長編 #2928の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
かあん、と石が響いて割れた。 歓声が上がる。祭の始まりだ。 吹き上がる火の粉が、頬のうぶ毛をちりりと焼いた。 深い瞳を秘めた瞼は半眼に開かれ、この世ならぬ世を見る準備を始めている。 高台の丘に築かれた白木の祭壇を皮切りに、いくつもの篝火が焚かれて行く。 ぽつぽつと、明かりがのびて行く度に、歓声が広がる。さざなみのように。 炎に照らされ、踊るあまたの影は、月の無い闇をより深くする。 今、一つの世界が終わり、夜明けには新しい世界が始まる。 祭りの、片方の主役である少女は割れた石のかけらを拾い、次々と火にくべた。 熱い頬を気にする様子もない。 砂粒の一つまでくべてしまうと、敷いていた白布も炎に与える。夕焼け色の舌にあぶ られ、白布はあっと言う間に黒い炭となり、散った。 煤煙が目に入る。 痛まないふりをして、そっと拭う。 ちくりと刺すような痛み。 黒い涙が一筋、幼い頬をつたう。 頬に痺れるほどの冷たさを感じて、兄熊は目を覚ました。 眠ってしまったと言うより、疲労と続く緊張で気を失っていたのだろう。 こんな見晴らしの良い川縁で無防備に横たわっているとは。 いくら同じ名前を持っているからと言って、冬眠前の熊が放っておいてくれるわけが ない。無事だったのは運が良かった。 身を起こし、記憶を辿る。 全てが闇に包まれる前、最後に見たのは自分の顔だ。 山の端に日が沈む頃、喉を潤そうと沢まで降りてきたのだった。 疲れ切った若い顔。この頃やっと刃を当て始めた顎は、この二日放ったらかしだ。や わらかい髭が、まばらに生えてきている。 天を仰げば、飲み込まれそうな星空だ。主である月のいない夜空は、恐ろしいほどの 星で埋め尽くされる。 意識が戻る前に、夢を見たような気がする。 真魚が石を割る夢だ。 割れた石を火にくべていた。 銀粉をこぼした星々の位置を読めば、その夢が正夢なのがわかる。 山に入って三日目になったのだ。夜明けまでに帰らなければ。 石を持って。 まだ、石は見つからなかった。二日間、寝る間も惜しんで走り回った。 他の誰もができないほどの勢いで、できるかぎりあらゆる場所を探し回った。 おかげで、体中が汚れと無数の傷で黒ずみ汚れていた。 一生に一度あればいい方の、大きな祭りだ。自分が主役の半分であるために出られな いとは。 祭りに出る以上の興奮と緊張をかかえて兄熊は走った。 だが、探せば探すほど、頭の芯がぼんやりぼやけて来る。 透き通る筈の、兄熊の頭は深い霧の中も同じに不透明だ。 「心と体を、水のように澄ませ。そうすれば、石の方からお前に語りかけて来るだろう 」 赤牛は死の床で、枕元に控える兄熊にそう言ったのだが。 隣で真魚は石を割るためのくろがねの塊を握りしめていた。これまでに六度、石を砕 いた二つの塊。 今、七つ目の石は割られ、炎の中で大地に返る。石とともに、赤牛の老いた身体も土 になる。 真魚の石を探し出すべき兄熊はいまだに空手だ。 石が見つからなかったら? 赤牛は答えなかった。あとでこっそり、母が教えてくれた。石のない巫は、生きたま ま土に返される。真魚と二人、枯れ井戸の底に埋けられるのだ。 幼いいとこをそんな目に遭わせるわけにはいかない。兄熊は、なったばかりとはいえ 、一人前の男なのだ。 山はもうじき赤く染まる。流れの冷たさに、今年の冬が近くまで来ていることを知ら される。 勢いよく顔を洗い、ついでに手足を水に浸す。風に吹かれればその冷たさで心が澄ん だような気になるだろう。 両手を広げ、胸いっぱいに空気を吸い込む。 つんと鼻をつく、吐き気をもよおす臭いが鼻から喉へ流れ込んだ。 胸から腹にかけて、乾いても鉄臭い、大量の血で塗られているのを思い出す。 体温と汗とで、それは一層不快な悪臭となって兄熊を苦しめた。 悲鳴とも溜息ともつかない声が喉から溢れ、情けなくも涙がこぼれる。 自分の血じゃない。赤牛の血だ。 