長編 #3733の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
大抵の地方バスにはメキシコや中米北部で流行している『TEXMEX』と呼 ばれる音楽がかかっている。アコーディオンと管楽器が主体の、どちらかといえ ば土着の流行歌なのだが、メキシコの『ランチェーラ』のように哀愁を帯びては いない。スッチャカスッチャカとしたリズムにアコーディオンが小気味よく奏で られる。このリズムはアメリカ合衆国のテキサス州と、メキシコで産まれたので 「TEXMEX」と名付けられたという。岡田は最初、こういったポリシーのな さそうな、バカ陽気な歌にまったく興味がなかったが、少しずつ自分の指先や足 のかかとがリズムをとっていることに気付いた。そして、案外いい曲もあるな、 と思い直し、ひとりで照れて頭を掻いた。 途中首都までの道のりで2度ほど寝た。そして起きると寝汗をかいていて、顔 や首の周りには砂埃がしっかりとこびり付いていた。さらに汗が干上がり、塩を ふいてくると、手のひらや指で擦り、バラバラと足下に落とした。それが何だか 岡田には面白く、肌があらわになっている部分をくまなく擦った。 首都に近付くとバスの窓から侵入してくる風が排気ガスの匂いを運んでくる。 この匂いがしてくると首都は近かった。岡田はこの匂いがあまり好きではなかっ た。まだメルカードに漂う鼻をつく匂いの方がよかった。 首都に到着した。 グアテマラシティーの旧繁華街で岡田はバスを降り、大きく伸びをして辺りを 見回した。そしてアメリカ合衆国から流れてきた中古の服を売る店の前にもたれ かかり、煙草を取り出して火をつけた。彼は通りを行き交う人たちをぼんやりと 眺め、ひとりひとりを観察するような目で見た。誰も彼もが疲れ切っているよう に見える。正面の通りでは、狭い路地からバスが人々を蹴散らし、無理矢理曲が ろうとしている。そしてその横の路上では、中年の女が体重計の上に乗って何か 言っている。そして彼女は体重計の横に座っていた男に50センターボを払った。 それを見ていた岡田は、ちょっと吹き出しそうになった。路上で体重を計るには、 お金がかかることをこのとき初めて知ったからだ。 疲れ果てた雑踏、一瞬の隙を逃さないでいようとする多くの目、苛立たせる市 バスの排気ガスとクラクション、そしてそれらすべてが放つ騒音と異臭と色彩が、 岡田の五感を苦しませた。 この街には、ひとりひとりが道を行き交う際に生まれる、二度と起こらないシ ーンに目を奪われることも、ひとりでイマジネーションを膨張させてくれる余裕 もまったくない。岡田はいつもそう思った。 岡田は煙草を吸い終わると、デイバッグを前にかついで、うつむき加減に歩き 出した。 市バスに乗り換え、レフォルマ大通りを通って隊員宿泊所へ向かった。すぐに 旧繁華街を抜けて新市街に出る。 ラビナルの一見平和そうな日常に慣れてくると、中央分離帯が公園になってい る100メートル道路も、10数階建てのビル達も、モラルのない交通渋滞も、 目が合っても無視する首都の通行人も、それはそれで岡田には皆新鮮に見えた。 そして妙に冷たく差別したくなるような気分にさせられた。バスの中や街の雑踏 の中で、不当な人種差別を受けている、首都の貧しいインディヘナを見かけると、 ラビナルの洋裁教室で、相手から存在しないもののように振る舞われる方がどん なに幸せだろうかと思った。 バスが混んできた。岡田は通路側に座っていて、立っている乗客の圧迫感を感 じた。岡田の肩に、何度か人の体や、鞄があたる。横を見ると、派手な格好をし ている太った中年の女が、わざとそれをやっているようだ。岡田は意地になって 席を譲らなかった。しばらくすると彼女に足を踏まれた。岡田は知らない振りし て、バスの窓の外に目を向けた。ヒールがあたる部分がしびれてきたが、彼はな に食わぬ顔をして欠伸をし、時計を見た。昼の3時過ぎだ。頭をぼりぼり掻いて いると、彼女の足はどけられた。反対側の席が空いたからだ。彼女は他の者に席 をとられないように慌てている。岡田はそれをちらりと見て、もう一度欠伸をし た。そして眠そうな顔をして、涙を拭いた。 隊員宿泊所はグアテマラシティーの新市街近郊にある。 本来、隊員宿泊所は、地方隊員が首都にあがってきたときに宿泊する施設で、 世界中のほとんどの協力隊派遣国に存在する。隊員の郵便棚や掲示板なども、こ の宿泊所に設けられているため、首都隊員も含めて全隊員が最も利用する施設と なっている。岡田はこの宿泊所に行くのが案外好きだった。あまり首都に行きた いと思うことはない。