長編 #3948の修正
★タイトルと名前
親文書
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
医師による説明が終わると、義正より早く、手を挙げた者がいた。 「丞一郎がO型ですわ」 義正を手で示しながら言ったのは、彼の母親だ。 「いいわね?」 身を寄せてきた彼女から囁かれ、義正は首をすくめた。 「気が進まない」 「チャンスじゃない。人気が上がるわ。重傷の少年を、天城丞一郎が血を提供 して助ける」 「激しい運動が、しばらくできなくなるんだろう? ライブに響くよ」 「そんなの、いいわよ。美談があれば、いくらでも面目は立つわ。さあ、覚悟 を決めなさい」 母親の目が尋常でない、と思った。 (嫌な目だ) もはやあきらめながら、吐息した義正。天城丞一郎という名を背負ってから、 自分の意志だけでは決められないことに何度も直面してきた。今回も、そんな 壁の一つだろう。言いなりにしていれば、やがて苦しみは去る。それが最も楽 な道だ。 「仕方ないな」 義正は、天城丞一郎として答えた。 * * ドームは満杯だった。 スタンド席だけでなく、グラウンドに許された限り敷き詰めた椅子も、一つ として空いていない。 明日封切りの主演映画との相乗効果も手伝ってか、天城丞一郎のコンサート ツアーは、どこも満員マークを付けた。 今この瞬間、ドーム内の広大な空間にも、「じょういちろーっ」「丞!」と いう歓声がやむことなく飛び交っている。 ドームでの公演が終わると、明日の映画公開での舞台挨拶を最後の仕事とし て、天城丞一郎は充電期間に入ると発表されている。その長さも未定とされて いるため、ファンはしばしお別れとなるこの雰囲気を存分に味わおうとしてい るらしく、いつも以上の熱気に溢れていた。 十九歳の天城は若い世代に人気があって、やはり女性ファンの比率が高いが、 男性のファンも決して少なくない。割合は、六対四といったところか。 元々、数本のテレビドラマに端役として出た子役に過ぎなかった天城が、こ れほどまでの地位を築けたのには、いくつかの幸運ももちろんあった。 最初のきっかけは十二のとき、同じ小学生タレントとしてすでに人気を博し ていた土坂真美亜の相手役に選ばれ、映画に出演したこと。映画自体は、真美 亜人気におんぶにだっこした、他愛のないストーリーであったが、客はよく入 った。その結果、天城の子供らしからぬ演技力が評価され、土坂真美亜と比し ても遜色のない実力派子役の称号を手にする。 その後、テレビドラマやビデオシネマの形で真美亜との競演作品がいくつか 撮られ、人気も定着。ここに安寧の場を求めていれば、天城も二十歳過ぎれば ただの人−−現在でも十九歳であるが−−で終わったかもしれない。現実に、 子役の頃は絶大な人気を誇りながら、成長するに連れて平凡な役者に収まって しまう例も少なくない。 天城が当初所属していた事務所「デラ」は、先行きをよく見通していたと言 えよう。新たな路線を敷いたのだ。天城の声変わりが完了するのを待って、十 五で歌手デビューさせる作戦は、吉と出た。天城の音感に才を見出した上で、 人気漫画のアニメ化に際してその主題歌を勝ち取ることに成功したのは、デラ の戦略のうまさであり、したたかさである。 完全に子供向けのアニメだったため、天城の歌手人気も、当初は小中学生中 心、上を見てもせいぜい高校一年生止まりのものであったのは無理もない。 歌手・天城丞一郎の名が一般に浸透したのは、自身が主演のシリーズドラマ の主題歌を担当したからである。スポンサーとのタイアップにより、CMソン グにも採用された『境界線上のANGEL』はミリオンセラーとなり、その年 の各新人賞に軒並みノミネート、二つを獲得した。 その後の躍進は、記すまでもないだろう。この春公開される物を含め、四年 間で六本の映画に出演、うち四本が主役ないしは主役級。これまでに公開され た五本は全てヒットしている。