長編 #2638の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
8 わずかな生存兵とともに<ムーンゲート>を通って地球に帰還を果たしたギブスン 大佐は、すぐに上層部からの呼び出しがあるものと覚悟していた。だが、実際には軍 法会議どころか、上官による譴責すら行われず、ただ、アンストゥル・セヴァルティ から帰還した者に対して行われるルーチンチェックが待っているだけだった。疑問を 感じないわけではなかったが、それよりも安堵の方が先に立ったのは言うまでもない。 <ムーンゲート>を管理する移民局の総合医療センター内に提供された一室で、精 密検査の結果を待っているギブスンに来客が告げられたのは、帰還して2日目の夜だ った。 「これは、ミス・マドウ」ギブスンは戸惑いながら客を迎えた。「驚きましたな」 アンソーヤのセクレタリは魅力的な微笑を見せながら、ギブスンに勧められるまま にソファに腰を下ろした。 「コーヒーでも?ミス・マドウ。それとも、もう少し強い飲み物がよろしいかな?」 「いいえ、結構ですわ。ドナと呼んで下さい、大佐」 ギブスンはバーボンのグラスを手にしてベッドに座ると、ドナの横顔を見つめなが ら訊いた。 「ところで、何かご用ですかな?」 「あててごらんになりますか、大佐」ドナは微かに首を傾けて、悪戯っぽく言った。 「そうですな……」大佐は、ドナの用向きが自分の想像する通りだといい、と思っ たが、あえてそれを口に出さなかった。もし、勘違いだった場合、恐ろしい結果にな るからだ。 「わかりませんな」結局、ギブスンは無難にそう答えた。 「本当にお分かりになりませんの?」 不意に大佐は、アンソーヤのセクレタリである、ということ以外には、ドナについ てほとんど何も知らないことに気付いた。アンソーヤ自身に気を取られていたせいも あるが、それ以上にギブスン自身が知ろうとする努力を怠っていたからだ。 何故か浮かんだ小さな不安を、ギブスンはグラスを傾けることで打ち消した。 「降参です。教えてください、ドナ」 ドナはにっこり笑って答えた。 「<ユガ>について教えていただきたいんです、ギブスン大佐」 思わずグラスを取り落としそうになるほど、ギブスンの動揺は激しかった。かろう じて咳払いすることで、心の動きをごまかしたが、手がかすかに震えているのはどう しようもなかった。 「ゴホン、失礼」何とか平静な声でギブスンは答えた。「何と仰いましたか?」 「<ユガ>ですわ、大佐」 「聞き慣れない名前ですな。なんですか、それは」 「<ユガ>というのは、マハーバーラタ、つまりインド神話で言うところの、時間 を意味する単語です」ドナはギブスンを見つめながら言った。「正確には世界の時間 の単位を表しています。ユガは、全部で四つに分けることができ、クリタ・ユガから 始まってカリ・ユガまでの約400万年を示すのです。最後のカリ・ユガの終わりと は、すなわち世界の終わりを意味しているのだそうです。マハーバーラタに描かれる 世界の終末は、ヨハネ黙示録と似たところがあります」 「なかなか興味深いお話ですが、私には神話の知識はありませんな」ギブスンは秘 かにシグに接続を試みた。だが反応がない。 「ええ、私も古代の神話について大佐に伺おうとは思っていませんわ。私が知りた いのは、大佐が非公式に属している<ユガ>という政府機関についてなのですよ。念 のために言っておきますけど、この部屋はすでに、あらゆるシグチャネルから隔離さ れていますので、助けを求めるのは無駄です」 「そのようだな、ミス・マドウ」ギブスンは無駄な努力を諦めると、バーボンを呷 った。「アンソーヤの命令か?」 ドナは少し笑った。 「そうではありませんわ、大佐。私はアンソーヤに仕えていますが、本当の忠誠心 は別のところにあります。もちろん、あの坊やの力は尊敬するし、彼の不幸な人生に は同情しますけどね。けれど、それは別の問題ですわ」 「そうか」ギブスンは微かに頷いた。「君の主人が分かったような気がするな」 「そうですか?」 「ああ。簡単だな。そうやって政府機関に対して真っ向から対決しているのは、現 在の地球でただ一つ、テロ・ネットワークしかない」ギブスンはグラス越しに、ドナ をじっと見つめた。「違うかね?」 「さすがですね、大佐」ドナは微塵の動揺も見せなかった。 「愚かな女性だな、君も」ギブスンは侮蔑の色を隠そうともしなかった。