長編 #3517の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
「『きくち』と聞けば、普通、こちらの字を思い浮かべるんじゃないだろうか」 言いながら、彼は紙に『菊地』と書いた。 「大地の地の方の菊地。池という字を『ち』と読ませることは、知識として持 っていても、なかなか思い付かないんじゃないかな」 「そんなこと」 呆れた−−そんな風に、大きく息をついた田原。 「私のクラスに、『きくち』という子がいるんです。菊池さんと同じ字を書く のよ。だから、すぐに池の方を思い浮かべた。それだけのことです」 「なるほどね。じゃあ、こんなのはどう? 君は水城君の死を、今夏、L高原 を訪ねるまで知らなかったそうだけど、納得できないな。あの事件は全国紙で も、なかなかの扱いで報じられていたよ。記事を一度でも読んでいれば、水城 君を知らない者ならともかく、君が忘れるはずないよね。それとも新聞記事、 目に留まらなかったのかい?」 「そうだったんですか? あんまり、新聞なんて読まないもの。気が付かなか ったんだ……。水城さんと会話を交わしたことを、お父さんかお母さんに言っ ていれば、教えてくれたかもしれないけど」 相手の受け答えに、菊池は鼻の頭をかいた。攻め方を少し、変えてみよう。 「三つ目、僕が探偵もすると言った途端、他の職業は無視して、これ幸いとば かりに依頼をしてきた。四つ目、L高原ではペンションにしか泊まったことが ないはずの君が、ホテルについて、よく知っているような素振りがあった。五 つ目、ちょうど女子高生の命日の日から、L高原に泊まりに来ていた。六つ目 −−」 「待って。そんな矢継ぎ早に言われたって、困る」 抗議してきた田原は、心持ち身を乗り出してから反論を始めた。 「依頼をしたのは、それだけ切羽詰まっていたから。ホテルをよく知っている というのは、レストランでのことですよね? 化粧室やお手洗いの場所を知っ てたのは、去年、家族で来たときにもホテルのレストランを利用して、その際 に知ったんです。女子高生の命日? そんなの、偶然です」 「……六つ目。君は、中村を前から知っていながら、知らないふりをした」 「中村……って、水門番のあの人のことですか。菊池さんのお友達の……」 「そうだよ。君達三人が僕の泊まっていた部屋に来たあの日、あいつにあとで 聞いたら、おかしなことを言うんだ。『去年だったと思うが、田原って子と話 したことあるぜ』ってね。どうして君は知らないふりをしたんだろう?」 「う、嘘です」 動揺したのか、ストローを持つ田原の手が変に動いて、微量だがジュースが 跳ね、テーブルを橙色に汚す。菊池はおしぼりを掴むと、その滴を拭き取った。 「知りません、そんなこと。たとえ去年、会って、話をしてたって、私、忘れ てしまってたんだわ、きっと」 「うん。今の僕の話は嘘だ」 にやっと笑ってみせる菊池。相手を揺さぶる効果は充分だったと、手応えを 感じていた。 「少なくとも、裏は取っていない」 「え……ど、どうして、そんな嘘を」 「ま、いいじゃないか。君に対して、不自然だなと感じた点を列挙し続けたっ て、堂々巡りのようだからね。この辺りで切り上げよう」 「話は終わりですか」 「いや、終わらない。むしろ、ここからが本論だね」 菊池が告げると、田原は一瞬のほっとした顔つきから、再び気重そうな表情 に戻った。 「いくつかの仮説を基にして、水城君の死んだ事件を再構築してみようと思う んだ。できれば、話し終えるまでは口を挟まないでほしいんだけど、いいかな」 「分かりません」 怒ったように、きっぱりと即答する田原。 菊池は苦笑して、コーヒーを呷った。 「仕方ないね。とにかく、スタートだ。さっきまで列挙し続けた点などから、 僕は田原さんへ、ちょっとした不信感を持った。この子はいくつか嘘をついて いるんじゃないか。これを前提として、話を進めることを許してもらうよ」 「……」 田原の許諾ないしは拒絶を待った菊池だったが、彼女から返事は得られなか った。軽いため息混じりに、そのまま再開する。 「君が嘘をついているとして、僕に水城君の行方の調査を依頼してきたのは、 どういうつもりからか? 僕の名前をあらかじめ知っていたからには、僕が何 の目的でここに来たのかも知っているんじゃないだろうか。誰から聞いたのか については、詮索しない。