音楽活動も順調で、それまでのアップテンポな 曲一辺倒だったのが、芸能プロダクションの「BIT」に移籍した三年前を境 に、バラードに重点を置くようになり、幅を広げた。加えて、以前から始めて いた作詞に才を見せ、さらに今年に入ってからは作曲も手がけるようになって いた。 失敗とされたのは、声優業に手を出したことぐらい。これも、俳優であり歌 手である天城丞一郎のイメージが強すぎる故の勇み足のようなもの。特段、傷 となる訳でもない。 天城丞一郎とBITは、絶頂にあった。 −−アメリカ合衆国の著名なリングアナウンサーから頂戴したフレーズが、 ドーム内に響き渡った。 同時に、ほんのいくばくかの静寂を見せた観客達から湧き起こる、うねりの ような声。 光溢れる特設ステージは、一瞬の暗転を経て、主役を浮かび上がらせた。 ショーが始まる。 伊藤一恵は、朝には弱い方だった。 嘘か本当か知らないが、この間の保健の授業で、女が朝に弱いのは生理現象 もその原因の一つだというのを聞いて以来、遠慮なしにぎりぎりまで寝床でも たもたすることにしている。 しかし今朝ばかりは、何故か早く起きてしまい、しかもいきなり、すっきり 覚醒した。 訝る母親と珍しがる父親の横を通り抜け、テーブルに着くと、普段はテレビ 欄しか目を通せない新聞を、じっくりと読み始める。 いつもの癖で、最終ページのテレビ欄から、逆向きにめくっていく。と、い きなり大きな見出しが飛び込んできた。 「へー、船が沈没したの」 テレビを見やったが、ニュースで流れているのは、船の事故ではない。恐ら く、まだ情報が少ないためだろう。 「ああ」 父親がうめくのに呼応して、母親が包丁を手にしたまま振り返った。 「そうそう、一恵。おまえが好きだと言ってた、あま何とかいうタレント……」 「天城丞一郎! いい加減、ちゃんと覚えてよ」 大声を出す一恵は、自分が朝からこんなに活発なのを変に感じていた。 「それで、丞一郎がどうしたっていうのよ?」 「……やっぱり、言えないわ、母さんの口からは。新聞の一番最初、見てごら んよ」 母の、奥歯に物が挟まったような口ぶりに、何よと思いつつ、新聞を大げさ な手つきでひっくり返した。滅多に見ない、一面の大見出しに目をやる。 ここでも当然、船の事故を伝えている。 と−−。 <フェリー転覆 死者行方不明者七百余名 −−乗船名簿に天城丞一郎さん(俳優、歌手)の名前も−−> 見出しよりは小さな字で、しかしはっきりと記された一文を見つけた。 一恵は瞬間的に、脳の回路が切断されたような気分を味わっていた。 搭乗ゲートを抜けたとき、浅見隆光は湿度が高いと感じた。 空は快晴。雲一つないとまでは行かないが、太陽の光は窓ガラス越しでも強 く照りつけている。 だから、隆光の気のせいかもしれない。 「浅見隆光君だね」 預けた荷物もなく、外へ直行しようとした隆光を、やけに優しい響きの男の 声が呼び止める。 振り返っても、隆光にはそれが誰だかすぐには分からなかった。紺色スーツ でびしりと決め、眼鏡を掛けた中肉中背の男。これといって特徴のない顔立ち だが、隆光はこの男をおぼろげに記憶していた。 だが、思い出せない。とにかく立ち止まり、向き合った。 「大きくなったね。関川だよ」 「−−関川さん!」 手にした小ぶりのリュックを放り出し、隆光は関川に抱き付いた。 「すみません、顔、忘れてしまって……。ご無沙汰してました」 「いいよいいよ。君があっちに行ったのは、もう十年以上も前の話だ。それも、 こんな小さな頃」 と、手で、小学生中学年辺りの背丈を作る関川。 落ち着いた隆光は相手と距離を保つと、苦笑いを浮かべた。 「嫌だな。そんなに小さくはなかった。あと三センチ、上です」 「そうだったか。私も記憶力は衰える一方だからねえ。さあ、とにかく行こう じゃないか。車を用意してある。長旅で疲れているんだろ?」 「慣れてますから。それよりも、関川さん。兄さんは……」 意識せずとも、低い声になった。 