長編 #3939の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
一クラスあたりの授業数は少なく、逆に教える生徒数の多い美術教師にしてみ れば、特に目立った成績を残していない生徒など覚えていられないのかも知れな いが。 「それで君は、こんな時間に校内で何をしているんだ」 「たまたま学校の前を通ったら、プールから大きな音がしたんで………様子を見 に行こうとしていたところです」 裕樹は琴音たちの事は省き、簡単に説明をした。 「君も聞いたのか。よし、とにかく一緒に行ってみよう」 二人がプールに着いた時には、雨は止んでいた。 学校の外にある街灯の光を受け、揺らめく水面が金網越しに見て取れた。 先程の風の名残か、或いは雨の名残か。 水面には幾つもの小さな波が立っている。 不意に周囲の明かりが増す。 雲間から月が顔を覗かせたのだ。 街灯と月明かりは、きらきらと波に乱反射する。 しかしそれは一時の事。 次第に波は消え入り、水面は滑らかさを取り戻す。 否………。 滑らかであるべき水面に、一つの異物。 その中央が、僅かに盛り上がりを見せている。 一瞬、裕樹はその光景を美しいと感じた。 あまりの美しさに寒気を覚え、身体中が小刻みに震えだす。 異物はまるで人目を避け、こっそりと月を愛でるため深海より現れた人魚姫。 悲しいおとぎ話のプロローグ。 月を見たくて、見たくて、人魚姫は水面に顔を出した。 けれど両の瞳は閉じられたまま。開かれる事はなかった。 「琴音………ちゃん」 裕樹は震える声で、人魚姫の名を呟く。 雨が激しく降り始めた。 「琴音ちゃん!」 気の動転した裕樹は金網をよじ登ろうとした。だが後ろから伸びてきた手によっ て、引き戻される。 「俺が行く、外の電話で君は救急車を呼んでくれ!」 裕樹の肩を掴み、高橋が言った。 「でも、でも、琴音ちゃんが」 「落ちつけ」 ぱん。 高橋の平手が、裕樹の頬を打った。 「救急車を呼ぶんだ。彼女は俺が助ける」 「あ………はい」 裕樹は我に返る。 高橋の言うように、救急車を呼ばなければならない。本当はまだ裕樹自身が琴 音を助けたい気持ちは強かったが、ここで問答している時間はない。 電話を求め、裕樹は駆け出した。 校門近くの電話ボックスから119番通報し、更に琴音の家にも連絡を入れた。 受話器の向こうで琴音の母の声が、動揺しているのが分かった。 再びプールに戻るまで五分ほどの時間を費やした。 プール入り口のドアが開かれたままになっている。高橋が鍵を開けたのだろう。 裕樹もそこから中に入り、更衣室を通り抜けてプールサイドに急いだ。 「先生」 プールサイドに高橋と琴音の姿を見つけ、裕樹は駆け寄った。 高橋は、横になっている琴音の胸を強く押していた。 二人ともびしょびしょに濡れている。裕樹も雨に打たれ濡れていたが、いまは そんな事など気にならない。 「先生、ぼくにもなにか……」 手伝わせて下さい、と言い終える前に高橋の手が止まった。少しの間琴音の胸 に耳を充て、ゆっくりと身体を起こし首を左右に振った。 「だめだ、死んでいる」 裕樹はその言葉を、どこか遠くから聴こえるラジオ放送のようだと思った。 自分とは無関係な、現実味をまるで持たない言葉。 程なくして、救急車とパトカーが到着した。 救急隊員による蘇生作業が行われたが、効果は無かったようだ。息を吹き返さ ないまま、琴音は救急車に乗せられ病院へと搬送されて行った。 裕樹はただ、その一部始終を呆然と見つめるだけだった。 「ところで、あの女性の身元ですが………」 裕樹の耳に、そんな声が聞こえてきた。 声の方向へゆっくりと頭を動かすと、刑事らしい男と高橋が話している姿があっ た。 「君、えっと橘くん」 高橋が裕樹を呼んだ。 「確か君は、彼女のことを琴音と呼んでいたけど、間違いないかな? 今中さん て双子だっだろう。どちらにも美術を教えてはいたが、正直言って、俺には区別 がつかないんだ」 「どうかね? あの女の子は間違いなく、その琴音さんだったかな」 刑事もまた裕樹を見た。 「えっ………あ」 改めて問われ、裕樹は戸惑った。 あれは琴音だったのだろうか。断言する自信がない。 「ん、どうかな?」 返事を求める刑事。 「分かりません………」 裕樹はそれだけ答えるのが、精一杯だった。 自分は、これ程までに情けない奴だったのか………裕樹は思った。 裕樹は誰を好きになっていたのだろう。 今中琴音と言う、一人の女の子の全てではなかったのか。 それとも彼女の容姿だけだったのだろうか。 琴音と静音は、確かに瓜二つの容姿を持った双子の姉妹だ。 けれど、二人は別の人間だ。 それぞれの、違った人格を持った別人だ。 それを承知して、そのなかで、裕樹は琴音を、琴音と言う存在の全てを好きに なった。つい、先程までは。 なのにプールで発見した少女を、そのどちらであるか断言する事が出来なかっ た。 ショックだった。 せめて琴音が無事でいることを祈った。 あの少女が助かる事をことを祈った。 少女が救急車で運ばれてから、程なくして琴音たちの母親らしい女性が現れた。 刑事から何やら事情を訊かされ、青ざめた顔をしながらも裕樹と高橋に頭を下 げる。 裕樹は、この時初めて琴音たちの母親の顔を見た。そして、あまり琴音とは似 ていないと感じた。 