生まれてはじめて、人を殺した。皮膚が裂け、血が溢れ、生命が流れ出す様を、今で も鮮烈に思い出す。 この手のひらに小刀をつかみ、無抵抗の老婆を殺した。 両手に残る記憶に押し流されて、その場に膝をつくと、鋭い角を持つ石が、兄熊の膝 に切りつけた。 思わず石を一つつかみ、投げれば水面にいくつも輪を作って対岸まで跳ねた。 「あっ!」 それを見て、弾かれたように兄熊は小石の後を追い、流れに飛び込んだ。 赤牛の身体は、乾ききった藁と同じでめらめらと燃え上がり、骨になった。 用意された水盤で手を洗うと、暗い水面に兄熊の影が映った。 一瞬で消えた。 三日前、赤牛の死んだ日に兄熊は神山に入った。 三年前、真魚が三つ、兄熊が十二の時に二人は選ばれた。 真魚には兄も弟もいなかったので、母の妹の息子、兄熊が真魚の相手になった。 赤牛の相手は彼女の兄で、兄熊が生まれる随分前に海で死んだ。それ以来、彼女は一 人で巫の役目を背負った。そのため生命が縮まったのだとみなは言う。 いや、正確には一人ではない。巫の役目は、女が一人、女に血の近い男が一人、そし て石が一つ。 この三つが、この地を守る神山の巫になる。だから、赤牛は石と二人、神事を祭った 。 巫をあらわす三つは、女の名前で呼ばれ、一人として扱われる。 赤牛で七人目。真魚は八人目になるはずだ。 兄熊が、神山の化身にして真魚の、この世での夫となる石を、神山から探し出せば。 明日になれば。 新しい石を祭り、赤牛の白い骨を灰の中から掻き出して、八人目の真魚が生まれる。 一人目の異鳥から数えて八人目。 誰が教えたわけでもなかったが、もしも兄熊が帰らなければ、自分の生命がないこと を真魚は知っていた。 逃げることもできる。兄熊は。 与えられた三日の期限を、山を越え、遠くの国へ逃げるために使えばいい。 そうして逃げた男もあった。五人目の青菜の弟は、姉であり、神の妻になろうとし、 また国の長として戦いに挑もうとしている勇敢な戦人を裏切り、逃げた。 青菜は弟の裏切りを知ったが、彼女には腹違いの兄がいた。彼が短い時間で石を探し 出し、戦は勝った。 弟は敵陣で見つかり、生きたまま土に返された。生まれなかったものとして。 そんなことにはならない。 真魚は兄熊を知っていたので。 彼が血塗れのまま山へ駆け出す姿を見ていたので、自分の身内であり夫となる男を、 疑わなくてもよかった。 巫は、病や老いで死んではならない。その生命は必ず、何者かによって刈り取られね ばならない。 赤牛はそのために用意された小さな刃を兄熊に授け、生命を差し出した。 若いながらも、一人前の狩人として名の通った彼は、苦しめることなく赤牛の生命を 刈り取った。 引き抜かれた小刀の、小さな傷から驚くほどの血が噴き出し、白い衣装を赤く染めた 。 白木の床に、黒く染まった小刀をからりと落として、動かない真魚には目もくれず、 兄熊は走り去った。 示された神山への、正しい入り口をくぐって。 丹で塗られた山への門へ、特別な稲から取った藁で編まれた縄がかけられ、兄熊が帰 るまで誰も山には入れない。 残された真魚の額には、赤牛の血で模様が描かれた。 赤牛の夫である男が去り、神山と人との間を行き来する女、赤牛が去った。最後には 、神山そのものの、人への恵みである石だ。赤牛の、夫であった石。今、神と人とを夫 に持った彼女の石が割られ、新しい女が、神を夫に持つ。 夜明けまで、残された時間は多くはない。東の空が白み、海から太陽がすっかり姿を あらわす前に、兄熊が帰ってこなければ。 他に夫となるべき血を持つ男がいない真魚は、生命を土に返される。他の少女が、そ の兄弟が、もう一度山に入る。 手をすすいだ水盤には、目をこらしてももうなにも映らない。 けれど、真魚は兄熊の声が聞こえたような気がする。 彼女のために、自分のために試練を越えようとする男のために、少女は初めて心から 祈った。
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