長編 #2863の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
六 一睡もできないまま夜が開けた。 ぼくは布団を頭から被ったまま、いつまでも起きようとしなかった。 「いい加減に起きなさい。学校がお休みだからって、いつまで寝てるつもり」 九時を過ぎると、下からいらいらした母親の声が響いてきた。 「朝ご飯を早く食べてよ。テーブルが片付かないじゃないの」 ぼくは、なにも口をききたくなかったが、返事をしなければ、何度でも怒鳴られ、 しまいには部屋に入ってきて布団をはぎ取られることがわかっている。 「いらない。頭が痛いから、もう少し寝ている」 ふとんの隙間から口先だけを出して叫んだ。それだけでぼくは、持ち合わせのエネ ルギーの大半を使い果たしたようになった。 しばらく母親の声がぶつぶつ聞こえていたが、そのうち諦めたように静かになった。 そのあとぼくは少し眠ったようだ。 「電話よ」 母親が部屋の扉をたたく音で、目を覚ました。 枕元の時計はちょうど十一時だった。 「いないって、言って」 ふとんの下から情けない声を出した。 「馬鹿なことを言っているんじゃないの。沢村くんよ。急用だって」 高志か。彼ならいい。 今、話をしてもいいと思えるのは彼だけだ。 そうなると、急に彼の声を聞きたくなった。すべてを話してしまおうかとも思った。 ぼくは、ゆうべ外から帰ってきたときのままの格好で部屋を飛び出し、唖然とする 母親の脇をすりぬけて階段を駆け下りた。 「待たせてごめん。いま起きたところなんだ」 「翔子が自殺しようとした」 「えっ?」 寝ぼけ頭のぼくは、その言葉が理解できず、『翔子』という名前だけが心の奥に突 き刺さった。 「浅井さんがどうしたの?」 「ゆうべ睡眠薬を飲んで死のうとした。まだ意識が戻らない」 高志の声が震えている。 血の気が引いた。 なにを見ているのよっ! 用具倉庫のマットの上で、体を丸めて叫ぶ翔子の顔が頭に浮かんだ。 それから、昨夜、翔子から電話があったことを思い出した。 遅くなってもいいから、電話をして。 ぼくは、それを無視した。 膝が震えて、立っているのが辛い。 「どうした。聞いているのか」 「ああ」 ぼくは、なんとか声を出した。 「いまどこにいるの」 「救急病院だ。A駅の北口から、バス通りをまっすぐ五百メートルくらいのところだ」 全力でペダルをこぎ続けた。 ぼくのせいだ。 ぼくが翔子をそこまで追い込んだんだ。 救いの手を求める翔子の最後の電話を、ぼくはわざと放っておいた。 もし、彼女が死んだら……。 どんな道を通ってそこまでたどり着いたのか、後になってから、どうしても思い出 せなかった。 病院の救急出入口の脇に自転車を蹴飛ばすように乗り捨て、二階まで駆け上がった。 廊下の一番奥に、学生服姿の高志が一人で立ち、息を切らしたぼくを見つけて、ち ょっと片手を上げた。 扉の上に『集中治療室』と書いてある。 近づくことを拒むようなその白い扉の前で、ぼくは立ち尽くした。 「ここ?」 高志は黙ってうなづいた。 プラスチックの小さな名札に『浅井翔子』と書かれているのを見つけると、ぼくは いたたまれなくなって目をそらせた。 「どうなの?」 「危険な時期は越えただろう、って医者は言ってるそうだけど、まだ目を覚まさない」 高志は青ざめている。 「睡眠薬だって?」 「昨日の夜、おふくろさんが十一時半ころ仕事から帰って、自分の部屋のベッドで意 識のなくなっている翔子を見つけたんだ。枕元に空になった睡眠薬のびんが転がって いて……」 ぼくは立ちすくんだままだ。 「おふくろさんが以前、あの翔子の家出騒ぎなんかで眠れなかったとき使っていた薬 なんだって。まだ四分の三は残っていたのを、全部飲んだらしい」 「そんなことを……」 のどがひからびたようになって、それ以上の言葉が出てこない。 「発見が早かったのと、眠ったまま無意識に、胃の中のものを吐き出したから助かっ た。おふくろさん、医者からそう言われたそうだ」 扉の向こうから、小さく、ピ、ピ、ピ、ピという規則的な電子音が洩れている。 ぼくは、それが翔子の心臓の鼓動なのだということに、いま気づいた。 「それに、意識がなくなったとき、たまたまうつ伏せだったので、吐いたものを気管 に吸い込まなかった。そのために窒息せずにすんだのも、運が良かったんだって」 狂言やいたずらなんかでは決してない。もしもいくつもの好運が重ならなかったら、 翔子は死んでいたんだ。 いや、今だってまだ目が覚めていない。 「あいつ、なぜこんなことをしたんだろう」 高志は、幼なじみの理解できない行動に打ちのめされ、憔悴しきっている。 ぼくは全部話そうと思った。 そのとき、集中治療室の扉が開いた。 「お母さんだ」 中から出てきた女性におじぎをしながら、高志が言った。 目のあたりが翔子によく似ている。 「柴田さんね。翔子からよくお話を聞いていたのよ。こんなにいいお友達にまで心配 かけて」 頭の後ろで束ねた髪が、やつれを一層深く見せている。 ぼくはおじぎをしたたけで、何も言えなかった。 「まだ眠っているの。でも明け方までの異常な昏睡状態ではなくなって、すやすや気 持ちよさそうに眠っているわ」 一人娘の命が危ういのだ。 どれほど不安で辛い気持ちでいることだろう。それなのに、ぼくたちに心配をかけ まいと笑顔まで見せて話している。 ぼくは胸が詰まった。 「お医者さまも、もうだいじょうぶだって言ってくださってるわ。