長編 #3528の修正
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終息宣言 (3) 叙 朱 (ジョッシュ) 翌金曜日も、関東地方はさわやかな秋晴れだった。昼前頃、スーツ姿の就職活 動中らしい女子大生がふたり、川越市営団地の方から鞄を下げバス停に向かって 歩いていた。灰色のスーツを着た長い髪の方はしきりに首を回して、昨夜のウイ スキーサワーの余韻を消そうとしていた。茶色のスーツを着たショートカットの もう一人は少し遅れ気味にうなだれて歩いていた。 折りからの風に乱れる長い髪を面倒くさそうに押さえながら、後ろの連れを振 り返り、灰色スーツは思わず立ち止まった。よく見ると、元気のない茶色スーツ の頬はそげ、目の下にはっきりと青いクマが浮き出ていた。 「ねぇ、あんまり寝てないんじゃあないの。なかなか就職が決まらないからって、 そんなに落ち込まないでよ。私まで滅入っちゃうじゃない。ねえ、今日は面接行 くのやめようか。そんな顔して会社へ行っても採用にはならないわよ。ね、悪い ことはいわないわ、休もうよ。私が、先方の人事部には電話をしてあげる。」 灰色スーツの女子大生は、ポケットから携帯電話を取り出した。二言、三言で 電話は簡単に済んだ。 「あはは、私も二日酔いだから、やーめた。さ、一緒に家に帰って、一眠りしよ うか。」 その時、うなずきかけた茶色スーツに、団地の向こうからやってくる川越駅行 きのバスが目に入った。と、それまでしょんぼりしていた彼女は、反射的に突然、 バス停に向かって勢いよく走り出した。まるで乗り遅れまいとするかのようなダ ッシュだった。灰色スーツの方は一瞬、呆気にとられて見送った。しかし、もう 少しでバス停に着くというとき、アスファルトの継ぎ目でつまずき、茶色スーツ の女子大生はもんどりうって道路に倒れ込んだ。スカートがめくれ、青白い太も もがあらわになった。後ろから見ていた灰色スーツの女子大生は、慌てて駆け寄 った。バスも急停車した。 倒れ込んだ女子大生はうつ伏せになったまま、動かなかった。バスの運転手が 心配そうにフロントガラス越しに見ている。 「ねえ、大丈夫..。」 声を掛けながら近づいた灰色スーツの女子大生は、異様な音を聞いた。ぐがー、 ぐがー。それは倒れた茶色スーツのいびきだった。なんと、彼女は倒れ込んで気 を失い、そのまま眠り込んでしまったのだ。近寄ってスカートを直してあげなが ら、灰色スーツはなーんだと笑って、バスの運転手に合図した。 茶色スーツの女子大生は眠り続けた。道路の上では迷惑なのでやっとの事で、 バス停のベンチの上まで引きずり、横にした。彼女は、高いびきで眠り続けた。 そのうちに次第に、目の下のクマはとれ顔に生気が戻ってくるのが、見守ってい た連れの女子大生にもはっきりとみてとれた。 神奈川県の米軍厚木飛行場にその夜遅く、輸送機が一機舞い降りた。アメリカ 西海岸の米軍基地から直接飛来したもので、その輸送機は日本ではほとんどお目 にかかれない、戦車空輸用の大型特殊機だった。 監視に立っていた自衛隊厚木基地の若い隊員は、すぐにこの輸送機の到着を上 官に報告した。電話口で上官は、「やっぱりこちらに持ってきたか」と呻いた。 上官は、自衛隊特殊部隊の派遣をすぐさま要請する暗号無線を口頭指示した後、 思い出したように、監視の隊員を呼び出した。 「いいか、これは命令だ。よく聞け。今夜、ここでこれから起きることを、日本 人としてよく見ていろ。そして、結果がどうであれ、明日の朝までには全部忘れ ろ。分かったか。よし分かったら復唱してみろ。」 自衛隊は、米軍滑走路の一番奥に駐機したこの大型輸送機を修理不能な状態に 破壊するという極秘命令を受けていた。最大の同盟国である米軍の保有機を一方 的に破壊してしまうというのは、常識的に考えてありうべからぬ事だった。余程 の事態が想像された。 上官は、事の重大さが胸に迫り、喉がからからになった。輸送機の積み荷がな んであるかは教えられていなかった。また、攻撃の仕方によってどの程度の連鎖 爆発の怖れがあるのかについても一切、説明はなかった。とにかく、命令は輸送 機が飛べなくなるくらいの破壊を即時実行せよということだけだった。それはい かにこの命令が、短兵急に決められたものかという事を物語っていた。 自衛隊特殊部隊は、午前三時頃には厚木に到着するという、暗号無線が入った。 作戦実行は、午前三時三十分という事になった。上官は、もう一度その黒々とし た大型輸送機を見つめた。 同じ頃、国立T大微生物研究所では、緊急電話で呼び出しを受けた男たちが、 三台の電子顕微鏡の映像をモニターに映して議論していた。厚生省から提供され た検体からは新種の菌が分離されていた。日本では今まで報告されていない新種 のものだった。厚生省は、その出所を明らかにしなかったが、集まった医学博士 は、これが新しい大腸菌なのではないかと漠然と思っていた。 厚生省の要求は、この菌を陰性化するための手だてを何とか今夜中に見つけろ という、とんでもないものだった。厚生省の係官が二人、モニター室の入り口に 立って、博士たちの答えがでるのを待っていた。 日本の誇る医学博士たちは、細菌の物理的なパズル絵合わせにもう六時間以上 も熱中していた。それで既知の細菌の外観に近似したものを探し出し、新種の菌 の性質を推定しようという試みだった。かなり大胆な、そして根気のいるやり方 だが、通常のやり方を踏襲すれば、大腸菌の特定には、菌そのものの表面質の化 学構造などを調べなければならない。残念ながら、博士たちにそんな時間は与え られていなかった。 菌は休むことなく活発に増殖をつづけていた。棒状にどんどん、節のような細 胞がのびてゆくのだった。ある程度延びた棒状菌は中央でぷつりと切れ、そして また、伸びてゆき、あるところでまた二つにぷつりと切れ、といった具合に増殖 していた。 もう午前三時になろうかという時になって、モニターを見つめながら隣の研究 員とあれこれ言い合っていたJ大医学博士が、ちょっと素っ頓狂な声を上げた。 「あれえ、いつのまにか環状菌になってるぞ。おいおい、これを見てくれ。」 博士が指したのは、右端のモニターだった。確かに、それまで棒状に伸び続け ていた菌は、次々にその棒状の細胞をくるりと曲げ、先端をくっつけて輪ゴムの ような環状菌になっていた。そのスピードはすさまじく、あっという間に、右側 のモニターは環状菌だらけになってしまった。しばらく呆気にとられてモニター を見ていた男たちは、やがて、環状菌が全く増殖しないことに気がついた。陰性 化したようだった。 その内に、残った真ん中と左側のモニターでも、環状菌化が始まった。そして、 それは大体十五秒くらいで変態を完了した。あれほど活発だった増殖はぴたりと 止まった。 「これはどういう事なんだ。勝手に増殖して、ひとりでに陰性化してしまったよ うだな。何故なんだ、どういうメカニズムなんだ。」 J大の医学博士の興奮した大きな声がモニター室に響いた。誰も答えられなか った。こうした病原菌のメカニズムについては、既知のものですらほとんど解明 されてない現状だった。しばらくの沈黙のあと、それまでずっと黙っていたT大 医学部の教授が、まるで、独り言のように発言した。 「これは、菌自体に仕掛けられた時限タイマかもしれんな。わかりやすくいえば、 寿命だ。なんの外的な刺激も与えずに陰性化したんじゃから、寿命が尽きたんじ ゃないかな。ということは、罹患したら安静にしてさえいれば、菌はひとりでに 陰性化して、症状は改善するということだ。」 最後の方は、モニター室の入り口に立っている厚生省の係官に向けてのコメン トだった。白髪の混じった男たちは一斉に、背広姿の男たちの方を振り返った。 ひとりの男は連絡のため廊下へ出てゆき、残った男がはっきりとした口調で応じ た。 「まず初めに申し上げますが、私たちは厚生省の人間ではありません。日本国内 閣総理大臣の直属で動いているものです。身分証明を閲覧したい方には後でご覧 に入れます。」 男は写真付きの運転免許証のようなものを宙にかざした。 「みなさんに明らかにしませんでしたが、見ていただいている検体は、現在、関 東方面で問題になっている過労死で亡くなられた方から採取したものです。」 その説明で、モニター室が一瞬静まり返った。過労死の病原菌という説明は、 集まった医学博士たちを驚愕させた。男の説明は続いた。 「この検体中の新種の細菌は、アメリカでいち早く分離され、動物テストにより その強力な脳細胞への影響が確認されました。検体は、やはり過労死のような形 でN航空機上で亡くなり、ロサンゼルスで発見された日本人乗客の方から採取し たそうです。アメリカ連邦微生物研究所の報告によると、この細菌は、脳細胞の 自律神経系の信号の接点あたりに入り込んで妨害波のようなものを出しているよ うで、結果として肉体の自制能力を減退させるとあります。つまり、人間の場合、 自制能力があれば、疲れたら疲労感の信号を、睡眠不足なら眠りたいという欲求 の信号を送り、そうして体を休息させるわけですが、おっと、これはみなさんの 専門でしたね。失礼しました。まあそういった、身体の自己防衛信号の経路に悪 さをするようだと、報告されていました。」 「すると厚生省は、この細菌の存在を前から知っていたんだな。」 J大の医学博士が大きな声で叫んた。男は、その博士の方を見やりながら、続 けた。 「アメリカから、情報として受け取ったのは三日前です。しかもたった一枚のレ ポートだけです。それは全くもって寝耳に水でした。