づかないかのように、顔を見合わせあってはヒゲをこすりつけたりし ている。 その時、ジチの体の奥でなにかがはじけたような気がした。頭がくらくらし、 体がふるえだした。小さな規則的な震えがだんだん大きくなり、体全体が熱くな ってくる。震えはいっそうひどくなり、とうとう、つられて首がくねくねと動く までになった。ジチは抑えきれない衝動に突き動かされて体を大きく反転させ、 崖の上に立ち上がった。 黒い森へ行くのだ。 衝動は繰り返し繰り返しジチを突き上げる。オキナたちはあいかわらず髭をこ すり合わせながら、それでも心配そうにジチの動きを目で追っている。 「無理なんじゃないか」 ひとりが思わずつぶやく。 「しぃーっ。仕方のないことじゃ。そんなこと今さら言っても仕方がないことじ ゃ。わしらは、ここで待つしかあるまい」 崖の上で一度大きく立ち上がったジチは、何のためらいもなく、次の瞬間には 地面を蹴って宙に体を投げ出していた。ジチの体はくるりと回転し、そしてぶる、 ぶる、ぶる、と震えながら黒い森の方へ落ちていった。ぶる、ぶる、ふるえは止 まらず、くるり、くるりと体はよじれながら・・・。 (以下続く)
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