長編 #2688の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
「……イームレスの使者が眠る神託の湖か」 ほほ、と老人はかすかに笑う。 「なれば、探求者が神託を得るよりは死を得る方がたやすい、という事実も知って はいような。クロナエヤは慈悲深き御使いではないゆえ、の。神託を得るか死をく だされるかは運しだい。賭けてみるか? それとも、夢解きはあきらめて、どこへ なりとあてどない旅にでも出るか。なに、人が生きるとはもともとが、無明の旅路 を死へむけて病み疲れていくことなれば。どちらにしてもたいした違いはあるまい が、よ」 「行くさ」少年はためらいもせず、そう答えた。「おれの命は、いまだおれのもの じゃない。それをおれの手に入れるために、その命を賭してみるのも悪くはあるま い」 「ふはは、利いた風なことを小僧めが。おまえはまだ、病み疲れてはいないようだ の」 最後の台詞を陽気に解き放ち、老人は馬を手に入れるために地下の室を後にした。 いわれただけの時間を待って少年は、人目をさけて西門をぬけ、そして馬を駆っ て夜をぬけた。 そしていま、夜よりもなお深くよどんだ闇の底をぬけて、なおはるかな暗黒の底 に、氷のように凍えた灯火を見ていた。 クロナエヤか? 口を開き、ひとりごとを云ってみた。 言葉は音にはかわらず、漆黒の塊となって重く、闇の底へと沈みこんだ。 まとわりつく水を蹴る脚にいっそうの力をこめ、ふさがる重だるい壁をこじるよ うにしてもどかしくかき分ける。 灯火が近づくより先に、銀の弾丸が放たれた。 漆黒の水底で、金属光沢を鈍色に反射させる異様にからくりじみた流線型の獣た ちがつごう三体、がぼがぼと凶猛な振動で水塊を切り裂きながらまたたく間に接近 してくる。 剣をぬいた。 闘技場で、自分と同じような境遇の奴隷戦士たちを幾度となくほふり去ってきた、 血まみれの剣だった。 ぬらぬらとした質感の、子牛ほどもある湖の獣たちはいっぱいに開いた口端から どろどろと得体の知れぬ粘液の尾を引きつつ展開するや、はじけるようにして一斉 に強襲をかけてきた。 銀閃が、一匹の牙の立ちならぶ獰悪な顎を切り裂いた。 硬い、不快な感触。 どろりと大量の液体をまき散らして、裂かれた一匹がもがきまわるのを尻目に― ―残りの二体はいささかの躊躇も見せずに少年の肩口とわき腹を噛み裂いた。 ひるがえした剣は、流線型のなめらかな頭部に弾かれて、傷ひとつ残さない。目 を見ひらき、凝視する。 刃先がこぼれていた。 反転した二匹が、休む間もなく針のごとき牙を閃かせる。 接近速度と予測軌道、そして水の抵抗。すべて勘で処理して最小労力の軌跡上に、 肉薄する二体の水獣をとらえた。 弾きとばす。強襲はしりぞけた。かろうじて。だが、剣の両刃ははじけたように 歯こぼれ、錆釘のもろさでふたつに折れて沈んだ。 水底におぼろにたゆたう凍てついた灯火に吸いこまれるようにして、裂かれた水 獣と、さらにそれを追うかのごとくこぼたれた刃が、にぶく光を反射する。 そして健在な二体の獣は、さらに凶悪な勢いでぐるりと円弧を描いて三度めの、 死の強襲をかけた。 折れ砕けた剣を捨て、少年は歯をむき出して拳を握りしめた。鍛えあげた剣を弾 く外皮の生物を、たかだか殴打ごときで退けられるとは思っていない。かといって、 無抵抗のまま螺旋状に切り込む死を従容と迎えるつもりもさらさらなかった。 眼前に迫る巨体にむけてくり出した拳は、だが、いともさらりとかわされた。 嘲けるように開かれた顎が喉くびに迫り出す。もう一匹の方は――腹。やわらか な内臓はその強靭な牙に、割れ卵のように内容物を放出せずにはおかないだろう。 これまでか、というあきらめの底から――傍若無人に、火山のような怒りが膨れ あがった。 か、と、少年は気を吐いていた。 炎のような熱いものが、下腹部からはじけて背中に燃え上がった。 咆哮は音もなく闇色の水を切り裂き、短く刈りこまれた黒髪が火焔のように逆立 った。 双眸に宿るのは怒気よりは歓喜に近い獰猛な光。 そしてそのとき、背後から少年の姿を見やる者がもしあったならば、その背中一 面に――まるで、燃え盛る紅蓮の火焔のごとき奇怪な、様式美に満ちたあざが、忽 然と出現したことに驚異と、そして不審とを抑えきれなかったにちがいあるまい。 さらには瞬時――まさにほんの一瞬だけのこと。 その背中から噴きあがるように膨張した炎の幻像が、まさにその牙をやわらかな 皮膚に打ち込もうとする寸前の、鈍色の二匹の獣を、まるで溶鉱炉にでも投げこむ ようにして蒸発させた。 寸時の間をおいて、漆黒の闇にごぼ、ごぼごぼと、二柱の泡沫がわきあがり、そ してふたたび闇がおしよせた。 復讐と殺戮の歓喜に震える稚い女神のように燃え上がる炎のオーラにつつまれた 少年もまた、現れたときと同様の不意の神威の喪失に、まるで途方にくれた迷子の ように呆然とした。 背中の奇怪なあざは、すでに消えていた。 どれだけの間、そうしていたのか。 はるか下方、さし招くようにも、あるいは狂おしく拒むようにもゆらめく氷柱の ごときおぼろな灯火に、少年はうつろな視線をのろのろとさだめ―― ふいにふたたび、意を決したかのごとく身体を反転させ、降りはじめた。すでに 湖上の光は遠く、藍よりもなお暗い。 やがて少年は、水藻のようにうつろにゆらめくクロナエヤを前にした。 かつて、天より降りし大いなる世界の簒奪神イームレス。天界の王をむかえてバ レースはその最盛期を迎え、光明神アル・ジュナスが暗黒神ゼル・ジュナスとかわ るまでの永く、そしてはかない楽園を享受した。 そして狂える神は封じこまれて不安な眠りに沈み、大いなる天上の神々もいまや 暗黒神の目覚めに戦々恐々とおびえるだけの、卑小な存在に堕していた。 それでもまだ、ヒトなどは遠くおよばぬ存在だった。たかだか、湖の底にただよ い、不安定な神託をのみ気まぐれにくだすだけの、天帝の使者でさえも。 そのような存在に抗し得る者など、まずはいない。 あるいは――神威か、それに匹敵するだけのなにものかを秘めたる者でないかぎ り。 ――神託を求めにきたか。 声なき声が、少年の脳内に響きわたった。 そうだ、と少年は暗黒の底にただよう青い生物にむけて言葉を吐いた。 無数のヒレを全身にまとった、大木のような青い巨体は、ひたひたと寄せる夜行 獣のような姿勢で、その氷柱のような視線を凝っと少年にすえていた。 だがその視線に、すでにかつての力は萎えていた。否――あるいは古の神々の末 裔は、その栄華をとり落とし無明の闇に墜ちたときから、その力を喪い果てていた のかもしれない。 その証のように、雷鳴のごとく響きわたるべきその声もまた、疲れはて死にかけ た老人のように力つきていた。 ――おまえは私にとって死を告げる者だ――それは云った。 ――太古の没落よりかろうじて力を保ってきただけのわが命脈を、おまえはまる で何も知らぬままで、小気味よいほど無情に、断ち切りに訪れたのだ。 神の代理者の言葉をまるで理解できぬまま、少年はいらだちもあらわに問いかけ た。 おれの夢を解け。 ――解くまでもない、と存在は応えた。――われらが主がこのバレースに降りき たった時、地に封じられ忘れられた神々のひとりが、おまえの中に眠っている。そ れが目覚めを欲し、おまえにむけてそれをうながしているだけのこと。 少年は眉根をひそめる。己の内にひそむ、自分でない自分の存在を告げられて。 ――失望することはない、とクロナエヤは告げた。――眠る太古の神はおまえで あり、おまえこそが神そのものだ。そしてその神がおまえの内に宿ったのは、喪失 し、忘れ去られたものの復権のためであり、また今この世界を不安の帳で眠りのう ちに支配している暗黒神に、唯一抗い得る者でもあるからだ。呼応するようにして この私は、封じられた古き神の、縛された手のひとふりでその命脈を断たれて黄泉 路をたどることとなりつつある。 ありがたくはないな、と少年はつぶやくようにして云った。 かすかに、笑いがとどけられたような気がした。 水底の闇で永劫をおぼろに生き延びてきたものの、空虚にして濃密な笑い。 ――古き神の名はヴァルディス――そして、滅びかけた神々の栄光の残滓は、少 年に向けてそう告げた。 ――古き神の名はヴァルディス。炎の神、地の底の神、バレースの化身。雄々し く、理不尽で、荒れ狂う力の神だ。だが忘れるな。それはいまだ目覚めず、ただそ の兆をおまえのもとにもたらしただけだ。おまえは今より、ヴァルディスを、そし ておのれ自身を探求するために、永い旅に出なければならぬ。そのための最初の導 師はすでに、おまえの頭上でおまえの帰りを待っている。おまえは彼に導かれて、 剣をさがせ。凶猛で苛烈な神の炎で鍛えられた、ヴァルディスの神剣を。それを求 め、そして手に入れたとき、新たなるおまえの生がはじまる。力と、そして運命に つづく新たなる生が。そしてもうひとつ。ゆめ忘れるな。――ヴァルディスは火焔 の化身。その炎の舌は、われをこうして滅ぼしたのとまったく同じに、おのれ自身 をさえ焼きつくすほどの業火だということを。忘れるな。 ゆらめく巨影は、炯々と光る氷の双眸を少年にひたとすえたまま淡々と託宣を語 り終え――そして、なんのまえぶれもなくふいに、消えた。 空隙を埋めるようにしておし寄せた重い闇に、打たれたように少年はしばし呆然 と目を見はり―― クロナエヤ! 闇にむけて、叫んだ。 反響ひとつひびかぬまま、黒い湖底は塗り込めたようにおし黙ったままだった。 波紋を割って現れた少年がふたたび大気にあふれた地上へと適応するまでに、は ての知れぬほどの苦痛の時がついやされた。 あげく、自分が導師であると告げられた老占師はさすがにしばし呆然としたが、 「さて、おまえを匿い、あまつさえその逃亡に手をかしまでした以上は、このわし もバラルカの逆鱗に触れたと見てまちがいないのは事実だな。となれば、二度とふ たたび戻れぬであろうと安堵していた漂泊の暮らしに、この老骨をまたもや投げこ まねばならなくなった、ということか。やれやれ、これも龍石を目にしたものの不 幸の顕現か。うらむぞ“闇の炎”。心底な」 得体の知れぬ笑みをうかべつつ、意外にさばさばとした口調でそう告げた。 そして、ふと気がついたようにして、見える片目に片眉よせて、 「さて“闇の炎”、そうとなれば異名でいちいち呼びかけているのも面倒にはちが いない。おまえのほんとうの名前だが、なんといったかの。たしか、ダ――ダ……」 「ダルガだ、占爺パラン。おれの名は、ダルガだ」 少年は、かすかに笑いながらそう云った。 「おお、そうだったか。ダルガ――そう、暗黒の龍。つくづくおまえは、不吉な闇 につきまとわれる命運を背負わされているようだ。まあ……退屈だけはするまいが、 な」 「退屈を厭う歳でもあるまい」 からかうように少年がいうのへ、老占師は泥水でも飲まされたようにしかめ面を してみせる。 「歳を経れば人も埋まる、とはただの迷信だよ。じっさいは、歳を経るごとにより 深く、飢えていくものだ」 「それはあんただけの話じゃないのか? だがそんなことはどうでもいい。追っ手 がそろそろ迫るころでないとも限らん。はやいところ行き先を決めて、こぎ出して くれ導師。とりあえずはあんたが、おれの水先案内人だ」 「どうでもいい? とりあえず? 世間しらずの小僧めが。どうでもその小面憎さ、 いずれ強制してくれるから覚悟しておけ。では」 と、老人は手にした櫂をダルガにむけて放り投げた。 いぶかしげに受けとった櫂と老人とを交互に眺めやる少年に、占爺はしてやった りとでもいいたげな笑いを浮かべつつ、 「まずはおまえがどこでも、好きな方角に舟を進めるがいいさ。それがわしの、最 初の水先案内だ」 無造作に告げて、どさりと腰を降ろす。 しばしの呆然を間に、ダルガは快活に笑った。 「なんていいかげんな託宣だ」 笑いながら無造作に、湖にむけて竿さした。 文句をいわずにとっととこげ、笑いながらそう告げる老人の背後で、深山を割っ て曙光がさし染めた。 炎のように。 水底の天使――了
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