長編 #2809の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
笑っていた。 半分以上もめりこんだ五本の針など、気にもならぬように。 そしてその次に起こったできごとを、老ウェイレンとマリッドとはひとしなみに、 信じられぬ面もちで目撃した。 バラムの肉体に深々とのめり込んだ五本の針が、めりこみ口を支点にしてくにゃ りと曲がっていく。 スプーン曲げの妙技と同じだ。 そのまま、根本からへし折れて次々に落下し、白いペーヴメントにあたって冴え た音を四囲に響かせた。 ついで、見えぬうねりにひねり出されるようにして、食いこんだ残りの部分が傷 口からめりめりと押し出され、これもまた白い台座の上にころがった。 後を追って落下する血滴はすぐに停止した。どうやら、傷口もまた瞬時にしてふ さがってしまったらしい。 「――尋常ではないわ。これはどうにも、かなわんわい」 軽口のような口調でつぶやくものの、老ウェイレンのしわがれた顔貌はそのまま 棺におさめても違和感がないほど蒼ざめていた。 ぎらりと顔をあげたバラムが、狂気の視線の焦点をあわせるのを待たず、老人は くるりと背をむけた。 一目散に走り出した。 ペーヴメントをかけぬけ、放心の体で群れ集う人芥の中に飛びこんでいく。 きしる音のバックボーンを喪失して半睡状態で呆然としていた人びとが、ウェイ レンのその挙動で我にかえり――そしてさらに次の瞬間には、悲鳴と怒号をあげて いた。 人とも獣ともつかぬ怪物が、牙をむいて喰らいこんできたからだった。 逃げようとして群衆はおし広がり、いたるところで倒壊と軋轢をくり広げつつ扇 状に後退した。 悲しいほどわずかな距離だった。過飽和状態に達した先端が圧力におし戻される。 ――獣人の虎口にむかって。 爪をたてた両の手が、重い音を立てて空気を裂きつつふりまわされた。 いくつもの血しぶきが舞いあがった。 驚愕の表情を顔面にはりつかせたまま、つぎつぎに屍体が製造されていった。強 力無比な膂力に跳ねとばされて、ひしゃげ、折れ、はじけ、舞いあがり、叩きつけ られた。 もはやバラムは、老ウェイレンなど眼中にとどめてはいなかった。 見境なく、文字どおり手当たり次第に、立ちふさがるものすべて、人も物も無関 係に、破壊と殺戮をくりかえしながら、無軌道に暴走した。 「“入魔”かよ」 群衆の奥へ奥へと分け入りつつ、老ウェイレンはバラムの狂態を評してつぶやい た。 入魔――気の過剰と誤用による、幻覚状態のことである。 紫雲晶、五行思想に裏づけられた体内エネルギー経路と、その伝達物質とのコン トロールは、肉体と精神に驚くべき影響力を発揮し、正しく用いられれば全人格的 な平安と、そしてさらには副産物としての強壮をもたらす。 それは時として、神聖銀河帝国で盛んな魔道の異能や高レベルの超能力などにさ え匹敵する肉体的、精神的能力を発揮することさえある。 が、多くの場合――それも主として、超人的能力の発揮を目的として、性急かつ 盲目的な修養を行った場合など――は、偏差と称される病的症状を発現する危険性 を内包してもいた。 そして入魔とはまさに字義のごとく、いちじるしい偏差のため、魔境に堕すごと く極端な肉体的・精神的危機状況に陥ることをさすのである。 そしていみじくも、この奇怪な老術師が看破したごとく、まさにバラムはいっさ いの知性を失い、破壊の権化と化して暴走するだけの、狂った自働機械と化してい たのだ。 美と平和の象徴たる空中庭園はいまや、殺戮の巷と化し、屍骸と叫喚、恐怖と絶 望に染めあげられつつあった。 「バラム! バラム!」 なすすべもなく狂態を眺めやりつつ、マリッドは群衆をかきわけて追随しながら 幾度となく叫びつづけた。 が、狂獣は血を吐くような呼び声などまるで耳に入らぬごとく、ただやみくもに 凶行をくりひろげていくばかりだ。 奥歯をくいしばりながらマリッドは、人群れをかいくぐって夢中で暴虐の嵐の先 端へと先まわりし、野獣の凶牙から逃れようと、引き裂かれる紅海のように左右に 割れる生け贄の羊たちの悲嘆の谷間へと、踊り出た。 「バラム! ハルシアはここよ!」 吼え猛りながら突進する凶獣の前に両手を広げて立ちはだかり、叫んだ。 無謀な賭であることは承知の上だった。