長編 #3621の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
ことことと、鍋が音を立てる。 とんとんと、包丁がまな板を叩く。 心地のいいリズム。たち昇る暖かな湯気。 聞き慣れた音、嗅ぎ慣れた薫り、見慣れた光景。 当たり前のものが、とても嬉しく思える。 舞雪は、今日まで自分がどれほど幸せな毎日を送っていたのか、改めて感じてい た。 「そう、直樹くん、そんなに悪いの」 まな板を叩く音が、ぴたりと止んで、お母さんが言った。 「何かお手伝い出来る事は、ないかしら」 「うん、わたしもおばさんに言ったけど、いまはいいって」 「そう………明日の朝にでも、おにぎりでも差し入れしようかしら。病院では、付 き添いの人のご飯まで、用意してないでしょうから」 お母さんの手が動き始め、またとんとんとリズムが刻まれる。 舞雪はその音が好きだった。 その音を聞いているだけで、とても幸せな気分になれる。 でも、きっと紗紀はこの音をほとんど聞いた事がないだろう。そう思うと、悲し くなる。 玄関からがちゃと、ノブを捻る音がした。 続いて「だだいま」とお父さんの声が聞こえた。 夕食のあと、舞雪はお母さんに頼んで、お酒をお燗にしてもらった。 お父さんにお酌をしてあげるために。 「はい、お父さん。どうぞ」 慣れない手つきで、お銚子を傾ける。 「いったい、どう言う風の吹き回しなんだ、舞雪」 そう言いながらも、お酌を受けるお父さんは嬉しそうだ。 お銚子を傾けすぎて、お酒が一気にそそぎ込まれる。 「おっと、入れすぎ、入れすぎ。こぼれちゃうよ」 お父さんは、溢れそうなぐい呑みを口元に運んで、ずずっと吸った。 「いやあ、それにしても今日のお酒は旨いなあ」 上機嫌なお父さん。 「わたしが、お酌してあげてるからでしょ?」 「ああ、そうだな」 「お母さんのお酌より、おいしい?」 「ああ、おいしい」 「あら」 二人のやり取りを聞いていたお母さんが、大袈裟な声を出した。 「それなら、これからは毎日舞雪に、お父さんの晩酌の相手を頼もうかしら?」 拗ねたようなお母さん。でも目は笑っている。 「うん、それもいいな。なあ、舞雪」 「残念だけど、わたし、毎日相手をしてあげられるほど、暇じゃないんだ。だから、 お父さんのことは、お母さんに任せてあげる」 「あらあら、それはどうも」 「そうか、分かったぞ」 カレンダーの方を見ながらお父さんが言った。 「あさってだったな………何かおねだりしたいものが、あるんだろ?」 お父さんは、にやにやとしている。 「それは、誕生日のこと? それともクリスマスかしら」 「おいおい、もしかして両方のおねだりかな」 舞雪はふふっと笑った。 「いいの、今年は。なにもいらないの」 「お、どうした。なんだか気味が悪いな」 お父さんは不思議そうな顔をした。 「舞雪、あなた紗紀ちゃんのこと、気にしてるの」 とお母さん。 「うんん、そうじゃない」 「紗紀ちゃんって、舞雪と仲のいいあの子か。その紗紀ちゃんが、どうしたんだ?」 「弟さんが入院しているのは、知ってるでしょ。今度、手術を受けるそうなんだけ ど、難しい手術らしいわ」 「そうか………あの子のところは、お父さんがいないんだっけ。ひょっとして舞雪、 その子の事を気にして、お父さんにサービスしてくれてるのか」 「べつに、そんなんじゃ………ないけど」 舞雪はふと、テレビに目を向けた。 やっていたのは、お父さんの好きな時代劇。 雪の降る夜、若い女の人が泣きながら赤ちゃんを、お寺の前に置いて立ち去る場 面。 「こんな日だったのかな」 舞雪の漏らした一言に、お父さんとお母さんが動きを止めてしまった。 「こんな雪の日だったのかな、わたしがお父さんやお母さんの子どもになった日は」 「いや」 答えたのはお父さんだった。 「もっともっと、綺麗に雪が舞っていた。見上げると吸い込まれそうになるほど高 い空。そこからまるで羽毛のような雪が、無数に舞い降りて来た。お父さんたちは、 おまえがその雪と一緒に空から降りてきた、授け物と信じた………」 「そうよ、舞雪………たしかにあなたは、わたしたの産んだ子どもじゃない。でも ね、愛している。前にも話したように、お父さんもお母さんも、誰よりあなたを愛 しているの」 そう言って、お母さんは舞雪の頭を強く抱きしめた。 暖かな、お母さんの胸。子守唄のような、お母さんの鼓動。 「ごめんなさい、今日のわたし………なんだかちょっとおかしいみたい」 舞雪はお母さんたちに、とても申し分けない気持ちになった。 『やっぱり、わたしって無神経なんだな』 小学校に上がってすぐに、自分がお父さんやお母さんの本当の子どもでないこと を知らされた。 いつかは知ることだから、早めに知った方がいい。それが舞雪の将来のためにな る、とお父さんは考えたそうだ。 