長編 #3705の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
一夜明けると、信じられない事態になっていた。今日、本土の方で異変に気 づいてくれて、救助が来るはずという期待感も消し飛んでしまいそうな、第三 の殺人が起こったのである。 その発端は、食事が始まる朝の八時になっても、幸道氏が現れないことだっ た。心配になった我々は、メイドに様子を見てくるように言った。このとき、 単独では行かせられんと、貴島が同行したことを付け加えておこう。 部屋のドアをいくら叩いても、また室内へ呼びかけても応答はなく、思いあ まってノブに手をかけたところ、扉は簡単に開いたという。 そして悲鳴。メイドの江梨が、室内で倒れている幸道氏を見て上げた叫び声 だった。 食堂に残っていた者全員が幸道氏の部屋の前に駆けつける中、貴島は機敏に 調べを進め、「幸道が死んだ。扼殺だ」と告げてきた。その様子は、実に辛そ うで、昨日までの貴島の陽気さは影を潜めていた。 幸道氏の死に顔は、苦悶に満ちていた。舌がだらりと飛び出し、よだれの跡 が見られる。喉元には、いくつかの引っかき傷があった。苦しみのあまり、己 で引っかいたのだろう。 「この分なら、犯人は手や腕に傷を負っているかもしれない」 戸井刑事の発案により、手の甲の検査がその場で行われた。だが、それらし き傷を持つ者はおらず、空振りに終わった。恐らく、犯人は厚手の手袋をはめ ていたに違いない。周到である。 貴島の見立てによると、死亡推定時刻は午前三時から五時にかけての二時間 。扼殺、つまり素手で絞め殺されているのだから、死亡推定時刻がそのまま犯 行推定時刻になる。 現場である室内を、詳細に調べてみたが、犯人に直結するような物品は採取 し得なかった。 そして、我々は食堂へ引き返す気にもなれず、広間に集まった。 「どういうことですか、刑事さん!」 激しい剣幕は、実道だった。彼は引き続き、誰もがぶつけたいに違いない言 葉を、口にした。 「あなた、おっしゃいましたよね。これ以上、事件は起こさせないと。じゃあ、 何で父は死んだんですか?」 「それは……」 力なく首を振る刑事。 「だいたい、ちゃんと見張っていたんですか? 二階の廊下で、壁にもたれて 頑張っていたようですけど、寝たんじゃないんですか?」 「そんなことは談じてない。私は一晩中、起きていた。信じてくれ」 「じゃあ、刑事さんが犯人ですか、それとも犯人が出て行くのを見逃してやっ たんですか。ええっ!」 「な……」 「おかしいでしょうが!」 実道は、刑事に反論する隙を与えない。こんな彼を目にするのは、初めてだ った。父親を失ったショックは、相当に大きいのだろう。 「見張っていたんなら、誰かが出て行ったはずだ。父は一人で一階にいたんだ からな。誰かが殺しに降りたはずなんですよ、分かるでしょう?」 「そ、それは、もちろん」 「誰が降りたんです? 言ってください!」 「それが……誰も降りておらんのですよ」 衝撃的な証言だった。誰も降りていない……? 刑事の目をかいくぐり、階 下の幸道氏を殺害するなんて、可能だろうか。これこそ密室である。密室の謎 が提示されたのだ。 「ば、馬鹿な」 勢いのよかった実道も、絶句しかけている。 「刑事さん、本当に誰も? だって、父は殺されて……」 「そうです。だが、私は見ていた。二階の部屋にいた者は、誰も出て来なかっ たことを、この目ではっきり見たんですよ」 自分自身の目を指差しながら、強く言い切る刑事。信念に溢れた声だった。 「おかしいじゃありませんか」 本当に絶句した様子の実道に代わって、神代が言った。 「誰も一階に降りていなのだとすると、この島のどこかに、私達の知らない人 間が潜んでいて、幸道さんを殺害したことになりますわ」 「いや、それもありませんね」 法川だった。 「……どうして言い切れるのかしら」 「簡単です。僕は確かめたんですよ。この屋敷の戸締まりが完璧だという事実 を。玄関も窓も、錠がかかっていました。