ただ、大宮の人間が漏らすとは考えにくいから、中 村の奴じゃないかと当たりは着けているが……君と中村なら、去年、知り合う 機会があっただろうからさ」 中村と大宮記代との結婚を思い出しながら、菊池は言った。 「あの人とは今年の夏、初めて話をしたのよ。何度でも言いますから」 菊池は彼女の抗弁に取り合わず、続けた。 「女子高生の事件を特に意識して知ってたなら、水城君が犯人扱いされたまま 死んだことも知っていなきゃおかしい。それなのに、彼の行方を調べてくれ? 話が合わない」 わざと吐き捨ててみせる。 「仮定ばかりだわ」 引き下がらず、反論を口にした田原。いつの間にかジュースのグラスは氷だ けになっており、それも溶け始めていた。 「最初に断ったはずだよ、最後まで聞いてほしいと。君が僕を探偵だと知って、 答の分かり切った依頼をしてきたのは何故か。その結果に何を望んでいたのか が、簡単には見破れなかった」 「水城さんに会いたかった。それだけです。死んでいたなんて、知らなかった。 事件を調べたのは、菊池さんが勝手に始めたことです」 「そうかもしれない。だけど、僕が動かなかったら、新たに依頼するつもりだ ったんじゃないのかな−−とも思える。そして、僕が特定の結論に行き着くの を見守っていた。シナリオ−−全てを大宮家のやったこととする−−を外れそ うになったときは、適切なヒントをさりげなく配するつもりだった」 「根拠のない妄想です。いい加減にやめてくれないんでしたら、帰らせてもら います」 腰を浮かしかける田原。それを中止させる呪文を、菊池は吐いた。 「根拠はある。君は決定的な台詞を口にしているんだよ。水城君を殺害した者 しか知りようがない一言を」 「何……でしょう」 田原の喉が鳴るのが分かった。 「思い出してくれるかなあ。僕は、仕事をする間は何でもかんでも記憶するよ う努めているし、実際、そんな能力に恵まれている。だから、覚えているんだ けど……。君がL高原を去る日、僕の部屋で悲しんでみせたよね。あれは演出 過多だった。『青酸ソーダって……苦しまずに死ねるんですか』と君は言った けど、どうして毒の名前を知っているんだ? 警察に知り合いがいるのかい? まさかね。知り合って間もない水城君本人から、事前に聞かされたとも思えな いし」 「−−菊池さんから聞いたんだわ」 「言ってないよ。僕自身、だいぶあとになって知ったし、君にこんな細かい点 まで知らせる必要もないと考えたから、言ってないんだ」 「じゃあ、新聞だわ。菊池さんから水城さんの死を教えられて、私、調べたん です」 「残念だが、新聞記事には、毒物自殺とはあっても、その毒が青酸系だとは一 言も載っていない。毒は、メッキ工場から盗まれた物なんだが、それについて さえ触れていないんだ。推測のしようもないんだよ。調べてみたらいい」 「……私がそんなことを言った証拠がありません。青酸ソーダなんて、私は言 っていません」 田原は視線をそらすと、言いにくそうに、しかしこれしかないという口調で 告げた。 菊池は、何の躊躇もなく返事する。 「ああ、ないよ」 途端に、目を向けてくる田原。表情は何か言いたげだが、彼女の口から出て 来る言葉はない。 「僕の記憶だけが証拠だ。中村や君の友達も問題の台詞を覚えているかもしれ ないが、君が毒物について知らなかったと言い切れるのも、僕だけだ。君が僕 から教えてもらったんだと強弁すれば、こちらの負けだよ」 「だったら、私は−−何もしていません」 「それでいいよ。真相を突き止めなければ、僕の内のもやもやが晴れないから、 こうやって推測を披露したまででね。高校生の君が、L高原まで再び足を運ぶ には、親に対するアリバイを作るのに大変だったろう。どうしてそこまでして 殺したのか、その動機を知ったら完全にすっきりするんだけれども、教えてく れないだろうね」 返事はない。菊池はため息をついてみせた。 「やはり無理か……。仕方ないね。僕はもう一度、L高原に行こうと思う。そ して湖に流れ込む川の上流を、徹底的に調べて見るつもりだよ。−−君がお祈 りしていたあの辺りを、特にね」 「ど、どうして……知ってるんです?」 はっとしたような表情をなす田原。 「偶然、見かけただけだよ。偶然。声はかけなかったし、僕はさっさと行って しまったから、気付かなくて当然だ。考えてみれば、不思議なんだよ。君は何 に対して、お祈りしていたのか。さっぱり分からない。僕は空想してみたよ。 この子はあそこで誰かが死んだことを知っており、何らかの理由でお祈りして いると。だが、水城君も身代わりで焼け死んだ子も、あそこで亡くなった訳じ ゃない。