長編 #3993の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
9 エピソード 小山君が奥さんの運転する車で迎えに来てくれて、さくさんと私と妻を乗せ、駅前 の寿司屋まで送ってくれた。奥さんはそのまま帰り、私たち4人は寿司屋の二階に上 がって、ビールを飲みながら2時間ほど語り合った。 話の内容は、学生時代の思い出・同窓生や知人たちの近況・今回の演奏会や福祉大 会のこと・博物館の苦労話など楽しかったが、ここにはそれを書く代わりに、さくさ んとのぶた君の人となりを物語るエピソードを幾つか述べて、二人のことを紹介して おく。 のぶた君は教員養成校を卒業して1年目、就職先が無かったために、郷里の自宅に 待機しながら、一応理療の看板を揚げて開業していた。 けれども毎日が退屈でたまらない。 元々スポーツが好きだったし、運動不足を解消する意味もあって、近くの池へ水泳 の練習に出かけた。 池といっても広くて深い。彼は全く泳ぎを知らないから、おぼれてしまっては大変 だ。 そこで考えたのは、長い縄を腰に巻いて池に入り、その縄の反対の端を母親に持っ ていてもらうことにした。もし危なくなったら、その縄を辿って池の縁へ戻るか、母 親に引っ張ってもらうつもりだったのだろう。 母親とはありがたいものだ! 全盲の息子が池で泳いでいる間、縄の一端を手に握 って木の下に立っていてくれるのである。 栃木のさくさんの家へ遊びに行ったことは上にも書いたが、私ともう一人の友達を 居間に案内してさくさんが言った。 「ここに居るのはかあちゃんだよ! 俺のかあちゃんだから、何も遠慮することはな いさ。安心して何でも我侭を言っていいよ。」 と。 私はその時羨ましいというより、思わず感心してしまった。母親というのは、自分 の我侭と同じように、友達の我侭まで聞いてもらえる人なのだ。 私のことになるが、4歳の頃から母親は肺結核で病床に就き、それ以後ずっと寝た り起きたりしていて、八歳の時この世を去った。だから、優しい母ではあったが、あ まり我侭は言えなかった。 私の妻は、三歳半の時に母親を亡くし、顔もほとんど覚えていないと言う。 のぶた君やさくさんの場合、二十歳を過ぎてからでも母親に甘えていられたという ことになる。 二十歳どころか、40歳・50歳になっても、母親にとって子供は子供であり、話 のついでにそんなエピソードをもう一つ書かせてもらう。 二人とは全く関係ない私の同級生の話である。 彼が癌で亡くなったのは今から7年ほど前だった。その葬儀に出席した時、お母さ んが言われた次の言葉を私は忘れない。 「息子よりもわたしの方が後まで残ってやれて本当に良かったわなも!」 自分の方が息子よりも先に死にたいと考えるのが普通だと思うのに、それはまだし も愛情が浅いのであろうか? さくさんの博物館に関連して、もう一話書いておきたい。 鯨の骨格標本を作りたいと思い立ち、130キロも離れた岩手県山田町の捕鯨会社 の所長さんに頼んで、マッコウ鯨の体の一部を運んでもらった。 さて、動物の骨格を取るためには死体を地中に何年も埋めておいて腐らせなければ ならない。そこで、小雪の降る寒い日に、庭に穴を掘ったのはよいが、鯨が重たくて 運べない。さくさんは縄で鯨を縛ってその縄を自分の腰に巻き付け、懸命に引きずっ たがなお動かない。奥さんが後ろから押してくれてやっとのことで穴のそばまで引っ 張ってきた時、突然プツリと縄が切れて、さくさんは自分が掘った穴の中に転落して しまったそうだ。 これは愉快な笑い話になるが、それを聞いて妻が言った。 「桜井先生も大変だけど、奥さんも偉い人だわ! わたしならとても出来ないねえ。」 さくさんのお母さんは既に亡くなられたが、そのお母さんに比べても決して引けを 取らない奥さん、その人の協力によってこそ、〈手で見る博物館〉が運営されている のである。 そういう話も交えて、のぶた君やさくさんと旧交を暖めることができ、寿司屋を後 にしたのは8時半頃だった。 4人で盛岡の町を歩いて開運橋まで来ると、 「これは北上川に架かる橋で、少し川上には中津川と雫石川が合流してるんだ。中津 川には鮭が遡上するんだよ。」 と、さくさんが説明してくれた。 