二階の窓はまだ見ていませんが、き っと開いていないと思いますね」 「だったら、誰が犯人になるのかしらね」 「やはり、僕達の中にいると考えるのが、自然でしょう」 「だからぁ、それは最初に否定したわ」 神代の物腰が、いらいらしたものになる。 「刑事さんが犯人だと言うのなら、納得するけれど」 「違うでしょう。いささか非論理的ですが、戸井刑事は犯人でないと、僕は信 頼しています。長年の付き合いから言える、ただそれだけですがね。これは、 永峰についても同様です」 このときの法川の言葉ほど、頼もしく耳に届いた台詞は記憶にない。私以上 に、戸井刑事は、暗がりの中に光明を見た思いだったのではないか。 「立派ね」 神代も負けていない。冷静な口調に戻って、ぽつりと言った。 「そう言うからには、二階にいた、刑事さん以外の人間にも、一階に行って幸 道さんを殺すことができたという証明、できるんでしょうね」 「証明じゃない。可能性を示すだけですよ」 「どっちだっていいわ。早くしてちょうだい」 神代の挑戦を、法川は真正面から受けて立った。 「オーソドックスな方法を言いましょう。誰にでも思い付く、古典的なやり方 をね。ドアから出れば戸井刑事に見られてしまうのだから、残る出入り口は一 つだけ。そう、各部屋にある窓です」 「二階から飛び降りたって言うの? 馬鹿馬鹿しい。怪我をするのが落ちね。 運良く、無事に着地できたとしたって、屋敷の中にはどうやって入るの?」 「玄関なり、一階のどこかの窓なりをこっそり開けておけば、事足ります。朝、 起きて、誰にも見られないよう、内側から鍵をかける」 「……二階に戻る方法がないわ」 言い淀んでから、神代は新たな問題を提示する。 それを待ってましたと顔をほころばせ、法川は答えた。 「長くて丈夫なロープの一本もあれば、地上に無事、降り立ち、再び二階の部 屋に戻れますよ、多分」 「その見方は、探偵小説の読み過ぎよ」 言ったのは、板倉。彼女に視線が集まる。 「ロープがあったとしたって、窓枠かどこかにくくりつけて、下に垂らすだけ になるのよね?」 「ええ、そうなります」 法川はうなずいて、続きを求めた。 「やってみたら分かるだろうけど、だらんと垂れただけのロープを登り降りす るのって、大変なのよ。降りるのはまだ何とかなるかもしれないけれど、上が るのなんて大汗かくわ。この建物の壁に足をかけたとしても、身体のバランス が取れずに、振り回されてしまう。まず、間違いなくね」 「承知していますよ」 こともなげに答えた法川に、怪訝な視線を投げかけたのは板倉や神代だけで はない。 「だったら−−」 「ですから、犯人は恐らく、登山経験者だと思うんです。それも、相当のベテ ランだと」 「登山経験者……」 法川以外の者は、顔をきょろきょろさせ、互いに見合う格好になる。 「誰が登山経験者なのかね。この中に登山が趣味という者は、一人もおらんと 思うが」 貴島が、いつもよりトーンの低い声で言った。 「森田コックにメイドさんや、あんたらはどうかいの?」 こんな質問をするからには、森田と江梨に登山趣味があるかどうかについて は、貴島も知らないのだ。 「いえ、山登りなんてしんどいこと、やりたくもないですよ」 「わ、私は元々、運動は苦手で……」 森田、江梨の順に答えた。貴島は小さくうなずき、法川へ再度話しかける。 「今さら戸井刑事が登山経験者だということもなかろうし、あんたや永峰さん 達が登山経験者だというのも、話の流れからしておかしいわな。何せ、刑事さ んや永峰さんは犯人でないと、あんたは信じておる」 「もちろん、そうです。多分、犯人は自分が登山のベテランだということを、 隠しているのだと思いますね」 法川はじろりと、容疑者達を見回したが、さすがに誰も白状などしない。 「まあ、進んで犯人に名乗りを上げてくれる奇特な方は、滅多にいるもんじゃ ない。とにかく、僕は示しました。二階にいても、犯行が可能であることを」 法川によって、密室の謎は早くも、その屋台骨がぐらついたと言えよう。無 論、登山またはロープ登りに長けた人物の存在を示さない限り、完全ではない。 「足跡を調べてみるか」 威勢を取り戻した風に、戸井刑事が言った。 