今日の夕方か夜に は、目が覚めるはずだって。いまはまだ、あなたたちに会っていただくことができな いの。ごめんなさいね。あなたたちも疲れているでしょう。もうおうちにもどって。 目が覚めたらこちらから電話でお知らせするわ」 ぼくたちがここにいると、かえっておふくろさんを気疲れさせてしまうかもしれな い。 「それじゃ、ぼくたち家で待っていますから。おだいじに」 そう言って、二人で病院を出た。 ぼくたちは自転車を押しながら歩いていた。 「本当にあいつ、なぜあんなことをしたんだろう」 高志がふたたび同じ自問をした。 「ぼくのせいなんだ」 高志は、なにを言っているんだというような顔でぼくを見つめた。 「ぼくが卑怯者だったからだ」 歩きながら話すことではなかった。ぼくたちはすぐそばに小さな児童公園を見つけ て、そこのベンチに座った。 高志はなにも言わずにぼくの言葉を待っていた。 三日前の終業式の日、自転車置き場で、江藤と久保井に追いつめられたように立ち すくむ翔子を見たところから、話を始めた。 その夜、翔子の家の近くで彼らに呼び止められたことを話したとき、高志の表情が 動いた。 「翔子が夏休みに何をやったか知っているか、って、そう言ったのか」 ぼくは、そうだとうなづいた。 その翌日、ぼくが翔子と初めてデートをしたことを話した。ただ、太鼓橋の下ので きごとだけは、二人の秘密にしておきたかった。 そして、その翌日のきのう、ぼくは体育館に呼び出された。 「用具倉庫に入るように言われた。そこで決闘をするのかと思っていた」 ぼくは母親に連れられた小さな女の子が、ブランコに乗っているのをぼんやりと見 ながら続けた。 できるだけ感情を入れず、客観的な事実だけを話そうと思っていた。 「中に、裸になりかけた男と女がいた。男は矢部だった。女は浅井翔子だった」 高志は弾かれたようにぼくの方を向き、目を見開いて、右手でぼくのジャンパーの 襟をつかみ上げた。 いいかげんなことを言うと、たとえぼくでも許さないぞ、という気持ちだったのだ ろう。高志の驚愕と怒りは、幼なじみとしては当然のことだ。 「ごめん」 高志はすぐに手を離して、謝った。 「江藤と久保井はそのことを知っていて、それをぼくに見せるために連れてきた。ぼ くは彼女が乱暴されているのだと思って、助けようとした」 そのあたりまでは、ぼくは冷静に説明できた。 「でも、彼女はぼくを見て、早く出ていきなさいよって、怒鳴った。本気で怒ってい るようだった」 ぼくの声がふるえてきた。 「ぼくはひどいショックを受けて、自転車でそこらを走り回った。うちに帰ったのは 十時すぎだった。ぼくが留守の六時ごろに、浅井さんから電話があった。彼女は何時 になってもいいから、電話をくれるようにって、ぼくのおふくろに言付けたんだ。ぼ くはそれを聞いたのに、無視した。ひどい恥をかかされた腹いせや、嫉妬や、もうお まえのことなんかなんとも思っていやしないんだという傲慢な見栄で、ぼくは電話を しなかった。彼女は待っていたんだ。死のうと思う気持ちを最後のところで思いとど まって、ぼくの電話を待っていたんだ。それなのに……」 ぼくは大声で泣いていた。 物心がついてから、人前で声をあげて泣くようなことはしたことがなかった。ぼく はこのとき初めて、本当に心の底から自分の愚かさを悔やんで泣いた。 ブランコのそばにいた母親は、気味が悪くなったのか、子供の手を引いていなくな った。 「きみのせいなんかじゃない」 高志は静かに言った。 「矢部なんかにいくら誘われたって、翔子が自分の意志でそんなことをするはずがな い。きみだってそう思うだろう。なにかあるはずだ。おれたちの知らないことがある んだ。そのことで、翔子は追いつめられていたんだ」 ぼくはようやく落ち着きを取り戻してきた。 「きみが電話をかけなかったことで、自分を責める気持ちはよくわかるよ。でも、そ ういう立場になったら、おれだって一晩くらい放っておいて、頭を冷やそうとしたと 思う。翔子はきっと元気になる。その時、きみがまた支えになってやればいいんだ」 嬉しかった。また泣き出そうになるのようやくこらえた。 「ありがとう。気持ちがずっと楽になった。ぼくはいままで、こんなにいろんなこと に出会ったことがなかったし、こんなに激しい感情に振りまわされたこともなかった。 いっぺんに、なにもかもがひっくりかえってしまったようで、自分が空中分解してし てしまそうだったんだ」 「これだけのことが次々起こったら、世間知らずの秀才くんでなくても、おかしくな るさ」 高志がいたずらっぽそうに笑った。 「くそ、言ってくれるじゃないか」 ぼくは高志の肩を小突いて立ち上がった。 「うちにもどって、おふくろさんからの電話を待とうか」 「そうだな、うちのおふくろも翔子のことを心配していたから、帰って話をしてやら ないとな」 そのあとぼくたちは何も話さないで自転車を走らせた。 いつもの十字路にさしかかると、じゃあな、と片手を上げてそれぞれの方角に別れ た。
メールアドレス
パスワード
※書き込みにはメールアドレスの登録が必要です。
まだアドレスを登録してない方はこちらへ
メールアドレス登録
アドレスとパスワードをブラウザに記憶させる
メッセージを削除する
「長編」一覧
オプション検索
利用者登録
アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE