長編 #2873の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
小口は、きっちりとなでつけた髪に手をやりつつ、唾を飛ばさんばかりに口 を開いていた。 「中川先生、僕は信用しています!」 「出迎えるなり、訳の分からん挨拶をしてくれるな」 中川は驚きの表情を隠そうとしていなかった。 祐子は、お茶を二つ、テーブルに置いてから、部屋を出ようとした。そのと ころで、小口に呼び止められた。 「あ、奥さん。ぜひ、いてください。大事なことなんです」 「はい? 私にも関係があると……」 「分かりませんけど、とにかく、僕は信用しています」 「信用しているのは分かったから、話をしたまえ。君のとこの原稿なら、まだ まだ先でいいはずだが」 中川は、明らかにいらいらしていた。前ならば、ここで煙草を一服すれば、 少しは落ち着くのだろうが、子供ができて以来、ぴたりと止めているのだ。 「いえ、あのですね、この間、編集に刑事が来ました。何事かと思ったら、中 川さんのことを聞くじゃあ、ありませんか」 「待て。そいつの名前、何て言った? 浜本か?」 「いえ、そんな名前じゃなかったですよ。それで、僕、聞かれたんですよ。三 月十八日の中川さんのことを」 「刑事が確認に来たんだな」 「そうなんでしょうけど、僕、正直に言いましたよ。あの日、僕は三一四号室 に何度か電話をしたけれど、一回も電話は通じなかったって」 「何だって? おい、君はそんなことをしていたのか!」 中川の変化には、小口以上に祐子は驚かざるをえなかった。今、夫の顔は、 驚愕の色を隠せないでいる。 「あなた……?」 「おい、小口君。君がここにいるっていうのは、とてもまずい状況だ。刑事が 来て、君と俺とが一緒にいるのを見たら、どう考えると思う?」 祐子の呼掛けには答えず、中川は編集者に言った。 「さあ……」 「口裏を合わせているんじゃないかと、考えるに違いないんだ。だから、早い とこ、姿を消してくれないか」 「ですが、中川さんは何もやってないんでしょう?」 「そりゃそうだ。が、今は説明している暇がない。とにかく、出て行ってくれ」 「わ、分かりました」 おたおたしたまま小口は立ち上がると、靴もしっかりと履かないまま、玄関 から飛び出して行った。 「あなた、私には話してくれるんでしょう? ねえ?」 しばらく間をおいてから、祐子は言った。相手が答え始めるまで、また少し ばかり時間がかかる。 「……結果的に、嘘をついてしまって、すまないと思っている」 「そうじゃなくて、どうして正直に話さなかったの、刑事さんに?」 「……俺は……。あのとき、俺は、ホテルの部屋から抜け出していた。カンヅ メなんて言っても、小口はあの通り、若い編集者だから、簡単に抜け出せるん だ」 「何のために抜け出したの?」 「金だよ。費用を集めるために、時間が惜しかった。あの日、俺は、このペー スなら予定より早く原稿が仕上がると分かった。それなら、一日だけ抜け出し て、祐也のために金を貸してくれるとこはないか、動きたいと思い、実行に移 したんだ。あのときは、相当、気分が追い詰められていたのかなあ。久海の会 社の方にも足が向いたよ。だが、幸いって言っていいのか、峻は社にいなかっ た。それで、俺は金の工面をあきらめ、ホテルに戻った……」 「……それが本当なのね? もう他に隠し事、していないわね?」 祐子は、夫の目を見つめた。 「そうだ。信じられないか?」 自嘲気味に笑う中川。祐子は少しだけ哀しくなったが、自分を励ます意味も 込めてすぐに反応した。 「ううん。私は信じるわ。でも、警察はどう思うか、分からないわ。今言った ことを、素直に信じてもらえるかどうか」 「そうだな……。金だって消えてるそうだからな、峻の回りから」 また気が重たくなる。 「心配するな。その金については、俺は絶対に疑われる心配はない。