長編 #2625の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
実に突然の事であった。 俺の部屋に久々に女がやってくる。慌てていた。部屋の中を見渡す。 「かなり散らかっているな。こりゃ、立派な社会人の部屋とはいえねぇ よなぁ」 片付けなきゃと取り合えず押し入れに、数日洗ってない衣類をしまい込 み、敷いたまんまの煎餅布団をベランダへと持っていき日向に干すことに した。所々染みがついているが、女の子にそんなところをみせるわけには いかないのだ。染みの部分を隠すようにして干す。 女と言えば、美登里はよく世話を焼いてくれたものだ。家庭科の授業で アイロンのお勉強をしたというと、翌日には俺のワイシャツにアイロンを かけてくれる。キッズクッキングってなもんが流行りだと会社の連中は言っ ていたが、料理も作ってくれたことがある。玉子焼きだったっけ。 背広からは少し汗くささが漂う。しかし臭いは勘弁してもらおう。 とりあえず、散らかっていた畳敷の部屋には転がっている塵屑は消え失 せた。あとは、水仕事程度のものだろうか。 台所で、皿洗いなんてものはあまりやることはない。三日に一度手入れ すれば、男としては上等だろう。 岩波恵子に、是非炊事はやってもらいたいという邪な願望が浮かんだ。 学生証の写真は実に好みであったといえよう。 スポンジに洗剤をしみ込ませ、ごしごしと磨きをかける。急須や茶碗に は既に茶渋がこびりついて取れそうもない。 シンクに水を貯めて、泡だらけの食器を叩き込んだ。 手料理を食べさせてやることも考えている。やもめの時期が長いから、 料理も煮込み程度なら作れるのだ。 それでもひょっとしたら、手料理なんてこともと考えてはいた。皿洗い にも力が入っている。 わくわくしていた。仕方無しにやっていた今までからは信じられない。 理由が異性の客人というだけでは済まない事は判っていたが、モチベーショ ンがあるとこれだけ仕事が捗るのかと、管理職の人材育成マニュアルの模 範例を実行している自分を立派に思う。 今まで面倒だったことはすべて終えてしまった。 「大きなゴミはないな・・・・・・ 」 余計な労力ではあったが、蛍光灯の傘の中まで磨いた。一時間かけて、 ようやく「人間の住む部屋」程度までには仕上げてみた。 もう一つ、それでもチェックしなけりゃならないところがある。冷蔵庫 の中を覗いてみた。 しかしその中身は、はるか昔の自分のような貧乏学生以下の有様であっ た。「ここんとこ、インスタントラーメンばかりだったしな・・・・・・ 」 女なんて連れ込んだこと無い。しかし家事そのものは滅多にやらないし、 料理を作ったときでも後片付けなんてしない。 「こんなことでも無かったらなぁ〜」 中身はキャベツ一個、それも一ヵ月前の食えないゴミだ。 「買い出しにでもいくか」 取り合えず、俺の手料理「でたらめ鍋」の材料になる、野菜類、肉類、 卵や調味料等を買い出しに行くことにした。 「億劫だ」 それでもぼちぼち、鍛冶の商店街のシャッターが降りる時間にはなって いた。取り合えず、売れ残った物でも買い叩こうと思った。 まだ、岩波恵子の来る時間までかなりある。空の色はオレンジから紺色 へと移り変わる頃合いであった。 ★ 南へ、水路沿いに歩いていく。 俺の住む町は港寄りなせいか水路が多い。市民が「運河」と呼ぶ水路が 市内の南側に三本あり、駅方面から北運河、中運河、南運河と呼ばれ、親 しまれている。この町の地場産業は洋食器とメリヤス産業であり、完成品 や原材料が運河によって運搬されていた時代があったという。 この水路は、恋路水路と呼ばれる、かつての遊廓方面につながる流れで ある。商店街はその遊廓の手前に直径200メートル規模のちょっとした ものだ。 水路を左に曲がって、鍛冶町東口商店街へと入っていった。 この商店街は食材関係の店よりも飲食店、とみに中華や定食屋関係の店 が多い。そのせいか、買い物で賑わう時間を過ぎても活況を呈している。 「まだ、売れ残っているかな? 」 油の煮え立つ濃厚な匂いが、俺の胃袋を刺激した。 足がそっちの方へとふらふらと動く。足は匂いの許へと段々と近づいて いった。 「よかったぁ、まだまだあったかぁ」 目の前には、売れ残ったテンプラやコロッケが若干だがスミに置かれて いる。少し油を吸いすぎた感もあるが、「冷めてもおいしい」というのが、 ここの店のオカミの殺し文句である。 残っていたのは、牛コロッケ三個とミンチカツ二個という具合。 夕食はコロッケが実に便利である。普段は自分で料理を作るよりもおい しく、後片付けに手間がかからない。副食で野菜のテンプラも食べれば栄 養のバランスもとれるし。 「しーなさん、今日は遅いね。大方は売り切れちゃったよ」 おかみさんが話しかけてきた。 このおかみさんは俺よりも三つ年下で、俺はこの店の、開店以来の常連 客である。大学時代からここのコロッケを食べて歳を食った。 美登里を連れていって食べさせてあげたこともある。美登里も大好物だっ た。 「今日は、残業でね。ちいっ、売れちまったんだ」 「折角来てくれたんだし、二割引いてくから持ってきなよ」 「もうけたな。あんがと、おかみさん」 紙袋にコロッケとミンチカツ、あるだけを包んで、手渡してくれた。 「油で揚げたらおいしく食べられるよ」 「今度は普段の時でも大安売りしてよ。若奥さん」 「だーめ、今度は早めに来るんだよ・・・・・・ ありがとさん」 買い物カゴにコロッケをしまい込み、惣菜屋をあとにした。 普段の買い物は此処までである。しかし、今日は来客のある日というわ けだ。これだけの買い物で済ますわけにはいかなかった。 しかし、魚屋肉屋は既に店を閉ざしている。 「仕方ない。スーパーは、まだやっているかな」 目の前にあるスーパーは八時まで営業している。客は疎らであったが、 なんとか食材は手に入りそうである。 スーパーってのは好きになれないところだが、新鮮じゃないとしても食 い物には変わりない。自動ドアをくぐって店内へと入った。 しかしここで、思ってもいない人物を見いだしたのだ。 「あっ、和則!」 この言葉はすんでのところで飲み込まれたが、鍛冶屋町の方に山村の息 子、和則が来るとは思ってもみなかった。 立派な藍色のジャケットを羽織った色男を所帯染みたスーパーマーケッ トで発見したのだ。びっくりしない方が不思議だ。 それよりも目を引いたのは、和則の横にいる色白の和服をまとっている、 まだまだ幼さの残る和則とは対照的な女性の姿だ。 あれが和則の婚約者か。 そういえば、和則はママっ子だ。こういう選択も不思議ではない。 改めて、彼女のほうをじっと見る。 「春子さん・・・・・・ 最高だ・・・・・・・・ 」 あれっ? 和則の声が聞こえる。しかし、和則の姿ははるか向こうだ。 自分の心の叫びかなと思ったが。 また声はきこえた。 「春子さんさえ居てくれたら・・・・・・ 」 変な現象だ。まるで和則の心を見透かしたように、あいつの声が俺の耳 元に届いたのである。空耳、それにしてははっきりとした感じで。 無理はないな。確かに綺麗だ。 ただ残念な事に、彼女の姿は俺の視界から消えた。和則が袖を引っ張っ て、あっちの、エスカレーターの方に連れていったようだ。 山村の鼻の下もかなりのびてしまうのではないかと一瞬思う。ああいう 嫁が自宅で家事をしている光景といったら、艶めかしくってそれはそれは。 あれでは姑の怒りを買うことは必至と。 しかし、俺の鼻の下も洒落にならない。にやついた顔を繕って、買い物 を開始することにした。 野菜売り場の方に足を運んだ。 (それにしても便利なもんだな。レトルトパックの中にバーベキューや 鍋で使う材料一式が皆入っている ) かなりの特価であった。スーパーも六時を越えると商品の多くが割引に なる。「すき焼き一人前材料セット」なるものを二つ、買い物カゴに放り こんだ。 肉の方は、クズ肉か高いのしか置いていない。 物色を開始した。するとまた、 「霜降りにしようよ・・・・・・ 」 「う、うん・・・・・・ え!? 」 また、また空耳が? 今度は若い女の声で、霜降り肉のパック250グ ラムがささやいてきたではないか。 疲れて、五感に異常をきたしたんだろか? 取り合えず、霜降り牛肉の顔を立てて、彼女の事を引き取った。しかし 残念ながら、「ありがとう」という言葉は聞けずじまい。 あと、シラタキとふを乾物コーナーで購入し、いつもより出費の金額を レジに払って買い物を終える事にした。 「ぼちぼち、彼女が来る時間だな」 ★ 自宅に戻ってはみた。しかし、彼女は未だ現れない。 「あれは悪戯電話だったな」 午後八時は、自らのため息で埋め尽くされた。 岩波恵子は来なかった。まあ、見ず知らずの男の家にのこのこやってく る女なんて居る訳がない。王女様もたまには悪戯でもしてみたいと思った んだろう。 ただ、学生証の顔写真が可愛く、美登里を連想させる顔だちだった事が 悔やまれてならなかった。 「隣はスキヤキなんだな」 濃厚な鍋の匂いがここまで漂ってくる。隣に住んでいる岩井さんの奥さ んは料理がうまい。あそこの旦那とはあまり面識は無いが、うらやましい ではないか。 夕刊を見る。また円が上がっている。そして、冷たい肌合いの殺人事件 の記事が今日も紙面を飾る。 けど、悲しいとか悔しいとかなんて感情、もう失ってしまった。 「触らなければ、何事も起きない」 新聞の紙上で繰り広げられていることは、遠い世界の出来事だ。そんな 事にいちいち関心を持ったとしても、自分の暮らしの何かの糧になるわけ ではない。憂うべき世の中のはずだ。 けど自分にとって深刻な事は、長い間此処にあるのだ。 といっても、誰も自分の事なんて助けてくれないだろうし。そういう何 処か厭世的な感覚がいつの間にか染みついてしまった。 鍋の、砂糖醤油の匂いが段々と濃厚になっていた。しかし、 「ちょっと待て! 」 慌てて、隣の岩井宅を防火壁越しに覗く。やっぱり居ない。 俺は大事な事を忘れていた。岩井さんの奥様は出産の為に故郷に里帰り しているのである。 まさ・・・・か・・・・・・ 自分の台所を覗いてみた。 言葉が詰まった。平常な人間なら、この光景を見てこう反応しない方が おかしい。目の前の、台所に絶句した。 「な、なんだよ。これって」 ひとりでに包丁が、ネギを刻み、豆腐を切り刻んでいるではないか。ウォ ルトデイズニーの世界だ。そして長年使っていなかった炊飯器もひとりでに 動いている。炊き立ての香りが、鼻孔を微かに刺激した。 「今日は、変な事ばっか起きるな」 岩波恵子の電話、空耳の事、そしてひとりでに動く包丁や炊飯器、どれも 常軌を逸している。 鼻孔がシャボンの香りをとらえた。 湯煙が俺の背後に立ちのぼった。誰かが風呂を使っていたんだ。 バスルームが開いた。そして、存在が明らかになった。 「彼女」が口を開いた。バスタオルを体に巻きつけて、岩波恵子が微笑ん でいる。 いろいろと王女様に、今日の出来事について聞いてみようと思った。 王女様の笑みは純粋に見えた。「不法浸入じゃないのか」という言葉さえ も野暮だ。 コンロの火が消えた。食卓の準備は整った。 「おじゃまします、椎名さん。さっ、食事にしましょ」 つづく
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