「犯人が二階から外に出たのなら、屋敷の周囲に、足跡があるかもしれない。 うまくすれば、犯人自身の部屋の真下に」 「残念だけど、それは期待できないでしょう」 また否定的な意見の法川。 「僕らが散歩したせいで、足跡は入り乱れて、たくさん残っている。犯人にし たって、犯行時の足跡をくっきり残すなんて失敗、やりませんよ」 「やるべきことをやっておかんと、私の気が済まん」 言い切ると、すぐにでも外に出たそうな戸井刑事。 「焦る必要はないですよ。今は全員がこの場にいるんだから、証拠堙滅も不可 能。聞き込みに心を砕くべきでしょう」 「それなら……犯行のあった三時から五時前後に、何か物音を聞くか、目撃す るかした方は、申し出てください。どんなことでもいい」 刑事の呼びかけに、応じる者はなかった。それも当然かもしれない。何しろ、 この屋敷の防音はよくできているから、少々の物音は聞こえないのだ。隣の部 屋で乱闘があったのならまだしも、窓を開け、ロープを登り降りしたぐらいで は、誰も気づかなくても不思議でない。 「アリバイのある方は?」 期待していない声で、法川が聞く。やはり、アリバイの申し立ては誰からも なかった。私もそうだが、眠っていたとしか言いようがないだろう。 「ロープ状の物を持ち込んでいる人を、見かけた方はいませんかね」 「そんな物、持ち込まなくたって、どこにでも転がってますよ」 暗い表情のまま、実道が証言する。 「船を係留するのに使ったり、屋敷の修理保全に使ったりするから、たくさん あるんです。長さも太さも色々あって」 「物置にでも、仕舞ってあるんじゃないんですか?」 「物置にもあるけれど、そこらに放り出しているよ。誰にだって持ち出せる。 物置だって、厳重に施錠している訳じゃない」 「念のために、あとで調べてみよう」 刑事がつぶやいた。これも、やれることをやっておきたいという気持ちの表 れに違いない。 「他にできることと言ったら、ロープ捜しになりますね。もちろん、さっさと 始末しているとは思いますが、後々の捜査では重要な証拠の一つとなりますか ら、戸井刑事、力を入れて捜さないと」 「お、おお。そうだな」 「それから……」 法川は刑事に耳打ちをした。もちろん、その内容は分からない。法川が伝え 終わると、刑事は二度、うなずいた。 「さ、最後の半日を乗り切るためにも、食事を取らないといけない。食堂に戻 りませんか」 法川の提案に、ほとんどの者は呆気に取られていたようだが、それでもみん な、ぞろぞろと部屋を移動した。 我々の帰着予定は、本日午後二時半となっていた。異変を知って、動き始め るのが三時として、向こうが船で島に来るのなら一時間は見ておく必要がある。 要するに、最も早くて、今日の午後四時に救いの手が差し伸べられると期待さ れるのだが、実際は果たしてどうなるか、安易な予断を許さない状況である。 私と法川、風見の三人は、九号室に集まっていた。戸井刑事は、仮眠を取っ ている。 「六時間は頑張らないといけないんだな」 時計の針の動きが、やけに遅く感じられる。 「足跡もロープ類も発見できなかったけど、犯人は肝心な点を忘れているよ」 法川は、むしろ不満げにしている。自分のいる場で犯罪を行うのであれば、 細心の注意を払えと言いたいらしい。 「肝心な点とは、何だ? 昨日も、そんなことを言っていたぜ、証拠とか」 「うん、昨日の時点では、まだ確信が持てなかったんだが、一晩考えて、他に 可能性がないと思えるまで煮詰めた。鈴木さんのいた六号室に、証拠が保存さ れている」 「そう言えば、さっき、六号室の鍵を刑事に開けてもらっていたな。安心した 様子だったが、何だったんだ?」 −−続く
メールアドレス
パスワード
※書き込みにはメールアドレスの登録が必要です。
まだアドレスを登録してない方はこちらへ
メールアドレス登録
アドレスとパスワードをブラウザに記憶させる
メッセージを削除する
「長編」一覧
オプション検索
利用者登録
アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE