長編 #2652の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
7 4月20日、セーラはフラットから2ブロック離れた医療センターへ行った。ムー ビングチェアは、長時間の駆動はできないので、ドナは医療センタービルに近い場所 に住居を定めたのである。このぐらいの距離であれば、ドナは一人で検査に行って帰 って来ることができる。セーラがフラットから出なければならない時は、ドナが可能 な限り付き添っていたが、どうしてもそれが不可能な時があるのだった。 セーラが月に一度、医療センターに行くのは、治療のためでなく、検査のためだっ た。セーラの体内に残留した汚染物質を全て取り除くことは、現代医学でも不可能な のだが、汚染物質がセーラの体組織を蝕み始める兆候を事前に察知することは、対症 療法を有効にするためにも必要なことだった。セーラの体内には、モニタ用のナノマ シンが注入されていて、血液中の汚染濃度が限界を超えないかどうか監視している。 これは寿命が短いので、月に一度、回収して入れ替える必要があるのだ。 「今の所、異常はないね」 回収したナノマシンが吐き出すデータを、VVに映しながらメディカル・エンジニ アが言い、セーラは安心した。 「今、開発中のニューバージョンはね、モニタリングだけじゃなくて、汚染物質を 粒子ひとつでも発見したら、ただちに他のマシンと結合して、そいつの周囲にくっつ くように設計されているんだ」すでに顔見知りのエンジニアは、優しく教えてくれた。 「特殊なポリマーを形成して、あらゆる化学反応からシールドする。同時に、後で摘 出できるように、そのポジションを常に報告してくれる。これが完成すれば、君の身 体から、少しずつ残留汚染物質を取り去ることも可能になるんだ」 「楽しみだわ」セーラは笑顔で答えた。「魔法なの?」 セーラは下着姿で座っていた。座っている椅子は、標準的なナノマシン・インジェ クターで、セーラの全身はすっぽりと大型の鎧のような装置で覆われている。右腕か ら注入されているNMが活性化するまで、均等に分布させるためのマイクロ誘導装置 である。装置の前面にわずかに開いた空間から、かろうじて顔だけはのぞかせること ができるが、処置が終わるまでの30分、セーラは指一本動かすことができない。 最初、この処置を受けたとき、セーラは解剖されているような恐怖に襲われ、ほと んど泣き出すところだった。最初の一回は、セーラの神経系データがないため、エン ジニアが慎重に調整しながら設定を行わなければならず、それは多少の苦痛を伴った のだ。 今ではデータも揃い、処置を受けるセーラには何の苦痛も与えないようになってい るし、セーラの方も次第に慣れてはきた。しかし、だからといって、セーラがこの処 理を好きになったわけでは決してない。 メディカル・エンジニアは少し笑って首を振った。 「魔法を、こういうナノテクの分野に応用するには、まだ研究期間が短すぎて危険 なんだ。それに医学は魔法に関しては最も保守的な分野でね。特に臨床はね。試しに やってみて、あ、死んじゃった、じゃ困るだろ。よし、終わりだ」 プシュッ。誘導装置のロックが解除された。すかさずナースが服を持ってきてくれ た。セーラは、ほとんどナースの手助けを借りずに服を着て、自分のムービングチェ アに移動した。 「また来月な」エンジニアは手を振って見送ってくれた。「少しでも異常を感じた ら、夜中でもいいからコールするんだよ」 「ありがとう、サム」 セーラは礼を言って、ムービングチェアを動かすと、ナースが呼んでおいてくれた エレベーターに乗り込んだ。 どのシティでも、医療センタービルは巨大な建造物になるものと決まっている。シ ティ・ブリスベーンでも例外ではない。診察・入院エリアはもちろん、ランセン医療 総合大学を内包しているため、独自のシグシステムやレーザー駆動型融合炉、さらに は小規模なショッピングエリアやパークエリアまで備わっていて、さながらシティの 中のシティといった趣を呈している。 セーラは第8セクションから出ると、ゆっくりとムービングチェアを進めて、パー クエリアへと向かった。ドナが、しばらく他のシティに出張しなければならなくなり、 急遽、フラット内の改造工事が進められている。そのため、夕方までフラットへは入 れないのである。それまでの3時間余り、セーラはどうやって過ごすか、まだ決めて いなかった。 とりあえず、のんびりと花でも眺めることにしよう。そう考えて、パークエリアに やってきたのだが、運悪く、公園内の花壇では草花の植え替え作業が進行中で、あま り眺めていて楽しい光景ではなさそうだった。 「あーらあら。がっかりだわ」セーラは口に出して呟くと、肩をすくめてターンし た。「噴水にでも行ってみようかな」 そのとき、セーラの視線が一カ所に釘付けになった。反射的にムービングチェアを 停止させ、セーラは信じられない思いで目を見開いた。 10メートルほど先のベンチに、一人の青年が座っていた。誰かを待ってでもいる のか、ぼんやりとシティの人口の空を眺めている。軽くウェーブのかかったブラウン の髪が、眉を斜めに横切っているが、意識して整えたセットではなく、自然に落ちか かっているようだ。髪と同じ色の瞳には、のんびりとした真面目そうな光が浮かんで いる。薄手のジャケットはジーンズとよくマッチした薄いブルーで、セーラが好きな 色だった。 セーラの記憶の引き出しが音もなく開き、一つの顔が浮かび上がった。特に親しい 友人というわけではなく、2、3度言葉を交わしただけにもかからわず、鮮明な記憶 となって残っているのは、忘れたくても忘れられない恐怖の瞬間と密接に結びついて いるからである。4年前のテロ……血に染まったパーティ……右足に走った激痛……。 その直前に話していた少年。名前は……確かJで始まるファーストネームだったはず ……そう、確かジュリー、いやジュリアンだった。 もちろん、ベンチの青年がジュリアンであるはずはない。あのテロで生き残ったの はセーラだけだったのだから。だけど、よく似ている。ジュリアンが生きていれば、 ちょうどあれぐらいの年齢になるのではないだろうか。ひょっとして親戚か何かだろ うか? まるでセーラの視線を頬に感じたように、青年はふっと顔を上げてセーラの方を見 た。その顔に浮かんだのは、友好的だが、いぶかしげな表情に過ぎなかった。セーラ は少しがっかりすると同時に、見知らぬ他人を無遠慮にじろじろ見つめるという失礼 な行為を恥じて頬を染めた。 青年は少し逡巡していたが、心を決めたように立ち上がると、まっすぐにセーラの 方へ歩いてきた。セーラは心臓がドキンと跳ね上がるのを感じ、とっさにどういう表 情をすればいいのか思いつかなかった。 「こんにちわ、マドモワゼル」青年は微笑みながらそう言った。「よいお天気です ね。もっとも、シティの中はいつでも晴天ですが」 「あ、あの……その……」セーラはしどろもどろで言葉を探し、最も平凡な一語を 選んだ。「……こんにちわ」 「突然、声をおかけして申し訳ありません」青年は自然な動作で身体を沈めると、 軽く片膝をついて、顔をセーラの目線と同じ高さに移動させた。「一人で退屈してい たものですから。ご迷惑だったでしょうか?」 「いいえ、全然、少しも、全く、何も……」セーラは自分が馬鹿みたいに、意味の ない言葉を並べているのに気付いて、小さく深呼吸することで、それを中断した。よ うやく世界が正常に戻り、セーラはいつの間にか伏せていた顔を上げて青年を見た。 「ごめんなさい。あたしったら慌てちゃって」 「お一人ですか?」青年は気にする様子もなく訊いた。 「ええ。センターにちょっと用事があったの」 「なるほど」青年はちらりとセーラのムービングチェアに視線を走らせた。「もう 用事はお済みになったんでしょう?ここで何をしてらっしゃったんですか?失礼な質 問でしたら申し訳ありませんが」 「失礼なんて……。ただブラブラしてただけですけど」 「なるほど、ぼくと一緒ですね」青年は少し躊躇った後、真面目な声で言った。「 もし、よろしければ、ご一緒に昼食などいかがですか?一人で食べるのも味気ないと 思っていたところなんです」 セーラは思わず相手の顔を見直した。からかっている様子はなく、真剣に誘ってい るようだった。下肢が不自由な少女に対する同情や好奇心でもなさそうだし、押しつ けがましい親切心でもなさそうだ。女の子を誘い慣れているわけでもないらしい、と いうことは、少し丁寧すぎる言葉遣いからも明らかだった。 「そうね。ご迷惑でなければ……」セーラは迷いながら口を開いたが、突然心を決 めて、にっこり笑った。「いいわ。ワリカンならね」 「そうはいきませんよ」青年は嬉しそうに顔をほころばせながら反論した。「ぼく が誘ったんだから、ぼくがおごります。そうそう、ぼくはリチャード・ランサム」 「セーラ・マドウよ」セーラは青年の差し出す手を握った。「お願いだから、ミス ・マドウなんて呼ばないでセーラと呼んでね」 「じゃあ、ぼくのこともリチャードと呼んで下さい」リチャードは軽く微笑んだ。 「OK、リチャード。何をおごってくれるのかしら?」 「何か食べたいものは?」 「ツナサンドとミルクティ以外なら何でもいいわ」 「特にその2つを除外する理由を訊いてもいいかな?」 「深い意味はないの。ただ、朝食がそれだったってだけ」 「OK、それじゃあドーナッツとカフェ・オ・レでどうかな」 「まあ、小麦粉と砂糖とカフェインとミルクね」セーラはわざと目を剥いた。「で も、まあいいわ。あたしも少しは脂肪をつけないと」 リチャードは軽く笑った。ちょっと素敵な笑顔ね、とセーラは思った。 「では行こうか、セーラ。第7レベルにいい店を知ってるんだ」 その連絡員はまだ若い男だった。一見、前途有望な学生のように見える。その頭脳 の中身が、統合政府に対するテロリズムで埋まっているとは誰も想像しえないだろう。 「なんだと」連絡員は小声で訊き返した。「どれぐらいだ」 「いつまでだかは分からないの」ドナは聞き分けのない子供に言い聞かせるように 囁いた。「少なくとも2、3日でないことは間違いないわね」 「その間、情報が途絶えるわけだな」連絡員は怒ったように呟いた。「拒否できな いのか?」 「あなた、アンソーヤに逆らってみる?」 連絡員は沈黙した。 A.D.の末に誕生したテロ・ネットワークは、今日、より強力なシンジケートと して、社会の裏に公然たる勢力を築き上げていた。その潜在力としての武力・情報力 は、ほとんど統合政府のそれに匹敵するほどで、本気で統合政府に対して攻撃をかけ れば、勝利を得ることも不可能ではない。彼らがそれをしないのは、ただ政府を転覆 させても、市民の理解を得られるわけではないと知っているからである。どのように 言われようとも、決して闇雲に政府の打倒を叫ぶだけの血の気の多い乱暴者の集団で はないのだ。 シンジケートが求めているのはキッカケだった。市民の、政府に対する不満を一気 に爆発させるようなキッカケだった。それは大きければ大きいほどよい。今、シンジ ケートがドナを通じて得ようとしているレヴュー・プロジェクトの影に隠された秘密 は、もし公表されれば全シティに空前の大混乱を惹起することだろう。ただし、よほ ど、明確で疑問の余地のない証拠を添えなければ、市民に否定されることは火を見る よりも明らかだった。 「焦らないで待てと上の方へ伝えなさい」ドナは命令調で言った。「私が戻るまで ね」 「あんたが戻らなかったらどうするんだ。我々は手元の不揃いのカードで勝負に出 ざるを得なくなるんだぞ」 「それは私のしったことじゃないわ」 ドナは冷たく突き放した。その口調に連絡員は激昂したようだった。 「あんたは真剣に統合政府を打倒する心を持っているのか」 「私はね。統合政府にもシンジケートにも心を売った憶えはないの」ドナは冷たい 視線で連絡員を突き刺した。「私は自分が信じることしかやらないし、誰かに何かを 強制されるなんてことはまっぴらなの。わかった?」 連絡員は鼻白んだ。 「わかった。だが、我々も長くは待てない。2週間以内に戻れないようなら、こち らも別の手段を執らざるを得ない。それがあんたの正体を暴露することになっても」 「ここ数日で、誰かが私のプライベート・データを引っかき回そうとしてるけど」 ドナはじっと連絡員の瞳を捉えた。「そっちがやっているんじゃないでしょうね」 「何?我々はそんなことは知らんぞ。誰かがあんたを調査してるだと?政府が疑っ ているんじゃないだろうな?」 「そうじゃないわよ。まあ、シンジケートじゃないことは分かってたんだけど。念 のために訊いただけよ」 「こっちで調査してもいいぞ」連絡員は提案したが、ドナは首を横に振った。 「余計なことはしないで。どうせ放っておけば撤退するから」 「できるなら、あっちから連絡する手段を考えるわ。だけど期待はしないで」 「わかった。出発はいつだ?」 「4月24日よ」
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