長編 #3609の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
「卵から生まれた女」 荒唐無稽な譫言みたいに思われるかもしれないが、僕が卵から生まれた女と出会い 、 そして別れた話をここに書きとめておくことにしよう。 僕は今では心の安定を取り戻し、結婚をし、子供にも一人恵まれ、ささやかながら も小さな家庭を持っているけれど、ここに至るまでの僕の努力は並大抵のものじゃな かった。普通ならごく自然なことでもあのころの僕にとっては、簡単に行かなかった 。 たとえば、夜、眠る。当たり前だ。その当たり前のことが、僕はできなかった。毎日 の生活を楽しむ。当然だ。ところが僕は毎日が苦痛でならなかった。生きていること が苦痛だった。僕はどこへ行ったら安らげるのか全然わからなかった。 だけど、卵から生まれてきた女と僕が奇妙な共生を始めたとき、このアパートは別 世界に変わっていた。あの時、僕は僕が生きているこの世界と、意識するしないに拘 わらず存在しているかもしれないし、または存在していないとも言い切れない別の世 界との間を生きていた。僕は、僕たちが生きている世界の見慣れた歩道を、いつもと 同じように歩いてはいたけれど、本当はこの地上を歩いてなんかいなかったんだ。 意味のない焦燥感に駆られて、僕は街をうろつくこともあった。何を恐れている? 何が不安だというのだ?僕は自分で自分を恐れていたんだと思う。単調な毎日の中で 延々と繰り返される生活、希望も期待も変化もない。それにほんのちょっとだけの努 力のエキスを絞り出さなければならない。その味気なさに泣きたかった。 僕は本を開く。文章を読もうとする。10行も行かないうちに集中力をなくす。 僕は通りがかりの映画館に駆け込む。画面だけは目にはいるが、俳優の顔が全然覚 えられない。中身もわからない。 僕は音楽で気を静めようとする。音楽はうるさいばかりで、逆に僕の神経を逆なで にする。 人づきあいは、僕にとって痛いことばかりだった。 いつからこうなったのだろう?僕は夜中に何度も飛び起きる。でなければ、ずっと ベッドの中でもがき続けて朝焼けの、空が白み始めるほんの少し前の薄暗がりで、少 しばかりの睡眠を取るのだった。僕は毎日、一日中布団をかぶって寝ていたかったし そうなる日も近いような気がした。僕は病気だ。 仕事を終えて、重い足取りでアパートの部屋に向かうと、ドアの前に街灯に照らさ れて、有子が立っていた。見るからに不機嫌そうな様子をしていた。僕はやっと有子 との約束をすっぽかしたことを思い出した。 出し抜けに、有子は叫んだ。 「あなたって、自分のことしか考えない人ね!」 僕は返す言葉もなかった。確かにその通りだ。でも、僕に何ができたろう。学生時 代からの恋人だった。僕たちにも楽しくてしょうがない時期があったなんて、化石に なった古代のシダ植物を観るようなものだ。いや、石になってしまったのは僕の方で 彼女は生きて怒っている女だ。自分を主張している女だ。 「すまなかった・・・忘れていたんだ。取り込んでいたものだから・・・・」 「もう、いいわよ。私、帰るわ。あなたとなんかもう金輪際会わないわ!」 「ああ・・、悪かったよ・・・・ごめんよ。」 「・・・・宅急便か何かかしら。大きな荷物が届いているわよ。ほら、これ!」 有子は、後ろに隠れていた大きな四角い段ボール箱を指さして言った。そして、僕 をはり倒さんばかりの勢いで去っていった。彼女のコートがいつまでも暗闇の中に残 って見えていたが、やがてそれも小さくなって消えた。僕はすべての人間という人間 から見放されたんだろうか。それとも、悪いのは僕なのか。僕の方が逃げたがってい るんだろうか? 卵から生まれた女は、段ボール箱の仙女。彼女は世にもたおやかな笑顔を浮かべて こう言った。 「とにかく、あなたは誰かを愛さなくちゃならないわ。」 有子、僕は夢を見たんだ。一つはこうさ。僕はおおきな螺旋階段を一生懸命果てし なく登り続けているんだ。その建物は巨大で、がらんとしていて、僕はデパートだっ て思いこんでる。誰かと一緒のような気がするけど、そうでもない。その人間は見え ないし、かといっていないというわけでもないんだ。僕は一緒の人間が善玉か悪玉か わかりかねている。僕は階段を上っていくにつれて不安を感じている。そして、落ち てしまうんだよ。とても高いところから。 もう一つは、僕はもう老人になっていて、病院のベットで死んでいくんだ。あれは 年取った叔父さんのことさ、もう死んでもおかしくないもの。そう自分に言い聞かせ ても、あれは僕だったと思うんだ。 それでね、僕は火葬にされて骨壺に入った自分、という夢まで見たんだよ。四角い 箱に紫と金糸で刺繍のされた袋に入れられてね。 だから、僕を責めないでおくれ。いつも自分のことばかり考えてる僕を責めないで おくれ。僕は自分のことで精一杯で、自分を持て余しているんだ。 