だが宿泊所で他の隊員と触れあう時間が、もっとあったら いいなと思った。 宿泊所に着くと、隊員は誰もいなかった。宿泊所の中は薄暗く、静けさで包ま れていた。2階に上がり、郵便棚を見ると、いくつか手紙が来ている。約3週間 振りに宿泊所に来たので、日本の友達や各国の同期隊員からの手紙がたまってい た。それを手に取り、すべての差出人の名前をチェックした。誰の手紙から読む かを決めるためだ。それが岡田の習慣なのだ。 20通近くある手紙を確認し、途中で手が止まった。タイに派遣された赤井清 次からの手紙がそこにあった。彼とは派遣前訓練が一緒で、とても仲がよかった。 他にも差出人を確認していない手紙があったが、まずこの手紙から読もうと封を 切った。 岡田さんへ お元気ですか。以前6月頃に手紙を出したのですが、届いているでしょうか。 ここタイのナコンラチャシマに来て、早半年が過ぎようとしていますが、自分の 活動はなかなか軌道には乗っていません。毎日暑い暑いとぼやいています。グア テマラは高原地帯だということで、過ごしやすい気候のようですね、羨ましい限 りです。岡田さんの仕事はどんな感じでしょうか。最初にもらった手紙では、前 任の隊員のプロジェクトを引き継いで、農村を廻って巡回指導をするようなこと が書いてありましたが、こちらにも養鶏の隊員がいますので、もっと具体的な話 が聞ければうれしく思います。 自分の近況を簡単に書きますと、最近は仕事でちょっと、必要な機材が地元の 茨城県の協力隊OB会の支援により、中古の機械が手に入りました。あと2週間 くらいで日本から送ってもらえそうです。この手紙がそちらに着く頃には、もう それを手にしているかも知れません。ちょっと楽しみにしています。 ナコンラチャシマでの具体的な活動はまだ始まっていません。いまのところ、 村落調査という名目で、ナコンラチャシマの苗畑センターを基点に、近郊の村々 を廻って調査をしています。その村の村長さんや、役員のひとと話をするのはと ても面白く、いい経験なんですが、まだまだタイ語が難しく思うように話せない 自分が歯痒いです。 それにしても、こちらの農家の人たちは良く働きます。暇なときにちょっと手 伝ったりもするのですが、炎天下での作業は二時間も続きません。僕がちょっと 休んでいると、ジョークを言われたりしてからかわれてしまいます。彼らの笑顔 に意地を張ってがんばったときもありましたが、次の日に熱を出して寝込んでし まいました。そして彼らは畑仕事をしながら、僕を看病してくれたのです。はっ きり言って僕は足手まといですね。いい加減なことを言うタイ人も多いですが、 僕は彼らが好きです。そして、少なくとも彼らより仕事ができないようでは、何 も言えません。もっともっと体を鍛えて、見返してやりたいなどと思っています。 ここまで読んで岡田は赤井が県のOB会を利用して、中古の機材を購入したこ とに興味を持った。田中の盗まれたミシンも、日本の中古品を集めて送ってもら えないだろうかと考えた。それにしても、あのひたむきな赤井が、タイの田舎で 四苦八苦しながら一所懸命やっている姿が目に浮かび、胸を熱くさせられた。 ところでプライベートな話ですが、最初にもらった岡田さんの手紙に香山さん とのことが書いてありましたね。ご心配ありがとうございます。彼女とは一応い までもちゃんと続いています。自分の手紙3通に対して、1通くらいしか返って きませんが。岡田さんが言うように、彼女はちょっと冷めたところがあるかもし れませんね。彼女の活動内容や日常生活、活動での喜び、幸福感、日頃の悩み、 苦悩などが手に取るように分かるとまではいかないのですが、何とか続いていけ るような気がします。2年間まったく顔合わすことなく、お互いの気持ちを持続 させていくのは難しいと思いますが、なるようになるんじゃないかと思っていま す。 すべてにおいてまだまだこれからです。これから自分の活動が始まるような気 がしています。岡田さんも体には無理せず、がんばってくださいね。短いですが、 また手紙書きます。 赤井清次 最後に香山とのことが言及してあったことに、岡田は少々面食らった。確かに 岡田は、以前赤井に「香山とは上手くやってるか、彼女のことはよく知ってるわ けではないけれど、結構冷めたような感じがするので気をつけておいた方がいい ぞ」というお節介な手紙を書いたことがある。岡田は正直言って、まだふたりが 続いているとは思ってもいなかったので、意外な印象を持った。 あの香山がなぁ..。 岡田はぼりぼり頭を掻いた。 青年海外協力隊は、年間で3度派遣するシステムをとっている。