駅のコインロッカーから荷物を出し、手みやげ代わりの青柳ういろうを二人に渡し て彼らと別れ、私たちはホテル『メトロポリタン盛岡』に向かった。 6月23日(火) 10 宮沢賢治の里 花巻 ホテルの部屋は四階の12号室、夕べもよく眠り、早朝すっきりと起床した。 昨夜食べ残した寿司を店で包んでくれて、それを妻が冷蔵庫の製氷皿の上に乗せた まま忘れていたと言い。取り出してみると確かに凍ってはいたが、納豆巻きが割合食 べやすかったので、3本くらいをほとんど私一人で片づけた。 カフェテラスでホットコーヒーを飲んだが、昨日同様、ちょっとぬるくて物足りな かった。 売店で『小岩井農場製』のカマンベールチーズを買ったが、普通のプロセスチーズ と風味はあまり違わない。 同じく小岩井農場のアイスクリームを買って部屋に持ち帰り、いざ食べようとした らスプーンが無くて、妻が売店へもらいに行ったら、フロント係りがひどく恐縮して いたそうだ。 妻は家に電話をして、娘たちがちゃんと朝起きて出勤していることを確かめて安心 する。 荷物をまとめ、チェックアウトを済ませて、駅に向かった。 新幹線に乗って16分、次の新花巻で降りる。 駅のベンチは、大理石のような石をすべすべに磨き上げた重厚な作りになっていて、 腰掛けて休んでいると、駅前広場の方からチェロの音楽が聞こえてきた。 そばへ行ってみると、立派なレリーフがあり、宮沢賢治の『セロ挽きのゴーシェ』 を型どって、四角い御影石に、ゴーシェ・チェロ・野ネズミの親子・フクロウ・狸・ 猫が、異なる種類の石で彫刻してはめ込んであった。手で触れてもはっきり分かるよ うに、石の壁面に動物やチェロの美しい形が浮き出しになっていて、これほど見事な 石の芸術を見たことがない。説明文によれば、総重量85トンもあると言うが、さも あろう。音楽はチェロの独奏で、聞き覚えのある宮沢賢治作曲の歌と、シューマン作 曲のトロイメライが、スピーカーから繰り返し流れていた。 駅前は閑散として、宮沢賢治館へ行くバスも2時間に1台しか無いようだ。 仕方なくタクシーに乗ったら、若い女の運転手で、料金はわずか700円だった。 宮沢賢治記念館は、受け付けの人が身障者の私を入場無料にしてくれて、中を一巡 すると、童話の幻燈と朗読・賢治が使っていた道具類の展示などがあった。 観光地は何処へ行っても入場料や拝観料を取られるが、昔なら自由に見られた名所 旧跡も、必ず誰かが手を加えて金を取る。 イーハトーブ館には、携帯用手回し蓄音機が展示してあったが、他はあまり詳しく 見ずに外に出た。 急な坂を前のめりになりながら下った所にポランの広場があり、賢治の設計図を蘇 らせた日時計花壇や南斜花壇がある。 中年の会社員の団体と幼児を連れたお母さんが歩いているくらいで、公園内は静か だ。 銀河ステーション・童話村・貨車を利用した売店・白鳥の駅などのコーナーは、急 な坂道や階段や橋を通って行き来できるようになっているが、気温が高いのと荷物が 重たいのとで、二人とも少し歩いただけでくたびれてしまい、早々とバス停まで戻っ た。 バスの本数が少ないうえに行き先もよく分からないので、ひとまずベンチで休んで いると、向こうのタクシー乗り場に車が止まり、運転手の降りるのが見えた。そばま で行って、乗せてくれないかと聞いたら、 「このタクシーは予約になってるから駄目だけど、無線で呼べばすぐに来るよ!」 と言い、本当に2分もしないうちに別のタクシーが来た。 今度は在来線の花巻駅まで乗ったが、ここまでのタクシー料金は二千百円だった。 新幹線の駅よりもこちらの方が賑やかで、待合室にも大勢の人が座って話をして居 る。 列車を待つ間に食べた売店のかけそばは熱くて美味しかった。 花巻から平泉まで乗った列車は各駅停車だが、線路も良いせいか大変速い。かつて 特急『はつかり』が走ったコースだから当然かも知れないが…。 ところで、この電車は大層変わっていて、まずプラットホームから乗り込むさいに ステップをもう一段上がるようになっている。また、ドアがボタン方式と言って、列 車に乗る人・降りる人が、自分でボタンを押さないと扉が開かない。こんな列車は生 まれて初めてだ。 他にも、新幹線では味わえない情緒が在来線にはある。
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