長編 #2848の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
12 玲子は焦燥をはっきりと表してカインを見た。カウントダウンがゼロになったとい うのに、ジャスミン・チームの攻撃は開始されず、連絡もなかったからである。攻撃 予定時刻を1分経過したとき、玲子はたまりかねてジャスミンを呼び出した。だが、 イアピースは黙りこくったまま、何の音声も伝えようとしなかったのだ。 「ハミングバードです」玲子はタイラント長官を呼び出した。 『タイラントだ』こちらの声は明瞭に飛び込んできた。ジャスミンも同じ回線を使 用している以上、通信機の故障やテロリスト側のジャミングの可能性は消えたわけで ある。 「ジャスミン・チームと連絡が取れません」玲子は報告した。 『こちらでも呼び出しているが応答がない』タイラントは憂慮を滲ませることもな く答えた。 「全滅したのでしょうか?」 『そうではないようだ』長官は否定した。『彼らのヴァイタル・サインは、全てグ リーンだ。つまり、ジャスミン・チームは活動を続けているが、何らかの理由で音声 による応答ができないものと思われる』 教団の戦闘部隊の兵士たちは、全員が体内にモニタ装置を埋め込んでいて。脳波、 心拍、体温などを常に発信している。神経電流もモニタしていて、持ち主が死亡する と、内蔵電池が切れるまで死亡シグナルを発し続ける。 「私たちが侵入するときに、支援攻撃をかけてくれることになっていたんですが」 玲子は半ば答えを予期しながら訊いた。「どうしましょうか?」 『では、支援攻撃なしでやるのだな』 「やっぱり」玲子はため息をつき、カインに視線で問いかけた。少年は素気なく頷 くことで了解の意を伝えた。 「わかりました。これから潜入します。衛星からサポートをお願いできますか?」 『やっては見るがあまり期待しないように』タイラントは応じた。『雲が多いし、 地表の温度も高いから、鮮明な映像を得るのが困難になっているのだ』 「孤立無援ってわけですね」玲子は、またしてもため息をつかずにはいられなかっ た。「少しは明るいニュースがないんですか?」 『機動隊の第一次突入は失敗した。数分後に第二次突入が予定されている。少しは そちらに戦力が割かれるだろうから、君たちも楽になるだろう』 「前にも似たようなことを言いましたよ、長官」玲子は少し腹を立てて噛みついた。 「なのに少しも楽になっていないじゃないですか!」 『そうかね?』誠意が感じられない声でタイラントは謝った。『それは悪かった』 「ハミングバードより、以上」叫ぶように言って、玲子は通信を切った。「全く、 冗談のつもりかしら。何がおかしいのよ、カイン」 最後の言葉は、少年の顔をちらりとかすめて過ぎ去った微笑みに対して言ったもの だった。カインは澄ました顔で首を振った。 「いや、別に」 「行くわよ」 玲子はさっさと歩き出した。晩秋の夕暮れのような涼しげな微笑----いつもの冷笑 でなく、短いが心からの笑み----を浮かべ、カインは玲子に続いた。 「……この時を何年も待ったぞ……」マーシュはフードの奥から、上機嫌といって もよいほど、よく通る声を出した。「……インスマス、ダンウィッチ……我らの試み は、愚かな人類によって妨げられてきた……だが、雌伏の時は終わったのだ……」 マーシュは魔法陣の縁に立ち、感極まったように円の中心の<暗黒の碑>に向かっ て話していた。マーシュ一族の3人の男たちは、その後ろに控えている。実川教授と 助手の道代は、不快なドブネズミでも見るような視線をマーシュに突き刺しているが マーシュは気にも止めていないようだった。ただ一人、ジヒョンだけは、人類の未来 にも、<従者>の儀式にも興味なさそうに壁にもたれている。片手には通信機を握り 時折、短い指示を部下にだしていた。 「……始めるとしよう……」マーシュは振り返ると、部下の一人を見た。教授たち とプログラミングをしていた男である。「……陣を完成させるのだ……」 男は、奇妙な形に指をからみ合わせて一礼すると、ワークステーションの方に向き 直り、ディスプレイのグラフィックスを見ながら、奇妙な象形文字を魔法陣に書き加 え始めた。教授と道代が思わず吐き気を催したことに、男が使っているインクは、そ れ自身の血だった。男は、自分の指の先端を噛みちぎると、滴り落ちる赤黒い血を手 で受けとめ、それで魔法陣に呪文を追加しているのだ。 「……贄をここへ……」マーシュが低く命じた。 男の一人がドアの向こうに消え、すぐに姿を現した。一人ではなく、ロープで手首 を縛られた女性を3人引っ張っていた。監禁されていた学生たちは、ジヒョンの邪眼 によってコントロールされ、外部からの攻撃に対する生きた壁となっているはずだか ら、その前に選んで別に監禁していたのだろう。 