夏に派遣され るのが、1次隊。冬に派遣されるのが、2次隊。そして春に派遣されるのが3次 隊と呼ばれた。そして任国に派遣される前に約3ヶ月間の派遣前訓練があり、こ こで語学訓練をはじめとして、派遣される前に養わなければならない各種課程を 終えなければならない。グアテマラだけでなく、世界中に送られる隊員たちがこ の訓練を受ける。岡田らは1月から長野県の駒ヶ根市で訓練を受け、4月に各国 に派遣された3次隊の隊員だった。 赤井清次と香山美貴子は、その駒ヶ根訓練所で知り合った。赤井はタイに派遣 の森林経営隊員で、香山はブルガリア派遣の日本語教師隊員だった。ふたりは語 学クラスも生活班も違っていたが、毎週日曜の早朝に赤井がランニングをしてい るのを見て、香山が惚れた、と噂では囁かれている。岡田と赤井は仲がよかった が、岡田は敢えてこのことについて赤井に尋ねたことはなかった。そのため、ふ たりがどういう経緯で、どのように付き合っているのかよく知らない。 実のところ岡田も、香山に好意を寄せていた。岡田と香山とは同じ生活班でよ く顔を合わすチャンスが多かったが、お互いそれ程言葉を交わした経験はなかっ た。香山は訓練中、それ程目立つような行動をとらなかったが、その美貌で常に 男性隊員の話題を集めていた。特に男性浴場では、お気に入りの女性隊員として その名があがった。 香山は大人の女の香りを持っていた。自分のことを多く語らず、特に素性に関 しては、仲のいい同室の隊員にも明かさなかった。それが逆に異性はもとより、 同性をも充分に魅了していた点かもしれない。 その点、赤井も同じように不思議な魅力を持っていて、同性にも異性にもファ ンが多かった。赤井は物静かで誠実だったが、飲んだらはしゃいでしまったりす る若さもあった。そしていつも遠くを見つめるような瞳を持っていた。だから岡 田は赤井が年下であっても『赤井』とは呼び捨てにできずにいた。いつも『赤井 さん』か『赤井君』だったのだ。 † 2階の小さなソファに腰掛けすべての手紙を読み終わると、背後から階段を昇 ってくる足音が聞こえた。振り返ってみると、同期の高柳優子だった。はっきり 言って、岡田は彼女が苦手だ。隊員宿泊所に来たら、あまり彼女とは顔を合わせ ないように、いつも祈っていた。今日はついてないらしい。 「あ、どうもお久しぶりです」 「あら、岡田さん。いつ首都にあがってきたんですか」久しぶりに会ったのに 眼鏡顔の表情をまったく崩すことなく言った。 「今日ですよ。支援経費の申請について調整員と相談があったものですから」 岡田は誰とでも打ち解けて話せるように、いつも努力する男だったが、同期だ というのにどうしても高柳と話すときは、少し卑屈になってしまう。 「そう、でもちょうどよかった。話したいことがあったの」 ほら来た。 岡田は心の中で呟いた。きっと何か自分のしたことに難癖をつけるに決まって いる。高柳はインテリで、仕事も妥協することなくバリバリやらなくては気が済 まない質の隊員だ。先輩隊員達からも一目置かれている。しかし、テレビの後ろ の埃や、壁に張り付いて死んでいる蚊など、そんなどうでもよい細かい問題をも 許さない神経質な性格に、岡田はついていけなかった。 「この前の新隊員歓迎会の会計報告って、隊員宿泊所には貼ってあるけど、協 力隊事務所には貼ってなかったわよ」 来た来た来た...。岡田は目を伏せ、あまりにも予想していた展開に少し笑い がこみ上げてきた。 「どういうことですか? あれって岡田さんがやったんでしょ」 普通、事務所の掲示板なんて誰が見るんだよ..。と悪態ついて開き直りたかっ たが、そんなことは言い返せない。事務所の掲示板もちゃんとチェックしている 隊員がいることも岡田は知っていた。明らかにこちらに非があった。岡田は聞こ えるようにため息をついた。 「あ、そうですか。申し訳ありません。ちゃんと今日にでも事務所行ったとき にやっておきますから」 高柳は岡田から視線をそらし、それには答えず自分の郵便棚を見て、「最近手 紙来ないなぁ」と独り言を呟いた。岡田は腹の中がムカムカするのを押さえて、 自分の手紙に目を置いた。 すると高柳が岡田の手元を覗き込んで、「岡田さん手紙多いですねぇ。訓練所 では友達が多かったものね」と言った。岡田は「はぁ..」と気のない返事で答え ると、高柳はくるりと向きを変えて階段を下りながら「今日中にさっき言ったこ とやってくださいね」と背中で命令した。 岡田はやれやれ、と頭を掻いた。
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