長編 #2897の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
十五分ほどして、令子が店にいたときとは違う、茶色っぽいカジュアルを着 て現れた。 「お待ちどうさま……お店を閉めてすぐにとんで来たんですけれど……」 彼女はそう言いながら、淳の向かいの席に掛けた。そしてすぐにホットコー ヒーを注文すると、バッグの中からたばこを取り出して言った。 「さっきはごめんなさい。せっかくのご厚意を、あんなふうに撥ねつけたりし て………」 「何のこと?」 「城戸さんが、会社の人に知らせて下さるっておっしゃったこと……」 「…………」 「お店を閉めながら考えたの。今夜は金曜日だからそうでもなかったけど、い つもはとても暇なのよ。やっていけるかどうか、とても自信ないわ。だから、 やっぱり城戸さんにお願いしようかと思って……」 「お役に立てるんだったら、ぼく何でもしますよ」 「銀行からお金も借りてるし……失敗したらもう後がないって感じよ。ほんと うはOLのイメージを大切にしたいなんって、言ってる場合じゃないの。でも あの時はつい……」 「分かりますよ。ノーベルのころの伊予田さんは、みんなのアイドルだったん だもの……」 淳はすっかり冷めてしまったコーヒーに、口をつけながら言った。 「でも、伊予田さんさえその気になったら、ぼく大いに努力しますよ。入社し て三年もたてば、けっこう顔も広くなりますからね」 「お願いしますわ」 「いやだって言ったら、首に縄をつけてでも引っぱって来ますよ」 「何もそこまでなさらなくても……」 ひとりで張り切っている淳を、令子が逆にたしなめるように言った。 「ここももうすぐ閉店なの。別のお店へ行きましょ」 十二時近くになると、令子が腕時計を見ながらぽつんと言った。彼女はカッ プの中のコーヒーを半分ほど残したまま立ち上がると、オーナーらしい女性に あいさつしてエルムを出た。 令子といっしょに入ったのは、歌舞伎町の深夜喫茶だった。もう十二時を過 ぎたというのに店内はほとんど満席に近く、どこかむんむんする熱気が感じら れた。それにたばこの煙がひどく、長い通路の両側に並んだボックスも、遠く の方はちょっと霞んで見えるくらいだった。 「ひどいところでしょ。遅くなるとこんなところしかないのよ」 奥の方に空席を見つけて座ると令子が言った。アベックシートだった。タク シーに乗ったときを別にすると、令子と並んで席に掛けるのは、淳には初めて のことだった。すぐにウェイターが来たので、シングルの水割りを二つ注文し た。 「今度はぼくの話を聞いてください」 ウェイターが行ってしまうと、淳はかたわらの令子の方に顔を向けて言った。 「お店では人がいたからこんな話できなかったけど……伊予田さんのその後の こと、ぼくだいたい知ってます」 「やめましょ。過ぎ去ったことを言うのは……」 「もち論です。そんなことを喋るつもりはありません」 「…………」 「令子さんって呼んでもいいですか?」 「ええ、どうぞ……光栄だわ」 彼女は淳の方に顔を向けてちょっと首をかしげると、微かな笑みを浮かべて 答えた。淳は思い切って令子の腰に手をまわしたが、彼女は無理にそれを振り 切ろうとはしなかった。 「覚えてるでしょう。三年前のノーベルでの同窓会のこと……それに、あのあ とタクシーで令子さんといっしょに帰ったときのこと……」 「もち論よ。忘れるはずないわ」 「あのあとで、ぼく令子さんにプロポーズしようと思ったんです。そうしたら 風間にとめられちゃって……令子さんにはフィアンセがいるって……」 まだ酔いが残っているからだろうか。それとも、もう過ぎ去った遠い昔のこ とだからだろうか。ふだんならとても言えないような、こんなショックメイキ ングな言葉が、何の抵抗もなく、不思議にぺらぺらと淳の口からとび出してく るのだった。令子の方もさしてショックを受けた様子もなく、彼の言葉を軽く 受けとめて答えた。 「フィアンセだなんって……あの頃はまだボーイフレンドの段階よ」 「それに二人が一緒のところを、何度か見ちゃったんです。それでぼく、無理 に自分の気持を押し殺した……」 「…………」 「気にさわったら許してください。ぼく決してあなたを責めて言ってるんじゃ ないんです」 「…………」 「でももしもあの時、ぼくが何も知らないでプロポーズしてたら、どうなった でしょうね」 「そんなこと、今さら言われてもご返事のしようがないわ」 「もしもぼくのプロポーズをあなたが受け入れてくれていたら、ぼく今よりも 令子さんを幸せにできたかもしれない……」 淳は令子の腰にまわした腕に、ぐっと力をこめて言った。 「やめましょう。過ぎ去ったことを言うのは……」 彼女は淳の顔から目をはなして宙を見つめながら、放心したようにポツンと ひとこと言った。 「いや、過ぎ去ったことじゃない。もしも今、ぼくが明日のデートを申しこん だら……」 「お断りしますわ。今はわたくしをそっとして置いてほしいの。