殆ど話をする間もなく、琴音たちの母親はパトカーに乗り込んだ。少女の運ば れた病院に向かうのだろう。 そのパトカーが走り去るのと同時に、校庭の方が騒がしくなった。 警官たちの動きが、にわかに慌ただしくなる。 そして裕樹の耳にも、警官の声が聞こえて来た。 「おい、校庭に誰か倒れているぞ!」 翌日には雨も上がり、雲一つ無い晴天になった。 授業の前に、臨時の全校朝礼が行われ、校長から事件について簡単な説明があっ た。 しかしそこでは、裕樹が知る以上の事実を訊くことは出来なかった。 寝不足のせいもあって、裕樹は朝から全く授業に身が入らなかった。 あれから裕樹は、第一発見者として高橋と共に、警察にいろいろと訊かれた。 琴音との事は、話したくなかったが、黙っていてもいずれ調べられるだろうと 思い、簡単に説明した。例の琴音からの電話も、何か手がかりになるかも知れな い。 その事情聴取からはすぐに解放されたが、家に帰ってからも明け方まで寝付く ことが出来なかった。 意味の分からない経文のようにしか感じられない、教師の声を遠くに訊きなが ら、誰も座る者のない席を見つめる。 昨日まで、裕樹が世界で一番の好意を抱いていた少女、琴音の座っていた席を。 確認はしていないが、同じように静音の席も空いているのだろう。 昨夜校庭で発見されたのは、プールで裕樹たちが見たのと同じ顔をした少女だっ た。 つまり、琴音と静音の姉妹は二人とも、夜の学校にいたのである。 プールで裕樹たちの発見した少女は、病院に運ばれたが、既に死亡していた。 やはり溺死だったそうだ。 そして校庭で発見された少女は、気を失っていたものの、幸い命に別状はなかっ た。警察の話では、何者かに突き飛ばされて転倒した際、地面に頭を打ち付けた のだろうと言う事だった。 まだ意識が戻らないまま、死亡した少女が運ばれたのと同じ病院に入院してい る。 だが、未だもってどちらが琴音で、どちらが静音なのか判明していない。 二人とも、生徒手帳などの個人を断定する手がかりになる物は、一切所持して いなかった。 また、駆け付けて来た女性と言うのが、二人の本当の母親では無かったのだ。 本当の母親が死亡した後の、父親の再婚相手だった。 そのため、彼女にも双子の姉妹の見分けが出来ないらしい。 更に父親は現在海外に赴任中で、昨夜は連絡が付かなかったそうだ。連絡が付 いたとしても、帰ってくるまでには時間が掛かりそうだし、その父親と言う人は 若い頃から海外を飛び回り、子どもたちと接する時間はあまりなかった。従って、 双子の判別がつくかどうか怪しい。 事情を知った警察では、指紋による姉妹の判別を試みた。 しかし、姉妹は部屋こそ別々に持っていたが、あらゆる小物から洋服、教科書 までお互いに共有していたらしい。ノートですら盛んに見せ合いをしたいたため、 指紋から個人を断定する事も出来なかった。 あとは、入院中の少女が意識を取り戻すのを待つしかない、と言う事だ。 長い、裕樹にとっては苦痛でしかない授業が終わり下駄箱へと急ぐ途中、あの 美術教師、高橋と会った。 高橋は裕樹を見つけると、困ったような笑顔を浮かべ、 「お互い、面倒なことに巻き込まれたな」 と、言った。 その台詞に腹が立った裕樹は、無言のまま軽く会釈だけして、高橋の前を立ち 去った。 仮にも自分が授業を教えていた生徒が死んだと言うのに、まるっきり他人事で はないか。高橋と言う男の気が知れない。 学校を出た裕樹は、真っ直ぐと琴音、或いは静音かも知れない少女の入院して いる病院へと急いだ。 「やあ、きみ。橘裕樹くん、だったね」 予想はしていたが、病院のロビーを通り抜けようとしたところで、昨日の刑事 に呼び止められた。 「こんにちは、刑事さん。あの琴………彼女は?」 琴音と言いかけて、改める。 あの子が琴音であって欲しいとは思うが。 もしかすると、もう意識を取り戻していて、彼女がどちらであるか分かってい るのかも知れない。 「ああ、ついさっき、意識を取り戻した」 「それで………あの子は、どちらだったんですか?」 「それが」 刑事の返事を待ちながら、裕樹は脚が微かに震えるのを感じた。 「まあ、言葉で説明するより、実際に会った方がいいだろう。もしかすると、あ の子にも刺激になるかも知れないしなあ」 刑事に案内され、裕樹は病室へと向かった。 病室の入り口横のプレートには「今中」と、名字だけが記されていた。 「今中さん、入りますよ」 軽いノックをして、刑事は病室の扉を開く。 緊張。 裕樹は唾を飲み込んだ。 夕暮れ。 黄色く染まった病室に、少女は居た。 ベッドの上で上半身を起こしている少女。 薄手のガウンのようなパジャマと、頭に巻かれた包帯が如何にも病的に思える。 隣の椅子に座った母親の林檎を剥く音と、観るでもなしにつけられたテレビの 音が、やけに大きく感じられた。 古いカラクリ人形のような動作で、少女は裕樹たちへと顔を向けた。 無表情な瞳が、裕樹を捉える。 そのまま、沈黙の時が過ぎていく。 裕樹には、なんと言って切り出せばいいのか、言葉が見つからない。 少女も、口を開こうとはしない。 『琴音ちゃん………じゃ、ないのか?』 分からない。自信がない。
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