長編 #2634の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
4 「なぜ、危険な状況にもかかわらず第3フェイズを、ここでやらなければならない のです?」リエと違って、質問する相手がいるギブスン大佐は苛立たしげに訊いた。 「地球に戻ってからゆっくりやればいいではないですか」 「純粋な<ヴェーゼ>はアンストゥル・セヴァルティでしか精製できないのさ」ア ンソーヤはギブスンを見向きもせずに答えた。「理由は訊かないでくれ。ぼくだって 何故かなんてわからんのだから。地球で精製した<ヴェーゼ>は何の役にも立たない 腐汁なんだ。おまけに採集したマテリアルの寿命は非常に短く、あのサンプリング・ シリンダーでは長時間の保存は不可能だ。少なくとも<プレ・ヴェーゼ>まではこち らで精製しなければならない」 アンソーヤは話しながらも、心がどこか他の世界をさまよっているかのように、あ らぬ方向へ視線を向けている。ギブスンは少しむっとしたが、すぐに別の質問を放っ た。 「34人のセカンドフェイズターゲットからどれぐらいの<ヴェーゼ>が精製でき るのですか?」 「計算では540ミリグラムから575ミリグラムの<プレ・ヴェーゼ>だ。さら にそこから10ミリグラムの<ヴェーゼ>が抽出できる。できそこないの合成物質で ない、純粋な<ヴェーゼ>が……」 たった10ミリグラムか。大佐は心の中で毒づいた。これまでの研究によれば、人 間一人に投与できる<ヴェーゼ>の限界は2ミリグラムである。つまり、今夜の作戦 で得られる<ヴェーゼ>はたかだか5人分でしかないのだ。しかも、<ヴェーゼ>を 投与されて生き延びる確率はゼロに近い。大抵は遺伝子コードを滅茶苦茶にかき回さ れて恐ろしい死に至る。 いや、遺伝子ではない。ギブスンは訂正した。心だ。<ヴェーゼ>は人間の精神に 作用する。精神のどこかに静かにキスして変化をもたらす。短く小さいが、激烈で変 化を。その変化は千差万別だが、ほとんどは致命的な結果となる。今まで<ヴェーゼ> の洗礼を受けて生き延びた人間はたった一人。アンソーヤだけである。 「5人分ですな」ギブスンは呟いた。「その哀れな5人の志願者に神の恵みあれ、 と言わざるをえませんな」 アンソーヤは冷たい笑みを浮かべてギブスン大佐に視線を戻した。 「神の恵みなんて必要ないさ」 「ほう。天然の<ヴェーゼ>ならば、成功の確率が高いとでもいうのですかな?」 「君は分かっていないね、カーネル」アンソーヤは大佐の視線を捉えたまま静かに 続けた。「その10ミリグラムは全てぼくのものなのさ」 ギブスン大佐は絶句した。 アンソーヤは悪魔的な笑みを秀麗な眉目に刻んだまま、父親ぐらいの年齢にあたる 大佐の驚愕を楽しんでいた。その後ろにつつましく立っているドナはというと、落ち 着き払った気品を崩すことなく、わずかにそれとわかる程度に唇をほころばせている。 明らかにアンソーヤの発言を以前から承知していたようだった。 「な……だ……し、しかし、しかし」嵐に翻弄される小舟のように揺れている精神 をようやく鎮めた大佐は、アンソーヤの顔から冗談や酔狂の印を探そうと必死になっ た。「それでは人間に投与できる限界を超過して……」 「普通の人間ならね」アンソーヤはあっさり答えた。「だがぼくなら大丈夫だ」 こいつは人間じゃない。ギブスン大佐は背中を冷たい汗が流れるのを感じた。こい つ自身が認めているではないか。 「それで、あなたは」ギブスンの声は震えていた。「今よりも強大な力を身につけ るというわけか」 「いけないかね。どうせぼく以外の誰に投与したところで貴重な霊液が無駄になる だけさ。だが勘違いするなよ、ギブスン」アンソーヤの瞳から笑みが消え去った。「 <ヴェーゼ>の謎が解ける人間が地球にいるとしたら、それはぼく以外の誰でもない んだ。つまり地球人の誰に投与しても安全になるように<ヴェーゼ>を調整化合でき るのは、ぼくしかいない。いいかい、つまり人類の未来はぼくにかかっているんだ! しかし、ぼくの力はまだまだ不安定だし、アンシアンの魔法使いに比べたらライオ ンに対する子猫みたいなものだ。<ヴェーゼ>を解きあかすにはまだ力が足りないん だ。そのためにはぼくが投与されたような粗雑な合成物の<ヴェーゼ>じゃダメだ。 