3人とも、一様に恐怖の表情を浮かべ、身をすくませているが、怪我をしている様 子はなかった。ただし、どういうわけか、下半身の衣服は完全にはぎ取られていた。 3人は縛られた手首で陰部を隠そうと必死になっている。 「何をするつもりだ!」教授が叫んだ。 それに答えたのは高い哄笑であった。 「……このメスどもに、過分な名誉を与えてやるのだ……」マーシュは、不気味な 声で言った。「……黙ってみておれ……」 魔法陣を仕上げていた男がマーシュに近付き、小声で何かを囁いた。マーシュは頷 き、魔法陣を振り返った。 おもむろにマーシュは天に向かって、高々と両手を掲げた。ローブの袖がまくれ落 ち、二の腕が露になる。その腕には、青黒く光る鱗がびっしりと生え揃っていた。両 手の指の間に、半透明の水掻きが生まれている。 「ふんぐるい・むぐるうなふぅ!」別人のような張りのある声が、マーシュの口か ら発せられ、屋上にいた人間たちは我知らず後ずさった。「くとぅるふ・るるいえ・ うが=なぐる・ふたぐん!」 「……死せるクトゥルフは」熱にうかされたような口調で教授がつぶやいた。「… …ルルイエにて夢見るままに時を待つ……」 「いぐないぃ・いぐないぃ!」マーシュの誇らしげな詠唱は続いた。いつのまにか マーシュの3人の部下たちも声を揃えて不気味な詠唱に加わっている。「んーがい! んーがい!ぐぅは・ぶぐーぐ・しょぐごぐい・は・よぐ=そとほーと・よぐ=そとほ ーと・よぐ=そとほーと!」 唐突に音もなく、魔法陣の中心に置かれている<暗黒の碑>が、小刻みに震動を始 めた。同時に周囲の空間が、まるで霧がかかったようにぼやけ、円柱形の輪郭が滲み はじめた。教授と道代は息を呑んで、奇妙な光景に視線を奪われた。ジヒョンも食い 入るように、同じものを注視している。 「おぐどろど・なぐないぃぃ・げぶる・ないぃ!」マーシュは叫ぶと同時に、ばっ とフードをはねのけた。そこに現れたものを見た途端、教授と道代、それに3人の女 子学生たちは、一斉に恐慌の悲鳴を発した。 フードに隠されていたのは、人間の頭部ではなかった。頭髪は一本もない。両眼は 半ば飛び出した巨大な球体であった。大きく開いた口には、サメを想像させる、尖っ た細かい歯がずらりと並んでいる。そして、細かな青黒く光る鱗が顔全体と太い首を 覆っていた。 「やはり……」教授が呻いた。「……<深きもの>……ダゴンとクトゥルフを崇め る深海の一族か……」 「ぐろどど・おて・ちゅぐふぉ・あん・んあ・とん・わろー!」両生類の顔をさら け出したマーシュは、さらに呪文を唱えた。 教授は、<暗黒の碑>が、震動しながら次第に縮んでいることに気付いた。いや、 むしろ、その邪悪な未知の材質が空気中に溶け出しているというべきか。石柱が小さ くなるにつれて、その周囲には暗雲のような霧が濃度を増していくのがはっきりと分 かった。 マーシュの詠唱は重苦しく異質な響きを帯び、それを聞かされている人間たちは、 落ち着かない気分になっていた。やがて、不快さは恐怖に変わり、特に3人の女子学 生は今にも発狂しそうな苦悶の表情を見せていた。教授は、道代の顔をのぞき込み、 そこに果てしない苦闘を見た。多少は<旧支配者>についての知識がある道代は、精 神に侵入しようとする太古の邪悪な波動を、必死で押し戻そうと努力を続けているの だった。 教授自身、正気を保つためには、いくつかの防護の呪文を唱えなければならなかっ た。邪狩教団と接触したときに学んだ知識が役に立った。それでも、マーシュの詠唱 によって喚起された種族的記憶に刻み込まれた太古の恐怖が、教授の精神に打撃を与 えていた。教授は道代の震える身体を抱きしめながら、歯を食いしばって心に襲いか かる邪神のイメージに立ち向かった。それが人間の貧困な想像力が生み出すイメージ に過ぎないことに教授は感謝しなければならなかった。もし、<旧支配者>そのもの の正確な姿を思い浮かべることができたら、その瞬間に教授の精神は完全にオーバー フローしてしまうに違いない。 まるで嵐の中をよろめきながら歩いているような状態で、教授は<暗黒の碑>を見 た。いまや、それはほとんど原型をとどめぬままに消失しかけていた。そして、魔法 陣の中央におぼろげに亀裂が開いているのが見えた。それは屋上のコンクリートが割 れているのではなく、空間そのものが割れていた。 「カイン!」玲子は不意に襲って来た悪寒に身を震わせた。それが何に基づくもの かは明らかだった。 「屋上の方向だ」カインも緊張した声で囁いた。「小規模な時空震だ」 「敵が成功した?」玲子は屋上を見上げた。2人は記念館の壁にへばりついて、玄 関へと移動しているところだった。 「わからない。だけど、急がないと何かが召喚されてしまうかも知れないな」 「何か」というのが何であるかを訊く必要はなかった。玲子は送信機のスイッチを 入れた。 