今のわたくし はお仕事のことで頭がいっぱいなの」 「…………」 「と言うより、忙しい仕事に自分を追いやることで、過去を忘れようとしてい るのかも知れないわ」 「そう言っては失礼かもしれないけど、今の仕事は令子さんのようなお嬢さま 育ちには向いてない……」 「そんなことないと思うわ。わたくし、お店を持つようになってから、変わっ たって皆に言われるわ。女って環境でどうにでも変わるものよ」 「それがぼくには堪えられないんです」 「お願いですから、今はわたくしをそっとして置いていただきたいの。お店へ 来てくださるんでしたら、いくらでも歓待しますけれど……」 令子の言葉には、もうこうした話題にはピリオドを打って欲しいという強い 意志が感じられた。「今は放っておいて……」と言った彼女の「今は……」と いう言葉にせめてもの望みを託して、淳はいったん矛を収めるより仕方がなか った。彼は半分ほど残っていたグラスの水割りをぐっと一気に飲み干すと、ち ょうど通りかかったウェイターにダブルで追加注文した。こめかみの辺りがず きずきと割れるように痛んだ。 「ばかだな、ぼくって……同じ女性に二度も振られるなんって……」 淳は吐き出すようにそう言ってから、しまった! と思った。 「そんな風におっしゃらないで……つらいわ」 令子の言葉は、いっそう彼の気持をみじめなものにした。 「ごめんなさい。つい酒の上のぐちが出ちゃったんです。聞き流してください」 淳は内心の弱みを見せたのが恥ずかしかった。少なくとも令子の前でだけは、 最後まで男らしい毅然とした態度を見せていたかった。 「ぼく、またお店へ行きますよ。とよ子さんとも約束しちゃったし……それに もう、過ぎ去った昔の話なんか持ち出したりしないから……」 「嬉しいわ。お店でお逢いできるんでしたら……」 「それじゃ、わくらばの発展を祝して……」 淳は追加注文した水割りのグラスで乾杯の仕草をした。 「カンパーイ」 令子がニッコリしてそう言うと、自分のグラスの縁を彼のグラスに軽く当て た。 二人で外へ出た。夜中の一時すぎだというのに、新宿のメインストリートに は、まだかなりの人通りがあった。終電に乗り遅れたらしい人が、駅前のタク シー乗り場で二十人ばかり列を作っていた。淳は令子といっしょに列の一番う しろに並びながら言った。 「令子さんも、毎晩おそく西永福まで帰るんじゃ大変だな」 「ええ、でもお店の方が見通しがついたら、なるべく近いうちに小さなマンシ ョンでも借りようと思ってるの。毎晩夜中に家に帰るんじゃ家族も迷惑ですし、 それに世間体もあるでしょ」 「世間体だなんって……何も悪いことしてるわけじゃなし……」 「でも、さっきもお話したように、女としてあまり褒められたお仕事とは言え ないでしょ。会社の社長や大学教授の住んでいる中で、出戻り娘がバーをやっ てるなんて……まわりから白い目で見られるわ」 「そんなまわりの連中が、どうかしてるんだ。放っておけばいい……」 「男のかたは、それですむかも知れないけれど……」 と、令子が列の前の方を見ながら、ひとりごとのように言った。 十分ほど待ってタクシーの順番がきた。令子を先に乗せると、淳は続いてそ の横に掛けた。 「過ぎ去った話を持ち出して、またおこられるかも知れないけど……」 車が走り出すと、淳がふいに思い出したように言った。 「いつだったか、銀座からいっしょにタクシーで帰ったときと同じ席ですね」 「ほんとね。あのときは前の席に、若い後輩の方が乗っていらしたけど、途中 で降りてしまって……あのあと何のお話したかしら?」 「何だったかな……そうだ、たしかぼくが毎朝すべり込みばかりやっている話 をしたんだ」 「そうだったわ。ぼくの滑り込みには年季が入ってるんだって言ってらしたわ。 それで城戸さんは、今でも滑り込みがご専門?」 「ええ、相変わらずですよ。あの頃はまだタイムカードが八時二十九分だった けど、今では八時三十分ばかりですよ。もっとも課長も勤労も、呆れてしまっ て何も言いませんけどね」 「仕方のないかたね」 淳はこの前と同じように、暗いタクシーの中で思わず令子と顔を見合わせた。 深夜の甲州街道をとばしたので、新宿から永福町の淳の自宅まで十分とはか からなかった。メーターを見て令子に料金を渡そうとすると、 「今度はわたくしに出させて……これでも一応は経営者なんですから……」 「ぼくはしがないサラリーマンってわけ?」 「いいえ、城戸さんは大事なお客さま……」 「それじゃぁお言葉に甘えて、お願いしましょうか」 淳はいったん出した千円札をすなおに引っ込めた。 「それじゃ、またね……お待ちしてますわ」 「ええ、それじゃ気をつけて……」 淳が言い終えるのと同時に、タクシーのドアがバタンと大きな音を立てて閉 まった。 車の赤いテイルライトが、次第にやみの中に吸い込まれていった。 (未完)
メールアドレス
パスワード
※書き込みにはメールアドレスの登録が必要です。
まだアドレスを登録してない方はこちらへ
メールアドレス登録
アドレスとパスワードをブラウザに記憶させる
メッセージを削除する
「長編」一覧
オプション検索
利用者登録
アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE