長編 #3937の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
どん、どん、どん。 激しく脈打つ鼓動の音が、直接鼓膜に響いていた。 頭がくらくらとして、視界が霞む。 長いとは言えないが、裕樹の十四年に及ぶ人生の中で、これ程まで緊張した覚 えは他にない。 「い…今中琴音さん……好きです。つき合って下さい」 散々考えた挙げ句の、告白の言葉。 雑誌や恋愛小説を読み漁り、いくつもの気の利いた台詞を用意していたのに。 彼女の前に立った瞬間、言葉を紡ぎ出そうとした瞬間、すべてはどこか彼方へ と消え失せてしまった。 頬を赤らめて、琴音が俯いた。 何時間もそうしていた様に思えた。 けれど本当は、一分にも満たない時間。 静かに琴音の顔が上げられた。 唇が小さく動く。 声は聞き取れなかった。 鼓膜を震わせている、鼓動の音が激しすぎるから。 しかし霞む視界の中でも、その唇の動きは読みとることが出来た。 「はい………」 恥じらいがちに、琴音はそう言ってくれた。 はっきりしない裕樹の耳に、遠くから運動部のかけ声が聞こえてきた。 うっすらとあたり一面が、オレンジ色に染まりゆく。 夕暮れ時、プール脇の事だった。 その店に立ち寄ったのは、裕樹の意志からではない。友人により強制的に、半 ば脅迫されて来ていた。 琴音への告白現場を見られてしまったのだ。 幸い、見られたのは告白を済ませた後だったが、突然裕樹に声を掛けてきた彼 に驚いた琴音は、逃げるようにしてその場を立ち去ってしまった。 その姿に、友人は裕樹が琴音に告白をして、ふられてしまった物と思ったらし い。 ところが裕樹が玉砕したと思った友人は、このことを人に話されたくなければ、 何かを奢れと要求してきた。 琴音が交際に応じてくれたことを、まだ周囲に知られたくはなかったが、事実 と違う噂を広められたくもなかった。秘かに心中浮かれている裕樹にしてみれば、 そのための多少の出費は惜しくない。何も知らない友人に、自分の幸せを分けて やるつもりで脅迫に応じることにしたのだ。 ラーメンを啜りながら、友人は裕樹の肩を強く叩いて言った。 「まあ、若いうちはいろいろとあるもんさ。くよくよすんな。だいたい、いきな り高望みしすぎ。玉砕して当然、お前だって承知の上だったんだろ」 友人は同い年の裕樹に対して、ずいぶんと先輩ぶってくれた。ラーメンを食べ 終わった後も、恋愛について、人生についてといろいろ参考にはなりそうもない アドバイスをしてくれる。落ち込んでいるフリをしなければならない裕樹には、 なんとも辛い時間だった。 店の時計が七時十分前になった頃、裕樹はようやく解放された。観たいテレビ があったので、七時までに家に帰りたかったのだが、ぎりぎりになりそうだ。こ の店から家まで急いで十分前後。 帰り道、裕樹は夕刻の告白シーンを思い出す。いつの間にか立ち止まり、口元 がだらしなく緩んでいる自分に気がついた。それが災いしてか、家に着いたとき には七時を五分過ぎており、テレビ番組のオープニングには間に合わなかった。 いつもなら、ただ鬱陶しいだけの梅雨。 今年は違った。 じめじめと降りしきる雨さえ、軽やかなリズムを刻んでいる。 裕樹も、雨に曇る校庭を見つめながら、手にしたシャープペンシルでかちかち とリズムを刻んでいた。 『でも………』 一人思う。 『日曜日は晴れるといいなあ』 今度の日曜日は、琴音との三度目のデート。 念願だった遊園地でのデート。 在り来たりな場所ではあるけれど、女の子と二人きりで遊園地に行くことが、 裕樹の憧れだった。 それがようやく叶う。 しかも、およそ自分には高嶺すぎる花だと思っていた琴音と。 周囲に悟られぬ様に、琴音の方を見る。 先生の板書を、懸命にノートに写している琴音がいた。 黒板を見るため、顔を上げた琴音が視線に気づき、こちらを見た。裕樹と目が 合う。 琴音は小さく微笑み、ノートを裕樹の方に見せた。 そこには可愛らしい、てるてる坊主のイラストと『にちようび 天気になあれ! 』と文字が書かれていた。 日曜日は快晴。 今日中にも梅雨明け宣言が出されてもおかしくないなと、裕樹は思った。 とにかく、絶好のデート日和。 ジェットコースターに、コーヒーカップに、回転木馬。 胸元にワンポイントのレモンイエローのサマーセーターに、若草色のスカート。 幼子のようにはしゃぐ琴音を見ているだけで、裕樹は幸せだった。 「ふう、目が回っちゃった」 ベンチに腰掛けて、琴音が一つ息をつく。 「回転系が続いたからね。ちょっと休もうか?」 「うん、あ、でもまだひとつ、乗りたいのがあるの………いい?」 「もちろん、琴音ちゃんの希望なら。でも、何に乗りたいの」 「あのね、やっぱり回転系なんだけど………今度はゆっくりと回るやつ」 そう言って、琴音は裕樹の手をひいて歩き出した。 自分たちが上昇していくと言うより、地面が沈んでいくように感じられた。ゆっ くりと、弧を描きながら昇っていくためだろうか。 視界に入る、景色の範囲が次第に広がっていく様を、狭く区切られた空間の中 から眺めていると、何とも不思議な気分になる。 観覧車のゴンドラの小さな空間。 手を伸ばせばすぐに届く位置に琴音がいる。 