「テロ・ ネットワークなんぞに世界を動かす力があると、本当に信じているのかね?テロルに よって政府が動いたのは、A.D.を使っていた頃の話だよ。奴等も、奴等に資金を 提供している旧世紀の権力者たちも、時代遅れの低能どもでしかないな」 ギブスンの侮蔑に応じたのは揺らぐことのない笑みだった。 「大佐がそう仰るのは勝手ですわ」ドナは怒りの色も見せずに答えた。「でも、私 は罵られるために、夜遅く大佐の部屋に来たわけではありませんの。<ユガ>につい て教えていただけませんか?」 「私は美人の頼みは大抵応じることにしているんだが」ギブスンは空になったグラ スを手の中でもてあそびながら言った。「さすがに君の頼みはきけないね、ミス・マ ドウ。シンジケートのメンバーがどうなるか知っているかね?念の入った精神探査に かけられて全てを白状させられた後、永久にマインド・コントロール下で生きること になるんだ。若くて美人なのに気の毒だな」 「ご心配いただいて恐れ入ります、大佐。でも私はそんな人生を送るつもりは毛頭 ありませんのよ」 「ほう、そうかね。しかし私が当局に通報すれば、君の未来には極めて限定された 可能性しか残らなくなると思うがね」 「確かにそうです。大佐が通報なされば、ですね。とすると、私は何とかして大佐 の通報を阻止すればいいわけです。例えばこんな風に」ドナは片手を動かして、着て いたブラウスのボタンをひとつ外した。襟元から白くきめの細かい素肌がのぞいた。 ブラウスを満たす豊かな胸が挑発するように小さく揺れ、ギブスンはドナがブラジャ ーを着けていないことを知った。 「私の身体に興味は?アンストゥル・セヴァルティでは関心を抱いたようですけど」 「5分前までは確かにそうだったがね。今はもう、そうではなくなったよ。お互い 楽しめなくて残念だったな」 「本当に残念ですね。それではこんなのはいかが?」ドナは指をパチリと鳴らした。 途端にギブスンは、ナイフで刺されたような痛みを胸に感じて、グラスを取り落と した。見えない手が心臓を掴んで、少しずつ力を加えているようだった。ギブスンは ベッドに片手をつき、顔面を蒼白にしながら、陸に上がった魚のように口をぱくぱく させて空気を求めた。 ドナは数秒間、もがき苦しむギブスンを見つめていたが、再び指を鳴らした。 どさりとベッドに倒れ込んだ大佐は、ぜいぜいと苦しそうに喘ぎながら、それでも 身体を起こして口を開いた。 「き、貴様。魔法を……」 「もちろん、普段は隠していますけどね」ドナはぞっとするような笑いを浮かべた。 「特にアンソーヤの前では念入りにね。あの子に人の心を読む力がなくて幸いでした わ」 「……」 ギブスンはベッドサイドのトレイに乗っている果物ナイフに目をやったが、すぐに その考えを捨てた。ドナの魔法は、それほど強力なものではなさそうだが、ギブスン がドナの身体に手をかける前に、頚動脈を引きちぎるぐらいはできそうだった。 「さあ、大佐」ドナは優しく声をかけた。「<ユガ>について話していただけます ね?言うまでもないですが、話さなければ大佐の軍歴は今日で終わりです。私にもあ る程度のことはわかっていますから、嘘を言っても同じです」 「全ての始まりは、FTL計画の中止だった」ギブスンはベッドに座って、ドナの 持ってきたレコーダーを前にして話し始めた。ドナに服用を強制された、催眠誘導剤 のため、口調が平坦になっている。 「現在、恒星間飛行計画は、理論上の重大な欠点があったと言うことで中止された ことになっている。また次元間通路、つまり<ムーンゲート>理論が完成したために、 顧みられなくなったとも言われている。だが実際はそうではなかった。FTL計画は 中断させられたのだ」 「誰に?」ドナはもはや笑みを浮かべてはいず、礼儀正しい口調も影を潜めていた。 「誰に中断させられたというの?」 ギブスンは躊躇うように次の言葉を口にした。 「<神々>だ」 「へえ」ドナはギブスンの顔をまじまじと覗き込んだ。「<神々>ですって?それ は何なの?何の代名詞なの?」 「文字どおりの意味だ。<神々>と名乗る存在が、明らかに超自然的な存在が、当 時の政府首脳の前に出現して、人類に恒星間飛行計画の中止を命じた。とにかくそう 聞かされている」 「超自然的な存在?」ドナはギブスンの顔に現れる些細な兆候を見逃さないように 視線を外さない。「人間ではなかったというの?もしかして、VR映像や、薬物によ る幻覚だったとか」 「そうではないらしい」ギブスンは淡々と答えた。「正体は私も知らないし、実際 に<神々>を見たことはない。だが、当時の政府首脳たちは確かに信じたのだ」 「でも……まあいいわ。それで?」 「<神々>は恒星間飛行を禁止する代わりに、<ムーンゲート>の基礎理論を与え た。それからレヴュー計画がはじまったのだ」 「<ムーンゲート>まで?」ドナは確認した。「人類の発明ではないというの?」 「もちろん、実際に理論を実用化したのは人類の力だ。だが、そもそも基礎理論が なければ、レヴュー計画は始まりもしなかっただろう」 「……それで?<神々>はそれからどうなったの?」 「<神々>は年に一度、人類の前に姿を現している。だが、会えるのは特に選ばれ た13人だけだ。13人の賢者と呼ばれる人々だ。それがすなわち<ユガ>なのだ」 ギブスンもドナも沈黙した。レコーダーだけが音もなく、静寂をディスクに記録し ている。 「なるほどね」ややあってドナは言った。「つまり、<ユガ>こそ、真の政府とい うわけね?」 「そうだ。表向きには<ユガ>は存在していない。また<ユガ>に属していても、 そうとは知らされていない人間は大勢いる。<ユガ>は事実上、世界の最高権力だと 言ってもいい。正確には<ユガ>の13人の賢者がだが」 「大佐、あなたはどうして<ユガ>と関わりを持つことになったの?」 「私の父が、賢者の一人だった。父はとっくに死に、その地位は別の人間が引き継 いでいるが、私はその頃すでに秘密を知っていた。<ユガ>は私を消してしまうより も、使った方がいいと考えたのだろう」 「<神々>のことを知っているのは、どれぐらいいるの?」 「世界中で100人にも満たないだろう」ギブスンは答えた。「秘密は可能な限り 厳重に保たれている」 「でしょうね」ドナは時計を見た。「最後にもうひとつ。アンソーヤは<神々>の ことを知っているの?」 「公式には彼には知らされていない。だが、様々な理由から、アンソーヤはすでに それを知っていると思われる」 ドナは頷いた。 「今日はこれぐらいにしておくわ、大佐。だけど、また話を訊きに来るわよ。いい、 よく聞いて」 ギブスンはどろんとした目でドナを見た。 「私が部屋から出たら、あなたはもう一杯バーボンを飲んで、それからベッドに入 って寝るのよ。私がこの部屋に来たのは、アンソーヤからの書類にサインをもらいに 来ただけで、その際軽いお喋りをしただけ。あなたは<ユガ>のことなど何も話さな かった。いいわね?わかったら返事をしなさい」 「わかった……」ギブスンは生気のない声で答えた。 「これから、私が、マクベス、と言ったら、あなたは今と同じような催眠状態にな るのよ。他の誰でもなく、私がそう言ったらよ。わかった?」 「わかった」 「よろしい」ドナはレコーダーを取り上げてしまった。「それじゃ、大佐、おやす みなさい。いい夢を」 ガーディアックから10キロほど離れた丘。その中腹に小さく口を開けた短い洞窟 の奥に遅い朝が訪れ、深い眠りに就いているリエの顔を日光が照らした。しかし、リ エは目覚めようとはしなかった。リエは、長い休息を必要としていた。それは突然、 巨大な力を持つことになった心と身体が、それに適応するための調和期間だった。 ガーディアックでは、地球からの掃討部隊が兵士たちの死体を残らず回収し、朝日 を避けるように戻っていった。同時に、何人もの潜入工作員が新たにアンストゥル・ セヴァルティに放たれ、夜陰に乗じてあちこちの方向へ消えていった。彼らの任務は リエの行方を探ると同時に、アンシアンの反応を、とりわけ魔法使いたちの動きを調 べて報告することにあった。 同じ頃、パウレンは自分の家に戻ると、待っていたカダロルに傷の手当を頼み、そ れを受けながら魔法使い協会に、事の次第を報告していた。パウレンは逃げ去ったと 見せかけて、近くに潜み、正体不明の襲撃者が空中へと消えて行くのを目撃していた のだった。いずれパウレンに劣らぬ強力な魔法使いがやってきて、唯一の手がかりで あるリエの追跡を開始することだろう。 二つの世界から追われる身となったリエは、しかしまだそのことを知らない。今は ただ深い眠りだけがリエ・ナガセを包んでいた。
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