当然、ショックだった。 そしてそんなことを話したお父さんを、お母さんを嫌いになった時期もあった。 けれどもお父さんとお母さんは、それまで、そしてそれからも本当の子ども同様 に、もしかするとそれ以上に自分を愛してくれた。 いつからだったか舞雪は、血が繋がっていないということは大した問題ではない と思えるようになった。 それから舞雪は、その事を今日まで口にすることはなかった。思い出すことが、 なかったのだ。 「きっと直樹くんのことで、いつもは使わない頭で、いろいろ考えちゃったから…。 わたし、今日はもう寝るね」 「そうね、そうしたほうがいいわ」 舞雪を抱く、お母さんの手が緩んだ。 「おやすみなさい」 「お休み、舞雪」 お母さんが額にキスをしてくれた。舞雪も頬にキスを返す。 「お父さん、おやすみなさい」 お父さんにキスをする。 幼稚園のころ以来のキスを。 「舞雪」 部屋に行こうとする舞雪を、照れたように笑うお父さんが呼び止めた。 「いいか、おまえはわたしたちの子だ。どうやってそうなったかなんて、関係ない」 「うん」 舞雪は最高の笑顔で頷いてみせた。 天井を見つめる。 紗紀は天井が恐いと言った。 顔が見えると言った。 けれど舞雪には見えない。 きっと自分は幸せだからなのだと、舞雪は思う。 なにが幸せで、なにが不幸せなのかは、よく分からない。 だが、大好きなお父さんお母さんが元気でいる。 お父さんお母さんが、わたしを愛していると言ってくれる。 これが幸せでないはずがない。 ひとりきりの家の中で、天井を恐いと思う紗紀は幸せなのだろうか。 外で遊ぶこともできず、手術の恐怖に怯える直樹は幸せなのだろうか。 舞雪は考える。 なにか出来ることはないのかと。 なにかしたい、しなければならない。 「だって」 ひとり呟く。 「いまだと思うの」 舞雪は思う。 「いまだと思うの。紗紀ちゃんに、あのときの恩返しをするのは」 目をつむる。 「紗紀ちゃんは、覚えてる? 忘れちゃったかな? わたしは忘れないよ……絶対 に」 小学校に入ったばかりのころ。 紗紀と友だちになったときのこと。 鮮明に思い出される。 お父さんとお母さんは、ほんとうのお父さんとお母さんじゃない。 ショックだった。 まだ六歳の舞雪は、その事実をどう受けとめていいのか分からなかった。 話しをするのが嫌だった。 お父さんやお母さんと話しをするのが嫌だった。 先生と話しをするのが嫌だった。 友だちと話しをするのが嫌だった。 周りが全て敵のように思えた。 みんなが自分を笑っているように思えた。 『あいつの父さんと母さん、ほんとうの父さんと母さんじゃないんだぜ』 『もらいっ子だぜ、もらいっ子』 『もらいっ子のくせによ』 もともと男の子勝りだった舞雪は、誰彼構わず、突っかかるようになっていた。 その日も、五年生の男の子たちともめていた。 「なんだ、このチビはよ」 「てめぇ、生意気なんだよ」 「一年坊は、おとなしくしてろよな」 口々に舞雪を非難する男の子たち。 ちょっと前まで幼稚園に通っていた舞雪と、五年生の男の子たちでは体格に圧倒 的な差があった。 けれど舞雪は怯まない。 怯んだほうが、良かったかも知れない。 怯んで謝っていれば、それ以上男の子たちを怒らせることはなかったはずだ。 恐がって泣いてしまえば、それ以上男の子たちも責めたりはしなかっただろう。 もとはと言えば、舞雪のほうが悪かった。 大きな銀杏の木にもたれ掛かり、校庭を眺めていた舞雪の前に、サッカーボール が転がって来た。 舞雪はボールを拾い上げた。 「おーい、そこの子。悪いけどそのボール、投げてくれ」 男の子が舞雪に呼びかけた。 男の子が五年生であることは、名札の色ですぐ分かった。 舞雪はボールを投げた。男の子のほうとは反対側、学校の外へ向かって。 「あっ」 ボールは学校の前の道を転がって、反対側にあるつつじの植え込みの中へ入って いった。 「こいつ!」 それを見ていた男の子たちが、舞雪を取り囲んだ。 三人、いや四人だったか。 「なにすんだよ、おまえは」 リーダー格らしい男のが、舞雪の前に立ち、腕組みをしながら睨み付けている。 舞雪も負けずに、男の子を睨み付けた。 「ボール………投げた」 「なんだこいつ、ふざけんな」 男の子は声を荒げた。 「ふざけてないよ。ボール、投げろって言ったの、そっちだもん」 「このちび、頭、おかしいんじゃないか」 「おまえこそ、頭がおかしいくせに」 この一言は、男の子を怒らせた。 「一年が、五年を『おまえ』って呼ぶんじゃねぇ」 そう言って、舞雪の肩をぽんと叩いた。 手加減したつもりなのだろうが、小さな舞雪の身体を突き飛ばすのには充分な力 だった。 舞雪はよろめきながら後ずさり、ぺたんと尻餅をついた。
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