純粋な<ヴェーゼ>がいる。 わかったかい、カーネル。ぼくは別に、ぼくと同じ力を持つ人間が誕生するのを、 自分勝手に阻止しようとしてるんじゃない」 アンソーヤが言葉を切ると、嵐が通過した直後のような沈黙が、狭い作戦指揮所を 支配した。アンソーヤは自分が思いがけなく熱い言葉を吐いてしまったことに戸惑い を憶えているようだった。ギブスン大佐は意外なものでも見たような顔で、アンソー ヤをまじまじと見つめていた。ドナは、もちろん全ての言葉を耳にしたに違いないが、 まるで何も聞かなかったかのように静かな笑みを浮かべて立っている。 少年はいつのまにかシートから立ち上がっていたことに気付くと、少し頬を赤くし ながら座り込んだ。 ----報告です!第3フェイズ、ステップ1終了です。 突然、今まで忘れていたシグから優先フラグをつけたメッセージが飛び込み、ギブ スンは我に返った。 ----よろしい。撤収を開始しろ。 ギブスンは命じた。そして、何とか平静な声でアンソーヤに伝えた。 「<プレ・ヴェーゼ>まではどうにか精製できたようですぞ。撤収命令を出しまし たがよろしいでしょうな?」 「ああ、構わない。<プレ・ヴェーゼ>になれば比較的安定しているからな。ただ し慌ててディレクターを地面に落としたりしないように。抽出処理は継続しているん だから」再び冷たい声と表情を取り戻して、アンソーヤは注意を与えた。大佐にして みれば、余計なお世話である。そんなドジを踏むような戦闘員など、今回の作戦に投 入した憶えはないのだ。 「ご心配なく」 短くそれだけ答えると、ギブスンは再びシグを通じてもたらされる毎秒数百という 情報や報告に注意を向けた。 ようやく撤収である。リエはさすがにほっとしたものの、緊張を解いたりはしなか った。油断なく周囲の警戒を怠らず、例のコンポーネントを背負った兵士の右側を歩 いている。コンポーネントの中では、ずっと何かの処理が行われているらしく、ほと んど聞こえないぐらいの作動音が絶えず続いていた。 ----結局、何の説明もなしで終わるわけね。 特殊部隊の任務にはよくあることだが、この作戦の目的は永遠に知らされることが ないだろう。リエはそんな気がしていた。アンシアンの女たちから、何を採集したの か。あのコンポーネントは、採集したものをどうするのか。そして何に使われるのだ ろうか。 ----今夜のミッションを記憶にとどめておくことは許されるのかしら?リエはふと そう考え、すぐにその可能性はごく低いと結論した。敵性国家に属してもいない非戦 闘員を全滅させ、おそらく何かの実験材料を採取した。リエたちはコントロールされ たために、良心も道徳心も後悔も麻痺しているが、それが切れた途端に激しい自己憎 悪が沸き起こることはほぼ確実である。 ショートケーキカット となると、軍上層部としては後に災いの種を残さぬために、部分的記憶消去処置が 強制されるに違いない。もちろんリエはそれを少しも残念に思わなかった。いかに訓 練を積んだ兵士だろうと、この手で為した虐殺の記憶を抱いたまま正常な人生が送れ るとは思えない。少なくとも自分はダメだ。 1個中隊の兵士達は、慎重に互いに間を取って足早に進んでいた。地球上であれば シグをはじめとする現代テクノロジーによる強力なバックアップが得られるのだが、 アンストゥル・セヴァルティでは機械的/光学的機器すら満足に使用できない。通信 だけはかろうじて明瞭に確保されているものの、攻撃があればそれすら頼りにできな ----パトロール隊の消息はまだつかめんのか? ----ダメです。全く応答ありません。 ----指揮所の魔法使いは何と言っているのだ。 ----一瞬で地上から気配が消えたそうです。 ----…… 密やかに飛び交う通信の中にも不安が入り混じっている。多少なりとも魔学を学ん だことがある兵士も何人かいるが、彼らの不安度は他の兵士に比べて高かった。敵意 を持った力を全身で感じてしまうのだ。こればかりは、サブリミナルヒュプノサウン ドでもコントロールしきれない。厳しい訓練と、かつて死線をくぐり抜けた経験によ って培われた強力な自制心がなければ、とっくに恐怖に耐えかねて四方八方に銃弾を ばらまいていても不思議ではない。 ----後600メートル弱……。