しかし、半信半疑でも、事 の重大さは認識できました。下手をすると、例の大腸菌騒ぎとは比較にならない 程の大惨事の怖れもあります。なにしろ、イギリスの狂牛病のようなものが突然 日本人の中で流行ってきたわけですからね。」 男はそこで言葉を切り、モニター室を見回した。先ほど、出ていった背広の男 がドアを開けてはいってきて、耳打ちした。 「でも、みなさんのおかげで、この細菌がある一定時間で陰性化する事が分かり ました。これで明日からの対応のめどが立ち、総理大臣もそしてアメリカ大統領 も感謝しているそうです。」 「何故アメリカ大統領が感謝して来るんだ? 細菌の陰性化のプロセスはアメリ カの方では確認できなかったのかな。」 先ほどのJ大博士の大きい声だった。もちろん、背広の男たちはアメリカが日 本に提案してきた、細菌の温床となっている川越市一帯を焼き尽くす作戦につい ては、この博士たちへ説明するつもりは毛頭無かった。 「アメリカ連邦微生物研究所の報告書では、菌の陰性化は栄養源であるテスト動 物の死亡によって起きるようだとあります。ただ、向こうも先週末の限られた時 間の中で、動物テストをまずやり、人間への影響を第一にチェックしたようです ね。そしたら、それらのテスト動物が次々と発狂死したわけですから、それであ わてて、日本に連絡を入れてきたという事でしょう。それはともかく、最初に申 し上げましたとおり、この細菌に関する情報は当面最高機密扱いとさせていただ きますので、くれぐれも口外なされませんように。」 「何故、検体が三種類なんじゃ?」 これは、T大教授だった。 「ああ、それは、亡くなった方の、便、唾液、そして、血液から採取されたもの なんです。」 男の何気ない「血液から」という説明にモニター室はざわざわとなった。エイ ズウイルスのように血液の中にも入り込むのか? 口からはいった細菌はどこか ら、血管に入り込むんだ? また新たな議論の種が出てきたようだった。博士た ちの関心がそちらに移る頃、背広の二人は廊下に出るとドアをぱたりと閉めた。 翌日、土曜日のお昼頃、川越市営団地近くのラーメン屋は、いつものように昼 飯のお客でにぎわっていた。夜は会社帰りのサラリーマンが圧倒的に多いこの店 も、昼間は近くの団地から気楽にやってくる主婦たちで占領された。この日も、 買い物帰りと思われる主婦たちが、大きなビニール袋をテーブルの脇に置いて、 この店自慢のネギ味噌ラーメンをすすっていた。鼻の上に汗をかいていた。 「おや、あれは総理大臣じゃないの?」その内のひとりが、テレビを見つけて言 った。 壁かけのメニューの隣にある、天井からつり下げられたテレビには、確かに日 本国総理大臣が映っていた。なにやら、喋っているようだが、ラーメンをすする 音でよく聞こえない。 「もう選挙が近いのかねえ。また、選挙カーでうるさくなるねえ、イヤだねえ。」 もうひとりの主婦が、顔はラーメンどんぶりに向けたまま、文句を言った。主 婦たちの会話を聞きつけたラーメン屋の女将が、説明した。 「あれは特別番組なんですよ。今朝からもう何回も流してるんですよ。なんかこ の間から、ほら、過労死がずーいぶんでてるでしょ。なんかそれと、例の大腸菌 騒ぎとひっかけてるのかどうか知らないけど、過労死対策もまず手洗いからなん て、変なことを言ってるんですよ。あたしの聞き違いかもしれないけどさ。でも あの総理大臣って、あの怒ってるみたいな顔ってなかなか良いわよね。男っぽく てさ。きゃははは。」 男っぽくてさ、きゃははは、には、主婦たちも大いに同意し、ラーメンをすす るのを一時中断して、女将に合わせて大笑いをしている。入り口の方でおとなし く餃子を食べていたサラリーマンが、何事かと主婦たちの方を見やった。その間 も日本国総理大臣は、怒ったような顔で、ラーメン屋の十六インチのテレビから 国民に語りかけていた。 「...というわけで、眠れない時には睡眠薬を飲んででも必ず眠るように心掛けま しょう。過労死の予防は睡眠が一番なのです。もっとも、先ほど申しましたよう に、日本に於ける過労死の発生は峠を越えました。これは政府としての、過労死 の終息宣言でございます...」 餃子をつまんだ箸を一瞬停めて、テレビに聞き入ったサラリーマンは、「何が 終息宣言だ、分かって喋っているのかな。」と、溜息混じりにつぶやいた。彼の 目の下には、青いクマがうっすらと...。 (おしまい) 蛇足: 登場する人物、団体等は、終息宣言をした総理大臣も含めまして、全て、実状 とは異なりますことを、念のために付け加えます。 <終息宣言 1996.11.10 ジョッシュ PRN81060 インターネット PRN81060@pcvan.or.jp>
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