ほかに知恵がうかばなかったのだ。もと より、見過ごすつもりは毛頭なかった。休日の平穏を悪夢の牙から守るためではな く。 くはあ、と炎塊を吐き出すように熱いうめきを発して、バラムは跳躍した。 弾道弾のように宙に飛び、開いた両の手をつつみこむようにしてマリッドに向け て強襲をかけた。 浅知恵だったか、と後悔のほぞをかみつつ、覚悟をきめて真正面から狂気の襲来 を睨みやり――獣の牙に引き裂かれるのをなすすべもなく待った。 一瞬はマリッドにとって、永劫にも匹敵した。 見ひらかれた血走った双眸が眼前に降り立つ。 予想していた衝撃も痛覚も、いっこうに襲いかかってはこない。 「ほ、こりゃおもしろい」 群衆の奥深くでもれ出た老ウェイレンのつぶやきなどむろん、対峙するふたつの 彫像にとどくことはなかった。 「バラム……」 かすれた声で、マリッドは無意識につぶやいく。 血生臭い吐息が、胸にふりかかる。 爪を立てた五指が左右から、華奢な両肩をつつみこむようにして、触れるか触れ ないかのぎりぎりの境界で、静止していた。――つかまれれば、その瞬間に鎖骨ご と砕きつぶされてしまうにちがいない――そう思わせるほどの、凶器じみた様相だ った。 ごくりと唾をのみ、そしてマリッドはきっと目をむき、眼前に睨みあげる狂気の 双眼と正対した。 「バラム――やめなさい」 猛獣使いというよりは、母親の威厳をこめてマリッドは、静かに口にした。 獣の姿勢のまま、血泡まじりの涎を口端にこびりつかせてバラムは、血走った双 の目をマリッドに固定していた。 静寂が深く、天宮を支配した。 ――ほんの一瞬。 その一瞬の間をおいて、奇妙なつぶやきが、獣人の唇をわななかせた。 「マリ……ア」 目を見ひらきマリッドは、もう一度、と問おうとした。 機会は、一蹴された。バラムの肉体は弾丸と化して撃ち出されていた。 紙一重の差で、マリッドは急襲をかわしていた。 野獣は勢いのままかけぬけ、急停止するとぐるりとふたたびむき直る。 目を見ひらいたまま、じり、じりと、にじみよった。 ほんのしばし、マリッドは逡巡し――逃げた。 バラムほどではないにしろ、常人の目には消失したとしか思えないほどの超絶し た動きだった。 一拍遅れて、野獣もまた追随する。 影と風と、残像が交錯した。時おり、呆然と目を見はる群衆の何人かが、いきな り血しぶきをあげて倒れるほかは、二人の動作を追いきれる者はいなかった。―― ただ一人を除いて。 「ほうほう、入魔境の“夜の虎”を、じゃれさせておるか、あの娘。それにあれだ けの動き。これもまた興味深いわ」 つぶやく老ウェイレンの耳に、ふいに鈍い音が届けられた。 爪先が、肉に叩きこまれる音。 そして、見た。 虚空にふたつの肉体が重なりあい、そのうちのひとつがどさりと音を立てて落ち るのを。 ふわりと、重力など重荷と感じぬように降り立ったのは、マリッドの方だった。 地に伏したバラムの方は――こちらも、ほとんど間髪入れず起き直っていた。 ふたつの視線が正面からぶつかりあった。 が、つぎの動作は生ぜず――まったくべつの、変化が現れていた。 バラムの双眸から、狂おしい燃え盛る殺戮者の炎が消えていく。 全身をおおった虎縞の模様が、波が引くようにして消え失せていき、荒い息づか いのみを残したまま、強化人間は周囲をゆっくりと――そして呆然と、見まわした。 その視線が再度、マリッドに固定され、 「あのじじいはどうした?」 と訊いた。 「さあ」 マリッドはまだ疑わしげに目を細める。「あんたこそ、何とち狂ってたのよ」 警戒心むきだしのマリッドの問いかけにもバラムは、不審げに眉根をよせるだけ だった。 やっぱり覚えてないのか、とでもいいたげな不満にみちた表情で、マリッドは力 なく小刻みに首をうなずかせる。 「あんた、虎模様が顔に浮き上がってきて、気がちがったみたいに暴れまくってた のよ。はっきりいって、手のつけようがなかったわ。だいたいあんたは――」 云いかけて、くたくたとマリッドの小柄な身体が崩おれた。 その背後から現れたのは――老ウェイレンだった。 「じじい――!」 一歩を踏み出し――そのままの姿勢でバラムは凍結した。 ウェイレンの手にした銀針の切っ先が、昏睡した体のマリッドの喉もとに突きつ けられていた。 