このまま無事に撤収できるかしら? リエの心に浮かんだ疑問は、全ての兵士が等しく思い浮かべていた疑問であったに 違いない。もっとも多少ふてぶてしい何人かはこう思っていたかもしれない。 ----奇襲される少しでも可能性があれば、必ず奇襲される…… それが正しいことは、一分後に証明された。戦闘支援車両が待つ撤収目標地点まで 520メートルの地点だった。 コマンドルーム 戦闘支援車両の作戦指揮所でアンソーヤは何の前触れもなく突然立ち上がった。 「始まるぞ!」 その言葉が終わらない内に、シグに同時多発的に悲鳴と恐慌の叫びが発生し、ギブ スン大佐は目をむいた。慌てて状況確認を指令したものの応答はなかった。 「何が起こっているんだ!」ギブスンは肉声で叫んだ。「ローカル・エリア・シグ システムがブラックアウトしてるぞ!」 「魔法だよ、ギブスン!」アンソーヤが拳を固く握りしめながら叫んだ。「君の兵 士たちが襲われているんだ!」 緊急時にしか使用されないオーディオ回路とTFT画面が一斉に活性化した。その ひとつから、オペレータが青い顔で報告した。 「ダメです。攻撃部隊との連絡が途絶えました。あらゆるコミュニケーションシス テムが沈黙しています!」 敵----それとも怒れる復讐者と呼ぶべきか----の攻撃は、音もなく始まった。 突然、一人の兵士が手信号で周囲の注意をひいた。彼の手は「通信が切れた。確認 頼む!」と訴えた。それに応じた数名の表情がみるみるうちに青ざめる。そのときす でに、非常用回線を含めたあらゆる通信が途絶していた。これは敵が特にそう意図し たわけではない。無線の概念などアンシアンは知らないのだから。だが魔法に支配さ れるアンストゥル・セヴァルティでは、強力な魔力が通信波を消滅させてしまうので ある。 ミッションコマンダー 「停止!」作戦指揮官が声に出して命じた。もはや隠密には何の意味もない。「防 御態勢!火器使用制限解除!」 たちまち兵士たちはその場に停止し、サブマシンガンを外すと音もなく構えた。行 き届いた訓練を思わせる動きで、あらゆる方向に対して死角がなかった。周囲の森は 敵意をむき出しにした何者かの姿をまだ隠していたが、たとえコウモリ1羽でも翼を 拡げた瞬間にずたずたにされるだろう。 そのまま息詰まるような数秒間が、痛いほどの静寂をともなって流れ去った。兵士 たちの緊張は次第に高まっていった。 次の瞬間、誰もが----アンソーヤでさえ----予想すらしなかった攻撃が、特殊部隊 の沈着冷静な兵士たちの中央で静かに炸裂した。 不意に第4小隊の小隊長が凍りついたように銃を手から離した。スリングのおかげ でサブマシンガンは地面に落ちずに小隊長の方からぶら下がったが、両隣にいた部下 たちはかすかな音に反応して、反射的にそちらに銃口を向けた。そしてそのまま彼ら は驚愕の形に口を開くことになった。 小隊長の頭がばっくりと前後に割れ、そこから奇怪な数本の触手が勢いよく夜空に 伸びた。触手は宙で分割し、それがさらに割れ、みるみるうちに無数の毛細血管がう ねうねと蠢く束となった。 「ぐ!」 呆気に取られて見ていた兵士の一人が、耐えかねたように呻き、同時にトリガーを 絞った。一拍遅れて、他の兵士も発砲を開始した。 瞬時に数十発の弾丸を浴びた小隊長の身体は、ボロ布のように後方に吹っ飛んだ。 これが始まりだった。 慎重に銃を構えながら、小隊長の死体に近付いた兵士達は、彼らが確かに見た触手 が跡形もなく消え、肩の上に乗っているのが全く無傷なままの人間の頭部であるのを 見て愕然とした。 アンシアンの幻覚!と理解する間もなく、一人の兵士が恐慌の叫びを上げて、顔に 恐怖を刻みながら数歩後退した。裂けんばかりに大きく開いたまなじりは、目の前の 何かに釘付けになっている。と、兵士は突然銃を乱射した。当然それは、近づきかけ た同僚達の身体を貫くことになった。 別の一角では、大柄な女性兵士がいきなりナイフを抜くと、すぐ隣の兵士の顔面に 目にも止まらぬ速さで走らせた。眼球を両方とも切り裂かれた兵士は反射的に発砲し、 女性兵士もろとも仲間を撃ち倒した。 今や防御円陣の各所で、仲間同士の殺しあいが始まっていた。
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