愛している、君を愛している、卵から生まれた女。もしもこの世界でかなう恋なら ば僕は君を愛したい。この人生は現実ではなく夢の影、永遠に続くようで実は一瞬の 悪夢。それは死でしか贖うことができないのだろうか。 卵から生まれてきた女は、何の変哲もないごく普通の成人した女に見える。どうい うわけかぼくの部屋に許しも得ずに入り込んで、迷い猫のように暮らしている。彼女 にとってはあるものすべてが新鮮で物珍しく、いちいち僕に尋ねる。 「この、人が小さくなって何人も入っていて、しゃべったり、泣いたりしている四角 い箱は何?」 「その、首に巻いている細い布は何?」 「音のでる箱はいったいどこに音をためているの?」 「栓をひねると水が出てくるのはどうしてなの?」 彼女が卵から出てきたとき裸だったので、あわてて僕の服を見繕って着せたけれど 、 下着がない。金をやるから自分で買ってこいというと、僕のでいいという。だから、 彼女は僕の下着をつけている。そんな格好で部屋の中を歩き回られると変な気分にな る。僕のぶかぶかのトレーナーとジーンズを彼女は裾をまくって着ている。チャーミ ングだ。僕は彼女が何者であろうが構わないという気になる。 「ねえ、君はどこからきたの。」 僕は半ばあきれ顔で尋ねる。 卵から生まれた女は、僕にぐっと顔を近づけて、それからにっこりと笑って言う。 「あなたは、この世界と別の世界がどこかにあると思う?」 「わからないよそんなこと。」 「私もよくわからないの。でも、この世界だけがすべてだとは限らないでしょう。夕 暮れの薄明から闇に変わるほんの少し前とか、真夜中から朝に変わる境目のきっかけ となるどこかに、ふっとはいっていける所があって、私はそんな瞬間の微妙なあるタ イミングでこちらの世界にきたのだと思うの。その世界はきっと卵の殻の中のように 時が止まっていて、美しい生き物も醜い生き物もそのままの形で、幸福な者も哀れな 者もありのままに、生まれてきつつあるものも死につつあるものも、そこで止まった まま安らいでいる世界だったと思うわ。皆まどろみの中で起きていて、あるがままの 姿で生きているわ。」 「それは死の世界なのかい?」 「ちがうわ。死んでもいないし、生きてもいない。あなたのいるこの世界で生きられ なかったものたち、死ねなかったものたちが流れていって受け入れられた世界だと思 うわ。そういうものたちの世界も必要なのよ。」 僕は2人分のコーヒーを入れて、一つを彼女に与えた。ぶかぶかの僕のトレーナー から伸びた手は、さながら霊魂をつかむ巫女のしぐさに見えた。 「おいしいわ、これ。」 「コーヒーの味がわかるのかい?」 「あなたがおいしいと思っていれてくれたコーヒーでしょ。だから、私もおいしいと 思うのよ。」 女の髪が夕暮れの日差しに透けて、うっすら輝いていた。なんてふわりとした柔ら かそうな髪なんだろう。 僕は今、不思議と気分が落ち着いてくるのを感じていた。 僕は、女に料理のやり方を教えようとした。居候としてはそれくらいのことは当然 だと思ったからだ。水道の出し方から、ガスのスイッチのひねり方、包丁の持ち方ま で手にとって教えたけれど、彼女が覚えたのは台所の中性洗剤とストローでシャボン 玉を作ることだった。僕が仕事から帰ってきたとき、ちょうど部屋の中をシャボン玉 だらけにしているところだった。僕をちらと見ると子供のようにほほえんで、またシ ャボン玉づくりに熱中し始めた。その姿があまりに可愛らしくて、僕のよれよれのシ ャツと擦り切れたズボンを落ちないように無理にバンドで押さえている格好があまり にヘンテコだったので、僕は無我夢中で彼女を抱きしめたのだった。 ある日僕は大工用品を売っている店によって、板きれや棒きれ、ナイフやボンド、 釘などをたくさん買ってきた。夕御飯を片づけてから、それをこたつの上に並べた。 「何をするの?」 怪訝な顔をして、彼女は尋ねる。 「これで、船を作るのさ。」 「船?ずいぶん小さな船ね。」 「これで船を造って、二人で無人島に行くのさ。君ならできるだろう?」 僕はしばらくの間、船を造ることに熱中していた。微に入り細に入り、船の設計を 考えた。僕は僕の作った模型の船で、女と一緒に異次元の無人島に流れていく冒険を 思い描いた。 彼女は言う。 「ねえ、人間も卵から生まれてくるといいのにね。なぜって、無駄な努力をしなくて もよくなるから。努力ってやりたくもないことを我慢してやることでしょ。私、努力 って言葉が大嫌い。果てしなく人を無気力に、地面に這いつくばらせて、そうしない 人に道ばたの石ころをぶつける言葉だわ。あなたもいつかの女の人にただ暖めてもら えばいいだけなのに、努力という言葉を思い出したとたんに離れてしまうのだわ。」 彼女の瞳に青い水の色が見える。水が渦を巻いて海を作る。海を渡っているのは僕が 作った模型の船だ。 ・・・・・ (2)へ続く
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