「悪いな“夜の虎”。正直、わしにはおまえは手におえん。この娘、人質にさせて もらう。それに――どうもおもしろいことをいろいろと知っておるような雰囲気も あるでな」 云って、にいと笑った。 「このじじい!」 叫びざま猛然とつっこみ、たたらを踏んだ。 糸に引かれるようにして、ウェイレンのしわがれた小躯が宙に浮きあがっていく。 ふりあおぐと、さらに頭上で沈黙の天使像が、まさに碧空にむけて昇天していく ごとく、ゆっくりと上昇していく姿があった。 さらにはるか上空に、UGボードを三枚も抱えこんだ中型運搬艇のシルエット。 「あまり気はすすまんがな。おそらくはまた会うことになりそうだな夜の虎。その 時まで、な」 マリッドの体を抱えたまま、老ウェイレンの姿はみるみる遠ざかっていき、それ が遠い点となって浮遊機に吸いこまれたと思いきや――クラフトキャリアは静かに、 すべるようにして飛び去っていった。 追うすべもなくバラムは、ただ目をむいて見おくるだけだった。 第V部 ジーナ・シャグラト 15.ガラバティの神水 「イムジェフィフタス。ストラトスからは恒星船で七日ほどの距離です」 情報部ジョシュア分室の者、と名乗る男は、奇妙に個性を欠いた特徴のない顔に、 吹けば消えてなくなってしまいそうな頼りない微笑をうかべつつ、バラムに向かっ てそう告げた。 ラベナドのスカイフックを上昇する道中、愚にもつかぬ与太話をならべ立てたあ げくの、言葉だった。 いぶかしげに眉間にしわを寄せるバラムに向けて、男は気弱げに笑ってみせた。 「いま、われわれの組織はほとんど壊滅状態でして。シフ・マリッドを救いにでか けるどころか、組織を維持することさえ困難な状況にあるのです。お恥ずかしい話 ですが、もはやあなたに頼るしか手はないと、そういうわけでして」 「ほう、そうかい」 と答えながらもバラムは、心中で激しく顔をしかめていた。 この男の見てくれの凡庸さがそのまま無能をあらわしているわけでは決してない ことを、バラムは見ぬいていた。というよりはむしろ、外見の毒のなさこそがこの 男の第一の武器だろう。その皮膚一枚下に隠された得体の知れぬものまでを本能的 に察知して、バラムは背すじさえ震わせる思いを味わっていた。 ストラトス情報部が現在、かなりやっかいな状況におちいっているであろうこと は、星系をつづけざまに襲った明暗さまざまな災厄を考えればうなずける。だが― ―組織を維持することさえ困難なほど人員に欠けているとは、すくなくとも眼前に したこの男の不気味な雰囲気を思えばとても首肯できるものではなかった。 が、男はそんなバラムの心中にはまるで気づかぬげに、つづけた。 「ルーシャス、という名の恒星系に属している惑星のひとつ、イムジェの周囲をめ ぐる五番めの衛星がイムジェフィフタスです。われわれストラトス情報部に関わる 者たちには、よそさまには感知不能の発信器を体内に常備することを義務づけられ ておりまして。それをもとにしてシフ・マリッドの行方を追跡いたしましたところ、 この衛星の名が浮かびあがったと、そういう次第です」 なめらかに、まるで台本を読んでいるような調子で男は口にした。 バラムは、ひどい不信感をかき立てられていた。 マリッドが拉致されてから標準時で一日と経ってはいない。たとえ発信器を体内 に常備している、という話が本当だとしても、恒星船で七日の距離の星系で、衛星 名まで特定できるほど詳細な情報を得られるとは考え難かった。 「さ、どうぞ。こちらです。すでに恒星船のチケットも手配してございます。どう ぞこちらへ」 いたれりつくせり、といったところだ。ステーションに到達したエレヴェータを 降りて踏み出したバラムを、男はなおも奇妙なほどの腰の低さで先導した。 同じスカイフックを上昇したときの記憶がよみがえる。 同時に、おぼろに心中にいすわっていた疑問が、次第に形を整えはじめていた。 この奇妙な男の口にする話のほとんどすべてが眉唾で――なおかつ、イムジェフ ィフタスにアムルタート舞踏教団の面々が居を占めている、というのが本当だとす れば――情報が教団から、あるいは教団にごく近い部分から、ストラトス情報部へ
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