じゃあ、誰だ。L高原一帯では、他に大きな事件は何も起こっていな い。となると、ひょっとして有山礼子その人が、あそこで死亡したのではない のか……。彼女の遺体は違う場所に埋められていたけど、死んだのは君がお祈 りしていた場所じゃないのか。そう考えたんだけどね」 「……」 「有山さんは頭に傷を負って、亡くなっていた。血が飛び散ったとすれば、河 原の石ころに付着したはずだ。君は知らないだろうけど、血というものは一旦 着くと、表面上はきれいに洗い流されたように見えても、痕跡はしっかり残る。 ルミノール反応と言ってね。調べれば分かるんだよ」 「……もう……だめ」 田原は両手で顔を覆い、嗚咽を漏らし始めた。 その後、田原正美が警察で語ったところによって、きっかけは実に些細な偶 然であったと分かった。 アルバイトの水城は、川上流の橋の付近の美化も受け持っていた。簡単に言 えば、橋や河原にあるごみ拾いである。 問題の日、水城は橋の欄干に並べて捨ててあった空き缶や空き瓶を、回収し ていた。その一つに手を触れた際、誤って橋の向こうに落としてしまった。下 を覗くと、人が倒れているのが見えた。退屈紛れに散歩に来ていた有山礼子だ った。急いで河原まで降り、様子を見たが、ガラス瓶に頭部を直撃された有山 は死亡していた。 その様子を目撃していたのが、田原だった。彼女もまた、退屈なので散歩し ていただけなのだが、大変な目に巻き込まれてしまった。その上、水城に気付 かれたのだ。水城は、「誰にも言うな。言ったらおまえを殺す」と脅しをかけ てきたという。田原は恐ろしくて、知らぬふりを通すと約束した。遺体はその まま放置しておいても事故扱いされるだろうと一度は考えたものの、そうなる と水城自身に管理責任が被せられてくる恐れがあった。そのため、遺体を森の 中に運び込み、埋めた。一連の作業を、田原は無理矢理手伝わされたと言って いる。 家族と共にL高原を去った後、有山の焼死体発見の報に田原は驚いた。水城 に連絡を取るが、彼も訳が分からないと言う。それどころか、さらに彼は恐ろ しい提案をしてきた。「事件の背後に大宮家が絡んでいるに違いない。大宮家 を脅して、金を搾り取ってやる」と。田原は反対し、どうしてもやると言うの なら、全てをばらすとも告げた。水城は懐柔策に出たのか、時間を作ってこち らに来いと言ってきた。 親をごまかし、何とかL高原にやって来た田原は、水城と従業員寮の手前で 落ち合う。その後、場所を森の中に移した。そのとき、彼からジュースを手渡 された田原だったが、不審に感じ、隙を見て相手の物とすり替えた。元は田原 が飲むはずだったジュースを一口飲んだだけで、水城はもがき苦しみ始め、死 んでしまったという。 自分を殺すつもりだったんだと分かった田原は、震えながらも、全てにけり を着ける方法を閃いた。水城が有山(と世間には思われていた)の死に対して、 罪の意識に耐えられず、自殺したと見せかけるのだ。遺書は、従業員寮に忍び 込み、水城の携帯ワープロを使って作った。毒物が青酸ソーダだったと知った のはこのときで、田原自身にとって不利な物が残されてないかを調べる内に青 酸ソーダの容器が出て来たということだった。 田原はまた、中村と去年の夏の時点で知り合ったのも事実らしく、菊池が大 宮家の依頼で探偵に来たという話も、今夏、L高原を訪れる以前に中村から教 えられた。中村と知り合いであることは、当の中村から「こんな重要な件を外 の人に漏らしたと知れると、自分の首が危なくなるから黙っておいてくれ」と 頼まれ、お互い知らないふりを通した。それはともかく、探偵の存在を知った 田原は事件が掘り返される危惧を抱いた。様子を見届けるために自ら接触し、 何も知らない少女を装って菊池に依頼をしたのだ。 殺人の罪には問われぬものの、田原にはかなり重い刑罰が予想される。 (中村の奴……) 事件を思い起こす度、返す返すも、菊池は敗北感を抱かずにはいられなかっ た。 (大宮家の体制を突き崩すきっかけとして騒動を引き起こすために、僕を探偵 役に推挙したり、田原さんに僕のことを教えたり……。水城とも付き合いがあ ったんだな? 恐らく、水城から田原のことを聞いていた。その水城が死んだ のだから、田原をちょっと揺さぶれば、何かが出て来るのじゃないかと淡い期 待をして。期待以上の効果を上げたようだね、全く!) −−終わり
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