関川は一瞬、苦しげに顔をしかめ、やがてゆっくり、首を横に振った。 「見つかってないよ」 「そう、ですか」 「言いにくいんだが、もうじき捜索は打ち切られるだろう……」 突っ立っている隆光の背に、他の利用者がぶつかった。文句も謝罪も言わぬ まま、さっさと歩き去る。 「隆光君?」 「大丈夫です。心配いりません。葬儀の予定は?」 ドライに徹しようとする隆光。 「まだ何も決まっていないよ。事情が複雑だし、動揺が大きいせいもあるんだ ろうが、方向が定まらない。消息が分からない内は一切、縁起でもないことは させないという意見があれば、早く弔ってあげるべきという意見もあるよ」 どちらからともなく、歩き始めた。 「君の考えは、どうなんだろう?」 「まだ事情がよく飲み込めない部分もあるので、保留させてください。母は何 と言ってますか?」 「……隆光君、君は恭子さんと連絡を……?」 「途絶えたままです、今も変わらず」 答え、唇を噛みしめた。それが馬鹿らしくて、即座に緊張を解き、息をこぼ す隆光。 「お互い、連絡先を知りもしなかったですし」 「そうか。実はね、うちも−−BITも恭子さんのところとはうまく行ってな くて……アメリカにいても、その辺の事情は伝わっただろうか?」 「少しなら。母と兄さん、別々のプロダクションになったとだけ。詳しい理由 までは、聞いていません」 はっきり言って聞きたくない。隆光の正直な気持ちであるが、それは口に出 さないでおく。 関川も察してくれているのか、一つ、咳払いをして、この件をうまく素通り する。 「うむ。一応、BITとデラの間で、やり取りはあるんだ。同じ業界にいるん だし、何と言っても今度のことは家族の問題だからね」 関川が足を止めた。そばには、白いスポーツカー。 「ひとまず、うちの事務所に足を運んでもらうことで、いいだろうか?」 「当然ですよ。異存ありません」 助手席に乗り込む隆光。関川が席に腰を落ち着けるのを待って、続けた。 「兄さん−−天城丞一郎の不慮の事故を、僕の元へ真っ先に知らせてくれたの は、BITなんですから」 BIT事務所の入ったビルを目指し、高速を走る関川の車に、電話が入った。 「運転中は、出たくないんだが……」 ぶつぶつ言いながらも、備え付けの受信ボタンを押す関川。これでハンドル から手を離すことなく、会話できる。携帯電話の欠かせない業界に生きながら も、安全運転したいというせめてもの意志表示なのかもしれない。 その代わり、同乗者がいれば、会話の内容はまるまる聞こえてしまうが。 「はい、BITの関川」 「あなたね、どういうつもり?」 かけてきた主は、唐突に切り出した。怒鳴り声というか、悲鳴に近いものが ある。 隆光には、すぐにそれが誰だか分かった。 「私達に知らせずに、隆光を帰国させるなんて勝手な真似をして−−」 「母さん」 関川に目で合図を送ってから、会話に入る。 「え? 隆光? その声、隆光なのね?」 「そうです。声を覚えてくれてて、光栄です」 「どこ?、どこにいるの?」 「関川さんの車の中です」 「分かっているわ、それぐらいっ。どこを走っているの? 今から迎えに行く から」 「困ったな」 思わず笑い出しそうになるのをこらえ、低い声になる隆光。 「何が困ったの」 「迎えに行くなんて言われては、僕がどこを走っているのかを教えられません」 「何ですって? それが親に向かって利く口かしら? それがアメリカ流って 奴? あんたも変わったみたいね。向こうでどんな生活してたの!」 「僕は元々、こういう人間です。母さん、よく考えれば、僕がこれからどこへ 行くかぐらい、分かるでしょう。僕に会いたいのなら、そちらに来ればいい。 話はそこで聞きます。ただし、そこの人達に迷惑を掛けないようにね」 返事を待たず、隆光は電話を切った。 −−続く
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