けれど裕樹には、その距離がとても遠くに感じられた。 二人きりの空間がつくられ、それが半分の高さに上がるまでの間、会話は途切 れたままだった。 何とかきっかけを作ろうと、裕樹は頭の中で言葉を探すが、口にする事が出来 ないでいた。 琴音の方から、話し掛けてくる事もなかった。無言のまま、首を左に向けて窓 の外を眺めている。 不安な時間だった。 観覧車は他の乗り物と違う……… 他の乗り物は、それ程仲の良くない者同士でも、動き出してしまえば笑ったり 叫んだりして、楽しむことが出来る。 けれど観覧車の中では、本当に親しい者同士でなければ、ただ沈黙が続くだけ ではないのだろうか。 本当は琴音は自分のことが好きではないのでは………裕樹の中に芽生えた不安 は、ゴンドラの高さと比例する様に膨らんでいく。 「あのさ、」 「あのね…」 ゴンドラが頂点に達したところで、共に初めて口にした言葉が重なった。 「あ……」 陽光を受け、シルエットになった琴音の表情は分からなかった。 きっと自分と同じように、戸惑っているのだろうと裕樹は思った。 「なに?、裕樹くん」 「ん、いや、なんでもないんだ………」 実際、裕樹には言いたいことが有った訳でない。ただ沈黙を打ち破ろうとした だけで、呼びかけた後の会話など、考えていなかった。 「琴音ちゃんは?」 「うん、あのね」 また沈黙が始まってしまった。 ゴンドラは、ゆっくりと下りに入る。 上りに比べ、下りには妙な寂しさと焦りがある。 広がっていた視界が、また狭くなっていく。 夢が終わり、現実に戻されていくという寂しさ。 息苦しさ、気まずさを感じていながら、やはり裕樹は二人だけの時間が終わり を告げる事が寂しかった。 「ありがとう。今日は楽しかったわ」 オレンジ・スカッシュをひと口飲んで、琴音は言った。 あの後、観覧車での気まずさが嘘のように琴音ははしゃぎ、遊園地での楽しい 一日は過ぎた。 その帰りの喫茶店。 「ぼくの方こそ」 笑って裕樹も応える。 しばらく二人は、今日の出来事をあれこれと話した。 「ねえ、裕樹くん、気がついた? お化け屋敷で、私たちの後のカップルがね… …」 話す琴音の笑顔を見る限り、今日のデートを本心から楽しんでいた様に思える。 『ぼくの思い過ごしかな』 観覧車での事を思い起こす。 他の乗り物と異なり、周囲の客とは完全に切り離された空間。そこは遊園地の 中でも、極めて異色の場所。 それまでの賑やかさから、いきなりその様な空間に入れば、戸惑ってしまうの も仕方ない事だ。 現に、琴音が無口になってしまったのと同様に、裕樹だって何も話す事が出来 なかったではないか。 あの沈黙は、お互いがお互いを意識しすぎた結果なのだ。 そう思い込もうとした。 けれどゴンドラの中、どこか物憂げな琴音の顔が頭から離れない。 「あのさ………」 「えっ?」 思い切って訊いてみよう。 うじうじと考えていても、仕方ない。 少なくともこうして、一緒の時間を過ごしてくれているのだ。琴音も裕樹に対 しての好意は持ってくれているはず。 だとすれば、あのゴンドラの中の琴音の表情は、その内なる悩みの現れなのか も知れない。 琴音が何か悩みを抱えているなら、一緒に悩みたい。 裕樹にどうにか出来ることでは無いかも知れない。 或いは、そう分かっているから、琴音は何も言わないのかも知れない。 けれど、裕樹はなんとか少しでも、琴音の力になりたい。 一人裕樹の気持ちは昂ぶって行く。 「琴音ちゃん、何か悩みがあるんじゃない?」 「ええっ、どうして」 驚きに見開かれた瞳が、真っ直ぐに裕樹を捉える。 「あのさ、観覧車の中での琴音ちゃん、何か……こう、辛そうな感じがしたから ……… あ、もちろんぼくも何だか緊張しちゃって、何話していいかわかんなかっ たんだけど」 琴音の視線が裕樹から、僅かに逸らされる。 間違いなく何かある。裕樹は確信した。 「もし、何か悩みが有るなら話して欲しい。ぼくなんかに話しても、どうにもな らない事かも知れないけど………ぼく、琴音ちゃんの事が本当に好きなんだ。だ から出来る限り、琴音ちゃんの力になりたい」 話しながら、裕樹は自分の体温が発熱したかのように高くなるのを感じていた。 陶酔しきっている。自ら認識してはいたが、抑える事は出来ない。 「私たち」 琴音の視線が帰ってきた。 「こうして、一緒にお話しするようになってまだ日が浅いのに………」 興奮気味の裕樹に対して、琴音の声は極めて穏やかだった。 先程までのはしゃいでいた琴音。 ゴンドラの中の沈んでいた琴音。 そして今また、もう一人の琴音がいた。 「私、静姉より裕樹くんの方が近くに感じられる」 それは裕樹にとって至上の言葉。 琴音のためなら、どんなことだって出来る。 「静姉のことなの」 「静音………さん?」 少し躊躇しながら、裕樹は静音の名を「さん」づけで呼んだ。 琴音と同じ誕生日、同じ両親を持つ同級生ではあったが、直接自分と関わりの ない女性を「静音ちゃん」と呼ぶことは躊躇われた。 なにより、自分とつき合っている琴音を前に、たとえその姉妹であっても馴れ 馴れしい呼び方をすることが失礼に思えたのだ。
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