「ハミングバードです」玲子はタイラントを呼んだ。 だが、イアピースからは、わけの分からないノイズが飛び出すだけで、意味のある 音声は何も伝わってこなかった。それが示唆する状況に思い当たって、玲子はぞっと した。屋上から発する強力な邪力が、急速に支配圏を拡大しつつあり、精密な電子装 置か通信波のどちらかに影響を与えているのだ。 「邪力が少しずつ増大している」カインは呟くように言った。「急ごう」 玲子は役に立たない通信機を切って頷いた。 もはや、隠密行動などにこだわっている場合ではない。玲子とカインは、小走りに 玄関へと向かった。 突然、2人の背後の植え込みの一つが爆発するようにばらばらになり、一人の男が 飛び出した。手にサブマシンガンを握っている。屈強な大男であるが、動作はピュー マのように敏捷だった。玲子とカインは同時に振り向き、左右に飛んだ。 テロリストは少しも慌てず、正確に玲子を追って銃口を動かした。余裕たっぷりに トリガーを絞る。だが、銃口から弾丸は飛び出さなかった。テロリストの顔に狼狽が 刻まれた。再度トリガーを絞ったが、乾いたカチンという音が響いただけだった。 玲子は半秒で跳躍し、空中で身体をひねってテロリストの顔面に回し蹴りを叩きこ んだ。テロリストは声もなく吹っ飛んだ。テロリストのサブマシンガンを弾き飛ばし ながら、玲子はきれいに着地した。 「銃は使えなくなっているわね」息も乱さずに玲子は言った。「これでこっちは有 利だわ」 「行こう」カインは素気なく促した。 間もなく2人は玄関に達した。硬質ガラス製の自動ドアは、開けっ放しになってい る。少なくとも玄関とロビーには人影は見えない。予想通り、照明は残らず消えてい て闇に包まれていた。 玲子はそっとプラーナを発してみて、悲鳴を上げそうになった。周囲に邪力の波動 が絶え間なく流れていて、プラーナがその全てに反応してしまうのだ。これでは、敵 を事前に探知するのは不可能に近い。 どのみち悠長に敵の存在を探っているヒマはない。玲子とカインは視線で頷きあう と、一気に玄関へ飛び込んだ。 銃撃や叫び声を期待していたわけではないが、2人の侵入者に対しては何のアクシ ョンも起きなかった。玲子は素早く周囲を見回して階段を見つけた。 2階に達するまで何も起こらなかった。玲子が2階の踊り場で身体の向きを変えた 途端、闇の中から襲いかかってくる人影が視界の端に写った。距離はわずか5メート ル。この距離で発砲しようとしないということは、すでに銃器が使用不可になってい ることに気付いているのだろう。 細身のボーイナイフが、窓からこぼれる月明かりを反射しながら流れるように突き 出された。玲子は指一本分の差で、その攻撃を避けた。相手は目にも止まらぬ動作で ナイフを反対側の手に放り込むと、別の方向から攻撃をかけた。玲子は反撃に出るキ ッカケをつかめぬまま、階段の方へ後退した。 襲撃者がカインの存在に気付かなかったはずはないが、子供だと思って軽視したの か、優先順位を下げたのだろう。それが致命的な誤りであることにテロリストが気付 いたのは、もう一つのきらめきが空気を切り裂いた時だった。 鮮血と、声にならない悲鳴が踊り場に飛散した。一閃したカインの剣が、テロリス トのナイフを手首ごと斬り飛ばしたのである。間髪を入れず、階段を蹴って跳躍した 玲子の膝がテロリストの顔面に叩きこまれた。 「ハミングバード!」カインの警告の叫びが響いた。 玲子は危ういところで、真上から飛来する何かを避けた。足元に突き刺さったのは 羽根の付いた金属製の矢だった。クロスボウから射出されたものに違いない。無音で しかも殺傷力の高い兵器である。 玲子の背が壁にぶつかった。そこを狙って、第二の矢が射こまれる。玲子は前方に 身を投げ出した。ぐるりと一回転して起きあがったときには、目的のものを右手に掴 んでいた。最初に放たれた矢である。 カインが飛び出した。階段を5段ずつ飛ぶように上がっていく。数秒で2階と3階 の中間の踊り場に達する。少年が振り向いた途端に、音もなく矢が飛来した。カイン は電光のように剣を斜めに流し、眼前で矢を弾き飛ばした。テロリストは思わず息を 呑み、その位置を露呈した。 その瞬間、階段の半ばまで上がった玲子が、手にした矢を力一杯投げつけた。クロ スボウから放たれたのと、それほど変わらない速度である。それはテロリストが第4 射を放つ直前、クロスボウに命中し、それから角度を変えて肩を貫いた。うめき声と ともに、テロリストの身体がぐらりと傾き、階段に倒れてきた。すかさずカインが飛 び、テロリストの男の傷ついていない肩と、両方のアキレス腱に剣を走らせた。 その時、2階分のコンクリートを通して、甲高い女性の悲鳴が2人の耳に届いた。
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