俺のよう な社外の者が手を出そうとしたってできないところにあった金だそうだから」 「……そうよね。だいたい、何もしていないのに、犯人にされるはずがないも のね……」 祐子はそう言った後、涙が出そうになっていた。自分達だけが不幸だとは考 えたくなかった。 でも。それでも、何も祐也が大変なときに、こんなトラブルに巻き込まなく ても……。そう思えてしまって、こらえていた涙があふれそうになった。 再び浜本刑事の訪問を受けたのは、最初の訪問から三日経った日の昼であっ た。今回は自宅である。 「本日はなるべく簡単にすませたいんですよ」 笑顔で始めた刑事。だが、祐子はまだ、相手をそのまま信用できないでいた。 「ずばり、遺産についてです」 「遺産?」 おうむ返しに言ったのは中川。夫は訝しげに続ける。 「遺産なら、放棄したと前にお話ししたはずですが」 「それはあなたのお父さんの遺産でしょう。今、言ったのは峻さんの遺産の話 です」 「峻の……」 言われて、祐子は気が付いた。全く意識していなかったが、久海峻が死んだ 場合、状況によっては兄弟たる夫にも遺産が入ってくるのだと。 「峻さんは結婚していましたが、お子さんがいませんでした。それに、あなた や峻さんのご両親もすでに亡くなっておられる。こういう場合、配偶者の他、 兄弟のあなたにも権利が生じるのです。ご存知なかったですか?」 「い、いや……そういう法的なことはおぼろげながら聞きかじっていましたが ……まさか、峻が亡くなってそうなるなんて」 中川は呆気に取られた様子だ。仕事やら金策やらで忙殺されていたせいもあ ろうが、遺産の権利なんて本当に忘れていた。 「久海家の方から連絡はなかったのですか。よろしくないなあ。弁護士がいる だろうに」 浜本刑事は一人、ぶつぶつ言っていた。 「で、今度はお受けになりますよね、お子さんのこともあるし」 「あ……」 何と答えていいのか分からない。そんな意志を示した表情を、中川は祐子に 向けてきた。祐子にももちろん、判断は着かず、ただ首を振るしかない。 「その話は、久海の方から話があってからにしたいと思います」 ようやく、それだけ答えた中川。 「そうですか? うーん、実は私、上から命令されているんです。中川さん、 あなたが遺産を受け取るつもりがあるのかどうか、はっきり聞いて来いとね」 「……それが動機になるって言いたいんでしょうが!」 「まあまあ、落ち着いてください」 両手でなだめるような仕種をする刑事。 「ぶっちゃけた話をしましょう。赤ん坊の命を救うため、兄を殺すなんて、少 なくとも私には信じられません。ですが……意地を捨ててまで借金を申し込み に行き、それをむげに断られたとしたら、かっとなって殺意が芽生えることが ないとは言い切れない。そうも思っておりますよ」 「……客観的に、あなたの今言った分析は正しいのだろうよ」 平静を保つためか、中川は大きく深呼吸してから答えた。それでも言葉の端 端に荒っぽさがにじみでている。 「だが、俺は何もやっていない。これだけは何度でも言いますよ」 「……分かりました」 ちょっと気取った感じに片手を上げ、浜本刑事はうなずいた。 「ともかく、遺産について考えては見る、ということですね」 「……そうですよ」 「いや、どうも。これで帰れます」 「あ、ちょっと待った、刑事さん、峻が鹿児島で死んだのは間違いないんだ?」 気になって仕方がないという態度を隠そうとせず、中川は切り出した。 「そうですが、それが?」 「こんなこと言うのも何だが、鹿児島なら、すぐ近くに身内の人間がいるはず ですがね」 「ああ、寛さんのことですか。えっと、あなたはどうして寛さんが鹿児島にい ることを知りましたか?」 「葬式に顔を出したとき、小耳に挟んだんです。で、どうなんです、寛は?」 「当初は、かなり疑ってたみたいですがね。そりゃ、東京在住の峻氏が、鹿児 島に来たときに死んだんだ、疑われてしょうがない面もある。ですが、アリバ イが成立したんで、容疑圏外に」 「アリバイ? えらく推理小説的……だ」 推理小説も書く中川でも、呆気に取られたような表情になった。 「どんなアリバイなんです?」 「ちょっと待ってくださいよ。私ら東京の者が直接調べた訳じゃないんだが、 メモしておいたから……。久海寛氏が言うには、三月十六日に東京に出て、十 八日早朝に新幹線で博多まで、それからはローカルで鹿児島まで戻ったと」 「東京に? こちらに出て来てたんですか?」 「そのようです。何でも、自分の研究を自費出版したいということで、出版社 回りをしていたそうですな。出版社の紹介は峻さんがやったそうで」 「確か、昆虫の研究をしてるんでしたね」 思い出したように言う中川。 「あちこち回ったが確約はもらえず……と言うか遠回しに断られた形らしいん ですがね。問題の十八日は、東京発が朝の六時十三分のひかり三一号に乗り、 これの博多着が十二時二十七分。博多で時間を潰してから、博多発十五時十八 分のつばめ一九号で鹿児島に向かった。西鹿児島駅に着いたのは、十九時三分 となってますね」 「証言してくれた人はいたんで?」 「出版社回りは、我々が確認を取ってるから間違いない。新幹線の方は、名古 屋駅の前後で、車掌とちょっとしたトラブルがあって、印象に残っていた。だ から新幹線に乗ったのは間違いない。博多からの特急では、これといった証言 はない」 「博多に十二時半頃に着いて、そこをすぐに出て、鹿児島のホテルに二時まで に到着できんのですか?」 「こちらとしては、無理と判断したから、寛氏は疑いが晴れた訳ですよ。時刻 表を見てもらえば、分かると思います」 「そうなんですか……。いや、分かりました」 「これで帰らせてもらえますか。ああ、見送りは結構です」 そうしてそそくさと、刑事は二人の城から出て行った。 三度目の訪問は、さらに感覚が狭まった。二日後のことである。 祐子は気が滅入っていたこともあって、応対を夫に任せた。自分は奥の部屋 で祐也を見守る。ただそれだけのつもりだったが、つい、夫と刑事のやり取り が気になってしまう。 「またですか」 中川はいらいらしたような声を上げた。金のことばかりにかまっていられな く、執筆も再開せねばならない頃合だ。その上、警察に何度も訪ねられては、 精神衛生上よいはずがない。 「どうもすみませんね」 少しもすまなさそうでない態度で、浜本刑事は応じてきた。ペースを変える つもりはないらしい。 「捜査、どうなっているんです? 今頃、俺なんか調べていて」 「もうすぐ終わると思っています。ちょっとした手がかりもありましたし」 「それならこんなとこにいないで」 「中川さん、どうでしょう? 警察の方で話を聞かせてもらえませんかね」 「何だと」 「はっきり言いましょう。先日、お邪魔したとき、少しばかりおみやげを持た せていただきましてね」 「……はっきり言っていないじゃないか」 中川の低い声。 「ま、こちらが勝手に拝借していったんです。と言っても、咎められるような 物じゃないはずだ。単なる砂ぼこりなんですから」 「砂ぼこり?」 「ええ。あなたの靴の内側から採取しました」 「それが何なんだ、おい」 「帰ってすぐ、科研で調べてもらいました。全く不明の物の材質を判定するに は何日もかかるんですがね。今度の場合、最初から当たりを着けていましたか ら簡単でした。そしてぴたりとはまった。砂ぼこりは火山灰でした」 「火山灰?」 相手の言葉をそのまま口にすることを繰り返す。 「桜島から噴出した灰と一致したんですがねえ。桜島、ご存知でしょう? 鹿 児島にある。あれの火山灰、風向き等の条件が揃えば全県を覆いかねないそう で」 −−続く
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